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櫻花荘に吹く風~201号室の夢~ (29)
しおりを挟む中庭に来るときに見上げた二階の部屋。今日はまだ観月さんも北斗さんも帰って来ていないらしい。良くんの部屋にだけ灯りが点いていたことを思い出していると、角を曲がって来た良くんの姿が目に入った。
「まーくん、お疲れ! はいこれ」
「わ、ありがとう」
時間が掛かっていると思ったら、台所に寄っていたらしい。駆けて来た良くんから手渡された冷えたペットボトルに、頬が緩んでしまう。
「あー、っと……」
「良くんも座って、風が気持ちいいよ」
「ああ、うん」
どうしたら良いのかと躊躇うように、僕の前に立ったまま所在無げにしている良くんを促せば、少し照れながらも素直に隣へと腰を下ろしてくれる。
いつもの元気はつらつとしたイメージとは違った、落ち着きの無い良くんの様子に、僕も少し緊張してしまう。
「えっと……今日は、観に来てくれてありがとう」
「あ、いや、こちらこそ! 春ちゃんに聞いた。何か……千秋楽? っていうのは、特別なんだって。そんなチケット貰っちゃって、何つうかその、ありがと」
「ううん、僕が勝手に押し付けたようなものだし。ごめんね、良くんお芝居とか退屈だったんじゃないかなって、本当はちょっと迷ったんだけど」
「いや、楽しかったよ、マジで! まーくんいつもと全然違ってて新鮮だった!」
話の内容は今ひとつ分からなかったけど、と言って苦笑を浮かべる良くんの素直さに、思わず笑みが漏れてしまう。そういうの、本当は口に出さない方が良いとは思うんだけど、それがまた良くんの好さでもあるわけで。
「そうだね、僕にとってはすごく意味がある、特別な舞台だった」
「最近まーくんが忙しそうだったのって、これのせいだったんだなあ。俺全然知らなかったからさあ、まーくんに嫌われたのかと思って、ちょっと寂しかったんだよね」
「ち、違うよ! 全然っ、嫌ってないから!」
「うんっ、チケット貰って分かった。それに、久々にこうやってまーくんとゆっくり話せてるし……てか、疲れてんじゃ無いの? 早く休みたいよな、ごめん、俺だけべらべら喋って」
ああもう、本当に、どうしてこんなに素直なんだろう。
僕なんかよりも数倍も数十倍も苦労をして来ているだろうに、捻くれもせずに、こうして屈託の無い笑顔を見せてくれる彼。
初めて会った時から変わらないその優しさに、僕はどれだけ助けられて来たのだろう。
「良くん、時間作ってもらったのは僕の方だよ? 良くんこそ、慣れない場所に来て疲れたんじゃない?」
「俺は平気。言ったろ? まーくんばっか観てたから、楽しかった」
「……何か、ちょっと照れるね」
「え、そう?」
意図的なのかそうではないのか、恋愛経験の乏しい僕には分からないけれど、真っ直ぐに僕へと向けてくれる想いが、擽ったくて、嬉しいと思うのだから、どうしようもない。
「僕ね……今日が最後の舞台だったんだ」
「……え? え、何? どういう事?」
突然の告白に、一瞬虚を突かれたような表情を見せた良くんが、次の瞬間僕に覆い被さらんばかりの勢いで迫ってくる。
余りの驚きぶりにこちらの方が驚いてしまった。
「ちょ、落ち着いて良くん! ちゃんと話すからっ」
「あっ、ごめん!」
慌てて制した僕にハッとしたのか、弾かれたように元の体勢へと戻る良くんが可愛く見えた。
くすりと笑顔を向ければ、恥ずかしそうに目元を赤らめる彼が、改めて自分より年下だったという事を、思い起こさせてくれる。
「演劇、やめちゃうって事?」
「うーん、ちょっと違う、かな?」
恐る恐る訊ねて来る良くんの常には無い様子に、思わずくすりと笑みが零れた。
「違うの? だって最後の舞台って――」
「そうだね。キャストとして舞台に立つのは、良くんに観てもらったステージが最後」
「へ?」
「だから、どうしても良くんに観てもらいたかったんだ」
「まーくん……?」
良くんの戸惑いが伝わって来る。
意味を理解しかねて眉を寄せる彼の顔から、視線を逸らして桜の木を見上げる。頑張れの言葉代わりに、その枝葉がそよりと風に揺れ動いた気がした。
人見知り気味で、どちらかと言えば人付き合いも得意では無い僕。
こういった状況は一番苦手とするものなのだけれど、何故か今日は、自分でも不思議な位に穏やかな気持ちでいられた。
「僕ね、本気で脚本の勉強をしようと思ってるんだ」
「脚本? あ、そういえば前にそんな事……」
「うん……良くんさ、やりたいならやってみろって、僕が本気でやりたいなら応援するって言ってくれただろ? あれからずっと考えてて、やっとね、決めたんだ」
本当はもっと緊張するかと思っていたし、上手く伝えられないかもしれないなんて思っていたのに。
そうぞうよりもずっとスムーズに、伝えたかった言葉が唇を滑り落ちていく。
「いや、うん、応援はするけど……でも良いの? まーくんはそれで、良いの? もし俺の言葉が原因なら――」
「違う違う! 原因とかじゃなくて、良くんの言葉が、僕に勇気をくれたんだよ」
「勇気、を?」
不安そうに瞳を揺らす良くんに、それは違うよと微笑み掛ける。
僕は良くんのくれた言葉に、背中を押してもらったんだ。
キャストは自分には合わないと思いながらも、ずっと一歩を踏み出す事が出来ずにいた僕の背中を、良くんがポンと押してくれたのだ。
「良くんに、考える切っ掛けをもらったんだ……それが無かったら、今でもきっと、僕は悩んだまま燻ぶり続けて、折角見つけた夢も目標も、投げ捨ててしまっていたと思う」
「そんな――俺は、そんな大した事、何も……」
「大した事だよ! 僕にとっては、本当に、誰から言われる言葉より、心強かったんだ。ありがとう、良くん」
僕の言葉に、良くんは申し訳なさそうに表情を曇らせるばかりで。
大切に想う相手にすら、言葉を届けるという事は難しくて。こんな僕に、脚本なんて書けるのかと弱気になってしまうけれど……それでも、諦めたくない。
良くんの事も、新しく持てた目標も。
「まーくん……」
「あっ、ご、ごめ――っ」
自分の声が届かないもどかしさに、気付いた時には良くんの両肩を揺さ振りながら、僕は必死に言い募っていた。
そんな僕の態度に戸惑う声が聞こえて来て、ハッとする。自分の余りの必死さに呆れながら、彼の肩に乗せていた手を下ろそうとした時だった。
「りょ、良くん?」
「――やっぱ俺、まーくんの事好きだ」
「……え?」
話そうとした両手を逆に掴まれて、引き寄せられた身体は、僕なんかよりも数倍は逞しい腕に包み込まれた。
驚く僕の耳に届いた、良くんの押し殺した声。
熱を秘めた声が、彼の気持ちまで運んでくれる。
「ごめんね、まーくん……俺さ、まーくんの事、マジで好きなんだ」
「良、くん――」
「俺さ、今までまともな恋愛とかした事無いし、男に惚れるなんてあるわけ無いって思ってたけど……でもやっぱり、好きなんだ」
素直な良くんの、真っ直ぐな告白が、僕の胸を震わせる。
言葉って素敵だなと思った。
伝える事は容易では無いけれど、こんな風に、想いが伝わる瞬間の、限りないパワーを感じるからこそ、人は文字を綴るのかもしれない。
「気持ち悪い事言ってごめん……俺、親とかいないから、幸せってどんなもんか良く分かってねえし、まーくんを幸せにしてやるなんて、自分で分かんねえ事を誓えるような甲斐性も無いけど……でも俺は、まーくんが隣にいてくれたら、幸せになれると思う」
触れ合っている部分から伝わる鼓動の早さに、彼の緊張と恐怖を感じる。僕の身体を痛いくらいに抱き締める彼の腕が、その声が、細かに震えていた。
「……僕も、好きだよ」
良くんのストレートな思いが伝わって、彼の緊張が伝わって、ああそうかと素直に思えた。気持ちを伝えるという事が、それが伝わるという事が、どれだけ素晴らしい事なのか。
それは決して恥ずべき事では無いのだと。
良くんが僕に、気付かせてくれたのだ。
「え……まーくん、今何て?」
「僕も、良くんが好きだって言ったんだ」
さすがに口に出すのは難しいかと思っていた想いが、するりと唇の間から飛び出していく。目の前で言葉の意味を測りかねて呆ける良くんへと、僕ははっきり、自分の中にある想いを伝えた。
「良くん? 痛いよ?」
「あっ、ごめ……本当に? 本当の本当に?」
「うん。こんな大事な事、僕には嘘や冗談じゃ言えないよ」
「え? え、嘘……だって、いつから? マジで? ちょっ、待って――俺の妄想じゃねえよな?」
僕の告白を聞いた良くんの腕の力が強まって、苦しさにその腕をタップした僕との間に、僕の両肩を掴んだ良くんが、スペースを作ってくれた。
この手を離したら夢から醒めるとでも言わんばかりに、恐る恐る、少しずつ広がるスペース。僕の肩から、彼の手が離される事は無いままだった。
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