自動販売機にて。

雷仙キリト

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「き、菊池くん」

 名前を呼ばれ振り向くと、ノートを胸に抱き寄せた細木が、緊張した面持ちで俺を見ていた。

「あの……今日の課題、やってきてる?」
「課題?」
「次の授業のなんだけど……もしもやってなかったら、えっと、僕のを写してほしいなって」

 そう言って、ノートを俺に差し出す。目をぎゅっと閉じ、腕は力を込めすぎてぷるぷると震え、ノートが歪んでしまっている。

 まさか、細木がそんなことを言ってくるなんて。俺はノートを受け取り、ページをめくった。

「……ここ、間違ってるよ」
「え?」
「使う公式が間違ってる。求めたいのがこれなら、公式はこれを使うべきだろ」

 細木はノートを覗き込むと、顔を青くさせ、見ているこちらが申し訳なくなるような、憐憫を誘う笑みを浮かべる。目の表面がじわじわと涙で濡れていく。

「ほ、ほんとだ……あはは、菊池くんってすごいんだな。それに比べて僕は……っ」
「ちょ、おい、そんなことで泣くな」

 何故か分からないが、細木が泣いているのを見ると心がむず痒くなって落ち着かない。

 俺は細木からノートを奪い取り机に置くと、自分の分のノートを取り出した。

「課題、まだやってなかったから。ありがたく写させてもらうわ」

 ニカ、と笑いかけると、細木は目を輝かせて何度も頷いた。

 可愛い。そう思った時には既に手を動かしていて、俺は細木の頭を撫でていた。髪の毛の柔らかな感触に我に返り、はっと手を止める。細木は不思議そうに首をかしげた。

「どうしたの、菊池くん」
「いや……何でもねぇよ」

……嘘だろ。細木は男だぞ。別に可愛くもねぇし、見た目も冴えない奴だ。そんな奴相手に「可愛い」と感じただけじゃなくて、頭を撫でるなんて。

 どうかしてるぞ、俺。

 慌てて手を離すも、暫くの間、髪に触れた時の感触がそこに残り続けているような、奇妙な感覚があった。


 *
 
 
 午後の授業は酷く退屈だった。役目を放棄したシャーペンはノートのすぐそばに転がっている。

 右腕で頬杖をつきながら、左手で学内の自販機で買ったばかりのサイダーを弄ぶ。ペットボトルの中で、透明な液体がゆらゆらと揺れていた。底から浮かび上がる小さな気泡が、水面でパチパチと弾けて消えていく。

 ペットボトル越しに細木の姿を観察する。窓から差し込む陽光を受け、細木の姿はキラキラと光り輝いて見えた。

 眠気を誘う声で教師が教科書を読み上げ、細木に質問を投げかける。必死に板書を書き写していた細木がパッと顔を上げた。口を開いたり閉じたりを繰り返して、慌てふためきながら、間違った答えを言った。教師は続けて「じゃあ、菊池」と俺の名前を呼んだ。

 俺はしばらく考えた後、「分かりません」と答えた。教師がため息を吐き、「お前ら、ちゃんと先生の話を聞いていたのか」と呆れた口調で言う。細木は顔を青くさせて、ただでさえ丸い背中を更に縮こまらせてしまった。

 細木はいつも一生懸命だ。勉強も、運動も、すごく真面目に取り組んでいる。だけど俺は、細木がいつも赤点スレスレの点数を取っていることを知っているし、運動音痴なのは言わずもがな知っている。

 不公平だな、この世界は。

 授業の後、先生に呼び出された。どうやら先程の授業態度が気に入らなかったみたいだ。授業中に頬杖をついていたことから始まり、終いには髪型や服装についての指摘をされた。俺はすぐさま学生手帳を取り出し該当のページを開くと、「校則には抵触してませんよ」と言い返した。先生は「だとしても、さっきの授業態度はなんなんだ」と語気を荒くする。髪型について先に言ってきたのはそっちなのに。

「ちゃんと話を聞いていないから、質問に答えられないんだ」
「はーい、すみません。次はちゃんと真面目に聞きまーす」
「……全く。細木にも、ちゃんと真面目に授業を受けるように言っておけよ」

 その言葉は聞き捨てならなかった。

 言うだけ言って立ち去ろうとする先生を呼び止める。

「細木はちゃんと授業を聞いてましたよ。あいつ、板書をノートに書き写すのに必死で、そっちに集中してたんですよ」

 先生が驚いたように目を瞠った。俺は俺で、何で細木なんかを庇っているんだろうと我ながら不思議に思った。気まずかったので、先生がそれ以上何も言い出さないうちに「じゃあ、これで!」と急ぎ足で教室に戻る。

『細木にも、ちゃんと真面目に授業を受けるように言っておけよ』

 努力には限度があるのだと、結局は結果が物を言うのだと俺は思っていたはずだ。それなのに俺はさっき、教師でありながら細木の努力を認めないあいつに腹が立った。

 何やってんだか、俺は。

「菊池くん!」

 細木が駆け寄ってくる。

「……先生、なんて言ってた?」
「授業態度が悪いってさ。まあ、自業自得だ」

 細木は首を振って「そんなことない」と言う。「いつもは真面目に聞いてるでしょ」って。驚いた。細木が俺なんかを「真面目」と形容するなんて。何ならこのクラスで俺以上に授業をサボってる奴なんていないだろうに。

「確かにさっきはぼうっとしてたかもしれないけど、でも、何か考え事をしてたんじゃないの?」

 考え事と言えばその通りだ。だが本人を目の前にして「お前のことを考えてた」なんて言えるはずもない。

「何か困ったことがあるなら、話せることなら僕に話して」
「……んー、まぁ、気が向いたらな」

 細木の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。細木は目を細め、くすぐったそうに笑みを浮かべた。
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