ここは血塗れ乙女亭!

景丸義一

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主菜 ただいま営業中!

第61話 贖罪の道

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 いつものように罵声や石を浴びながら大通りで馬糞拾いの仕事を終え、その後もいつものように手当たり次第店を回って雑用でもさせてもらえないかと職人街へ歩き始めたところだった。
 うしろから声をかけられ振り返ってみると、黒い羽根つき帽子に黒マントという夏には相応しくない格好をした、いかにも怪しい男が立っていた。
「アラン・リトレどのですな?」
「そうだが……」
 よくもまあおれの名を口にできたものだ。よそ者か?
「ルシエド・ウルフィス卿がお呼びです。ともにきていただけますか?」
 あの怪物が、おれを……?
 なるほど、今日がおれの最後の日だったか……
 大丈夫、あの男も悪魔じゃない、クロードの命だけは助けてくれるはずだ。あいつさえ生き残ればリトレ家は終わらない……!
「いいだろう」
 男の翻した背が死神の使いのように見えても、躊躇いはなかった。

 男の向かう先が血塗れ乙女亭ブラッディー・メイデンの方向ではないなと思っていると、その男が帽子を取って振り向いた。
「先ほどお父上にもお会いしました。ユストゥス・ジルベール・サリエリの名を覚えておいでであれば嬉しいのだが」
「サリエリ……?」
 おれの中で泡が弾けたような心地よい感触があった。
「覚えているとも、ユストゥスどのか! ああ、覚えている、忘れるはずがない!」
「それはよかった」
「忘れるものか……今となっては、貴公らが我が家に入り浸っていたときがおれにとって最も誇らしい時間だった……」
「それはまた大袈裟な」
「いいや、大袈裟などではない」
 大袈裟などではないのだ。
 特別仲がよかったわけでも長い時間を共有したわけでもないし、国を追われるまでは忘れかけてさえいたが、犬畜生にも劣る身分に落ちた今だからこそ、身に染みるのだ。
「なぜなら貴公らサリエリ家のかたたちだけは、われらを蔑まず、それどころか嬉々として学びにきてくれた……」
 なんという運命か……
 落ちに落ち、自らの最期を覚悟したこのときに最も誇らしい思い出と再会できるとは……
「そうか、今ここにはラファロ・ヴィンチがきているのだったな……」
 ということは、ユストゥスどのはその護衛……
 出世したのだな……

 嫉むまい。
 今胸の奥底で沸騰しかけたこの感情は、表に出してはならない。彼は彼でやるべきことをやり、自らの才覚で掴んだ成功なのだ。
 生き延びるために矜持を売り渡したおれなどが抱いてよい感情ではない!

「さあ、中へ」
 ユストゥスどのに連れてこられたのは、なんの皮肉かゼレス教会だった。
 あのお節介な司祭や聖騎士に懺悔でもしろというのか?
 まあ、さすがに店で処理するわけにはいかんからな、司祭たちがおれを憐れんで場所を貸してくれたということなのだろう。
 それにしても、ずいぶんと綺麗になったものだ。壁も柱も椅子も、内装はほぼ完璧に修復されているな。
 そのまま住居のほうへ案内され、普段は孤児たちが使っているであろうリビングに入ると、案の定司祭がいた。もちろんルシエド・ウルフィスも。
「どうぞ、お座りください。今お茶を入れますから」
「いらん世話だ」
 司祭のおためごかしを蹴り、おれはウルフィスの正面に座った。
 震えるなよ、おれの体。
 もう覚悟は決めたんだ。
 今更凄まれようと、あの日のように伏して震える必要はないんだ。
「アラン、ユストゥスから興味深い話を聞いた」
 ウルフィスがテーブルに肘を乗せて切り出した。
「おまえが法の専門家だというのは本当か?」
 そのとき、おれの全身に稲妻が走った。

 おれに、法について尋ねただと……?
 もちろん、この町が今法に関して慌ただしくしているのは知っている。裁判はウルフィスや市長が仕切っているが専門家がおらず、冒険者の増加で頭を抱えていることも。
 そんな現状で、おれに、法について尋ねてきた……
 絶対に無駄だと思い誰にも喋らなかったが、この男は、ユストゥスどのから聞いたというだけで、わざわざ本人を呼び出して確認している。

 ここしかない!
 今しかないだろう!
 落ち着け、落ち着くんだ、法に携わる者は決して平静を欠いてはならないのだ!

「いかにも。アンセラはもちろん、周辺諸国の制度や判例などもほぼ頭に入っている」
 やや大袈裟だが構うまい。これはリトレ家再興とおれの野望のための大勝負だ!
「ではおまえの知識を確かめさせてもらう。これはある国で実際に起こった事件だが、カインとアベルという仲の悪い羊飼いがいた。ある日、アベルの羊がすべてカインによって殺されてしまった。この場合の量刑は?」
「待て、そんな馬鹿げた訊き方があるか。そもそも本当にカインの仕業なのか?」
「ほう、引っかからなかったな」
「当然だ。羊の死因はなんだ?」
「食中毒だ」
「アベルが普段やっている餌や井戸の水は調べたんだろうな?」
「もちろん。原因は井戸に放り込まれた毒草だ」
「その井戸はアベルも飲み水に使うのか?」
「ああ」
「ではアベルの家族構成と人間関係について教えてくれ」
 ウルフィスの狙いはわかった。純粋な知識だけでなく、思考能力も試そうというのだ。こいつがどこの生まれかは知らんが、おそらくこれは故郷で起こった事件なのだろう。だからこいつは真相を知っていて、おれがどのようにしてそこに辿り着けるかが、本当に確かめたい部分なのだ。

 徹底的に聞き出した結果、おれが出した答えは……
「確かに犯人はカインだ。ただし羊が死んだのは偶然であり、本当の標的はアベルだった。ついでに家族も死んで構わんと思っていたのだろうな」
 ウルフィスははっきりと頷いた。
「正解だ。では改めて訊こう。この場合の量刑はどれほどが妥当だ?」
「まず、羊が死んだことによって得られなくなってしまった羊毛の利益の二倍額。それからアベルとその家族に対する殺人未遂の罪で強制労働半年、もしくは禁固一年」
「いい線だ」
「ただし、アベルにも罪がある」
「そうだな」
 カインの動機は、単に仲が悪かったからではなかった。それに加え、アベルとカインの妻が密通していたことへの報復だったのだ。
「アベルとカインの妻にも罪がある以上こちらにも罰を与えるべきだが、代替案として二人の罪を問わない代わりにカインの罰も賠償金だけで済ませるという方法も成立する。もっとも、おれなら勧めないが」
「なぜだ?」
「結局のところ、法というのは人の感情を満足させるために存在するといってもいい。この事件の場合、互いの罪を相殺したところでカインは賠償金を払い続けるだけでアベルと妻はそのままくっついてしまうかもしれん。そうなれば再びカインの殺意に火がつくだろう。であるならば、三人とも平等に罰を与え、それぞれを引き離したほうが誰にとってもあと腐れがないというものだ」
「なるほどな、よくわかった」
「で、実際にはどのような決着だったんだ? どうせあんたが裁いたんだろう?」
 こいつがただの流れ者だと思っているやつはこの町には一人もいまい。どう考えても支配者階級の出身だ。
 だが、ウルフィスは微塵もつけ入る隙を与えなかった。
「まさか、あくまでおれが知る事件のひとつにすぎない。これでもいろんな土地を渡り歩いてきたんでな」
 ふん、そういうことにしておこう。
「ちなみに、結果はおまえの判断と同じだった」
「ではルシエド卿……」
「ああ、合格だな。こいつは使える」
 生き延びた……のか?
「まだ安心するなよ。おれが認めても市民はおまえたちをそう簡単には許さないぞ」
「わかっている、許してもらえるなどとは思っていない。ただチャンスがほしかっただけなんだ、家の再興と、司法改革の……」
「司法改革?」
「そうだ。おれにできる償いといったら、それぐらいしかない。だからいずれ機会が巡ってきたときに息子に託そうと思っていた。それが叶ったときにこそリトレ家も復活できると……」
「よくもまあ、そんなざまで大それた野心を抱え続けたもんだな」
「聞いてくれ、おれは司法の分業化を提案したい。裁判官、弁護士、廷吏、刑吏をそれぞれ独立させ、新たに捜査の専門家として警吏を設置するのだ」
「おお、警吏! アランどのも東方の制度をご存じでしたか!」
「ユストゥスどものか、さすがだ!」
「おい、警吏ってのはようするに自警団みたいなものだろう? それにきちんと機能している例を聞いたことがないんだが……」
「それはあくまでこの周辺の国々での話だ。大陸中部から東部にかけては犯罪捜査を警吏に一任している国がほとんどで、町長や領主などによって任命されるれっきとした役人なのだ」
「自警団と衛兵を合わせて、その権限を執政者によって保証された専門職だとお考えください」
「不正の温床になりそうな気配しかしないんだが……」
「そんなものは執政者の手腕と法によっていくらでもコントロールできる。すくなくともこの町でなら、あんたがいる限り腐敗することはないだろう」
 もちろんこの制度を実施するには相当な時間がかかることはわかっている。ただでさえその方面は人手不足の町だし、おれが関わるとなれば反発は大きいだろう。
 だが、今しかない。
 この男が偏見によって人や状況を判断するような人間ではないことがわかった以上、同意が得られるのであれば、この男に実行してもらうしかないのだ!
「またまた考えることが増えちまったな……」
 脈ありと見たおれは、もてる知識と熱意のすべてを挙げて司法について語り尽くした……
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