『魔王（自分）が居ない世界って、案外悪くない。～転生先は、私を討った勇者夫婦の次男として～』

第二十話：亀裂を狙う毒。兄の苦悩と、ルークの制御限界

１．査察官の焦りと、心理戦への転換
前回の査察で、ルークの「平凡なる神童の欺瞞」に欺かれた主席査察官は、会議室で怒りを露わにしていた。ルークの演技はあまりに完璧で、魔力探知装置は「子供の精神的な揺らぎ」という解釈しか示さなかった。
「魔力的な証拠は無意味だ。あの神童は、我々の予測を凌駕する知性で、自らを偽装している。だが、彼の知性にも盲点があるはずだ。それは、人間の不合理な感情、特に彼が最も守ろうとする家族の絆だ」
査察官は、冷徹な笑みを浮かべ、次の査察で兄ライオスを標的とすることを決めた。ルークの愛の根源であるライオスに**「ルークが兄を利用している」**という心理的な毒を仕込み、家族の絆を内部から崩壊させること。それが、新たな戦略だった。
２．兄ライオスへの毒の注入
数日後の次の査察の日、査察官は周到に準備を進めた。
庭での剣術訓練の最中、カイとエリスが公務員としての立ち会い義務により、僅かに距離を置いた隙を狙い、査察官はライオスに近づいた。査察官は、ライオスの剣術を褒め称え、ルークの指導の**「完璧さ」**を強調した。
「ライオス君の剣術は、確かに上達している。ルーク君の知性の分析能力は、君の才能を完全に解析し、伸ばしているのだろう」
そして、彼の心に、最も鋭い毒を注入した。
「だが、ライオス君は本当に優しいお兄さんだ。君のその素直で平凡な才能が、ルーク君のあの異常性を覆い隠すのに最も都合がいいから、彼は君を側に置いているのではないかね？」
査察官は、静かに、しかし明確にライオスの心の深部を突いた。
「君の無垢な心は、ルーク君の秘密にとって、最高の**『光の煙幕』だ。もしルーク君が普通の子供なら、君はもっと自由に剣の道を極められるのに。君は、彼に利用**されているのではないか？」
この言葉は、ライオスが以前抱えていた**「無力感」と結びつき、猛烈な毒として瞬時に拡散した。自分が「家族の盾」として機能していると思っていた喜びが、一転して「秘密のための道具」**として利用されているという自己嫌悪へと変わった。
３．家庭内の不協和音と、ルークの焦燥
査察団が去った後、ライオスの心は、もはや元の無垢な状態には戻らなかった。
彼は訓練中に怪我をしたと偽り、ルークの助言を避け、自室に閉じこもりがちになった。ルークは、ライオスの心理的な変化を瞬時に察知したが、統合された闇の知性をもってしても、人間の心の揺らぎを完全に予測・制御することは不可能だった。
ルークの知性は、ライオスの苦悩が、査察官の心理的な罠であることは理解できた。しかし、ライオスの「愛を疑う」という不合理な感情が、ルークの闇の知性の理解を超えた領域だったのだ。
ルークは、自分の戦略の最大の盲点に直面し、焦燥感を覚えた。
ルークの内省：「僕は、彼を愛している。それは純粋な真実だ。しかし、僕の知性は、兄さんの無垢な心を**『欺瞞の道具』**として利用したこともまた事実……。僕の『愛』と、査察官の『毒』、どちらが兄さんの心に残る？ この矛盾を、僕はどうすれば兄さんに証明できる？」
ライオスの心の苦悩は、ルークの闇の力の制御にも影響を及ぼし始めた。ルークの闇は、父との対決を経て安定していたはずが、ライオスの感情の乱れに呼応するように、**微細な「ノイズ」**を発し始めた。
父カイは、ライオスへの心理的攻撃に気づき、激しい怒りを覚えた。彼は査察官を糾弾しようとしたが、「査察への協力」という公的な制約が足かせとなり、直接的な行動を制限される。英雄としての武力よりも、家族の感情という目に見えない敵との戦いに、カイは深い無力感を覚えた。
４．母のケアと、兄の悲壮な決意
深夜、ライオスの部屋を母エリスが訪れた。エリスは、聖女の光の力ではなく、ただ母としての無条件の愛をもってライオスを抱きしめた。
「ライオス。あの人たちの言葉は、毒よ。ルークがあなたを愛していることは、この家で生きる私たち全員が知っている。あなたの心が苦しいなら、光で癒すことだってできる。でも、あなたの心の強さは、自分で見つけるものよ」
ライオスは、母の愛に触れ、査察官の言葉が嘘だと知った。しかし、**「ルークが僕の平凡さを必要としていることも真実だ」**という現実が、彼の心を離れなかった。
彼は、最終的に、より悲壮な、そして強い**「兄としての愛」**を決意した。
「母さん。俺は、ルークに利用されてもいい。もしルークが俺を道具として使って、この家が守られるなら、それでいい。俺は、ルークの兄なんだ。あいつが孤独な戦いをしなくて済むなら、俺は、道具になっても構わない」
ライオスは、利用されることを受け入れ、それでも愛し守るという、兄として究極の選択を下した。
家族の絆は崩壊しなかったが、深い亀裂が残る。ルークは、闇の知性では解決できない**「感情の不合理さ」という新たな課題に直面し、査察官は、「次の査察で、この亀裂を決定的なものにする」**という、さらに凶悪な計画を練り、物語は最終対決へ向けて一気に加速する。