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キスからの距離 (23)
しおりを挟むユーとはずっとそうして来たし、そのスタンスが変わることは有り得ない。内海もユーも、想い続ける相手がいる。
それでも付き合いが長くなれば、種類の違った情は湧くのだ。辛い何かがあるなら、自分で出来る慰め方をしてやりたいと思う程度には。
「何かさあ、ユーってば雰囲気変わったな」
「……そう?」
「うん。昔からどっか寂しそうな感じだったけど、今日は尚更?」
「寂しそう、か――意外と僕のこと、ちゃんと見てるんだね」
「そりゃねえ、男を教えた立場としては? その後も気になるっつうか?」
首を傾げてユーの顔を覗き込みながら、内海が口角を持ち上げる。その笑みに苦笑を返したユーの耳元で、内海は甘く囁いた。
「今夜は目いっぱいサービスしてあげるよ」
「っ、トモ……」
「最初から最後まで俺に誰かを重ねても、許してやるよ……ほら、入るぞ?」
絡めていた腕を解いた内海は、ユーの背を軽くひと叩きすると、その勢いのまま背を押してホテルの入り口を潜った。
「何だよ、まだ落ちてんの? ヤリ足りなかった? 延長する?」
「そういうんじゃなくて――」
いつものように先にシャワーを済ませて、タオルで髪を拭きながらバスルームから出てきた内海が、ベッドの上でパンツを穿いただけの格好で胡坐を組むユーの隣に、笑いながら腰を下ろす。
どうした? と視線で問い掛ければ、喉に何かが詰まったかのように、ユーが唇を震わせたまま内海を見つめる。
からかうような言葉の中身とは違い気遣う色を乗せた内海の瞳に、彼は一瞬泣き出しそうに顔を歪めると、ぎこちなく視線を逸らした。
「……トモも、セックスするの久し振りだった?」
「ん? ばれたか。今更寝るためだけに相手探すのも面倒だったし、勘違いされても困るって思うと、なかなかねえ」
ユーに操立てしているわけでは無いと苦笑しながらも、素朴な疑問に内海は素直に答えを返す。トモ「も」と口にしたユーの言葉の中に、内海と連絡を取らずにいた時間の彼の姿が透けて見える。
「だからか……結構乱れてたよね、今までの中で一番エロかったんじゃない?」
「うっさいよ、お前もだろ!」
「ちょ、痛いって! 叩かないでよ!」
少しは元気を取り戻したらしいユーの、からかい混じりの言葉にホッとしつつ、内海はわざとその頭を小突いてやった。
ホテルへと強引にユーを連れ込んだ内海は、部屋に入るなり先手を打って仕掛けた。
ホテルを前にしても尚、躊躇う素振りを見せていたユーを楽にしてやりたいと思った。苦しそうに笑うユーの肩に乗った重石を、取り除いてやりたかった。ユーを通して、自分の中に巣食う痛みを霧散させようとする自分からは、目を逸らして。
お互いに慣れ親しんだ身体。
抱き合うのが久々でも、互いの弱い部分は手に取るように分かる。事が始まってしまえば、内海もユーも余計な口を開くことはなく、ただ貪欲に、相手を貪るように肌を合わせた。
愛撫に身を捩じらせ、貫かれて何度も果てた様を揶揄されて、内海はそれをテンポの良いリズムで切り返す。そんな心地の良い遣り取りもまた、付き合いが長いからこそ出来ることなのだろう。
「ねえトモ……もうこういう事するの、やめにしたい」
じゃれ合うような攻防をひとしきり繰り返し、微笑を交し合うと、ユーの口からは静かに言葉が滑り落ちた。
(ようやく言ったか)
一瞬だけ両眉を上げた内海は、決意した瞳で自分を見るユーへと笑って見せた。
「片想いの彼と上手くいったのか?」
「……逆だよ。大失敗して、今、避けられてる」
「うぇ? え、マジで? 暫く顔見せなかったから、てっきり上手くやってんだと思ってたのに」
「マジだよ。トモは?」
「俺は――まあ、相変わらず? みたいな?」
祝福の言葉を用意していた内海には予想外の答えだった。今度こそ驚愕に目を見開けば、ユーからも聞かれたくない質問が返って来る。
聞かれたところで答えようも無く、視線を外した内海は肩を竦めた。
「そっか……僕ね、やっぱり彼の事が好きで、彼じゃなきゃ駄目なんだ。彼とどうにかなるなんて可能性はゼロに近いけど、少しでも、誠実でいたいと思って」
拗ねた仕草で視線を外していた内海は、ユーの言葉に微笑を浮かべて頷いた。
「分かった。身体の相性も良かったし、イチから仕込んでやったのにって思うと、ちょっと勿体無いけど……仕方ないか」
彼じゃなければ駄目だと言い切ったユーが、羨ましく感じた。少しでも誠実でいたいと誓うユーに、自分のこれまでを思い返せば苦いものが込み上げて来る。
それでも口では軽い調子の言葉を吐きながら、どこかで安堵している自分もいた。
初めて出会った頃の少年らしさは残っていない、大人に成長したユーの顔をチラリと眺める。
決意したことで、それを内海へと告げたことで、彼の心は決まったのだろう。晴れやかな表情を見ていると、逃げてばかりの自分が恥ずかしくすら感じた。
自嘲的に微笑む内海へ向けて、ユーは静かな口調のまま頭を下げる。
「ごめんね――トモには感謝してる。トモと会ってなかったら、自分がおかしくなってたと思うし……本当、ごめん」
そんな風に謝罪を述べる彼の頭を軽く叩いて、謝るなと素直な笑みを見せる。
橘川という存在が胸の中を独占していなければ、内海はきっと彼を好きになっていただろう。ユーもまた、想い続けている相手がいなければ、自分を好きになっていたんじゃないかと内海は思う。
その位二人は、お互いがお互いの存在に救われていた。
「だから謝るなって――上手く行くといいな。お前の気持ち、伝わることを祈ってる」
「ありがと……僕も、祈ってるよ」
「え?」
「トモも、ちゃんと幸せになって。僕はそれを祈ってる」
ユーからの言葉に、内海は目を瞠ったまま言葉を失くした。
心から願った内海の気持ちが通じたからこそ、ユーも心から告げてくれたのだろう。
それが分かるからこそ、返す言葉に詰まる。
穏やかに微笑むユーに対して『生意気』と苦笑しながらも、鼻の奥がツンとした。ずっと胸に重く広がっていた厚い雲が、鋭い刃先で切り開かれたように晴れていく気がした。
(俺にも、幸せになれるのか? 悦郎がいなくても、幸せは見つけられるのか……)
迷いや不安が全て消えたわけでは無い。橘川を想う気持ちも、未だ胸の奥で燻り続けたままだった。
それでもその時内海の中で、確かに何かが変わった。
気持ちを捨て去ることは出来なくても、自暴自棄になることだけは二度とやるまいと。寂しいからと言って心を傷付けるような真似は、決してしないと自分自身に誓った。
ユーが深い傷を負うことにならないようにと言いながら、その実内海自身がユーとの関係に助けられていたのだ。ユーと出会わなければ、身体を安売りしながら心に傷を重ねていただろう。
彼と出会えたからこそ、そんな自分にブレーキを掛ける事が出来たのだ。そして今、かなり時間は掛かったけれど、逃げ続けてばかりじゃ始まらないのだと気付くことが出来た。
この気持ちを大切にしなければと、ユーと微笑を交し合いながら、内海は胸の内で呟きを繰り返すのだった。
ホテルを出たところで、次に会う時は普通に飲み友達だなと握手をする。
「俺もそろそろ、自分の気持ちにケリ付けないとなあ……さんきゅ、お前と会えてなかったら、こんな風に思う事も無かった。それじゃあ、またな」
別れ際にそんな言葉を残して背を向けた内海は、ユーを振り返る事無く人混みに紛れて消えて行く。
「トモ……頑張れ」
どこか晴れ晴れとしたような、決意を秘めた表情を目にしたユーからの小さなエールは、内海に届くことは無かった。そしてそんな二人を離れた場所で目を凝らして見つめる人影があったことにも、内海が気付くことは無かった。
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