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キスからの距離 (20)
しおりを挟むどうした? と首を傾げて見せれば、ユーは俯きがちに首を横に振る。
自嘲気味に歪められた口元が、彼の抱えている悩みを表しているようだった。
身に覚えのある切ない感情に突き動かされるように、ママが他の客に呼ばれたのを切っ掛けにして、内海は空いていたひとつ分を席を詰めてユーの隣へと移動した。
薄暗い店内、席一つの距離とは言っても、縮まればその分見えてくるものもある。
大人にはなり切れていない、子供との狭間にいることを覗わせる少年めいた雰囲気を残した風貌。柔らかそうなイメージを持つ見た目の中で、切羽詰った色が瞳の奥に揺らめいて見えた。
「未成年ってことは、少なくても5、6個下になるのか? まさかとは思うけど、淫行で捕まるような歳じゃねえよな?」
「そこまで若く無いよ」
「ならいいや」
内海が「乾杯」とグラスを合わせると、ユーもようやく笑顔を見せてくれた。
それが、内海とユーとの出会いだった。
内海自身がこの店で教わったことや、自らが学んできた事柄を話して聞かせながら、内海はハイペースにグラスを重ねる。自分にもこんな頃があったなと、表情に苦しさが見え隠れするユーを見ているうちに、胸の中には複雑な感情が溢れていた。
「ね……ちょっと、そんなに早いピッチで飲んで、大丈夫?」
「んぁ? 何、俺のこと心配してくれんの? 優しいねえ、ユーくん! お兄さんそういう子好きだぜ」
本気で心配して声を掛けるユーを相手に、けらけらと笑いながら内海は答えた。
「好き」なんて台詞を、本気で伝えたのはどれだけ前になるのだろう。まともに向き合うことからすら逃げてきた内海には、橘川と交わした最後のキスがいつだったかすら、思い出せなかった。
一頻り笑い終えれば切なさだけが心に残る。突然カウンターに頬杖を付いて黙り込んでしまった内海に、隣から注がれる心配そうな視線を感じて、思わずぽろりと本音が零れ落ちた。
「……あいつもお前くらいの優しさ、持ってればなあ……」
「え?」
ボソリと呟かれた小さな声は、店の喧騒に紛れてユーの耳には微かにしか聞こえなかったようだ。問い返す声にチラリと視線を流した内海が、寂しそうな微笑を浮かべる。
(違うな……あいつの優しさを信じられなかったのも、本当は不器用な男だって分かってたのに待てなかったのも……全部俺の責任だ)
昔から橘川はメールが苦手で、あちらからの連絡は大抵電話だったことを思い出す。逆に忙しくしていたら困ると思い、内海からはメールでの連絡が主になっていた。
連絡のつかない時間が増えれば不安になって、連絡を取るのは内海からの方が多かった学生時代。「寂しくないのか」と冗談交じりに問い掛ければ、「お前に愛されてる自信があるから」と口角を持ち上げて見せた橘川の、強気な笑顔を思い出す。
メールって「面倒なんだよ」と言いつつ、内海からのメールには短いながらも返信をくれていた橘川の、そんな不器用な愛情が今になって思い出された。
「俺ね、本命とはどうも上手くいかないんだよね――別れたばっかなの」
ユーの視線にわざとらしく告げて自嘲気味に笑う内海の顔からは、さっきまでの明るさは消えていた。
男運のせいにしながら、本気にならなくて済む相手を探していたのは自分なのに。橘川以外の男になんて、未練の欠片も持ち合わせてはいないのに。
そんな風にして自分を誤魔化さなければ、胸に空いた大きな穴から吹き込む風に、吹き飛ばされてしまいそうな気がしていた。
ホストクラブに足を運ぶ女性達も、ホストとのかりそめの恋を楽しみたくてやってくる。
その場に飛び交う擬似恋愛は滑稽で、けれど真剣で。真剣に恋愛と向き合うことを避けている内海には、それすらも眩しく見えた。
「何かさあ、そういう時って、人肌が恋しくなったりすんだろ? するよな?」
「えっと……まあ」
「ちょっとトモ、ご新規さんに絡まないでちょうだい!」
「じゃあママが慰めてよお、あ、でも俺ネコしかやんないけど」
「アタシにあんたの相手しろって? お断りよ」
戸惑うユーを助けに入ったママの言葉に、内海は不貞腐れて唇を突き出す。ママが誘いに乗ってこないことは百も承知だ。まかり間違ってイエスの答えが返ってきたら、それはそれで困ってしまう。
首を捻るユーにネコとタチという単語について、ネコは突っ込まれる側でタチは突っ込む側、と内海は単純明快な説明をしてやった。
感心したように頷くユーを、可愛いなと思った。
こういう子には、自分で自分を傷付けるような、自らの歩んできた道のような軌跡を辿らせちゃいけないと、純粋な輝きを守ってやりたいと、酔っ払った思考の中でぼんやりと考える。
それと同時に内海の頭に浮かんだ疑問。
専門用語とも呼べないほどの単語すら知らない純粋なユーが、どうしてこんな場所へと来る事になったのか。瞳の奥に垣間見える寂しさを秘めた暗い影は何なのか、興味が湧いた。
「ユーくんは? 相手探しに来たの? タチ? ネコ? 俺なんてどう? 後腐れは無いと思うよ?」
「もう、いい加減にしなさいっ、ほらお水!」
口を閉ざしたユーを相手に、内海は思いつくまま矢継ぎ早に質問を投げる。そんな様子を見ていたママが、内海の目の前にミネラルウォーターのグラスを差し出した。
内海は不満そうな顔をしながらも素直にグラスを受け取り、ひと口水を啜って大きく息を吐き出した。
「今度こそ上手く行くと思ってたんだよ――もうさあ、一人でいると気が滅入っちゃってしんどいんだよ」
「あんたは趣味が悪いのよ。いっつもヒモになりそうな駄目な相手ばっかり選ぶんだもの……あんた自身はパートナーがいる時は浮気もしないし、尽くすし……良い子なんだからそのうちきっと、添い遂げられるような相手と出会えるわよ」
カウンターにうつ伏せてしまった内海の頭をひと撫でし、ママは別の客の注文へ応えるために離れて行った。
(良い子なんかじゃないよ……駄目なヤツばっか選ぶのは、本気にならずに済むからだ。尽くしたのだって、後にも先にも悦郎だけ……それだって嫌われるのが怖くて、自分のためにしていただけなんだから)
突っ伏したままの状態で、内海はぼんやりと反芻していた。
愛しい相手と過ごした時間。
橘川が自分にだけ向けてくれた優しい眼差し、温かな手の温もり。他の誰かを相手に、あれ以上のものを求めようとは思えなかった。あの幸せな時間を、忘れたくなど無かった。
彼の元から内海が離れた今、その愛情を受けているのだろう相手を思えば、顔も知らない相手にすら嫉妬してしまいそうな自分に自嘲するしかないけれど。
「――僕は、確かめに来たんです」
「……確かめに?」
「好きな、人がいて……僕は彼を抱きたいと思ってるし、彼が望むなら抱かれても良いと思ってる――だけど、伝えちゃいけない気持ちだから」
口元に苦い笑みを浮かべたところで、ユーが呟いた言葉に顔だけをそちらへと向けた。ちらりと視線を寄越したユーは、内海が自分の話を聞いていることが分かると、ゆっくりと静かに語り始めた。
「彼以外の相手と試してみたら、この気持ちが消えて……他に好きになれる人が、できるかもしれないって」
同じ理由から女性とも関係を持ってみたこと、けれどどんな子を相手にしても、想いが消えることは無かったこと……時折頷きを交えながら話を聞く内海を前に、ユーは訥々とここに来るまでの経緯を語っていく。
(この子も、馬鹿だな――)
苦しそうに語られていく話に、内海の胸にも苦いものが満ちてくる。
好きで好きで、消せない想い。
相手の為と言い訳をしながら、自らを傷付ける道へと足を踏み出す矛盾。けれどそうしなければ、どうしようもないほどに膨らんだ負の感情を、大切な相手に向けてしまうという恐れ。
たとえ馬鹿だと後悔することになっても、必要悪によって救われることも、確かにあるのだ。
語り終えて小さく息を吐き出したユーに向けて、内海またも同じように息を吐いた。
「ま、男が相手でも無理だろ。ユーくんがさ、その子に対して持ってる想いってのが消化出来なきゃ、きっと誰が相手でも本気にはなれないよ」
「……だよね。僕も、それは分かってるんだけど――今のままじゃ、彼の事を傷付けてしまいそうで」
内海が掛けた言葉に、ユーは苦笑を返して寄越した。
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