菓子侍

神笠 京樹

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四、包丁侍の挑戦

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 安左衛門はかすていらの試作に挑戦した。火のしというのは、本来は中に炭を入れて布を伸ばすのに使う道具である。調理に用いるものではない。だが、かすていらを焼くのに手頃な型が他にあるでもなし、とにかく指南の通りにやってみることにした。
 強火を当てるとたちまちのうちに底が焦げてしまうため、とにかく焼き上げるのに時間がかかるのと、半分まで焼き上げたかすていらをひっくり返すのが難しいのには往生したが、この特別の任務のために日頃の包丁侍としての任務は当番の日を減らされている安左衛門には時間上の余裕はあった。連日、安左衛門は自宅でかすていらを焼き、工夫を重ねた。粉の量などにも試行錯誤を重ねて、どうにか最低限人に見せられる程度のものが焼き上げられるようになったのは半月ほど後のことである。
 焼き上げたかすていらから粗熱を取り、切り分けてさらに冷ます。食する。滋味よく、甘露であり、とにかくかすていらと呼ぶに足るものには仕上がっている。井筒屋のものと比べても、どちらが優れているかはともかくそう大差はない一品である。
 とはいえ、いきなり殿に献上するというわけにはいかない。事情が事情であるから、先ずは御毒見方に試みを頼むこととなった。御毒見役は本来お味見のためにいるわけではないが、長崎に同行して殿と同じかすていらを食べたものは御毒見方の面々より他にいないのだからして、やむを得ない措置であった。なお、定行が南蛮船において毒見なしで菓子を食したるは、外交の席なればこその異例である。
 御毒見方の水野弥三郎は安左衛門のかすていらを評してこう言った。
「悪くはない。だが、長崎のものとは異なるな」
「と、申されますと」
「重く、どっしりしている。長崎の、いや長崎のというか佐賀藩のかすていらは、もっとふうわりとしていたように思う」
「然様に御座いまするか」
 悪くはない、という言質は引き出せたので、安左衛門のかすていらは結局、後日殿の御膳のお菓子として供されることになった。定行はそれを召したが、それについては特に何の言葉もなかった。
 もっとも、無いのが普通である。どこの藩主もほとんど変わりはないが、食膳の味に殿さまが難癖を付けるなどというのはそれだけで責任者が切腹する次第となる儀であるから、よほどの事がない限り、あるいはよほどの埒外者の大名でない限りは、一藩の藩主は常日頃において料理に感想を述べるようなことはしない。ちなみに逆に褒めたら褒めたで、褒美をやらねばならないなど面倒なことも生じるのである。
 さて、安左衛門が考えなければならないことはまだまだいくつもあった。次なる問題は、「黄色のもの」であった。現在判明している限りにおいては、これがかすていらとたるとを分かつ最大の特徴の違いである。
 黄色くて酸味のあるもの。真っ先に思いつくのは、柚子であった。柚子は古くから日本にある柑橘類である。日本列島の在来種ではないが、奈良時代かあるいは飛鳥時代には中国からもたらされ、栽培が始まっていたという。栽培は容易であり、また伊予は当時から今日もなおその名産地として知られている。
 安左衛門にはそもそもジャムというものに関する知識は無かったが、果実に砂糖を加えて煮詰めれば出来上がるのがジャムというものであるのだからして、原理そのものは単純だ。少なくとも、かすていらを火のしで焼くのに比べればずっと簡単である。
 まずは、実験として生のままの柚子を煮込んでみる。試すまでもなく、酸味が強すぎて実食に耐えるようなものではなかった。次に、少量ずつ砂糖を加え、煮詰めてみる。幾度か試すうちに、甘さと酸いとを含む、それなりにまあそれなりのそれらしきものが出来上がった。
 自作のかすていらを薄く切り、冷ました柚子のジャムを塗って、食する。
「……」
 うまいといえばうまい。しかし、何かが違うような気がした。この味ではない、と安左衛門の直感が告げていた。少なくとも自分ならこの味に感動はしないし、ましてや大名たる者がその再現を命じてあえて作らせようとするような味ではない。そう思った。
 では、柚子以外の柑橘類であったらどうか。あるいは他の果実であれば? 安左衛門は市中の果実商に通い詰め、様々な果実のジャムを試作した。
自分が何故毎日のように違う種類の果実を購入しているかは、当然ながら藩の機密であるからして果実商に告げてはいないが、果実商は薄々何かを感づいているようではあった。
そんなに身分高くもなさそうな侍が、明らかに本人の身代の猶予を遥かに超えると分かる金を、日々果物を買うのにつぎ込んでいるのだから、それはまあ町人の身でも勘が働いて当然である。そこで、こういう話になる。
「水野さま。珍しい果実があるのですが」
「なんだ」
「まるめろ、と申す南蛮渡来の果実だそうで。今は信州にても産するのだそうで、行商人が置いて行ったのですが、店に出すには数が少のう御座いますから、よろしければ、お試しになりませぬか」
「ありがたい。貰おう」
 まるめろは、日本ではのちにかりんの名で知られるようになっていく果実である。非常に酸味が強く、生では食せないが、砂糖漬け、蜂蜜漬けなどには適する。そしてもちろん、ジャムにもなる。もっとも色は黄色くはなかった。珍しくはあったが、結局そのまるめろのジャムも試作品として安左衛門の腹に入るにとどまった。
 およそ入手可能な黄色い果実という黄色い果実を試し尽くした安左衛門は、最初に作ってまだ甕に入れて置いてある柚子のジャムを見返しながら考える。砂糖で煮詰めた果実というものは、おそろしく日保ちがするようだ。思うに南蛮船に乗っていたのもこのような類の果実の煮た物であったとして、その元の物は南蛮の地のみ産する種のものであり、何をどうあがいても日の本の地にあっては手にすること叶わないのではないかと。
「何か、唐か南蛮渡りの果実で、黄色いものを知らぬか」
 そう果実商に聞いてみる。
「唐か南蛮、で御座いますか……」
 考えた末に果実商が口に出したのは、唐蜜柑なるみかんの存在であった。
「御武家様の前で失礼かとは存じますが、この唐蜜柑、種を付けぬので御座います。故に食すれば子を得られなくなると噂され、好んで食するものも少なく、また当然ながら、好んで栽培する者もほとんどおりませぬ。まあ、幻の果実ですな」
 一つ申し添えておくなら、唐蜜柑なるもの、現在の日本人は別の名でこれをよく知っている。すなわち、「温州みかん」である。今日でこそ愛媛は温州みかんの名産地として名高いが、それは明治期以降のことであり、この時代にはみかんの産地といえば紀州を於いてそれを上回るものは無かった。
「子なしの果実か。それは、如何ともし難いな」
 藩主定行公には既に嗣子定頼様がおられ、そしてもうその定頼様もそれなりにいい御年であって定行公の御嫡孫も儲けられているのではあるが、そういう問題ではなかった。武家というものは格式と同じくらいに縁起というものを重んじる。万が一仮に定行公がお気に入りになった「黄色いもの」の正体が、ポルトガル船が中国に寄港した折に手に入れた唐蜜柑であったなどという場合、自分はそもそも最初から不可能で理不尽な職務を与えられているということになるが、不可能も理不尽も侍の務めである。武士の腹というのは、それを切ることで理不尽を理不尽でなくするために有るのであった。
 種のある紀州みかんなら同様の問題は発生しないわけであるが、それはもう試していた。出来のほどは、柚子と大差のないところであった。
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