6 / 8
第六話 海の男の背中
しおりを挟む
シルク少年は、ジョージ・セイル号では水夫見習いとして航海士の父の手伝いをしていた。そんな彼にとって、海の男であった父は憧れの存在だった。
「聞いているか、シルク!テストその一を始めるぜ。まずはロープの結び方を見せてもらう」
ぼうっと父の顔を思い浮かべていたシルクにイシュの大声が被せられる。それと同時に、一束のロープを投げられた。一メートルぐらいしか無い短く細いものだ。シルク少年は首を傾げる。
「何に結び付けるかで結び方が変わりますが……」
掌砲長イシュは「それもそうだな」と辺りを見渡した。風になびく長い前髪を耳にかけながら、アクバルは言う。
「イシュ、お前の義足に結んでもらおうぜ」
「俺の?まあ、結びやすいだろうからな。いいだろう。シルク、こいつは基礎の基礎。海の男として働いてもらう船員を指導するには力量を測るのも仕事だからな」
シルクは頷く。ロープを持ち、イシュの右の義足に結び始めた。後ろにロープを回し、手前で結びきる前に長い方に輪を作る。その輪に短い先の方を通し、輪を作ったロープを縫うように回し、輪を再びくぐる。キュッと結ぶと、うまく出来上がった。
「おう、帆を張るときの結び方じゃねぇか。リボンみたいに結ばれるかと思ってヒヤヒヤしたぜ。シルク、意外と基礎が分かってるな」
イシュはホッとした様子だった。彼の顔を見てシルク少年は言う。
「これ、もやい結びって呼びませんか?」
「そんな呼び名だったのか。アクバル、メン、知ってたか?」
イシュが水夫アクバルと操舵手メンの顔を見るが、二人とも首を横に振っていた。
(海賊だから海軍の正式な名前なんて知らないんだ、きっと)
シルク少年は「そうなんだ」と納得しつつも、それでも違和感を覚えていた。
「次は……」
イシュのテストは続く。横帆と縦帆、それらの畳帆と展帆の違いや、錨の降ろし方など、シルク少年が今まで何度も見てきたことを問題にされるものだから、シルクは自分答えが本当に合っているのか心配になっていた。
「じゃあ、最後だ。舵についての問題だが……メン、お前が見ててやってくれよ」
そう言うとイシュは舵輪を右へ何度か回した。チャルチウィトリクエ号は同じように右へ傾き航路からずれたようだ。頭上から掌帆長イクと海尉チクチャンの怒号が聞こえるのだが、イシュはお構いなしだ。
「シルク、お前が元の航路に戻すんだ」
シルク少年に舵輪を預け、イシュは船首まで走っていった。片足の膝より下が木の義足である事実を感じさせない突風のような走り方は、何度見ても驚く。
「俺たちが見といてやるから、やってみなよ」
操舵手メンと水夫アクバルは手すりに寄りかかり、シルク少年の様子を見守る体勢に入った。
「でも僕、舵は任されたことないんです。それどころか、舵輪に触るのを禁じられていたので……」
子供に舵を任せる海軍がどこにあるというのだろうか!シルク少年はそう言いたかった。しかし、二人は手を貸す様子すら見せなかった。それならば、仕方ない。
シルク少年は恐る恐る舵輪を左に回す。
(イシュが面舵に切ったのだから、取舵に切ればいい。でも、角度が分からないな……)
ゆっくりと舵輪を回していると、船体に何かが鈍い音を立ててぶつかった。衝撃でシルク少年は舵輪に弾き飛ばされ、尻餅をついた。誰も握らない舵輪は突風に煽られグルグルと回る。船体にぶつかる何かと風の影響でチャルチウィトリクエ号は大きく揺れた。
「イク、何で風が吹くことを知らせなかった!」
「うるさいな、俺だって分からないことぐらいあるさ」
操舵手のメンはイクに文句を言いながらも舵輪を握り、時々やってくる突風と揺れに耐えるよう力をこめていた。
シルク少年はメンに操舵を任せ、左舷から襲ってくる揺れの正体を確かめに甲板を走った。シルクが海面に目をやると、尻尾が跳ねた。
「鯨だ!でも、思っていたより小さい!」
子供だろうか。群れからはぐれたらしく、周りに大人の鯨の姿が見えない。インテガの海に、ただひとりぼっちの子供。シルク少年は、小さな鯨に自分の姿を重ねた。
「シルク、そこ退きな!アクバルが来るぞ」
海尉チクチャンは見張り台に立ち、シルク少年に声をかけた。アクバルが来るからなんだと言うのだ。チクチャンを見上げながらそう思っていると、獣のように素早く海面に向けて飛びこむ上半身裸の男の姿が視界の隅に一瞬見えた。慌てて鯨の様子を見ると、風が強く吹き、目を開けていられなくなった。
「おーいシルク、すぐそこのロープを降ろしてくれ」
風が強い中、ロープを留め具であるビレイピンに繋ぎ、アクバルが飛び降りたであろう場所へ向けて投げた。しばらくその場で風に耐え続けていたため動けずにいたが、そのうち風が止んできた。
「よっ、と。シルク、ロープありがとうな」
顔を上げると、アクバルの小麦の肌とキラキラ輝く緑の瞳が飛び込んできた。
「こいつはお土産だ。後でムルクとエツナブに調理してもらおうぜ!」
シルク少年の足元に置かれたのは、巨大なイカだった。少年と背を比べたらイカの足、ゲソの部分が一メートル以上差がつくだろう。胴体には銛で貫かれたような跡が残っている。アクバルは何も持っていなかったはずなのだが……。
「あの鯨はいったいどうしたの……?」
不安そうに訊ねるシルク少年の頭をつついて、彼は言った。「あいつはこのイカに絡まれて暴れてただけだ。すぐ群れに戻れるだろうよ」と。
再び海面に目をやると、水平線の彼方に鯨の尾ひれがいくつも見えた。その群れへ向かう小さな尾ひれに胸を撫でおろす。鯨を救った本人は、そそくさと船内へ帰ろうとしていた。
「あっ!アクバルさん、イカを置いて船室に戻らないでください!」
イカ独特のぐにゃぐにゃした動きに顔をしかめ、その場から動けないシルク少年を見て、甲板にいた皆が笑った。
シルク少年が見たアクバルの海の男の背中には、海に似合わぬ蛇と猛獣の刺青が入っていた。
「聞いているか、シルク!テストその一を始めるぜ。まずはロープの結び方を見せてもらう」
ぼうっと父の顔を思い浮かべていたシルクにイシュの大声が被せられる。それと同時に、一束のロープを投げられた。一メートルぐらいしか無い短く細いものだ。シルク少年は首を傾げる。
「何に結び付けるかで結び方が変わりますが……」
掌砲長イシュは「それもそうだな」と辺りを見渡した。風になびく長い前髪を耳にかけながら、アクバルは言う。
「イシュ、お前の義足に結んでもらおうぜ」
「俺の?まあ、結びやすいだろうからな。いいだろう。シルク、こいつは基礎の基礎。海の男として働いてもらう船員を指導するには力量を測るのも仕事だからな」
シルクは頷く。ロープを持ち、イシュの右の義足に結び始めた。後ろにロープを回し、手前で結びきる前に長い方に輪を作る。その輪に短い先の方を通し、輪を作ったロープを縫うように回し、輪を再びくぐる。キュッと結ぶと、うまく出来上がった。
「おう、帆を張るときの結び方じゃねぇか。リボンみたいに結ばれるかと思ってヒヤヒヤしたぜ。シルク、意外と基礎が分かってるな」
イシュはホッとした様子だった。彼の顔を見てシルク少年は言う。
「これ、もやい結びって呼びませんか?」
「そんな呼び名だったのか。アクバル、メン、知ってたか?」
イシュが水夫アクバルと操舵手メンの顔を見るが、二人とも首を横に振っていた。
(海賊だから海軍の正式な名前なんて知らないんだ、きっと)
シルク少年は「そうなんだ」と納得しつつも、それでも違和感を覚えていた。
「次は……」
イシュのテストは続く。横帆と縦帆、それらの畳帆と展帆の違いや、錨の降ろし方など、シルク少年が今まで何度も見てきたことを問題にされるものだから、シルクは自分答えが本当に合っているのか心配になっていた。
「じゃあ、最後だ。舵についての問題だが……メン、お前が見ててやってくれよ」
そう言うとイシュは舵輪を右へ何度か回した。チャルチウィトリクエ号は同じように右へ傾き航路からずれたようだ。頭上から掌帆長イクと海尉チクチャンの怒号が聞こえるのだが、イシュはお構いなしだ。
「シルク、お前が元の航路に戻すんだ」
シルク少年に舵輪を預け、イシュは船首まで走っていった。片足の膝より下が木の義足である事実を感じさせない突風のような走り方は、何度見ても驚く。
「俺たちが見といてやるから、やってみなよ」
操舵手メンと水夫アクバルは手すりに寄りかかり、シルク少年の様子を見守る体勢に入った。
「でも僕、舵は任されたことないんです。それどころか、舵輪に触るのを禁じられていたので……」
子供に舵を任せる海軍がどこにあるというのだろうか!シルク少年はそう言いたかった。しかし、二人は手を貸す様子すら見せなかった。それならば、仕方ない。
シルク少年は恐る恐る舵輪を左に回す。
(イシュが面舵に切ったのだから、取舵に切ればいい。でも、角度が分からないな……)
ゆっくりと舵輪を回していると、船体に何かが鈍い音を立ててぶつかった。衝撃でシルク少年は舵輪に弾き飛ばされ、尻餅をついた。誰も握らない舵輪は突風に煽られグルグルと回る。船体にぶつかる何かと風の影響でチャルチウィトリクエ号は大きく揺れた。
「イク、何で風が吹くことを知らせなかった!」
「うるさいな、俺だって分からないことぐらいあるさ」
操舵手のメンはイクに文句を言いながらも舵輪を握り、時々やってくる突風と揺れに耐えるよう力をこめていた。
シルク少年はメンに操舵を任せ、左舷から襲ってくる揺れの正体を確かめに甲板を走った。シルクが海面に目をやると、尻尾が跳ねた。
「鯨だ!でも、思っていたより小さい!」
子供だろうか。群れからはぐれたらしく、周りに大人の鯨の姿が見えない。インテガの海に、ただひとりぼっちの子供。シルク少年は、小さな鯨に自分の姿を重ねた。
「シルク、そこ退きな!アクバルが来るぞ」
海尉チクチャンは見張り台に立ち、シルク少年に声をかけた。アクバルが来るからなんだと言うのだ。チクチャンを見上げながらそう思っていると、獣のように素早く海面に向けて飛びこむ上半身裸の男の姿が視界の隅に一瞬見えた。慌てて鯨の様子を見ると、風が強く吹き、目を開けていられなくなった。
「おーいシルク、すぐそこのロープを降ろしてくれ」
風が強い中、ロープを留め具であるビレイピンに繋ぎ、アクバルが飛び降りたであろう場所へ向けて投げた。しばらくその場で風に耐え続けていたため動けずにいたが、そのうち風が止んできた。
「よっ、と。シルク、ロープありがとうな」
顔を上げると、アクバルの小麦の肌とキラキラ輝く緑の瞳が飛び込んできた。
「こいつはお土産だ。後でムルクとエツナブに調理してもらおうぜ!」
シルク少年の足元に置かれたのは、巨大なイカだった。少年と背を比べたらイカの足、ゲソの部分が一メートル以上差がつくだろう。胴体には銛で貫かれたような跡が残っている。アクバルは何も持っていなかったはずなのだが……。
「あの鯨はいったいどうしたの……?」
不安そうに訊ねるシルク少年の頭をつついて、彼は言った。「あいつはこのイカに絡まれて暴れてただけだ。すぐ群れに戻れるだろうよ」と。
再び海面に目をやると、水平線の彼方に鯨の尾ひれがいくつも見えた。その群れへ向かう小さな尾ひれに胸を撫でおろす。鯨を救った本人は、そそくさと船内へ帰ろうとしていた。
「あっ!アクバルさん、イカを置いて船室に戻らないでください!」
イカ独特のぐにゃぐにゃした動きに顔をしかめ、その場から動けないシルク少年を見て、甲板にいた皆が笑った。
シルク少年が見たアクバルの海の男の背中には、海に似合わぬ蛇と猛獣の刺青が入っていた。
0
あなたにおすすめの小説
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
カリンカの子メルヴェ
田原更
児童書・童話
地下に掘り進めた穴の中で、黒い油という可燃性の液体を採掘して生きる、カリンカという民がいた。
かつて迫害により追われたカリンカたちは、地下都市「ユヴァーシ」を作り上げ、豊かに暮らしていた。
彼らは合言葉を用いていた。それは……「ともに生き、ともに生かす」
十三歳の少女メルヴェは、不在の父や病弱な母に代わって、一家の父親役を務めていた。仕事に従事し、弟妹のまとめ役となり、時には厳しく叱ることもあった。そのせいで妹たちとの間に亀裂が走ったことに、メルヴェは気づいていなかった。
幼なじみのタリクはメルヴェを気遣い、きらきら輝く白い石をメルヴェに贈った。メルヴェは幼い頃のように喜んだ。タリクは次はもっと大きな石を掘り当てると約束した。
年に一度の祭にあわせ、父が帰郷した。祭当日、男だけが踊る舞台に妹の一人が上がった。メルヴェは妹を叱った。しかし、メルヴェも、最近みせた傲慢な態度を父から叱られてしまう。
そんな折に地下都市ユヴァーシで起きた事件により、メルヴェは生まれてはじめて外の世界に飛び出していく……。
※本作はトルコのカッパドキアにある地下都市から着想を得ました。
少年騎士
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞参加作」ポーウィス王国という辺境の小国には、12歳になるとダンジョンか魔境で一定の強さになるまで自分を鍛えなければいけないと言う全国民に対する法律があった。周囲の小国群の中で生き残るため、小国を狙う大国から自国を守るために作られた法律、義務だった。領地持ち騎士家の嫡男ハリー・グリフィスも、その義務に従い1人王都にあるダンジョンに向かって村をでた。だが、両親祖父母の計らいで平民の幼馴染2人も一緒に12歳の義務に同行する事になった。将来救国の英雄となるハリーの物語が始まった。
おっとりドンの童歌
花田 一劫
児童書・童話
いつもおっとりしているドン(道明寺僚) が、通学途中で暴走車に引かれてしまった。
意識を失い気が付くと、この世では見たことのない奇妙な部屋の中。
「どこ。どこ。ここはどこ?」と自問していたら、こっちに雀が近づいて来た。
なんと、その雀は歌をうたい狂ったように踊って(跳ねて)いた。
「チュン。チュン。はあ~。らっせーら。らっせいら。らせらせ、らせーら。」と。
その雀が言うことには、ドンが死んだことを(津軽弁や古いギャグを交えて)伝えに来た者だという。
道明寺が下の世界を覗くと、テレビのドラマで観た昔話の風景のようだった。
その中には、自分と瓜二つのドン助や同級生の瓜二つのハナちゃん、ヤーミ、イート、ヨウカイ、カトッぺがいた。
みんながいる村では、ヌエという妖怪がいた。
ヌエとは、顔は鬼、身体は熊、虎の手や足をもち、何とシッポの先に大蛇の頭がついてあり、人を食べる恐ろしい妖怪のことだった。
ある時、ハナちゃんがヌエに攫われて、ドン助とヤーミがヌエを退治に行くことになるが、天界からドラマを観るように楽しんで鑑賞していた道明寺だったが、道明寺の体は消え、意識はドン助の体と同化していった。
ドン助とヤーミは、ハナちゃんを救出できたのか?恐ろしいヌエは退治できたのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる