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キスからの距離 (4)
しおりを挟む就職が決まらなければ、無理に焦らなくても良いと。自分が養うから、ゆっくり探せば良いと口にした橘川に、内海は唇を尖らせて反論した。
『俺だって男なんだ、お前に養われるだけの存在になって堪るか! 就職決まらなくても、生活費を折半する位はバイトでも何でもして稼いでやる』
そう言って笑う内海を見ていたら、自分の選択に間違いは無かったのだと思えた。
そうしてその時の言葉通り、二人は大学を卒業後に一緒に暮らし始めた。内海も小さな会社の営業として何とか就職も決まり、順風満帆に日々を過ごしてきたはずだった。
もちろん楽しいことばかりでは無かったし、小さな喧嘩は山のようにしてきた。けれどだからと言って、こんな状況に陥るような何かがあったのだろうかと、眠れないまま朝を迎えた橘川は重苦しい溜息を吐いた。
「どこに行ったんだよ、智久……早く、帰って来い」
内海のいない部屋で過ごす週末の夜は長くて、一人でいることの寂しさを、初めて感じた。そうして迎えた夜明け、橘川は更に深いところまで突き落とされる事になったのだ。
勤務開始時間を待ち侘びて電話を入れた橘川に、先方の事務員が伝えてくれた事実。
『内海でしたら出社しておりませんが……』
言葉を濁しながら告げられた言葉に、連絡があったら電話が欲しいと頼み込み、日中には思い当たる場所を探してみたりもしたけれど、週が明けても内海の行方は分らないままだった。警察に届出を出そうかとも考えたが、自分の意思で内海が姿を消したことは明らかで。
『橘川さんの携帯ですか?』
着信を告げた携帯を慌てて耳に当てれば、先日無理なお願いをした内海の会社の事務員の声だった。
『社長のところに、退職届が届いたようです』
微かな期待を繋いでいた糸が切れた瞬間から、橘川の時計は時を刻むことを忘れた。
「あっ、ウッチー来てたんだ? お疲れさまー」
「おはよう、今日は早いんじゃないか?」
「美登里さんが来てくれるっていうから、同伴断ったんだ」
「ああ、あの人は来店時間読めないからなあ」
昼でも薄暗い店内を抜けた店の奥、従業員用のロッカー室の隣にある事務所の前を通りかかった男が、事務所の応接セットでノートパソコンと睨み合っていた男性に声を掛けた。
人懐こい笑顔を浮かべる男はデザインスーツに身を包み、茶色に染めた髪も綺麗にセットされている。ピアスや指輪といった装飾品がそんな彼を飾り立て、煌びやかな容姿に花を添えていた。
一方パソコンから顔を上げた男は、野暮ったいどこにでもあるような吊るしのスーツ。少し癖のある黒髪は、寝起きのままなのじゃなかろうかと錯覚させられる程度にボサボサで。
けれど地味な出で立ちの中、笑顔を浮かべた男性の表情は、会話を交わす目の前の男にも負けず劣らず人を惹き付ける魅力があった。
「ってか珍しくない? ウッチーがこんな時間に店に顔出すなんて」
慣れた様子で事務所内に入って来た男が、男性の向かいの席に腰を下ろす。不思議そうに首を傾げる男に対し、男性は首をひと回ししながら苦笑を浮かべた。
「俺だって来たくて来てるんじゃねえよ。今月は決算だから忙しいんだ、仕方ないだろ」
「そっか、もう3月だもんなあ……って事は、ウッチーってここに来てからもう十年位経つの? 三十路過ぎてるよね?」
「そんなに早く人を歳取らせるな! っつてもまあ、三十路は超えたけど――そうか、でももう8年にはなるのか……何かあっという間だったなあ」
「懐かしいよね、まさかここでウッチーと会うなんて思わなかったし」
屈託無く笑う男につられて笑いながら、男性もまたその時の事を思い出していた。
パソコンに向き合っていた男性の名は内海智久。華のあるこの店、ホストクラブ【 knight 】の雰囲気にそぐわない格好の彼は、この店を始めとして、系列店の経理を任されている。
「俺もビックリしたよ。まさかあの時の悪ガキがホストになったなんてさ……ああ、そういえば北斗、今月はナンバー2になったって? おめでと」
「さんきゅー。まあ俺もいつまでこの仕事続けられるか分かんねえからさ、今のうちに少しでも稼がなきゃね」
内海の掛けた言葉に、北斗と呼ばれたホストが照れ臭そうに肩を竦めて見せた。
北斗がまだ本名で呼ばれていた中学生時代を知っている内海としては、こんな風に優しい表情が出来るようになった彼を見ると、少しばかり不思議な気がする。
自分の中の時間はあの日から止まったままなのに、確実に時は流れているのだと実感させられる事が、忘れたくても忘れられない胸の痛みを刺激するのだ。
「あ、ビンゴっ。美登里さんそろそろ来るみたいだ、フロアに戻らなきゃ――じゃあねウッチー!」
「ああ、頑張って稼いでこいよ」
「はいはーい」
北斗が手にしていた携帯が震え、美登里という太い客からの来店を告げるメールを確認した彼が、慌ただしく事務所を飛び出して行った。
内海が北斗と知り合ったのは、今から十数前になる。
大学生時代に所属していたボランティアサークルで、月に一度訪れていた児童擁護施設。
当時中学生だった北斗は髪を染め制服を着崩し、見るからに『不良』のレッテルを背負っていた。そのくせその瞳はいつもどこか寂しそうで……そのギャップが印象的過ぎて、内海の記憶の中から消える事は無かった。
大学卒業と同時に足を運ぶ機会も滅多に無くなったけれど、数年前のこの時期に、今と同じように事務所に詰めていた内海の前に新入りとして紹介された彼を見た瞬間、あの時の少年だとひと目で分かった。
それは北斗も同じだったようで、施設の出身だという事は秘密にして欲しいと頼まれた。
今時そう少なくは無い生い立ちだけれど、その事をネタに同情で客の気を引きたくは無いと告げた北斗の姿に感心したものだった。
「8年、か……っと、早く切りのいいとこまでやって飲みに行こう」
北斗が出て行った扉をぼんやりと眺めていた内海は、北斗との出会いを思い返すうちに頭を過ぎった人物の顔を、両手で頬を叩く事で思考から追い出した。
そんな事をしても、消えることなどない存在なのだと分かっているのだけれど。
内海がこの街に転がり込んだのは、今から8年ほど前。
その頃内海は、恋をしていた。
好きで、好きで、どうしようもないほど好きで。好きだからこそ、あれ以上傍にはいられなかった。
内海の恋愛対象は同性である男性だ。自覚したのは高校に進学した頃だったろうか。
女の子は可愛いと思うし、一緒にいれば守ってやらなければと男として思うけれど、それがイコール恋愛には繋がらない。友人達とは違う性癖に悩まなかったわけではないが、意外に早く受け入れたように思う。
これが自分なのだから仕方ない。無理をしたところで女性を好きにはなれないのだからと。
誰かを好きになっても、想いが叶うことはなかった。
自らの気持ちを伝えたことすらなかった。
好きになった相手には、決まって想う相手が既にいるのが常で。内海は隣で笑顔を浮かべながら、その恋を応援するばかりの辛い恋。
どれだけ辛くても、内海には想いを伝えることで相手との関係を壊すかもしれないという怖さを、乗り越える事は出来なかった。隣にいられなくなるかもしれないリスクを冒すならば、何も言わずに、好きな相手の傍にいたかった。
そんな内海が大学に入り恋に落ちたのは、違う大学に通う一人の男だった。
「内海、次玉入れ! カゴ支え頼むな」
「了解でーす」
興味本位で入ったボランティアサークル。
教育学部に通うメンバーが多い中で、経済学部に通う内海という存在はそれだけでどこか浮いた存在であった。
いつも笑顔でフットワークも軽いのに、今ひとつ仲間達と深く係わろうとしない。それは内海が、自分の内に他人が踏み込むことも、自らが他人に近付くことも意図的に避けていたせいだった。
深い付き合いになれば、それだけ自分の内面を知られる可能性が出てくる。内海自身がゲイであることは真実だけに、それを知られる事は構わなかった。けれどその事が知れ渡ることで、周囲から友人達までそういった目で見られることは避けたかった。
当たらず触らず、一緒に過ごすことの出来る仲間がいれば、それで良かったのだ。
その日は何校かの大学のボランティアサークルが集まり、数箇所の養護施設が合同で行なう運動会の手助けに出向いていた。
(……何か、つまんなそうな顔してるなあ)
普通の小中学生の行う玉入れとは違い、大きなカゴをお腹に抱えるようにして、大きな円を描いたスペースの中に座り込む。円の外側から子供達が玉を放り、抱えたカゴの中へと入れていくという競技。
内海が赤組のカゴを抱える少し横で、白組のカゴを抱えて座っていたのが、橘川悦郎だった。
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