『魔王(自分)が居ない世界って、案外悪くない。~転生先は、私を討った勇者夫婦の次男として~』

夜澄 文

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第九話:兄の成長と、誰かの視線。

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1.英雄の影と、兄の孤独
ルークが王立学術院で「神童」の仮面を確立する一方で、兄ライオス(11歳)は、自身を囲む二つの巨大な影に苦悩していた。
一つは、父カイという**「英雄」の影**。もう一つは、弟ルークという**「神童」の光**。
ライオスは、父の期待に応えようと、自宅の庭にある訓練場で、毎日欠かさず剣の素振りを繰り返していた。汗だくになり、呼吸を荒げるが、その剣筋には、カイが持つような天賦の閃きや、世界を救った英雄の**「絶対的な自信」**が欠けていた。
「はぁ……はぁ……だめだ。父さんのようには、なれない」
ライオスは、剣を地面に突き立て、膝をついた。彼は優しく、真面目だが、戦士としての才能は、凡庸の域を出ない。そして、その平凡さが、彼を**「英雄の息子」**という重圧の中で、ひどく孤独にしていた。
ルークは、その兄の苦悩を冷静に観察していた。
ルークの魔王の知性から見れば、ライオスの剣術は効率が悪く、訓練法は古臭い。魔王アスタロトが持つ闇の知識――魔族の隠された訓練法、短期間で身体能力を限界まで引き出す技術、相手の動きを先読みする洞察術――を使えば、ライオスの剣術を短期間で飛躍的に向上させられることは、計算するまでもない。
しかし、ルークの自我は、倫理的な葛藤に直面した。
「あの知識は、闇だ。人間を歪ませ、命を消耗させる。私は、兄さんの純粋な成長を、魔王の知識で汚しても良いのか?」
ルークの自我は、兄ライオスを心から愛着していた。ライオスの優しさ、無邪気さ、そしてルークの**「神童」の仮面を無条件で受け入れてくれる「純粋な愛」**は、ルークにとって、この世界に留まるための錨だった。
魔王の残滓:「愚かだ。力がなければ、お前の兄は、いつかその平凡さゆえに傷つく。力は、ただの道具だ。使うか使わないか、それだけだ」
魔王の意識は、ルークの倫理を嘲笑した。この時、ルークの選択は、**「善悪」ではなく、「家族の平和」**という、ルーク自身の価値基準によって決定されようとしていた。
2.母の疲弊と、孤独な決意
ルークの決意を固めたのは、母エリスの姿だった。
夜、ルークが鎮静化の抱擁を受けるため、エリスの寝室を訪れたとき、彼は衝撃を受けた。エリスは、普段の穏やかな聖女の顔ではなく、極度の疲弊からくる微かな手の震えと、目の下に深いクマを作っていた。
エリスは、ルークの闇の力を鎮静化するために、毎日無意識に聖女の光の力を酷使し続けていたのだ。その負担は、既に彼女の肉体の限界を超え始めていた。
「ルーク。ごめんなさいね。今日は少し……力が足りないかもしれないわ」
エリスは、そう言っていつものようにルークを強く抱きしめたが、その聖なる光は、以前のような絶対的な強さを失い始めていた。
ルークの心の中で、罪悪感と自己嫌悪が激しく渦巻いた。
「私は、母の愛をエネルギーに生きる寄生虫ではない。母の命を削って、この平和を維持している。このままでは、母が倒れてしまう。母が倒れれば、私の制御も崩壊し、全てが終わる」
ルークは、母の愛に依存し続けるという**「罰」**からの脱却を決意した。この温もりを守るには、自ら闇を支配し、母の負担を減らすしかない。
ルークは、兄ライオスの悩みを解決し、家族全体の平和と安定を取り戻すために、魔王の知識を使うことを、最終的に選択した。
その夜、ルークはライオスの部屋を訪れた。
「兄さん。父さんには内緒だ。魔術の応用で、君の剣を強くする方法を見つけた」
3.闇の知識と、兄の飛躍
ルークは、ライオスに「魔法の基礎」という名目で、魔族の訓練法の基礎を教え始めた。
それは、特定の呼吸法と、体内の魔力(人間が持つ微量の生命力エネルギー)を極限まで剣に集中させる技術だった。魔族にとっては初歩的な訓練だが、人間にとっては極めて効率的で、危険な方法だった。
「兄さん。その呼吸だ。丹田に力を集中させろ。そして、その力を剣の先端に流すイメージだ」
ライオスは、弟の幼い指導に戸惑いながらも、真剣に取り組んだ。すると、目に見えて効果が現れた。
ライオスの剣の素振りは、以前よりも速く、鋭く、そして魔力めいた重さを帯び始めた。剣の軌道は正確になり、彼の体からは、カイの「英雄のオーラ」とは異なる、静かで鋭い「力」の気配が滲み出し始めた。
「すごい……ルーク! これ、本当に魔術の基礎なのか? 父さんの教えよりも、ずっと…ずっと分かりやすい!」
ライオスは、初めて得た確かな手応えに歓喜し、自信を取り戻していった。ルークは、兄の笑顔と、兄の剣から発せられる力を見て、罪悪感を覚える一方で、家族を守る力を手に入れたという安堵を覚えた。
「善悪を超えて、家族の平和を守る」。
それが、ルークが選んだ、孤独な使命の始まりだった。
4.特異な才能への外部の視線(サスペンス)
しかし、ルークの静かな決意と行動は、既に外部の視線を引き寄せていた。
王立学術院の最高会議室。教授たちが、ルークのあまりに特異な「神童」ぶりについて、秘密裏に議論していた。
「報告によると、アーデント次男の知性、特に古代文字と戦略分析能力は、既に現行の王国技術水準を遥かに超えている。これは、単なる『才能』で片付けられるものではない」
「彼の、あの『影』への親和性はどうだ。報告書によれば、特定の感情の起伏の際、彼の周囲の影が異常に伸びるという。それは、闇の魔力の制御に長けた魔族の特性と一致する」
彼らは、ルークの存在を、「魔王の残党」や「異世界の知識」と結びつけ、**「警戒すべき特異点」**として認識し始めていた。
そして、その視線は、ルークの日常にまで及んでいた。
その夜、ルークが自室で魔術理論の書を読んでいるとき、窓の外に、一瞬、何者かの影がよぎるのを感じた。
**ルークの魂に、激しい警戒心が走った。それは、魔王アスタロトが玉座に座っていた頃に感じた、「命を狙う視線」**だった。
ルークは、闇の知識と、母の疲弊、そして外部からの監視という、三つの脅威に直面したことを悟る。彼の自我は、更なる孤独な決意を強めた。
「もう、母さんの愛に依存することはできない。これからは、自らの力で、闇を支配し、家族を守る。私は、光の仮面を被った闇の守護者となる」
ルークは、自らの内に潜む魔王の残滓を真に制御し、利用し始める予兆を心に抱き、静かに闇夜を見つめた。家族の平和は、今、極めて危険な岐路に立たされたのだ。
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