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櫻花荘に吹く風~201号室の夢~ (6)
しおりを挟むなるべく部屋の端へと寄って話をしていたのだけれど、僕の声はしっかり聞こえていたらしい。
「えーっと……まあ、何とか……」
どうにか出来る見込みなんて全く無かったけれど、これ以上この人達に迷惑を掛ける事も出来ない。苦笑して答えた僕に、みっちゃんが眉根を寄せて、小さな紙を振って見せる。
「まさかこういうとこ頼ろうとか思ってんじゃねえよな? それこそ身包み剥がされるぞ?」
春ちゃんが新しくお茶を淹れて手招きしてくれるのに甘えて、先ほどまでの席へと腰を下ろす。俯きがちな僕の目の前に差し出されたのは、昨日弁当屋の裏口で押し付けられた金融会社の名前が入った名刺だった。
「あ、それは……」
「みっちゃん! やっぱり放っておけないよ、お願いっ」
「観月さんお願いしまっす!」
「春海…良太も、こういう時だけさん付けとかすんじゃねえっての……ああーもうっ」
実を言うと、名刺の事はすっかり記憶から抜けていた。
どこかへ落として来たのだろうと思っていたのだけれど、脇に僕の財布が置かれたままなのを見れば、多分無意識に仕舞いこんでいたのだろう。
その事を口に出そうとした時に、春海さんと良太が、みっちゃん……観月さんへと頭を下げた。突然の行動に面食らう僕に、観月さんが大きな息をひとつ吐いて、視線を合わせて寄越す。
「お前、今日はその劇団の稽古とやらは休むって言ってたよな?」
「あ、はい」
「んじゃあ、俺と一緒に店に行くぞ。制服合わせして、そのまま今日から働け。悪いとは思うけど、俺はまだ春海や良太みたいに、頭からお前を信じてやる事は出来ないから……当面の生活費やここの家賃なんかは、給料から天引きにする。それでいいな?」
「……え? あの、え?」
突然降って来た怒涛の情報に、頭が追い着いて行かない。
「やったね、まーくん! 職と家確保ー!」
「みっちゃんありがとう!」
事態が飲み込めないまま狼狽える僕とは対照的に、良太と春海さんが喜色の声を上げる。俺はどうしてこう甘いんだ、と苦笑を浮かべた観月さんが、そんな二人を暖かい眼差しで見つめていた。
何がどうなってどうなったんだ?
疑問符ばかりが頭の中を渦巻く中、お茶を飲み干した観月さんが徐に席を立った。
「さぁて、そうと決まれば俺は契約書作んなきゃならないか……良太も今日は休みだったよな? 春海と二人で必要なもの揃えるの付き合ってやってくれ。領収書貰って来いよ? それも給料から分割で引くから」
「了解!」
「春海はここの説明も頼んだぞ。昼には由野さんと大輔も起きて来るだろうし、皆で揃って飯食おう」
「分かった。ねぇみっちゃん、納戸に入ってる使えそうな物は出しちゃっても良いよね?」
「春海に任せるよ、俺は何が仕舞ってあるのか知らないし」
台所との仕切りのようなカウンターの上でコーヒーを淹れながら、春海さんと良太に指示を飛ばすと、観月さんは頼んだぞと言い置いて、淹れたコーヒーを片手に出て行ってしまった。
(職と家……って、言ってたよな?)
ちらりと良太へ視線を向けると、にっこりと微笑を返される。
「どしたの? 嬉しくねえの?」
「えっと……あの、何が何だか、良く分からなくて……」
「あ、そっか! そう言えば何も説明してないもんな」
「そうだった、勝手に決めちゃってごめんね、まーくん」
戸惑ったままの僕を見て、ようやく二人は僕が置いてけぼりにされていたことに気付いてくれた。
「いえ、ここってその……」
「ここはね、櫻花荘。賄い付きの共同アパートって思ってもらえれば良いかな?」
「要するに下宿ね、下宿屋さん」
「下宿……って、え? 僕、ここに住まわせてもらえるんですか?」
「それとね、それだけじゃなくてみっちゃんの店でのバイトも決定だぜ!」
にひひ、と笑いながら、良太が楽しそうに親指を立てた。住む場所だけに留まらず、働き口までなんて、そんな旨い話があっていいのだろうか?
(嘘みたいだ――頼むから、夢なら覚めるな)
つい数時間前まで、この先どうしたら良いのか頭を抱えていたというのに。一瞬にして事態が180度展開してしまった。
春海さんと良太が、驚く僕にあれこれと説明してくれるのを、何処か他人事のように聞いていた。
ここ櫻花荘は朝晩の賄いが付く下宿屋。各部屋6畳一間の間取りで、風呂とトイレは共同、部屋にキッチンは付いていない。
元々が以前の大家の趣味で営まれていたような形で、大家が変わった今も契約等は以前のままの条件で行っているのだという。
聞けば、この辺りの家賃としては考えられない安さだった。ご飯が付く事を考えれば、普通にアパートを借りるよりもずっとお得だ。
ガスと水道料は毎月折半、管理費が月5千円。電気だけは各部屋毎に係数計が設置されていて個人持ち。昼飯も欲しい時には事前申告でお願いすれば、一食300円という安さで用意してもらえるというのだから、驚くなと言う方が無理だろう。
「因みにボクは管理人の三島春海 です。さっきまで一緒にご飯食べてたのは、ここの大家さんもやってる杉田観月 って言って、203号室に入ってるんだ 。みっちゃんが店長してるお店が、ここから歩いて十五分…二十分くらいかな? そこがまーくんの職場になるんだよ」
「俺は鈴木良太 、202号室だからまーくんの隣の部屋、ヨロシクな」
握手を求めて差し出された手を掴めば、力強く握り返される。
脱色で傷んだような色合いの短い髪とピアス。普通に生活していたなら、多分一生口を利く事も無かっただろう見た目の男性。
(見た目は派手なのに、随分人懐こいっていうか……明るい人だな)
それが、僕が彼に対して抱いた第一印象だった。
(何か面白い事になって来たじゃん?)
にや付く頬を引き締める努力もしないまま、鼻歌を歌いながら春ちゃんの部屋の押入れを漁る。
昨年俺がここ櫻花荘に越して来て以来、初めてとなる新参者の出現に、自然気持ちが浮き立つのは仕方の無い話だろう。
部屋の主である春ちゃんは、新住人となる事が決まったばかりのまーくんと一緒に、今頃納戸に篭もって押し込められている荷物と格闘しているはずだ。
「春ちゃんには任せられねえもんなー」
以前の大家が残していったという布団を、何も持っていないというまーくんに使わせる、と言い出したのはつい先ほどの事。
普段から何も無いところでこけてるような春ちゃんに、布団を抱えて階段を上らせるのは危険過ぎると、布団運びは俺が買って出た。
「――っと、これそっくりこのままで良いんだよな?」
古いシーツに一式纏めて包んであるから、と言われた通り、すっきり綺麗に片付けられている押入れの中に、分かり易く収めてあった。
俺の部屋も物は少ない方だと思うけど、春ちゃんの部屋はいつ来てもきちんと整頓されていて驚いてしまう。俺が部屋に上がるだけで、そこら中を汚してしまいそうな気がして仕方が無い。
「俺も大概ラッキーだったけど、まーくんの運もすげえよな……」
一連の遣り取りを思い出しては込み上げて来る笑いを飲み下し、布団を抱えて階段へと向った。
俺の場合は北斗からの紹介があったおかげでここに入れたけれど、基本櫻花荘では住人募集を大々的に行ってはいない。
現在の大家であるみっちゃんのじいさんが、元々道楽がてら始めたのだという下宿屋が、この櫻花荘なのだそうだ。
『入居者が増えれば増えただけ赤字になるように出来てんだよ』
というのはみっちゃんの言葉。俺にはいまひとつその仕組みが分からないけど、深く考えようという気も無いので気にしない。
北斗に初めてここに連れて来られた時には、昭和の香りがするような余りの古臭さに驚いた。
北斗がホストをやっている事は知っていただけに、ここに北斗が住んでいるという事実が、正直ショックではあったのだけれど……安い家賃で美味いもんが食える。それにここは、俺が知る何処よりも、温かい場所だった。
住んでみれば大満足の大正解だ、今更他のアパートを探そうなんて思えやしない。
碌な学も無い俺は、今の仕事も北斗の友人が経営している、何でも屋みたいなリフォーム会社に、これまた北斗の口利きで働かせて貰っている。
大して給料が良いわけじゃないけれど、身体を動かす仕事は性には合ってるようで、今の暮らしに不満も無かった。
「しっかし、演劇ってそんな面白いのか?」
テレビドラマや映画すら余り見ない俺には、家族や将来の保障を捨ててまでそれにのめり込むまーくんが、不思議に思えた。というよりも、多分、何かに対してそんなにまで情熱を持って取り組めるという事が、俺にはよく分からない世界なのだろう。
「ま、桜に呼ばれた位だし?」
くくっ、と喉奥で笑いながらも、彼を見付けた朝の一幕が、色鮮やかに思い出された。
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