影伸びる団地にて。

うめつきおちゃ

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第十九話 名前

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 『やめて、くるしい、いたいよ。なんでこんなことするの、だれのせいなの?わたしがわるいの?やめて、たすけて、だれか、だれか――』

「っ、おええええっ、……ぷっがっ、……はぁ……」


 《少女》の声が、脳内で反響する。
 足の先から頭のてっぺんまで、全身に悪寒が走り、体内に内蔵していた全てをぶちまけた。

「かはっ、……ぐう、……ふっ、……」
 喉が、焼けるように熱い。

 佐々木とその仲間たちは、全員が地面に座り込み、苦しんでいる。
 その姿は、俺よりも何倍も苦しそうに見えた。

 これほどの叫びが、脳内に流れ込んだのは初めてだが、俺は何度も《少女》の声を聞いている。たぶん、それがこの差を生んだのだろう。
  

「……ふぅ……ふう……、くそっ、」
 吐瀉物にまみれた佐々木が、膝に手をつきながら必死に立ちあがろうとしている。
 不良少年だった者としての矜持なのだろうか。
 

 『なぐらないでください。なぐらないでください。なぐらないでください。なぐらないでください』

 思考に『言葉』が侵入してきて、脳みそが拒否反応を起こす。眩暈を誘発し、立っているだけで辛い。
 

「……おい、はあ、……カス太郎。あの化、け物を……とめろ。……そひたら、借金……帳消しに……」

 生まれたての子鹿のようにプルプルと脚を振るわせながら、佐々木が偉そうにそう言った。
 タホとかいう佐々木の部下と、名前の分からない若そうな男は、地面に倒れたままピクピクと痙攣している。

 彼らはもう、その体のほとんどが《影》に飲まれている。残された時間は少なそうだ。

 『いやだ、いたい。やめて、ごめんなさい。ぶたないで。あつい。いたい』

 膨張した『影』が、俺たちの身体も包んでいく。
 暖かくも、冷たくもない不思議な感覚。
 匂いもしない。
 ただ、不思議と包まれていく感触はある。

「……だから、嫌だったんだ。……こんな、こんな危険な仕事……」
「タホさんっ、アンタが……うっ。……アンタが稼げるって――」
 佐々木の部下2人が、完全に《影》に飲み込まれた。
 

「クソがっ!!……マジで止めろ!止めろよ!」
 佐々木は俺の指示だと思い込んでいるらしい。
 
「知らねぇよ……、俺だって、どうしてこうなったかなんて知らねーんだから」
 ――お前の方が知ってるだろ?

 暗にそう言いつつ、俺は無理やり身体を起こして、《影》に飲み込まれないように努める。
「……マチダっ!?」
「マチダさん!逃げられそうですか?!」

 少し離れている場所にいた、優奈とミリカは《影》に飲まれていないらしい。

 しかし、いつまでも平気なわけではないだろう。

「優奈、ミリカ……『声』の、……影響がないなら……、すぐに逃げろっ!」
 俺を置いていけ。なんてアニメじみたセリフを、思わず言ってしまいそうになる。

「でも、……でもっ、」
「……優奈先輩、私たちに出来ることなんて――」
 
「――逃げんなブスどもっ!!テメーらだけ帰って、俺たちが戻らなかったら、俺の仲間がどう思うか考えてみろっ!」

 佐々木が《影》から必死に顔を出し、怒鳴りつける。
「……サイテー」
「っ、……どうしましょう……」

 ……そうだ。
 組織だった奴らの厄介なところは――そこだ。

 佐々木という男は、実際のところ、1人では何の脅威でもない。
 口うるさく、偉そうで、傲慢なだけの存在。
 だが、昔から仲間を作り、味方を増やすことに長けている。
 誰かを無理やり《敵》として作り上げ、矢印を操る小狡い男。
 
 それが厄介なのだ。

 そして、こいつはそれを自覚している。

「佐々木、……お前の目的は何だ?」
 もがけども、進まない。
 地面を蹴ろうにも、水の中みたいにうまく動けない《影》の中、俺は佐々木に訊ねる。

 そんな悠長な事している場合じゃないのは分かってる。
 だが、――それしかする事がない。

 

 《顔のない少女》は、自ら湧き出る《影》に飲み込まれ、影も形も見えない。声も、もう聞こえない。

「なんでテメーにそんなこと――」
「――じゃあ、一緒に飲まれるしかないな。……どうなるんだろうな?俺たち」

 《怪異》の一部になる?
 自我を失って、《猿の怪異》となる?
 《鬼》に喰われる?《鳥居》に吊るされる?
 
 ああ、全く。
 ――考えるだけで気が遠くなりそうだ。

 というより、実際に目の前が暗くなってきた。

「ちくしょうっ!ふざけんなっ!大人しく成仏しろよクソガキっ!!死んでるくせに迷惑かけ――」

 最期まで憎まれ口を叩きながら、佐々木が《影》に飲み込まれた。
 《影》はもう、俺の顎先まで登ってきてる。

 俺も、もう終わりだ。

「はあ……。なぁ……お前さ、名前教えてくれなかったよな?俺、考えたんだけど、もしかして『名付けてもらえなかった』んじゃねーのか?」

「なに……言ってんの?いいから早くこっち来てよ!泳いだりとか出来ないの?!」
 優奈が吠えてる。
 相変わらず短気なやつだ。

「……優奈先輩、私たちだけでも逃げましょう?……マチダさん、本当にごめんなさい。そして、助けてくれてありがとうございます」
 ミリカの声は震えている。
 アイドルとしてのキャラより、今の方がもっと多くの人に好かれそうだな。

「ぶっ……おえっ……なんだこれ……」
 《影》が口に入る。
 悪臭はもとより、味も酷い。
 この世の全ての悪意を混ぜたような味だ。

「……あー、くそ、死ぬのかな。俺がここで、訳もわからず死ぬのか。……笑えるな」

 ……そうだ。
 どうせ死ぬなら――。


「なぁ……、《顔のない少女》。お前に俺の名前をやるよ。つっても適当に考えたら偽名だけど。……マチダだと名字だから変だよな。……《マチ》ってのはどうだ?」

 『……マチ?』
 どうして、自分でもこんなことをしたのかはわからない。
 ただ――可哀想だと思った。

 名前もなければ、顔もない。
 誰にも知られていない、少女を。

「……ああ、呼ぶ時に『お前』とか『ねぇ』だけだとつまんないだろ?誰のこと言ってるか分かりにくいしな。だから――」

 《影》が、止まった?
 いや、少しづつ減っている。

『…………、……マチ』

「マチってのが、嫌なら変えてもいい――」
『やだっ!!!』
 耳鳴りのような音ともに、脳内に声が反響する。
 思わず耳を塞いだが、なんの意味もない。
 
「……それは、気に入ったってことでいいのか?……わかった、それでいこう。《マチ》、頼む、この《影》を消してくれないか?」
 『……影?』

 無自覚?それとも影って言葉を理解していない?
 
「ああ、……えっと、この黒いやつだ。マチから出てる――」
『……でも、これがないと《絵の人》が、またイヤなことするよ?』
「……えのひと?」

 肩ぐらいまで《影》は下がった。
 でも、まだまともに動けない。
 沈んでいるのか浮いているのかすら、わからない。

『手に、絵の人は、ママをぶつ人……』
 ああ、……佐々木たちのことか。
「なるほど、ママをぶつ、悪い人が佐々木と被ったのか?……だったら平気だ。俺が2度とそんなことさせない」
 『……どうやって?』
 
 勘弁してくれ。
 そんなにすぐ妙案なんて浮かばない。
 もしそんなものがあったら、俺は、俺の生活は苦しくなかったんだから――。

 《影》は、俺の肩ほどまで下がり、佐々木の頭が少し出てきた。

 『……マチダ』
 《マチ》が、初めて俺の名を呼んだ。
 呼ばれた瞬間、場を満たす《影》の中で、か細い光が煌めいたように見えた。

 それは――なにかが繋がったような。

 不気味な予感。

 

 

 

 
 

 
 
 
 
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