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キスからの距離 (46)
しおりを挟むこんなにも内海の身体は、心は、過去に置いてきたつもりだった温もりに囚われていたのだ。細胞の一つ一つが、橘川の与えてくれる愛情に歓喜の声を上げている。
「は……ぁ…」
「っ、悪い――がっつき過ぎた」
内海の膝がカクリと崩れたところで、橘川がハッとしたように唇を放す。遠くなる唇を物欲しげに視線で追う内海に苦笑を浮かべながら、力強い腕が内海の身体をしっかりと受け止めてくれていた。
互いに荒い息を吐きつつ抱き締め合い、昂る下肢が擦れる感触をじっと堪える。
「そぅ、だよ……シャワーくらい、浴びさせろ」
潤んだままの瞳で精一杯の強がりを吐きながら、内海は中へ連れて行けと橘川の首に両腕を回した。意図を察した橘川が小さな笑みを浮かべて、内海を抱え上げる。
恥ずかしさを感じながらも黙って腕の中に納まる内海を、橘川は宝物を運ぶような優しさで部屋の中へと運んでいく。
「――本当に、変わってないんだ……」
「疑ってたのか? まあ、さすがに日に焼けたカーテンとかは変えたけど……基本的にはあの時のままだ」
「うん――」
リビングとして使っていたダイニングスペースに足を踏み入れたところで、明かりの灯った室内を見回した内海が、ぽつりと呟く。
橘川の話を疑っていたわけではないけれど、実際に自分の目で見るのとでは感じるものが大きく違った。
想いを再び繋ぎ合わせたとは言っても、現実的に開いてしまった時間の距離が不安だった。
互いに長い年月を過ごしたことで、良くも悪くも変わった部分がある。あの頃のような若さも無くした今、互いを想う気持ちだけで再び寄り添えるだろうかと、心のどこかで心配していたのに……そんな杞憂が一瞬で吹き飛んだ。
少し古くなった家具が時間の経過を伝えてくるけれど、この場所は確かに内海が帰って来る部屋なのだと、内海の帰りを待っていたのだと言ってくれているようだった。
時間が流れている中で、自分の時計の針だけが巻き戻されたような不思議な感覚。
「帰って、来たんだな――長い間待たせて、ごめん」
「じゃあ俺も改めて、おかえり智久……って、まあすぐに引越しだけどな」
「ッ、そ…そうだった! 悦郎、お前さあ」
橘川の腕の中から床の上へと降りた内海が感慨深げに囁けば、橘川はニヤリと笑って言葉を返す。
様々な感情が駆け巡りすっかり頭から抜け去っていた事柄が、瞬時によみがえる。深酒の原因となったその理由に、内海の表情に呆れた色が浮かんだ。
「なあ悦郎、何処に行こうとしてるんだ?」
食事中も店を出てからも、一向に行き先を教えてくれない橘川に、内海としては少々胡乱気味だ。足を進める先には映画館もショッピングモールも、ましてアミューズメントも思い当たらなかった。
「もうすぐ着くからそう焦るなって――っと、ここだ」
「は? え……ここ……って、え……」
繁華街からは少し外れた場所で、橘川が足を止める。目線で指し示された看板を目にした内海は、予想もしていなかった展開に呆気に取られることしか出来なかった。
橘川に連れて来られたのは、とあるマンションのモデルルームだったのだ。
「年明けたらあの部屋は出なきゃならないし、だったらいっそ買っちまった方がいいかなって思って。また俺と一緒に、住んでくれるんだろ?」
「悦郎――な、何んだよそれ……プロポーズじゃ、あるまいし……」
「俺はそのつもりだ」
「悦……」
真面目な顔で告げられて、パニックになった。頭の中が真っ白になった内海が、引き攣りながら笑いで返そうとすれば、真摯に頷かれてしまって続く言葉が出てこない。
目を逸らすことも出来ないまま見つめ合う。
「お前とまた一から……新しい関係を築いていきたいって考えたら、こういう結論になった。8年、贅沢もしないで真面目に暮らしてたからさ、頭金くらいは楽に貯まってんだぜ」
照れ臭くなったのだろう。橘川がそっと視線を外して、面映げに微笑む。
「悦郎……」
「前の部屋はさ、俺が勝手に決めちまったような感じだったし……今回は、お前と一緒に決めたいと思って。結婚っつう形は取れないし、こういう形でしか誠意を示せないってのが情けないけどな」
悦郎の想いが余すところ無く内海の心に沁みてくる。
こんなことで泣くものかと思うのに、鼻の奥がツンとして。
「……共同名義で買うなら、一緒に住んでやってもいいよ」
泣いてしまいたくなかったから、微笑んで応える。内海の言葉を聞いた瞬間、余裕が消えていた橘川の表情がパッと輝いた。
(ああ……俺は、何を不安に思っていたんだろう。悦郎はこんなにも、俺のことを想ってくれているのに)
歓喜に溢れる橘川の顔を目にすれば、もっと早く自分に素直になれば良かったと思う。
もう大丈夫、自分は橘川のことを信じられる。
信じて、二人で生きて行けばいい。
素直な心でそう思えた自分が嬉しくて、誇らしかった。
橘川に連れられるまま2軒ほどモデルルームを見て回り、不動産屋へも行ってみた。賃貸と違って購入となれば、男同士ということは大したネックにはならないらしい。それが分かっただけでも歩き回った甲斐があったというものだ。
そうして歩き疲れた二人が早めの夕食をと入った居酒屋で、テンションが上がっていたせいか、恥ずかしさのせいか……それともこの部屋へ来ることへの緊張のせいか、内海はついつい杯を重ねてしまった。
そして、今のこの状況がある。
「はぁ……ヤバイ……どんだけ緊張してんだよ」
橘川から逃げ出すような形で逃げ込んだバスルーム。準備をする手が震えていた。
暫らく使っていない蕾は固く、自分の指ですら拒むほどで。
ボディソープの滑りを纏った指が、きつく締め付ける内壁を少しずつ解していく。
橘川の心も身体も、余すところ無く自身の身体で受け止めたい。身の内に橘川の熱さを感じて、あの腕の中に戻って来たのだと実感させてもらいたい。
「ん、ぁ――」
初めてセックスを経験した時でさえ、これほどの緊張は無かった気がする。
先ほどのキスによってもたらされた火種が燻る身体が、忍ばせた指の動きに合わせてゆらりと焔を立て始める。
準備の段階で一人果てるわけにはいかないと慌てて指を引き抜けば、そんな僅かな刺激にすら感じてしまうのだから、浅ましく期待している自分に苦笑してしまう。
なるべく手早く準備を済ませ、少し迷ってタオルを腰に巻きつけただけの格好でリビングへと戻る。やる気満々のようで羞恥を覚えるけれど、タオルの下で緩やかに鎌首を擡げ始めている屹立は、紛れも無い内海の本心を表しているから。
「悦郎?」
「こっちだ」
灯りの落とされたリビングの奥、薄明かりの灯る寝室から橘川の声が聞こえる。ずっと速い鼓動を刻み続けている内海の心臓は、それだけで爆発してしまいそうで。
何も変わっていない室内を進み、冷蔵庫から取り出した水をひと口飲むと、喉を伝い落ちていく冷たさに、自分の身体が熱くなっていることを実感した。
小さくひとつ息を吐き、急く心を宥めながら寝室へと向かう。開け放たれていた扉からそっと中へと足を踏み入れれば、ベッドに腰をかけた状態で夜空を見つめる橘川の姿があった。
背後に両腕を伸ばすようにしてスプリングへと付き、カーテンを引かずにいたままの窓から、冬の夜空に浮かぶ月を見上げる橘川の姿に、内海の鼓動が高鳴る。
(ぅ、わ……格好いい――)
窓を向いた顔に月光が注ぎ、薄暗い部屋の中で橘川のいる場所にだけスポットライトが当たっているようだった。
そうして月を見上げる橘川の表情が、とても綺麗で。
「突っ立ってないで、来いよ」
「悦郎……」
寝室の入口で立ち止まったままその姿に見惚れる内海へと、橘川がスッと視線を流して寄越した。
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