キスからの距離

柚子季杏

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キスからの距離 (27)

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 暫らくは呆然となりながら、何かの間違いではないかと何回か映像を巻き戻して確認してみた。けれど何度見ても映像は事実を映し出すばかりで。どう見ても元晴が無理矢理迫っているように見えるその映像に、白木は決意を固めた。映像のことは口に出さずに、家に息子を呼び付けたのだ。

 もう遅いから明日でいいだろうと渋る元晴を怒鳴りつけ、渋々ながらやって来た息子の目の前で件の画像を見せた。
 映像を見て固まっていた元晴は、状況の説明を求める白木の前で悪びれること無く肩を竦めて見せた。
「親父知ってたか? あいつホモだぜ、ホモ。今一緒に暮らしてんのも、ルームシェアじゃなくて同棲だろうな。お高く止まりやがって、俺が何回粉かけてもなかなか乗ってこねえし」
「何度も、こんな事をしてきたのか……もうすぐ子供も産まれるっていうのに、お前は一体何をやってるんだ! これを見る限り、内海君が嫌がっているのは明白じゃないか! 辞表が送られてきたのもこれが原因なんだな?」
 怒りとショックで混乱しながら問い詰めれば、元晴は開き直ったかのように下卑た笑いを浮かべた。息子のそんな表情を見たのも初めての事で、白木は深まるショックに項垂れた。
「辞表? へえ……あいつ、本当に送ってきたのか。会社も辞めて家も引っ越すってメールはきてたけど。もしかしてそれに俺のこと書いてたんじゃないだろうな? 親父がわざわざカメラの映像チェックするなんてさ」
「馬鹿もんがっ! 内海君はお前のことなんてひと言も書いては無い。映像の確認は昔から週に一度やっとることだ!」
「ふん、まあ良いじゃん。映像見たなら親父にも分かってるだろ? 俺だって未遂だったのに痛い思いしたんだぜ? 第一ホモが一緒の職場にいるなんて気持ち悪いし」
「……お前は、自分がやったことを分かっているのか?」
 反省の色も見えないまま面倒臭そうに言葉を続ける息子の様子に、白木は社長として、何よりも親として絶望感を覚えた。
「やったこと? 大したこと無いだろ、別に。怪我もさせてなければ、汚らわしい男を追い払ってやってんだ、感謝して欲しい位――」
「ふざけるのもいい加減にせんか! 男も女も無い! 汚らわしいのはお前みたいなヤツの方だ……私はお前の育て方を間違ったようだ」
 自分の非を認めることもしないまま、内海へと辛辣な物言いを繰り返す元晴の頬が、鈍い音を立てた。勢いに押されてその身体が床へと横倒しになる。
「ってぇ……何で俺が殴られなきゃならないんだよ!」
「彼が同性愛者だということと、仕事とは全く何の関係も無い。内海君は真面目に仕事に取り組んでくれていた。それに比べてお前は何だ? 人として一番してはいけないことは、対峙する相手を卑下したり貶めたり見下したり……そういう人間としての尊厳を欠くような行為をすることだ」
 軽く小突いたりということは今までにもして来た白木だったけれど、こんな風に息子を思い切り殴り付けたことなど一度も無かった。
 拳の痛さよりも、何故殴られたのも理解していない息子の態度に、心の方が痛んだ。
「お前の顔など見たくない……二度と私の前に顔を見せるな」
「なっ……何言ってんだよ親父……冗談だろ? たかが従業員一人じゃねえか! 第一会社はどうすんだよ? 俺がいなきゃ困るだろ?」
「その傲慢な考えを改めない限り、家の敷居は跨ぐな。会社は、私の代で畳めば良いだけのことだ。今のお前に任せたんじゃ先も見えてる。話は終わりだ……さっさと帰れ」
 ようやく白木の怒り具合に気付いた元晴が、慌てた風体で喚き立てるのを、引き摺るようにして家の外へと追い出した。
 息子の話を鑑みれば、内海は家も引っ越しているのかもしれない。辞表に添えられていた手紙にも、必要な事は実家宛にと記されていた。
 それでも万が一まだ引越しを済ませていなければ、そう思いながら履歴書を引っ張り出した白木は、記入されていた住所を頼りにこの日橘川と暮らす部屋を訪れたのだった。



「――本当に、内海君には申し訳のないことをした。彼が戻って来たら、その言葉だけでも、伝えては頂けないでしょうか」
「……息子さんとは、それから……」
「今朝職場の方へ出勤してきましたが、追い返しました。アレは、そうされて当然の事をしでかしたんです……こんな処分じゃ温く思われるかもしれないが……私にとっての精一杯の誠意であると、思って頂きたい」
 再び深々と頭を下げる社長を前に、橘川は分かりましたと頷くことしか出来なかった。

 傷付いたのも耐えて来たのも、全ては内海なのだ。
 実の息子に対して厳しく処罰を下した彼に対し、橘川が怒鳴り散らしたり責めたり、そんな理不尽な行為が出来るはずも無かった。
 一人仄暗い玄関先にしゃがみ込みながら、同じこの場所で最後に交わした内海との時間を思い返す。あの時彼は、どんな表情で自分を見ていたのだろうか。思い出そうとしてみても、頭に浮かんでくるのは笑顔で笑う少し前の内海の姿ばかりだった。




 枕元で耳障りな音を立てる携帯へと手を伸ばし、アラームを止める。
「……夢、か……久し振りに見たな……」
 寝起きのぼんやりとしたままの思考で、8年も前の記憶を反芻する。
 今でも時折、内海と過ごした楽しかった頃を夢で見ることはあったけれど、あの日のことを夢に見るのはかなり久し振りのことだった。
 この夢を見て起きた日は、何となく気分が落ち込んだままの一日を過ごすことになるのは、今まで過ごして来た時間の中で分かっているだけに、橘川はひとつ大きな溜息を吐いた。
「……今日は新規の商談が待ってんだから……気合入れなきゃ」
 一人で寝るには大きなベッドの中、自分の頬をパシンと叩いて気合を入れる。その勢いのまま跳ね起きると、橘川はシャワーを浴びるべく浴室へと向かった。

 昨夜街中で見掛けた男性の後姿をふと思い出す。歩き方というのか雰囲気というのか、それらが内海と重なって見えてしまったことが、今朝の夢へと繋がっているのだろうと見当を付ける。
「そういや……今日行くのもあの辺だったよな? 後でもっかい場所を確認しておくか」
 熱いシャワーを頭から浴びながら、今日会う予定の施主との待ち合わせ場所を思い浮かべる。待ち合わせは駅からすぐの十字路に建つカフェだったはずだ。見ればすぐに分かるとは思うが、辿り着けなかったら大変だ。
 そこから少し行った場所に、今回見積もりを出す予定の建物があると言っていた。
 何社かに話を通しているとも施主は言っていたことを思い出す。各社の対応を見比べた上で検討したいと言われていることもあり、こんな沈んだ表情で会うわけにはいかないと、鏡越しに冴えない顔をしている自分を睨み付けたのだった。



 内海が姿を消してからというもの、橘川は暫らくの間、自分でも分かるくらいに荒んだ生活を過ごしていた。
 そう何日も仕事を休むわけにはいかなかったことが、せめてもの救いだったろうと思う。仕事が無ければきっと、だらだら部屋に籠もりきりになっていたんじゃないだろうか。人間らしい生活なんて投げ打って、ただひたすらこの場所で、内海の帰りを待ち続けていたかもしれない。

 幸か不幸か社会人としてやらなければいけない事があったおかげで、身なりにもそれなりに気を遣い、毎日会社へと足を運べてはいた。
 食欲も無いまま連日酒を浴びるように飲んだ事もあったけれど、このままでは依存症になってしまうと、途中で居酒屋通いをすることも止めた。
『ちゃんと食べなきゃ駄目だっつうの! 食と睡眠は人間には一番大事なんだぞ?』
 一緒に暮らしていた頃に、内海がよくそんな感じの事を言っていた事を思い出したからだ。
 大雑把な丼やチャーハンなどの一品料理だけで済ませてしまう自分とは違い、内海はそんな風に言いながら、いつも数品のおかずをバランスを考えて作ってくれていた。
 酔って帰って寝るだけの生活をしている自分を見られたら、内海に怒られてしまう。
 それが生活を立て直す切っ掛けになったのだ。


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