自動販売機にて。

雷仙キリト

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 教室の扉を開くと、音に反応して、クラスメイトが俺の方へと意識を向ける。そのうちの数人は俺だと分かると腕を上げたり、「おはよう」と挨拶をしてきた。俺はそれに「はよっす」だとか「おいっす」だとかテキトーに返しながら自分の席へつく。

「はよ、菊池」
「おう。おはよう、斉藤」

 斉藤は俺に挨拶をすると、すぐに別の奴との会話を再開した。それ以上、俺に話しかけてくることはなかった。

 細木が捻挫をしたあの日、斉藤の活躍で試合はダブルスコアで勝つことができたらしい。そのおかげか斉藤はクラスメイトから一目置かれ、少しずつ話しかけられるようになった。斉藤は無愛想だが根は良い奴だ。ひとりが話しかけると、ひとり、またひとりと日に日にあいつの周りには人が増えていった。
 
 あんなに怖がっていたくせにコロッと態度を変えるなんて現金な奴等だ。……まあ、涼ちゃんが喜んでるなら、それでも良いけどさ。

 斉藤の隣は俺の特等席ではなくなった。

 斉藤がクラスメイトに受け入れられたことで、俺があいつを監視している理由もなくなった。真面目に授業を受けることに退屈していた俺は、綾城さんと会う機会が増えた。

 綾城さんの教えてくれたサボり場に向かうと、いつ行ってもそこには綾城さんが既に待ち構えている。
 昼食を終えた後、綾城さんから貰ったタバコを吸った。「そういえば」と綾城さんが口を開く。

「お前、新しいおもちゃを見つけたようじゃねーか。細木だっけ? あいつと喋ってるとこ見かけたぞ」

 綾城さんは「俺にも紹介してくれよ」と喉の奥でくつくつと笑う。

「ただのクラスメイトですよ。友達じゃなくても、話すことくらいあるでしょ」
「いや、お前はそういう奴じゃないね。メリットのない相手とわざわざつるむような奴じゃないだろ、お前は」

 良くご存知で。

 タバコの苦味を肺一杯に吸い込んで、たっぷりと時間をかけて吐き出した。

「あいつはダメですよ」
「ダメってなんだよ」
「虐め甲斐が全くないんです」
「でも、あの斉藤だってあいつに構ってるみたいじゃないか」
「分かってるでしょ。斉藤は俺達と違って、つまらない奴なんですよ。虐めなんてできない」

 ふうん、と綾城さんは興味なさそうに相槌を打つ。

「つまんねーな」
「そう、つまんない奴なんですよ。どいつもこいつも」
「お前は違うよなぁ、菊池」
「はい。俺は斉藤とは違いますから」
「……午後、俺に付き合えよ」

 そう言われるような気がしていましたから、と持ってきていた鞄を掲げると、綾城さんは「そう来なくっちゃな」と笑った。

 綾城さんのバイクに2ケツして、街中を暴れ回る。日が暮れてからは綾城さんの知り合いが経営しているというバーに行き、酒を飲んだ。

 顔を赤くさせた綾城さんが俺の肩に腕を回し、うだうだと愚痴を漏らす。その殆どは別れたばかりの元カノに対するもので、どうしても俺にその話を聞いてほしいのか、話題が既にループしている。適当にあしらいながら酒を飲んでいると、綾城さんはカウンターに突っ伏して、顔だけをこちらに向けるような体勢になる。

「……お前が女だったらな。こうやって遊びに付き合ってくれるし、反抗もしてこない。最高の彼女だっただろうに」

 呂律の回っていない綾城さんに水を渡す。

「綾城さん、酔ってるでしょ」
「酔ってねーよ……はあ、お前が俺の彼女になればなぁ」

 ……もし女だったとしても、俺はあんたみたいな男は絶対彼氏にはしないけどね。

 気に食わないことがあるとすぐに不機嫌になるし、暴力を振るうし、金たかってくるし、バイク下手くそだし、話面白くないし、髪パサパサだし、なんか変な匂いするし。

「きくちぃ……」
「はいはい。ほら、水飲んでくださいねー」

 しばらくの間はほろ酔い気分で、綾城さんをあやすのも楽しかった。だが、どんなに酒を飲んでも、綾城さんのつまらない愚痴を聞いても、俺の脳裏から離れてくれないとある悩みのせいで、気分が完全に晴れることはなかった。
 
 なぁ、菊池。そう呼ぶ斉藤の声が脳裏に蘇る。俺が斉藤に近づかなくなって数日後、斉藤は俺を屋上前の階段に呼び出した。内緒話でもするように声をひそめて「バスケ部に勧誘された」と言った。

『良いじゃん、バスケ部。入れよ』

 そう俺が言うと、斉藤は困ったような顔をした。

 なんだ、まさか迷ってるのか。迷う必要なんてないだろうに。それとも俺が「入るな」と言えば、お前は入らないのか。

 斉藤は黙り込んで、ようやく口を開いたと思えば「分かった、入る」と言って、俺を置いて教室に戻った。

 何となく気まずくなって斉藤に話しかけなくなったのはそれからだ。向こうから話しかけられることがあれば返事はするし、移動教室の時は隣の席に座ることもある。だけど、以前のように頻繁に連むことはなくなり、俺達の間には常に透明の膜が張られたような奇妙な隔たりがあった。

 あの時斉藤が何を言いたかったのか。分からないが、たとえどんなことを言われたとしても、結果は同じだったんじゃないかと思う。

 努力なんてくだらない。そう互いに言い合っていた過去を、あいつは忘れてしまったのだろうか。

 斉藤が変わろうと思っていたことも、そう思うに至った切っ掛けも俺は知らない。だから、突然置いていかれたような気分になった。



 店に女がやって来てからは気分が急降下した。

「こいつ、ついこの間まで中学生だったんだよ」
「えー、うそ、全然見えない。可愛いー!」

 女に抱きつかれると、香水の匂いが体にまとわりついた。綾城さんは俺をダシに女と仲良くなるつもりだったらしい。女が俺にベタベタし出してからは急に不機嫌になった。俺も好みじゃない女にベタベタと触られるのは嫌なので、帰ることにした。

「もう帰りますね」

 綾城さんは、あっさりと俺を解放した。

 夜風が酒を飲んで熱くなった体を撫でる。酒を飲んでいる間は気持ちが良いが、すぐに自己嫌悪に陥る。別に、酒が好きなわけではなかった。ただ、未成年なのに酒を飲んでいる自分をカッコいいと思っているだけで、そんな自分が馬鹿らしい。

「高校に上がったらそういうことはしない」と言った斉藤の顔を脳裏によぎった。そして、細木の顔も。あいつらは今の俺を見たら何を思うだろう。怒るかな。怒られたらまだ良い方だ。無言でスルーされるのが一番効く。

 もうそろそろ潮時だった。悪びれるのも、悪いことをする自分をカッコいいと思うのも。これを続けていたところで明るい未来はない。

 だが、代わりになることも見つけられそうにない。

 昔から、たいていのことは努力せずともそこそこにできた。勉強も、運動も、その他のことも。

 満点には及ばないが落第するほどではない。競争心も向上心もなかった俺は、「そこそこ」の結果に満足し、大した努力もせずに、のうのうと生きてきた。

 努力の方法を知らなかった。

 今更何をすれば良いのか分からない。やりたいこともないし、頑張ったところで今更伸びるとも思えない。

 ああ、困ったな。これからどうしよう。

 薄暗がりを歩いていると、夜道を照らす灯りを見つけた。自動販売機の明かりだった。しかも当たりつきだ。俺は財布から小銭を取り出し、サイダーを買った。当たりが出なかったので、もう一度小銭を投入し、水を買った。

「これ、やるよ」

 翌日、教室で見かけた細木に水を押しつけた。

「当たったから、やる」
「……また当たったの?」
「そうだよ。俺くらいの豪運になると、自販機で何回も当たり引けるんだよ。すごいだろ?」

 片っ方の眉を吊り上げてイタズラっぽく笑ってみせると、細木は疑いもせず「そうなんだ」と、水を受け取った。

「ありがとう、菊池くん。君って凄いんだね」

 裏表のない笑顔でそう言われると、悪い気はしない。やっぱり細木に話しかけたのは正解だった。
 
「あのさ、菊池くん」
「何だよ」
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「……俺は元々こんな顔だよ?」

 頭がズキっと痛んだ。二日酔いがまだ残っている。

 後からやってきた斉藤が俺の顔を見て、眉間にシワを寄せたが、何も言わずに窓際の席に座った。
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