Desire ―好きだと言えなくて、誰とも結ばれない物語―

雷仙キリト

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29. Ether

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 ここにはできればもう来たくなかった。それも、こんな理由で。

 インターホンを鳴らすと、今度はすんなりと鍵を開けてくれる。

「こんにちは、高嶺さん。お会いするのは」

「昨日ぶりだ」

「ええ。今回はご予約済みですね。歩望さんはいらっしゃらないのですか」

「同意書には昨日サインをしただろ」

 長い廊下を、二人分の足音が響く。

「実は今日、大切なお話があったんです」

「それ、親父がいなくても大丈夫なやつ?」

「ええ、まあ。お二人に聞いてもらうのが最良ですが、今回は高嶺さんだけでも大丈夫でしょう。刹那にはそのように言っておきます」

 メンテナンス室に連れていかれる。例の如く、刹那さんは机に向かって熱心に何かを書きつけており、こちらを見向きもしない。

 ベッドにはユキさんが静かに横たわっている。
 一日ぶりなのに、まるで何年も会っていないような気分だった。

「……ユキさんの容態は?」

「率直に言えばモモの寿命は残り僅かです」

 レイの容赦のない物言いが、オレに現実を突きつける。
 歯を食い縛り、目眩に耐える。

「本来なら、予定通りあと五年はもっていたはずです。しかし、刹那にもボクにも予測できなかった不具合が発生したことで、イーサに急速な劣化が生じています」

 イーサ、というのはオレ達でいう脳と心臓のようなものらしい。イーサが動かなくなれば、体を動かすことも、人間らしい思考をすることもできなくなる。

「今回は応急処置として直近一ヶ月の記憶を削除しました。これによりイーサへの負荷がひとまず軽くなるはずです。とはいえ長くは持ちませんけどね」

 頭を強く殴られたみたいだ。
 目の前にいるレイの顔がぼやける。

 だがそれも一瞬のことで、オレは自分の手を抓ることで無理矢理現実へと引き戻った。

「……記憶を、消した? 一ヶ月も?」

「何か問題でもありますか?」

 レイの冷たい目が、オレを見つめ返す。オレは、こいつの顔を数秒と見ていられない。自分でも何をしでかすのか、分からなくなる。

「……いや。ありがとう」

 こいつは自分の役目の通りに動いているだけだ。修理するのが仕事だから、記憶を消した。それだけ。
 レイに文句は言えない。

 そう、何度も自分に言い聞かせる。

 でも……消えてしまったんだ。小可さんと一緒に海に行ったことも、それ以外のことも、全部。消えてしまった。

 脳裏によぎるのは、昨日の出来事。

 ユキさんに手を伸ばした。頬に触れる寸前で、手が止まる。

「……これからは、あまり外出させない方が良いよな」

「面倒事を避けたければ、その方が賢明です」

 こんなに早くいなくなると分かっていたら、契約を破ってでも、ユキさんを色んなところに連れていってやった。海にだって、買い物だって……それ以外の全部も。

 後悔しても、しきれない。

「……そうだ、高嶺さん。あなたからお預かりしているものがあるんです」

 オレの様子を窺いつつレイが言う。

「昨日ここに来た時に忘れ物をしましたよね? ちょうど良いので、持って帰っていただけますか?」

 ……そんなもの、あっただろうか。

「ボクの部屋で保管しています。ついてきてください」

 信用できない。それでも、行くしかなかった。



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