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1章
1話「運命のカウントダウン」
しおりを挟む遥か彼方、天空に存在し、神に最も近い場所とされる塔、〝月燐(げつりん)〟
その場所では千年に一度、神降ろしと呼ばれる儀式が行われていた
〝神と融合する資格を持つ〝神子〟が女神を祭り、
世界の滅却を目論む、冥神(みょうじん)の封印を永らえる〟
いつからだろうか、やがてその話は世界の言い伝えとなり、
幾千もの間、神子の手による神降ろしは続けられてきた
燃える様な紅色に、深い紫の虹彩異色(オッドアイ)を持つ人間
この世に生まれた時から、その運命は決まる事となる
世界”イシュ”、”希願暦”4999年
五度目の神降しが行われるまでの刻限は、一年を切っていた
――――――――――――
「ただいまー」
いつも通りの配達を済ませた後、少年は自宅へ帰って来た。
レンガで構造された1LDK程の少し小さな家で、中では焼いたパンの香ばしい匂いが家中に漂っている。
奥の部屋は厨房の様で、生地を焼く為の黒い竈があった。
沢山の生地を焼くのだろう、家の中に在る竈にしてはとても大きく、一度に数十個ものパンが焼ける様だった
その竈のすぐ傍の机で、少年の母親らしき女性がパン生地を捏ねている。
少年は空になった肩鞄を床に降ろすと、食卓机に置いてあるコップに入った水を一気に飲み干した。
少年が帰ってきた事に気が付いた女性は、作業を続けたまま顔を上げ、彼を見て微笑んだ。
「ビュウ、おかえり。今日は量が多くて大変だったわね、お疲れ様」
「平気だよ。これ位どうって事ないって!」
その少年はビュウだった。
身長はかなり高くなっていて、少しだけ声も低くなっている。
彼の容姿は、幼い頃よりも少しだけ大人の雰囲気に近づいて来ている様だった。
「今日の儲け金、ここに置いとくよ」
「ええ、いつもありがとうね」
ビュウの家は、彼の住む村、ラノ一番のパン工房となっている。
毎朝早くから生地を作り、沢山のパンを焼き、食料品店や村の外れにある家に焼きたてのパンを配達しているのだ。
ビュウは懐から金貨の入った袋を出し食卓机に置くと、作業を続けている女性の方へ向かった。
「リラさん、何か手伝える事無い?」
「大丈夫よ。今日の仕事はこれで終わりだから、後は私一人でもすぐに終わるわ」
「そっか、了解!んじゃ俺は夕飯の支度でも・・・」
言いかけた時、リラという女性は微笑しながら口を挟んだ。
「もう、毎日パンの配達をしてくれてるだけでも十分よ。疲れたでしょう?ビュウは休んでて良いのよ」
「でも、良くしてもらってんのに・・・」
困った様な顔をして言うビュウを見て、リラは少しだけ表情を顰めた。
「こらっ、ビュウはいつまでも他人行儀なんだから。私はビュウの母親よ。遠慮したり、気を使ったりしないでって、昔から言っているでしょう?」
「まぁ、そうだけどさ」
実は、リラはビュウの実の母親ではなく、彼女はリルティの母親であり、つまりビュウにとって彼女は義母にあたる。
ビュウは幼い頃に森の中で餓死寸前となっていたところを、偶然にも近くを通りかかった幼馴染、リルティに助けられた。
発見された当初の体は傷だらけで、彼は瀕死の状態にあったが、リラによる熱心な看病の結果、どうにか一命を取り留めた。
目が覚めた時、ビュウの記憶に残っていたのは自分の年齢と名前だけで、両親の事も、家族の事も、出身地も、彼は全く覚えていなかった。
一時は彼の肉親を探すという活動も起こったが、ビュウという名前どころか、彼の親族を知る者は誰一人としていなかった。
肉親さえも行方不明であり、帰る場所のないビュウを放って置く訳にはいかないと、リラは自らビュウを引き取り、彼が幼いときからずっと面倒を見ている。
「ビュウが私に気を使うのも解るわ。
だけど、私はいつでもあなたを本当の息子だと思ってるのよ。それだけは忘れないで」
少し動揺しているビュウを見ながら、リラは微笑んで言った。
「わかってる。俺だってリラさんの事は本当の母さんだと思ってるからさ。だから、俺に出来る限りの事は力になりたいんだ。もしかして、迷惑、かな」
心配そうな顔をするビュウを見て、リラは微笑しながら首を横に振った。
「迷惑だなんて、とんでもないわ。手伝いをしてくれるのは嬉しいし、随分助かってるの。だけど、成長したとはいえビュウはまだ子供なんだから、元気一杯に遊んで欲しいと思って・・・。」
数秒の沈黙の後、ビュウはいきなり弾かれたように顔を上げ、驚いた表情でリラの方を見た。
「えちょ・・・元気一杯に遊んで欲しい!?リラさん、そんな風に思ってたのか!?」
「?えぇ、やっぱり子供は元気一杯に遊ぶのが一番でしょう?昔みたいに、無邪気にはしゃぐビュウの姿が見たくて」
「マジか」
「?」
青少年がはしゃいでいる姿が見たいなど、ビュウは思いもしなかったのだろう。小さく口を開け、呆然とした目でリラの方を見つめている。
「私、何か変な事言ったかしら・・・?」
「い、いや何も!そうだ、そろそろ夕飯だしリル呼んでくるよ!」
「?そういえば、あの子も配達に行ったきりまだ帰ってきてないわね。市場の方に行ったと思うんだけど」
「市場か、じゃ行ってくる!」
「え、えぇ、気をつけて行って来るのよ」
ビュウの行動転換の激しさに混乱しているリラをよそに、彼は急いで家から出ると、小走りで市場の方へ向かって行った。
歩きながら、流石リラさん、変わった事考えるんだな、などと思っていると、次第にビュウは自分の両親の事が頭に浮かんで来た。
名前も顔も、何一つ覚えていない
本当に自分は捨てられたのかさえも、判らない
〝ビュウ・クロウディア〟
覚えていたのは、自分の名前
ただそれだけだった
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