マグダレナの姉妹達

田中 乃那加

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11.寝起き見て死にかける

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 ……人間というものは犬と大して変わらないんじゃあないか。さながら美味しそうな餌を前に『待て』状態の譲治は、そんな事をぼんやり考えていた。
 陰気な曇り空を六道家の窓から眺めながら、である。

(景観だけはご褒美なんだよなぁ)

 作りの良さそうなベッドに横たわるのは、彼の想い人である。
 
「……お~い、起きろ」

 しかしその声掛けも形ばかり。
 彼の目は夜着の少しはだけた胸元や、露出した長く白い首。あどけなく眠る表情のみ。

(まさに眠り姫ってか)

 長い睫毛も愛おしい、と彼は思った。
 起きている時には皮肉やブラックジョーク、文句や毒舌くらいしか吐かない唇も、今は小さな呼吸を繰り返すだけの静かなものである。
 そっ、と額の髪を撫でれば『ん』とわずかな呻き声を上げて身動ぎする姿。

「……」

(あぁ、ヤバい。俺のがヤバい)

 彼とて男である。想い人のしどけない寝姿を目前に晒していれば、当然心も動くしアレも動く。

(まだあのババアは来てねぇよな)

 六道家の主人、六兎の父親である六道 長六ろくどう おさむは今朝はもういない。
 早朝出勤で不規則な仕事だと六兎から聞いているが、譲治は未だにその仕事がなんなのか知らないでいる。
 さらに今朝は特に早いのだろう。
 こんな時間だがある報せを聞いて慌てて六道家を訪れた彼は、この家の主人と玄関先でばったり鉢合わせたのだ。

『おはよう、譲治君。息子をいつもありがとう』

 長六はそう言って微笑む。そして、もう行かなきゃいけないから……と非礼を詫びつつ出掛けて行った。

『……そうだ。今度またゆっくり話をしよう』

 そう言い残して。

(あの親父さん、イマイチ表情読めねぇからなぁ)

 木漏れ日のような穏やで優しげな笑みを浮かべる男である。
 しかしその実、言葉数は多くなく何を考えているのか真意を悟らせない男でもあった。

(この家庭の事情っつーのも、本当によく分かんねぇ)

 彼は幼馴染として長い時間を過ごしてきた。
 しかし8年前からこの家族はどこか変わってしまった。

(そろそろ、六実むつみさんの命日かな)

 8年前、六道家の長女である六道 六実ろくどう むつみが亡くなった日からである。

(まぁ。今回の事には関係ねぇだろうけど)

 譲治は密かに疑っていた。
 六兎が華村 華に対し、やけに親切で一抹の優しさを感じるのは。

(あいつ、シスコン拗らせてんじゃねぇだろうな)

 記憶の中の六実はどんな女の子であったか。
 幼かった彼の記憶には既に古ぼけた写真より曖昧である。

(そう言えば昨日の偽名も……)

 何故か胸に小さな痛みを感じた彼は、その意味すら測りかねてて小さく首を傾げた。

「ん……ぅ……」
「おっと」

 無意識に寄りかかったマットレスが軋みを上げた。
 譲治は慌てて退こうと身体をずらす。

「……じょ……ぅ、じ」
「!?」

 それが、寝言であると確認すると同時に、彼の胸が大きく掻き乱された。

(これ、まさか俺の夢見てたりする……よな)

 相変わらず静かな寝息を立てる美しい幼馴染に、彼はゴクリと喉を鳴らす。

(ちょ、と、だけ。うん、ちょっとだけ)

 吸い寄せられるように、その薄い唇に彼自身のそれを近付けていく。

「……」
「……」

 (ああ畜生、すげぇ好きだ)

 ……愛しいという感情と腹立たしさと。
 こんな事をしている場合ではない、してはいけないといくら譲治でも理解はしていたのだ。

(ちょっと触れる、だけ)
 
 それでこの恋心の火が消えるわけでも、胸の苦しさが癒えるわけでもなかったが。

「おはようございます、十都さん」
「っ!? ば、ババア……!」

(カヨコさん!?)

「本音と建前がで御座います。この悪い虫め」
「え、あっ、いやぁ……ははは」

 部屋のドアを顔の半分ほど開けてそこから殺意めいた視線を送るのは、この家の家政婦カヨコである。
 
 眉間に刻まれたシワはその表情の険しさを表しているのを察し、譲治は弾かれるようにベッドから部屋の隅に飛び退いた。

「十都さん」
「あ、あ、あのっ、これはですねぇっ……」
「言い訳なら聞きますよ。冥土の土産に」
「ちょっ、怖っ! 殺す気満々じゃねぇかよ。別にチューなんてしてませんからね!?」
「ほぉ、じゃあ何を?」

 じろ、と細められた分鋭くなった視線を避けるようにそっぽを向いた譲治が一言。

「……じ、人工呼吸?」

 途端、カヨコが大きな舌打ちをして両手でに構えたそれ。

「この不埒なヤツめぇぇ、成敗ッ!」
「ゥワッ! な、なにす……ひぇぇッ!!」

 立派な木刀である。
 こう見えて、彼女は剣道や空手など武道は一通り段持ちというであった。

「ふぁ……なにしてんだ。二人とも」

 家をひっくり返すような騒がしさに、ようやく目覚めた六兎は目を擦りながら呟いた。
 木刀をもって追いかける気迫みなぎる年配女性と、逃げ回る若者の派手な抗争がそこにあった―――。


 

 
 



 
 
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