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15.消えた言葉
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―――床も壁も白い部屋。数ヶ月前に改築されたその病室は、まるで聖域のようだと彼女は思った。
「……」
まるで踏みしめた靴底まで映り込むようにピカピカに磨き上げられた床も、きっとこの先月日が経てばあっという間にくすんで薄汚れてしまうのだ。
そんな事を考えながら、華村 華は病室のベッドに眠る姉を眺める。
(全てが変わってしまう。美しいモノが色褪せて、清らかなモノが汚れてしまって……)
彼女の脳裏には、あの頃の姉の姿が誇らしい過去として刻まれていた。
(聖女女学校中等部の制服。上品な黒のジャンバースカートに清楚な水色のリボン。上に着たブレザー……英国の学生服やシスターのようだと憧れたものだったけれど)
今は少し変わったのかしら、とこの前道を歩いていた学生達を見て彼女は思う。
(貴女には失望したわ……)
10年も前の事を思い出す。
深い溜息と共に、目の前の白い頬に触れた。
まるで色を失った眠り姫のように横たわるその線の細い身体は、微かな呼吸でようやく生を証明している脆く危うい状態である。
(このまま死んでしまったら)
誘惑に彼女の長い腕が伸びた。
細くて掴むだけで手折れてしまいそうな首。そこに指を這わせて、頸動脈をなぞる。
(貴女も聖女に戻れるかしら)
「マグダラのマリア、のような女に」
華は枕元に出した一枚の写真に目をやった。
―――寄り添うように佇んだ制服姿の乙女達。
大きな目のはにかんだ微笑みのおさげ髪の少女と、切れ長の目に愛情を滲ませたボブヘアの背の高い少女の二人。
重ねられた二組の手は白魚のような、美しい手である。
それがどんな感情を持って撮影されたものか。それを知るのは、ここに映る少女達のみが知るものだろう。
「お姉ちゃん……」
彼女は小さく呟くと、その写真をパタンと伏せた。
そして、身動ぎもせずに機械に繋がれ眠り続けるその姉にそっと顔を近付ける。
「悔い改めて、福音を信じよ」
その言葉は、その慎ましやかな唇同士が触れ合うと同時に白い病室に溶けて消えた―――。
■□▪▫■□▫▪■□▪
子門 響子は考える。
(少女達を少女たらしめていたのはその未成熟さか。それとも無垢か)
礼拝堂は何気ない足音すら、うっかりすると大きく反響してしまう。
バタバタと音を立てて歩くのはとてもはしたない事だと、彼女は生徒たちを口煩く叱ってきた。
(しかし無垢だからこそ、立てる足音もあるのだわ)
それを窘め矯正することで、少女たちの持つ無邪気さという光を奪っていくは自分達大人なのではないか……そんな疑問に彼女は度々囚われる。
(神様とはどんなお顔をしているのかしら)
少女達はが清らかな光を宿した瞳でそう問いかけた日を、子門は忘れないだろう。
ここには聖人や神の子イエス・キリストの写し絵ならある。
言葉を読みたければ、その分厚い聖書を開けば良い。
……しかし、肝心の神の姿は誰も描こうとしないのだ。
キリスト教は偶像崇拝を禁じられた宗教。それでも人々は縋るモノを求めて十字架や神にまつわる絵画や像を残してきた。
(神様のお顔、ね……)
彼女自身、クリスチャンである。
しかしそんな人生でも迷いは生じるらしい。
(あんたならどうするのかしらね)
どこか官能的な乳白色の肌の女に、子門は胸うちでそっと問いかける。
もちろん返してくれるなんて思っていない。
(聖女というには少しばかり、か)
エロ過ぎでしょ……なんて小生意気な口を聞いた女子生徒の大きな瞳を思い出す。
(若さに嫉妬する気なんてさらさらないけど)
「あー。煙草吸いたい」
そんならしくない呟きと深い溜息が、礼拝堂の荘厳な空気に溶けて霧散した。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫
兎美 舞子はほくそ笑む。
「またろくなこと考えてないな」
「ん~?」
何を考えているのか分からない子、と幼い頃から言われている幼馴染の桃香の頭をそっと撫でウィンクする。
「桃ちゃんにはアタシの事、全部お見通しなんだねぇ」
「舞子の事なんて、何一つ分からない。今その笑顔の裏側だって……何を考えている」
焦燥感に駆られたような表情を浮かべた桃香を、彼女は愛しく思う。
無表情だと、愛想の欠けらも無い女だと彼女を称した人々を嘲笑してやりたい気分だった。
(こんなに表情豊かなのにねぇ)
狂犬と恐れられていた少女。突然、同級生を切りつけようと刃物を振り上げたのはほんの数年前。彼女が小学生の頃である。
「ね。桃ちゃん」
「なんだ」
案の定、昨日無断欠席した分怒られて反省文と言う名のペナルティをたんまり出された。
書く気が起きない、と愚痴る舞子を桃香がわざわざ彼女の部屋まてま押しかけて手伝ってやっているのだ。
「アタシのこと、好き?」
「……」
「えっ!? なにこの間」
おどける舞子に、彼女の眉間に深々と溝が刻まれる。
「どうした舞子」
「……桃ちゃん」
「舞子、いい加減に……ッ」
焦れたように声を荒らげた桃香の口を、その華奢な人差し指で塞いだ。
そしてペロリ、舌で己の唇を舐める。
「アタシが人殺しても、一緒にいてくれる?」
「……」
言葉なく、しかしなんの躊躇もなく桃香は頷いた。
その純真で清らかな瞳はさながら主人を待つ忠犬のようで。
「愛してるよ、桃ちゃん」
「む……」
人差し指の代わりに、己の唇でそっと塞く。
口付けと共に祈る様に紡がれた言葉は二人の唇に食まれて消えた。
「……」
まるで踏みしめた靴底まで映り込むようにピカピカに磨き上げられた床も、きっとこの先月日が経てばあっという間にくすんで薄汚れてしまうのだ。
そんな事を考えながら、華村 華は病室のベッドに眠る姉を眺める。
(全てが変わってしまう。美しいモノが色褪せて、清らかなモノが汚れてしまって……)
彼女の脳裏には、あの頃の姉の姿が誇らしい過去として刻まれていた。
(聖女女学校中等部の制服。上品な黒のジャンバースカートに清楚な水色のリボン。上に着たブレザー……英国の学生服やシスターのようだと憧れたものだったけれど)
今は少し変わったのかしら、とこの前道を歩いていた学生達を見て彼女は思う。
(貴女には失望したわ……)
10年も前の事を思い出す。
深い溜息と共に、目の前の白い頬に触れた。
まるで色を失った眠り姫のように横たわるその線の細い身体は、微かな呼吸でようやく生を証明している脆く危うい状態である。
(このまま死んでしまったら)
誘惑に彼女の長い腕が伸びた。
細くて掴むだけで手折れてしまいそうな首。そこに指を這わせて、頸動脈をなぞる。
(貴女も聖女に戻れるかしら)
「マグダラのマリア、のような女に」
華は枕元に出した一枚の写真に目をやった。
―――寄り添うように佇んだ制服姿の乙女達。
大きな目のはにかんだ微笑みのおさげ髪の少女と、切れ長の目に愛情を滲ませたボブヘアの背の高い少女の二人。
重ねられた二組の手は白魚のような、美しい手である。
それがどんな感情を持って撮影されたものか。それを知るのは、ここに映る少女達のみが知るものだろう。
「お姉ちゃん……」
彼女は小さく呟くと、その写真をパタンと伏せた。
そして、身動ぎもせずに機械に繋がれ眠り続けるその姉にそっと顔を近付ける。
「悔い改めて、福音を信じよ」
その言葉は、その慎ましやかな唇同士が触れ合うと同時に白い病室に溶けて消えた―――。
■□▪▫■□▫▪■□▪
子門 響子は考える。
(少女達を少女たらしめていたのはその未成熟さか。それとも無垢か)
礼拝堂は何気ない足音すら、うっかりすると大きく反響してしまう。
バタバタと音を立てて歩くのはとてもはしたない事だと、彼女は生徒たちを口煩く叱ってきた。
(しかし無垢だからこそ、立てる足音もあるのだわ)
それを窘め矯正することで、少女たちの持つ無邪気さという光を奪っていくは自分達大人なのではないか……そんな疑問に彼女は度々囚われる。
(神様とはどんなお顔をしているのかしら)
少女達はが清らかな光を宿した瞳でそう問いかけた日を、子門は忘れないだろう。
ここには聖人や神の子イエス・キリストの写し絵ならある。
言葉を読みたければ、その分厚い聖書を開けば良い。
……しかし、肝心の神の姿は誰も描こうとしないのだ。
キリスト教は偶像崇拝を禁じられた宗教。それでも人々は縋るモノを求めて十字架や神にまつわる絵画や像を残してきた。
(神様のお顔、ね……)
彼女自身、クリスチャンである。
しかしそんな人生でも迷いは生じるらしい。
(あんたならどうするのかしらね)
どこか官能的な乳白色の肌の女に、子門は胸うちでそっと問いかける。
もちろん返してくれるなんて思っていない。
(聖女というには少しばかり、か)
エロ過ぎでしょ……なんて小生意気な口を聞いた女子生徒の大きな瞳を思い出す。
(若さに嫉妬する気なんてさらさらないけど)
「あー。煙草吸いたい」
そんならしくない呟きと深い溜息が、礼拝堂の荘厳な空気に溶けて霧散した。
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兎美 舞子はほくそ笑む。
「またろくなこと考えてないな」
「ん~?」
何を考えているのか分からない子、と幼い頃から言われている幼馴染の桃香の頭をそっと撫でウィンクする。
「桃ちゃんにはアタシの事、全部お見通しなんだねぇ」
「舞子の事なんて、何一つ分からない。今その笑顔の裏側だって……何を考えている」
焦燥感に駆られたような表情を浮かべた桃香を、彼女は愛しく思う。
無表情だと、愛想の欠けらも無い女だと彼女を称した人々を嘲笑してやりたい気分だった。
(こんなに表情豊かなのにねぇ)
狂犬と恐れられていた少女。突然、同級生を切りつけようと刃物を振り上げたのはほんの数年前。彼女が小学生の頃である。
「ね。桃ちゃん」
「なんだ」
案の定、昨日無断欠席した分怒られて反省文と言う名のペナルティをたんまり出された。
書く気が起きない、と愚痴る舞子を桃香がわざわざ彼女の部屋まてま押しかけて手伝ってやっているのだ。
「アタシのこと、好き?」
「……」
「えっ!? なにこの間」
おどける舞子に、彼女の眉間に深々と溝が刻まれる。
「どうした舞子」
「……桃ちゃん」
「舞子、いい加減に……ッ」
焦れたように声を荒らげた桃香の口を、その華奢な人差し指で塞いだ。
そしてペロリ、舌で己の唇を舐める。
「アタシが人殺しても、一緒にいてくれる?」
「……」
言葉なく、しかしなんの躊躇もなく桃香は頷いた。
その純真で清らかな瞳はさながら主人を待つ忠犬のようで。
「愛してるよ、桃ちゃん」
「む……」
人差し指の代わりに、己の唇でそっと塞く。
口付けと共に祈る様に紡がれた言葉は二人の唇に食まれて消えた。
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