嫌われオメガが婚約破棄を申し出ました

田中 乃那加

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針のむしろとはまさにこの事

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 特に処分があるわけでもない。だからまた出社しなければ、仕事をしなければならない。

 いっそクビにでもなってたら良かったのに、と皇大郎は思う。

 普通に雇用されている身ならとっくに辞めてるだろう。
 それくらいの扱いをされている。

「おはようございます」

 通りすがりに目が合えば挨拶をするが、すぐに逸らされ返してもらえない。
 そして背中からでも分かる周りの目。視線は痛いのだ。心がグサグサ突き刺されるように。

『よく会社に来られるよね』

 囁き合う、聞こえよがしの言葉
 確かに彼自身もそう思う。
 でも無断欠勤するのも辞めると駄々をこねるのも己のプライドが許さなかった。

 会社のロビーで襲われただけにとどまらず、社長に掴みかかって取り押さえられるなんて。
 
 ――いい恥さらしだな。

 もう婚約解消でもいい。向こうから言い出せばきっと家族も引き下がるだろう。
 
 しかしそう都合よくいかないらしい。
 これが政略結婚の不自由さだ。

 結局その日は帰るように部長に指示されたものの、次の日である今朝は出社している。

 処分も特になく、ただ不穏な空気といつもにも増して奇異な視線に晒されるだけの状況であった。

「田荘先輩」
 
 彼女のデスク前に立つ。
 
「ん゙ー」

 低く呻くような声を出した田荘は机に突っ伏して動かない。
 二日酔いだろうか。ほのかに酒の匂いがした。
 
「おはようございます」
「……聞こえてるっつーの」

 ゆっくりと血走った目が覗く。
 やはり二日酔いらしい。顔色がすごく悪かった。

「大丈夫ですか」
「ンなように見える?」
「見えないですね」
「……」

 彼女は週に何度かこういう状態になる。
 普通なら社会人として有り得ない勤務態度だが、ここは窓際中の窓際部署。みんながダラダラのんびりと雑用をこなしているのだ。
 いわゆる社内ニート状態が何人もいる。

「資料室」

 突然、田荘がつぶやいた。
 これは仕事を押し付ける時の言い方で、おおよそ資料室の蛍光灯が切れたから替えてこいという事だろう。

 それをこの三ヶ月で理解出来るくらいには頑張ってきたと自負していた。
 しかしそれもここまでかもしれない。

「……行って来ます」

 逃げ出すのは性にあわないし祖母のこともあるが、皇大郎は少しずつ限界に近づいていた。

「ん」

 軽く頭を下げて仕事に行こうとした時。彼女が腕をにゅっとこちらに突き出してきたのだ。

「え?」
「サボんなよ」

 酒やけしたぶっきらぼうな言葉と共に差し出された物を思わず受け取ってしまった。

「これって」
「オメガのわりには根性あんじゃん」

 ぼそりと呟く彼女がくれたのは可愛いらしいイチゴ柄の包み紙の飴玉。
 
「先輩」
「はよ行けし」

 シッシッと手をはらう仕草をしながら再び顔を机にかくしてしまう。

「はい!」

 込み上げる感情を噛み締めながら、彼は頭を下げて駆け出す。

「ハイ、田荘さん。よくないね会社で寝るのはね」
「あー。課長の声、頭痛に響くんで黙ってください」
「ちょっと」
「うるさい、黙れ」
「えぇ……」

 戸惑う課長とあまりにも不遜過ぎる彼女の会話を背中にしつつ、皇大郎はそっと苦笑した。



 ここは言わば流刑地ような場所だと誰かが言う。
 実際、田荘もまたトラブルメーカーであちらこちらの部署をタライ回しにされて来た挙句だった。

 庶務三課はそういう部署である。

 彼女にいたっては役員の娘という縁故採用だったが、入社半年でセクハラ上司を平手打ちして移動となった。
 
 移動先でも度々人間関係のトラブルを起こし、しかし辞めさせる事も難しい事情があるためかここへ流れ着いたのだ。

 他にもゆく先々の既婚男性と関係を持ち不倫騒動を起こす女性社員や、反対になぜかいつも同僚や上司が痴情のもつれで刃傷沙汰やストーカー化するという俗に言う魔性のオトコの男性社員。

 やる気のある無能タイプで、入社してから各方面に損害を出し続ける者まで。

 他にもどの部署からも受け入れ拒否を食らい続けたやばい奴らばかりだった。

 ――ま、僕もその中の一人なんだけど。

 自虐的なことを考えながら廊下を歩く。

 やはり通り過ぎる社員たちにはヒソヒソそれて、うっかり目が合おうもんなら視線を慌てて逸らされる。

 腫れ物扱いを通り越してイジメに近いかもしれない。その証拠に、嘲笑まで聞こえてきた。

 ――くそっ。

 もちろん腹は立つがグッとこらえる。彼らにとって自分は恰好の娯楽の標的なのだ。こちらからアクションを起こせばまたネタを提供するだけに過ぎない。

 辛うじて俯くことなく、言われた雑用をこなそうと歩こうとするが。

「ちょっといいかしら」

 いきなり立ち塞がり声をかけられた。

「御笠 皇大郎、さんよね?」
「は、はぁ……えっと。秘書課の方々ですよね」

 数人の女性が剣呑な表情で瞬く間に彼を取り囲む。
 
 この会社で一番華やかな部署と言われている秘書課の面々であった。
 ここは容姿はもちろんのこと家柄も学歴もそれなりの女性たちばかりが配属されている。

 そんな優秀な秘書課の面々が、庶務三課の新米社員を取り囲む。
 なんとも穏やかじゃない状況。

「庶務三課になにか御用でしょうか。プリンターのインク切れとか?」

 これから行く資料室にもストックがあったはずだと頭を巡らせながら答えるも、女たちのうちの一人が首を振って口を開く。

「ちがうのよ。あたし達は貴方に用事があるの」

 それは見るからにこの中で一番立場が上であろう女性だった。
 きっとあとはその部下で取り巻きだろう。

「昼休みに会議室抑えておくから来てちょうだい」
「いや、僕なんかに秘書課がなんの用が……痛゙っ!?」

 詰め寄られるもので思わず後ずさると、後ろから強かに足を蹴られる。
 痛がる彼に、女たちがニヤニヤと嫌な笑いを浮かべた。

「あんまりこういう所で騒ぎ起こしたくないの。貴方と違ってね」

 昨日の当てこすりだ。そして淡々と詰めるように話しかけてくる女性社員はフェロモンでアルファだとすぐにわかった。

 男性のオメガもだが女性のアルファも極めて珍しい。
 そのせいか奇異の目や偏見に負けまいと男性アルファよりプライドが高く気が強い者が多いというのが俗説である。

「貴方にとってとても重要なことよ」

 ストレートの髪を肩上で揺らしながら艶然と言葉をつむぐ女の唇から視線を逃がす。
 
 これまた強いフェロモンだ。攻撃的で支配的。目の前の餌に舌なめずりする猛獣のような。そして自分はそれに震えて怯える草食動物になった気分になる。

「……要件だけ先に聞かせてくれませんか」
「調子に乗るんじゃないわよ」

 先程足を蹴りつけてきたであろう、背後に立っていた女のドスのきいた声が。

「男のオメガのクセに桐生きりゅう様に生意気言ったら許さないんだから」

 この桐生というのはこの女アルファの名前らしい。皇大郎も聞いたことがある苗字なので恐らくそれなりに名の知れた家の出身なのかもしれない。

「そうよ、身の程をわきまえなさい。このアバズレ!」
「っ、な、なんで」

 両脇を固める女たちには罵倒され小突かれた。
 完全にヤンキーに絡まれる人みたいだが周りは見て見ぬフリだ。
 そりゃそうだろう。ゴタゴタに巻き込まれたくないのとシカトしている素振りをしつつも面白半分で見られている。

「ふふ、およしなさいな」

 桐生は小さく肩をすくめた。

「第三会議室ですからね。お待ちしておりますわ」

 そして優雅に一礼してくるりと背を向ける。

「逃げるんじゃないわよ、オカマ野郎」

 取り巻きたちも辛辣な悪態を吐きながら立ち去っていった。

「……」

 取り残された皇大郎は唖然のして立ち尽くした。
 アルファのフェロモンで足が震え、今にも崩れ落ちてしまいそうだがなんとか踏みとどまる。

「っ、なんなんだ」

 あんなに威圧されるなんて。男が女に、という戸惑いと周りの目への羞恥でみるみるうちに顔が熱くなった。

 しかし努めて表情を変えないようになんともないフリで再び歩き出す。

 ――動揺するな、動揺、しちゃダメだ。

 知られちゃいけない。他人にも、自分にも。
 あの敵意しか感じないフェロモンに一瞬だけ反応してしまった自分の身体に。
 
「ぅ……」

 ずくりと奥が疼く。それとなく腹を押さえるといっそう自覚してしまって奥歯を噛み締めた。
 
 


 

 

 

 
 
 
 
 
 

 


 
 


 

 

 
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