Memory Rain

藍白

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 記憶の雨が降ってくる。
『――、どうして番になれないの?』
『うん……もう少し……待ってくれる?』
『番になりたい』
『……うん、ありがとう』
『じゃあ』
『もう少し……えっと、うん、じゃあ、次の……発情期に』
『そうか!』
『……うん』
『帰ってきたら番になろうな』
『……』
 彼は戦に向かった。けれども帰ったときには、約束をしたはずの愛しい人の姿は見えなかった。
 次に出会うときには間違えないようにしようと心に誓い、愛しい人の姿を思い出す。
 ああ、そうだ、全ては自分が彼を追い詰めたんだ。
 その記憶を胸に、ひとり歩んだ長い生に幕を下ろす。下ろすときにも心に誓った。
 どれほどの時間が必要だとしても、彼に出会うその日を願う。
 必ず。
 それは彼の後悔――そして未来への希望になる。
 
 

 七生は、俯き気味に本を開いていた。静かに開いた本の続きを読む。誰にも気付かれないよう、いつものようにひっそりと座わる。
 木の陰の下にあるベンチは、高校の敷地内の中ではあまり目立たない場所にある。七生のお気に入りだ。この場所のすぐ近くにはプールがある。水音を聞いていると切なくなるが、何故だかこの場所が好きだった。
 今日も読みかけの本を読もうと、昼休みに訪れていた。
「こんにちは」
 静かな空間に聞こえる声に、ハッとして七生は顔を上げる。
「……」
 誰?
 驚き目を見開く七生に対して、挨拶をした彼は朗らかだ。
「こんにちは」
「……こんにちは?」
「ここ、座ってもいいですか」
「え? どうして?」
「座りますね」
「えっと……」
 戸惑いながらも、じっと見つめる。人のよさそうな笑顔を見せると、彼は口を開く。
「一年三組、高野一樹です」
「え?」
「自己紹介です」
「はあ……」
「先輩、ですよね?」
「へ? あ、僕?」
「はい。教えてください」
「えっと……五十嵐、七生ですけど」
「五十嵐、七生。覚えました」
「はあ……」
 困惑しながらも話が進んでいく。正直一樹とは面識はない。何故一樹が自分に話しかけているのか、七生はわからずに、じっと見つめる。
「その本」
「え? あ、これ?」
「好き、なんですか?」
「好き、っていうか、うん。まあ、好き、かな」
「そうですか」
「……うん」
 それが何だろうと思いながらも、聞かれたことに返事をしてしまう。
「今度俺も読んでみようかな」
「え? どうして?」
「七生先輩の好きなもの、知りたいから」
「はあ……」
 何だ、こいつ。
 不信感も湧き上がっていたが、何故だか一樹から目が離せない。いくつか会話をすると、授業再開のチャイムが聞こえた。
「また会いましょう」
「え?」
 また?
 どうしてという疑問が湧いて消えない。そんな七生に、朗らかな笑みを浮かべ一樹は手を差し出す。何故だかその手に自分の手を重ねる。その瞬間、ドクンと大きく心臓が跳ねた。先程から香っていた甘い匂いが、苦しいほどの香りに変わっていく。
「んっ」
「……やっぱり。やっと……」
「ふあっ」
「会えましたね」
「ひあっ」
 気付かぬままにきつく抱きしめられる。七生の鼻腔いっぱいに、一樹の甘さを含んだ爽やかな匂いが香ってきた。
 その匂いが好きで堪らなく苦しい。
「あっ、離、れてっ」
「もう少し」
「ひあっ、あ、あ……」
「……七生、先輩」
 その声があまりにも切なくて、七生の胸を軋ませる。体の芯から込み上げてくる熱に翻弄される。
「ん……はっ……あ……」
 心臓がバクバクと苦しい。
「……先輩」
「ぁ……」
 耳に入ってくる一樹の声を聞きながら、くったりと身を預けるように、七生の意識は消えた。薄れゆく意識の中で、一樹の慌てた声が聞こえた気がした。
 
 肝心なときに要領が悪い。
 何をしても上手くいかない。
 いろいろを諦めながら生きてきた。
 そして今。 誰だろうか。
 知ってる? 知らない。知らないけど……知ってる人のような気もする。
 誰だかわからないけれど、見ていると苦しい。
「――です。はい」
「なるほどね、多分――だろう」
「俺もそう思います」
「――に出会うとか――だからよかったな」
「ほんとに」
 会話が聞こえる。
 誰の声?
 ああ、確か一樹って言ってた気がする。
 高野、一樹。
 聞いたことないし、見たこと、ない――ないと、思うんだけど、見ていると苦しいし、声を聞けば泣きたくなる。
 遠い意識のどこかで、誰かの会話を聞きながら考えるうちに意識が浮上する。
「……」
「あ、先輩。大丈夫ですか」
「……あ、ああ、多分」
「番ですよ、俺たち」
「……えっと……」
「会えましたね」
「……そう、だね」
 嬉しそうな声音は、七生の脳内に響いてくるが、嬉しいとか喜びとかの感情は浮かばず俯く。
「……」
「……」
 途端に沈黙になったふたりに、ははっと笑いながら保健医が声をかける。
「五十嵐くん、番だよ。恐らくは運命の」
 その言葉を聞くと、七生は俯いていた顔を上げ、窓の外に視線をやる。
 この世界には運命の番というものが存在する。それはまるでおとぎ話のように奇跡に近いことで、出会えば互いにすぐにわかるという。
 七生は出会った瞬間、何かを感じ、触れた瞬間気付いてしまった。何故だか自分は運命の番と出会ってはいけないという想いが、漠然と、しかし心の奥底に蔓延るように根強くあった。それは今までの七生が生きてきた道のりが思わせている。
 しかし運命の番であろう一樹は、自分とは明らかに違い嬉しそうな表情を浮かべ、愛おしそうに触れている。

 この世界には、アルファ、ベータ、オメガという第二性が存在する。第一性は男女という性だ。
 アルファはオメガを求める。オメガはアルファを求める。
 ベータは、いわゆる普通の男女だ。
 アルファは全てに置いて秀でる者。ヒエラルキーの底辺に位置する者たちだ。アルファにとってのオメガは、アルファの全てをつくるもの。オメガにとってのアルファは、オメガの全てをつくるもの。
 離れては生きていけない、大事な関係だ。
 しかし何故だか拒んでしまう。うれしいという感情が七生には湧いてこない。逆に何故だかまずいことになったなという感情に支配されてる。
 そっと自分の手の平に視線を落とす。じっと手を見つめていると、大きな手が重なった。
「……」
「……」
 ふわりと一樹の匂いがした。ああ、嬉しいのだと、匂いで感じる。重なった体温が心を揺らすも、逃げ出したい気持ちが止まらない。
「……僕……帰ります。お世話に」
「送ります」
「いや、大丈夫」
「送ります」
「……」
 拒みきれないこの温もりに困惑するが、ふたりは立ち上がると保健室を出ていった。
 
 気まずい。
「あの、僕、自分で帰れるから」
「送りますよ、心配だし」
「平気だよ。今までも」
 ひとりだったから。
 その言葉を咄嗟に飲み込んで、七生は俯き気味に歩いていく。その横を一樹が歩く。
「運命って信じますか」
「え? 運命?」
「はい、運命です」
「いや、僕は」
 信じてないよ。
 その言葉を飲み込んだ。俯いたままで一樹の表情は見えないが、声音で心情を察してしまう。
 信じてないし、信じたくもない。
 運命なんてものがあったら、僕は。
 ふと、そんな想いが浮かんできた。その理由はわからないし、特に運命などに縛られた経験は、七生の記憶にはない。
 けれども何故だか心の奥底に蔓延るように根付いている、運命の番に出会ってはいけないという想いが、じわりと浮かんでくる。
 どうしてこんなにも運命を拒みたいんだろう。
 自分でもよくわからないんだけど、でも、これはよくないことだと思ってしまう。
 でも惹かれる。一目惚れなのかと思った。
 運命とは互いに一目惚れをすることなのだろうか……そんな簡単な話でもないか。
 しかし心の奥底の想いには、一目惚れなどという言葉では言い表せないものを感じる。
「……」
「……俺は信じてます」
「へえ……」
「信じてますから……」
「……」
 どうしてそんなに悲しそうな声なんだよ。
 運命とかって、間違いとか、思い込みとか、ほら、いろいろあるんじゃないのかな。
 心ではそう思っても言葉に出来ずに飲み込んだ。この言葉を今一樹に伝えればきっと――その先にある一樹の表情が容易に想像出来る。
 どうして僕は、彼から離れたいのだろう。
 逃げないとって思ってて。
 何故だか無性に逃げたい、逃げなくてはという感情が湧き上がって止まらない。心の根っこが結びついたようで離れない。
 それでも離れなくてはと思う理由はわからない。困惑しながらも、歩く足は止めない。いつの間にか校舎を出ると、海沿いの道をいつものように歩いていた。
 
「先輩、……海、好きですか」
「え? 海? 苦手かなあ」
「そう、ですか」
「そうだけど?」
 ここまで惹かれると言うことは、恐らくは一樹はアルファだろうと思う。対して自分はオメガだ。互いに惹かれ合うのは当然なのかもしれない。
 アルファがオメガのうなじを噛めば番は成立する。
 そんなことを考えていたら、無意識に己のうなじに手を回した。つけているネックガードに触れ撫でる。
「……」
「……」
 視線を感じる。でもそれは嫌なものではなくって。
「……」
「……」
 自然と頬が火照ってくる。
 見てる、よな。
 運命か。
 運命の、番。
 言葉に秘められた意味を考える。海沿いの道は風が強く吹くときがある。さりげなく風を遮るように歩いている一樹の存在に気付くと、一層火照りが止まらない。
「……」
「……」
 無言で歩いて行く。優しげな視線が居たたまれない。
 どうして一緒に帰ろうとか思ったんだろう、あ、そうか、番か。
 確かに何かの繋がりを感じていた。何故だかわからないが、心の奥底で繋がっていると感じてしまった。
「……番になりたいの?」
 ぼそりと呟くように口を開き問う。
「なりたいですよ、勿論」
「そっか……」
「先輩は嫌ですか?」
「……」
 返事が出来ない。何故だか逃げないと強迫的に感じてしまう。
 何故逃げるのか。
 どうして逃げたいんだろう、僕は。
 海を見た瞬間、背筋にぞくりとしたものが走り身震いした。
「……先輩、大丈夫ですから」
「え?」
「……大丈夫です」
 ――今度は。
 その言葉は、風に乗って消えていき、七生の耳には届かない。やんわりと断りながらも断り切れないままに家に着く。
「先輩、また明日」
「えっ……ああ、えっと、また明日」
「明日も、……いや」
「え?」
 優しげな笑みを残し、一樹は踵を返した。
「何か言いかけてた?」
 言葉尻がいつも消えていくからよくわからないけれど、何かを含んだ物言いが気に掛かる。
 うなじに触れる。噛み跡のないまっさらなうなじだ。
「……番か」
 ぽつりと呟いた声は、立ち去った一樹には伝わるはずもなく、閉じた扉をいつまでも見続けていた。
 
 翌朝もやってくる。怠い体を起こすと、大きく伸びをする。
「んん――今日も晴れか」
 くあっと欠伸をひとつすると、よしと気合いを入れて立ち上がる。階下に向かい身支度をし、簡単に朝食を摘まむと家を出る。

 海沿いの通学路を歩きながら、ふと足を止める。
「……海か」
 何故だか幼き頃から海が苦手だった。プールも苦手だ。辛うじて授業は行うが泳げない。
「水」
 水が怖い。
 足下から飲み込まれるほどの恐怖を感じる。ただ泳げないからだけではない程の怖さに震える。
「今年は泳ぎの練習した方がいいかな」
 苦笑しながら水面を見つめる。深い海の底が見える気がした。
 ああ、知ってる。
 この底の底を知ってる気がする。
 それはいつの記憶なのか。ぶんぶんと大きく頭を振ると、七生は歩き始めた。
 
 高校に着くと、何故だかプール脇の道に向かって歩き出す。
「水泳部……」
 何気なく歩き続けると、ぱしゃんと水の弾ける音がする。
「朝練とか?」
 高さのあるプールは、中の様子が外からは見えないが、誰かの泳ぐ姿が想像される。その姿は何故だか一樹にリンクする。
 まさか。
 そう思いながら二階の教室に向かった。少し早めに着いた教室には七生ひとりだ。窓際に立ち、さきほど見かけたプールに視線をやる。
 あ。
 プールから出ようとする一樹が見えた。顔を上げた彼と目が絡んだ気がして、慌てて七生は目をそらした。
「……びっくりした」
 何故目が合ったのだろうかと不思議に思いながらも、もう一度視線をやる。
「……っ」
 目が合った。食い入るように見入ってしまい目が離せない。心臓が痛いくらいに動く。
「……!」
 勢いよく視線を外した。
 何故、どうして。
 何が、どうなって。
 心に、もやもやとした霧がかかったようで苦しい。
 知らない。
 僕は何も、知らない。
 誰かに何かを言い訳するように、七生は窓際から離れ着席した。
 
 放課後には、何かに導かれるようにプールに向かってしまう。
「……」
 ちょっと覗くだけ。
 すぐに帰る。
 自分に言い訳しながらも、急く様に進んでいる。
 夕暮れだ。もう他の部員は皆帰ったようで、ひとり泳ぐ一樹がいる。そっと隅に腰を下ろし、なんとなく本を開いた。
「……」
 すごいな。
 綺麗なフォームで泳ぐ一樹はまるで人魚のよう。
「ははっ」
 人魚とか、ははっ。
 そんな妄想をする自分がおかしくて軽く笑った。その時一樹が水から出てくる。
「先輩」
「……」
「来てくれたんだ」
「……」
「その本」
「……」
「貸してくれますか」
「いいけど……」
「じゃあ、このしおり」
「あ」
「俺が預かっておきますから」
「……なんで」
「少し待っててください。一緒に帰りましょう」
「いや」
「しおり」
「……」
「待っててください」
 ひらひらとしおりを揺らしながら、一樹は軽快に更衣室に消えていく。 
 ……しおりくらい。
 けれども気になってしまい、七生はふらふらと更衣室に歩いて行くと、扉の前に立ち尽くす。
 ここに一樹がいる。
 さきほどよりも心臓がバクバクとうるさくなる。背後にはプールだ。水がたくさんある。今までは一樹がいたから心穏やかに過ごせた。けれども今は、扉一枚を隔てているだけなのに、水が怖くて仕方がない。
「っ」
 思わず扉を開けてしまう。
「先輩?」
「あ、ごめん」
 自分の行動に驚き、慌てて扉の外に出ようとする。その手を背後から一樹が掴む。
「知ってます? 先輩」
「は? 何を?」
「繋がりってあるんですよ。ほら、先輩と俺のように」
「何言って、あっ」
「好きです」
 手にしていた本が、とさりと床に落ちた。背中に回された腕が熱い。ずくんと腹の奥が疼いた気がした。気のせいではなく、意識すればするほど疼いてきて止まらない。
「はっ……う、ん……っ」
「好きです、ずっと」
 ずっと?
 お前と僕は、この間出会ったばかりじゃ?
 疑問が浮かぶが、困惑にかき消される。白いシャツの上を一樹の角張った手が這い回る。シャツの上から薄い胸を撫でられる。何度も擦られるうちに、普段はただの飾りであるものが、存在を主張し始める。
「んんっ、んあっ」
「かわいい」
「やめっ、あっ、あ、あ」
「好きです」
 まるで呪文の様に耳元で囁かれる言葉に腰が抜けていくようだ。尻を大腿部で、ぐっと支えられるように密着される。
「んあっ、な、んで」
「好きです。番に」
「待、て、つ、がいは」
「先輩」
「ひあっ」
 耳元に熱い呼気がかかり震える。胸を弄られ、ぷっくりと立ち上がった尖りを摘ままれる。
「ひゃあっ」
「気持ちいいですか」
「あっ、そ、こっ、やめ、あっ」
「好きです」
 下肢の熱に触れられると、勝手に性器が勃ち上がる。撫でるように触れられ、ぞくぞくとした快感が全身を走る。
「よかった。おっきくなってる」
「ほんと、っ、にっ、や、ああっ」
「よかった」
「ひっ、あ、あ、んんんっ」
 前屈するように身を丸めるが、それでも一樹の自分を弄る手が止まらない。呆気なく達してしまい脱力する。一樹の手に放たれた白濁の水音が聞こえたかと思うと、双丘に違和を感じる。
「なっ」
「ここ、いいですか」
 いいも何も!
 そう思った瞬間、一樹の角張った長い指がずるんと挿入された。
「ひゃあっ、あん、あっ」
「そのまま力抜いててください。七生、先輩はオメガだから濡れてるけど、大事にしたい」
 何を言ってるんだ?
 その想いは口から出て行かず、ずるりと内壁を擦っていく感覚に襲われる。長い指が何度も擦るから震える。
「あ、あ、あ、やめっ、やめてっ」
「気持ちいいとこ、どこかな」
「そんなとこ、ひゃうっ」
「ここ、ここかな。よかった」
「なんっ、あっ」
 指が引き抜かれたと思うと、その瞬間熱い質量が宛がわれ、無垢な蕾に熱が入る。
「ひっ」
「力、抜いてて」
「やだやだっ、あ、あ、あ――」
「ん」
 ぐぐっと押し入れられるように内壁を擦られる。さきほどのいいところを刺激するように、何度か腰を動かされると、その動きに勝手に声が漏れ出していく。
「あうっ、あ、あ、ん、んんっ」
「好きです」
「ひっ、ひゃうっ」
 何度も耳元で囁かれ、七生の意識は困惑した。
 なんで――どうして――。
 切ない声音に困惑する、わからないのは自分の方だ、どうして一樹が切ない声で自分を呼ぶのだと困惑する。抱きしめられる体温が伝わる。
 この熱を僕は――知ってる?
 知らないはずなのに知ってる感覚。
 でも、こんなに奥にまで、この熱を感じたことはない。
 直に知る熱ではなく、どこか遠い記憶の先にしまい込まれているような、そんな感覚は何なのだろうと思う。静かに呼び起こされるように暴かれていく。
 抽送が早められ、気持ちがいい感覚に支配されていく。
「先輩、番に」
「あ、あ、あああ」
「先輩」
「ひんっ」
 番に。
 何故一樹はそんなにも番に?
 自分の何が、でも番になるわけには。
 そう思いハッとした。
 どうしてこんなにまで僕は、一樹を拒むんだ?
 手にしていたはずの、落とした本が思い出された。
 あの本の名前、タイトルって。
 どうして一樹はあの本を見たときに嬉しそうに、でも懐かしそうに笑った?
「ひっ、あ、あっ、あ」
「好きです、ずっと」
 ずっと?
 内壁を擦られ、ずんずんと奥に進んでいく。最奥の扉を暴かれるように進んでいけば怖くて震える。その震える体を、一樹の体温が包んでいる。
 ずっと一緒に――。
 聞こえるはずのない脳内のどこかで、自分ではない自分の声が響いた。
「あっ、そ、こ、あっ、はっ」
「ここ。好きですか」
「そこっ、やあっ」
「感じてくれて、嬉しい。ずっと――」
 ずっと?
 その声が、脳内のどこかの声とリンクするようで。
 ああ、そうか。
 僕は、一樹と――。
「噛んで、いいっ」
「先輩?」
「いいっ、からっ」
「先輩、やっと――」
 うなじを撫でられ、ネックガードが外される。無防備なそこに、熱い吐息がかる。
 大丈夫、怖くない。
 不思議とそんな感覚がこみ上がる。最奥を暴かれるように突かれると、そのまま熱い飛沫を感じた。同時にうなじに熱い痛みが走る。
「あああっ……あ、ふっ……ぅ」
「ずっと……やっと――」
 何を一樹は知っているのだろうか。
 後でゆっくり教えてもらおう。
 脱力する七生の体を抱きしめ耳元に囁く。
「やっと」
 ――届いた。
 
 それは遠い記憶の声。
『いない? どうして』
『彼はもうここにはいない。――の贄に』
『何故?』
『オメガの処女が』
『だからどうして』
『仕方なかったんだ』
 仕方がないで終わった自分の運命。
 何故、もっと早くに。
 後悔しても、もう遅い。愛しい番になるはずだった彼は、海の底に沈んでしまった。
 貧しい者から選ばれる。それはこの時には当然の流れであり抗えない理だ。守るために向かった戦で、愛しい者を失う悲しみは、計り知れないものだった。
 ――誰を守るために向かったのか。
 自分は貧しいからと遠慮がちに身を引こうとしていた愛しい人。発情期が来たらずっと一緒にと願って楽しみにしていた未来を、一瞬で失った後悔。
 もしあの時――それを考えても終わった未来には抗えない。
 それならば結ばれることが許される世で――会いに行くよ、ずっとずっと探すよ。
 七つの生を終えた頃に出会った奇跡を願う。その名を思い、七生が巡ったであろう生を考える。
「先輩、どこから話そうか。どこまで覚えている?」
 七生が手にしていた本の名を思い出し、ふっと笑った。
「海って、ほんと不思議ですよね、贄なんて必要なかったのに――」
 くったりと意識を飛ばした七生を抱き上げベンチに休ませる。床に落ちた本を拾い、置いていたしおりを手にする。
「どこからかな。どこからの続きを始めましょうか」
 一樹はそう言いながら、開いた本の頁にしおりを挟んだ。

 
 END


 
後日談
 
「……」
「先輩?」
「……」
「怒っちゃいました?」
「……そう言うんじゃ、ないんだけど」
 ただ恥ずかしくて直視できないだけ。
 七生は、きちんと着せられた制服を、俯きながら見つめている。
 更衣室のベンチに腰掛けた状態で目が覚めた。一樹に寄りかかり眠っていた自分を思いだすと、羞恥に悶える。
 僕、確か一樹と……えっち、うわあああっ!
「ぼ、僕っ、あ、え?」
 勢いよく立ち上がったはずの七生は、ずるずると、その場にしゃがみ込んだ。
「すみません、止まらなくって」
「!」
 苦笑しながら手を差し出す一樹の手のひらを見つめると、頬が染まる。
「先輩?」
「あ、だ、大丈夫!」
 行き場のない七生の手が空を彷徨う。その手を掴まれ、腰を支えられながら、ベンチに逆戻りした。
「好きですよ」
 耳元に囁かれ、背筋に痺れが走り、思わず肩をすくめる七生の耳元で、一樹の笑んだ息づかいを感じる。
「……なんで僕?」
 七生の横に腰を下ろした一樹は、七生の髪を撫でながら口を開く。
「何故でしょうか」
「……ずっとって、いつから? 面識あったかな」
「ずっとはずっとですよ。そうですね」
「んっ」
 口づけられ、言葉が消えていく。甘い匂いがした。懐かし匂い。
 あ、知ってる。
 さっきも感じた、この感じ。
 知ってる。
 いつから?
 いつ出会った?
「ん、んっ」
 その問いを口に出そうと、七生は貪る様な口づけから逃げを打つ。
 思い出しても出さなくてもいいんだ、自分が覚えているだけで。
 言葉にせずに、一樹は思う。思い出してあの頃をもう一度再現できるわけはないし、繰り返したいわけではない。
 ただ目の前にいる番が、俺と一緒でよかったなと、一緒にいたいと思ってくれればそれで十分だ。
「んっ、はっ、あっ、はっ」
 一樹の唇が離れた七生は、小刻みに息を吸い込んだ。
「慣れて、ないんだ、から、そんな」
 今まで誰とも付き合ったことはない七生にとって、想いをぶつけられるような口づけは戸惑ってしまう。どう息をすればいいのかわからない。さきほどは発情し、本能のままに息を吸い吐き出していた。
 そんな七生を見やりながら、一樹は、ふっと微笑む。
「飲み物買ってきます」
「あっ」
「待っててくださいね」
 戻ってきた一樹の手には、ひんやりとした飲み物がある。キャップを開け口に含む。
「あり、がとう」
「いいえ。どうぞ」
 こくりと一口飲み込む。
「先輩、飲み方、かわいいですね」
「んっ! げほっ、げほっ!」
「大丈夫ですか」
 手の甲で水気を拭いながら、七生は、一樹から視線を逸らしながら口を開いた。
「溺れるんだよ」
「え?」
「笑うなよ。溺れるんだよ、水飲むと。昔からこの飲み方なんだよ」
「……そうですか。じゃあ、飲み方も練習しましょうか」
「は? ちょっ、何やってっ」
 手の甲で拭った水気を、ぺろりと舐められ、七生の頬は羞恥に染まる。
「甘いですね」
「はい?」
「泳ぎの練習もしましょうね」
「……まあ、そうだな」
 くすぐったい。
 何、僕、喜んでるみたいに……。
 頬が染まる。そんな自分を見られることが恥ずかしい。
「……よろしく」
「はい」
 けれども一樹が、あまりにも嬉しそうに笑うから、一緒に練習してみるのもいいのかと思ってしまう。
 不意に剥き出しになっているうなじを、一樹の大きな手のひらが撫でるから感じてしまう。
「んっ」
「好きですよ、先輩」
「んあっ」
 好きってなんだろう。
 うなじに感じる熱に意識を寄せ、七生は思う。
 これから知っていけばいいかな。
 大きな体で自分に甘えるような一樹がかわいいなと思い、口を開く。
「ふ、うっ、ああっ」
 でも今は、意味のない声しか出ていかない。
「かわいい。先輩。好きですよ。もっとかわいい声、聞かせてください」
 大好きな人の声が聞こえる。
 ずっと聞いていたかった声――昔々の一樹の記憶の中で、寂しくて泣いていた心は、今この瞬間に涙を拭いた。
 大好きな人に大好きだと伝えながら、懐かしい記憶とともに、新しい記憶を今、ふたりで刻んでいく。
 
 
 END
 
 
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