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キスからの距離 (7)
しおりを挟む従兄弟以外には伝えたことのない秘密を、どうして橘川に話そうと思ったのか。
未だに内海自身分かっていない。
真っ直ぐに自分に向かって来てくれたと感じる事が出来た橘川の熱い想いに、隠しておくのはフェアじゃないと感じたからなのかもしれない。
「どっかからお前の耳にその話が届いたんじゃないかって、思って…俺のことからかってんじゃないか、とか……その、本当にごめん」
橘川と内海の通う大学のレベルには、それなりに差がある。
人間対人間としての付き合いをして来た内海にとって、これまで余り気に掛けたことは無かった。気にしたところで自分の頭の程度は理解しているし、自分よりも偏差値の高い大学に通う橘川のことは、素直に尊敬していた。
それなのに、一瞬のこととはいえ、疑ってしまった。
頭の良いヤツ等が、自分の事を騙そうとしているのじゃないかと。
そんな風に思ってしまった自分の卑屈さに俯く内海の、下を向けたままの頭へと、炬燵テーブルの角を挟んで隣り合って座っていた橘川の手が伸びた。
ペチリと軽く叩かれて、その行為に、何だか自分の卑屈さを許してもらえたような気がして、内海はようやく笑顔を浮かべることが出来た。
「――お前が神妙にしてると、何かこう、変な感じがするからやめろ」
「うわ、酷え」
「俺と、付き合ってくれないか」
ぶっきら棒に告げる橘川の言葉に隠された優しさが嬉しくて、改めて伝えられた言葉が嬉しくて。それでも、内海の返せる答えはひとつしかなかった。
「……それは、出来ないよ」
「……何で?」
微笑を表情に浮かべたままの答えに、橘川の表情が歪んだ。
掠れた声が彼らしくなくて、そんな声を出させてしまった自分を張り飛ばしてやりたくもなるけれど……臆病な自分を捨てることが出来ない程度には、ノンケに恋する辛さも、その恋を持続させることの難しさも、内海は知ってしまっていた。
「悦郎はさあ、女もイケるだろ? 俺にも自慢話は山のように聞かせてくれてたし?」
「山の……って、そんなつもりは――」
片肘を付いて頭を掻きながら眉を寄せる橘川に、内海は苦笑を浮かべた。
橘川と出会ってこれまでの間、彼の口から何度となく聞かされてきた女性遍歴。本人は何となく話していたのだろう話題が、その度に内海の心を傷付けていた。その度に、自分と橘川とでは生きる道が違うのだと言われているようで。
「女相手でも平気なヤツが、わざわざこっちの道に来て苦労すること無いって! マイノリティにはまだまだ厳しい世の中なんだぜ?」
「これでも俺だって色々悩んで、考えた。それでもお前が欲しいと思ったんだ……頼むから、俺の人生初の告白を断らないでくれ」
本当は嬉しいけれど、橘川の為を思えば……この先の自分を思えば断ることがベストだと、辛い心を堪えながら内海はわざと明るく言葉を紡ぐ。
橘川の想いはきっと勘違いなのだ。友達としての好意を、履き違えているだけなのだ。だとすればその思い間違いを正してやれるのは自分しかいない。
「お前、俺より頭良いふりして、本当は馬鹿だろ? しなくていい苦労はしない方がいいんだよ。悦郎はちゃんと良いとこに就職するんだろうし、良い女と結婚して子供作って幸せになって、親孝行しろって」
「そこにお前がいないなら、それは俺にとっての幸せじゃない」
「悦郎……」
自分の気持ちを押し殺すことには慣れてる。
今は勘違いをしているのだろう橘川も、少しすれば馬鹿な事を口にしたと後悔するはずだ。取り返しが付かなくなる前に、自分がしっかり断れば、いずれは橘川もこの結論に感謝してくれるはずだ。
自分は……ほんのひと時だけでも夢を見られたのだ。橘川が自分を好きだと言ってくれた、それだけで十分に幸せじゃないかと、内海は思いつく限りの理由を並べ立てながら一生懸命自分自身へ言い聞かせた。
それなのに橘川は一歩も引かないとばかりに、真剣な眼差しでもって内海へと迫る。これまで生きてきた年月で、こんな風に必死に内海へ向かって来てくれた相手はいない。
内海にしても、本当は好きな相手なのだ。上手くいきっこないことは分かっているのに、嬉しいと思う気持ちが内海の内に、僅かな逡巡と希望をもたらした。
「お前の気持ちはどうなんだ? 面倒な事は全部取っ払って、俺をどう思ってるのかを聞かせてくれよ」
「俺は――」
躊躇う気持ちに口篭もる内海を、橘川が逃がすはずがなかった。ここぞとばかりに言葉を畳み掛け、揺れる内海の心を更に大きく揺り動かそうとする。
「智久、俺の目を見て」
真摯な口調で名前を呼ばれ、内海は逸らしていた視線を恐る恐る橘川へと向けた。
途端、絡み合う視線。
気持ちに嘘は無いのだと視線でも語られて、メトロノームの針の如く揺れていた内海の気持ちは、とうとう片一方へと傾いだのだった。
「……嫌なヤツを、家に呼んだりしないし」
視線を絡め取られたまま、内海がポツリと呟きを落とした。
微かに目元を染めた内海の様子に、見つめ合う橘川の顔に喜色の色が浮かぶ。
「智久……ありがとう」
「別に、お礼言われるようなことじゃない」
初めて橘川と会った日に、内海が目を奪われた橘川の優しい笑顔。その時以上に蕩けそうな笑みが、目の前にあった。
どこか安堵したようでいて嬉しさを隠し切れない笑顔は、ちょっぴり照れ臭そうで。
「後悔しても知らねえからな」
「するわけないだろ」
余りに嬉しそうな表情が気恥ずかしくて、ぶっきら棒に言い捨てた内海に、橘川はきっぱりと言い切った。
「なあ智久」
「な、何だよ」
「……キスしていいか?」
「っ、い、いい……けど……」
すっと上半身を乗り出した橘川の唇が、優しく内海の唇を塞いだ。
二人の間にあった距離をゼロにした、触れ合わせるだけの柔らかなキスに、内海は泣き出したくなるほどの幸福を感じたのだった。
そうして始まった二人の新しい関係は、それなりに順調に進んでいった。
橘川は勿論男と付き合った経験は無い。一方の内海にしても、ちゃんとした形で誰かと交際をするという事は初めてで。お互いに手探りしながらの日々は、内海が気に掛けていたこれまでの関係が壊れるようなものではなく、二人の関係が更に深くなっただけのものだった。
友人という関係にプラスされた、甘く穏やかな空気。
互いに少しだけ相手に寄り掛かり甘えることを覚えた。二人寄り添い過ごすことの出来る日々が内海には少し擽ったくて、幸せという時間を教えてくれたのだった。
二人が初めて肌を合わせた日にも、そんな思いは強くなった。
橘川が初めてでは無いことを、内海が申し訳無さそうに口にした時、橘川もまた苦笑を浮かべて答えてくれた。
「俺だってお前も知っての通り初めてじゃない。そりゃ男を抱くのは初めてだけど……二十歳も過ぎれば、セックス経験のない男の方が少ないだろ? それとも智久は、初めてじゃない俺が相手じゃ嫌か?」
嫌なはずがなかった。これまで女性としか経験の無い橘川が、同性である男の内海を抱こうとしてくれている。
それだけで心から満たされていく。
優しいくちづけを受けながら、内海はそっと腕を伸ばし、橘川の首へと絡めた。
「……俺、好きなヤツとセックスすんのって、初めてなんだよ」
安物のパイプベッドのスプリングの上、橘川に組み敷かれた内海が、囁くような声で自分を見下ろす男へと告げる。
橘川に抱かれるという事が、嬉しい以上に怖さを運んで来ていた。
自分でも処女じゃないのだからと突っ込みを入れたくなるくらい、緊張し硬くなっていた内海は、心配そうな顔をする橘川に眉を下げて見せた。
「――それを言われたら、多分俺だってそうだ」
「お前、本当に平気? 萎えてない?」
「この状態でその質問は間違ってないか?」
「あ……へへっ、だな……良かった」
内海の抱く不安を一掃すべく、橘川は股間で盛り上がりを見せている欲の証を、内海の下肢へと押し付けることで応えてくれた。
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