僕らはいつも、間違っている。

雷仙キリト

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3話

3-1

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「髪、だいぶ伸びてきたね」

 私は制服を着る手を止め、お嬢の方を振り返った。その拍子に肩に掛かっていた髪が背中の方へと流れるように落ちる。

 あ、本当だ。自覚はなかったけど、確かに伸びてるかもしれない。

 いつもはある程度伸びたら切っていたけど、今回はどうしようかな。最近気に入って着ている服は、セミロングくらいがちょうど似合っている気がするんだよねぇ。
 
「……切った方がいいでしょうか?」
「長い髪も素敵だと思うよ。でも、くくった方がいいかも。食べ物に髪の毛が付いたら、お客様が嫌がるでしょ?」

 お嬢が手招きをする。彼女の身長に合わせて上体を屈ませると、背中を向けるよう指示された。肩甲骨の辺りまで伸びた髪が、彼女の手に掬われる。

 彼女は器用に私の髪をするするとまとめていった。できあがり、と背中を押され、壁に貼り付けられた鏡の前に連れていかれる。

「うん。やっぱりこっちの方が似合ってる」

 髪が三つ編みにくくられている。根本の部分はゆるくまとめているからか、ふわっと膨らんだシルエットになっていて、柔らかな印象を受けた。

「今度やりかた教えてあげるよ。八雲やくもくんだったら、すぐにできるようになるんじゃないかな?」
「お嬢がそう言うんだったら……今度から、この髪にします」

 化粧の仕方、服装、喋りかた。その全てをお嬢に教わった。昔に比べれば見違えるように変化した私だけど、まだまだこの人のそばで学ぶことはありそうだ。

 *

 今でこそ対人関係に多少気を遣っている私だが、過去の私は諸々の事情により荒れに荒れまくっていた。
 中学校を卒業し、それまで暮らしてきた場所を飛び出し、高校に行くでも働くでもなく、人の行き交う街をぶらぶらと彷徨う毎日。要するに不良ってこと。違法スレスレの悪いことは殆どやり尽くした。いや、「スレスレ」というのは他人に向けてオブラートに包んだ説明をする時の言葉であって、実際は違法行為なんて当たり前のようにやっていた。
 喫煙とか、飲酒とか。あとはまあ……ううん、あまり口に出して言えるようなことじゃないな。とにかく、色々とやっていたはず。

 人のことが大っ嫌いだった。そのくせ、無視されるのは気に食わなかった。物心ついてからずっと、周囲の人は私のことを「存在しない」ものとして扱ってきたから、それがすごくムカついて、理解できなくて。誰にも見てもらえないなら、いっそのこと嫌われてでも目立つ方がマシだと、当時の私は思っていた。

 そんな、どうしようもない私に救いの手を差し伸べてくれたのがお嬢だった。
 
 あの日のことはよく覚えている。
 自暴自棄に陥っていた私は喧嘩を売る相手を間違えて、ものの見事に惨敗した。散々殴られ、意識を失い、目が覚めた時にはどこかのゴミ捨て場に打ち捨てられていた。当時の自分の向こう見ずな振る舞いを思い返せば、殺されなかっただけまだマシな処遇なんだろう。
 雨が降っていた。呼吸をするだけで全身が痛んだ。生ゴミの匂いがきつくて、だけど起き上がる気力もない。
 コンクリートブロックで仕切りを作り、ネットがかけられているだけの簡易なゴミ捨て場では雨を凌げるはずもなく、ずぶ濡れになった服が肌に貼り付いて気持ちが悪かった。
 
 最悪の気分だった。このまま全てを終わらせてしまってもいいと思うくらいには。
 眠ってしまえば、二度と目覚めずに済むだろうか。何をするにも億劫になって、目を閉じて再び眠気が訪れるのを待っていた時、ふっと、雨がやむ。ぱつぱつと、屋根を打ち付ける雫の音は相変わらず聞こえてくるのに、頬を濡らす冷たさが消えた。
 不思議に思い、目をうっすらと開ける。
 
「……あのぅ、大丈夫ですか?」

 角のない丸みを帯びた声。大きな瞳。ゆるくウェーブのかかった長い髪。
 見たことのない制服を着たその人は、私の図上にメルヘンチックな黒傘を掲げ、小柄な肩を雨で濡らしながら、心配そうな眼差しを私に向けてくる。

「こんなところにいたら、風邪をひいちゃいますよ」

 その無垢な瞳に見つめられていると、ざわざわと心が騒いだ。わけもなく涙が目に滲み、鼻が痛くなる。傘によって雨を防がれてしまったせいで、涙を誤魔化す言い訳は出てこない。
 私が突然泣き出したせいで、彼女は慌てふためいていた。怪我してるのか、体調が悪いのか、と聞かれ、返事もできずにただ首を横に振る。
 その時は感情を上手く形にできなかったけど、きっと、私は嬉しかったんだと思う。

「もし行くところがないなら、私の家に来ますか?」

 お嬢は私にとって女神に等しい存在だった。見つけてくれたのは、見返りを求めない優しさを与えてくれたのは、彼女が初めてだったから。


 お嬢に拾われた私は、そこからまた色々とあり、彼女の家で暮らすことになった。どうして私なんかを受け入れてくれたのかは分からない。でも、彼女の家族も皆すごくいい人で、血の繋がっていない私を家に泊めてくれるだけでなく、通信制の高校にも通わせてくれた。結局勉強は肌に合わなくて卒業するのも一苦労だったけど、そのおかげで働ける場所が増えたので、おじさんとおばさんには本当に感謝している。

 お嬢には、そしておじさんとおばさんには恩義がある。私は自分の一生をこの人達に捧げ、借りを返さなければならない。
 
 全てはお嬢を喜ばせるため。今の私はそのためだけに生きている。お嬢にはよく「もっと自分のために時間を使ってほしい」と言われるけれど、そんなことを言われてもどうすればいいのか分からない。お嬢の幸せが私の幸せなのだ。それ以外のことはどうだっていいし、彼女以外の人と関係を築けるとも思えない。
 
 人間嫌いは相変わらず。お嬢と出会って人生が変わったからと言って、性格まで一変させられるわけもない。一人称を変えようと、見せかけをよくしようと、喋り方を矯正しようと、根っこの部分では何も変わっていない。

 捻くれていて、怒りっぽくて、他人を傷つける以外のコミュニケーション方法を知らなくて。
 こんな私と仲よくしてくれる人なんて、いるはずがないと思っていた。
 

 だから、

「これ、受け取ってほしいんです」

 連絡先の書かれたメモを渡された私は、驚きのあまり頭の中が真っ白になって、すぐに反応はできなかった。
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