嫌われオメガが婚約破棄を申し出ました

田中 乃那加

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オメガ逃亡中

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 すべてを捨てた。
 家も仕事も家族も。そしてスマホも駅のゴミ箱に捨てた。

 わざわざここまでした理由。
 簡単な手荷物を持って家を出た時は特に違和感を持たなかったのだが。

「……」

 なんだかおかしい。
 いつもと反対の電車に乗った瞬間、着信があったのだ。
 さすがに車内で出る訳にはいかないのですぐ隣の駅に降りて出てみる。
 相手は弟だった。

『兄さんのしょぼくれた声が聞きたくなってね』

 相変わらず嫌味ったらしい事を言うやつだと辟易する。
 用がないなら切るぞとあしらうと。

『式のことだけど』

 ときた。
 式というのはもしかしなくても結婚式のことだろう。
 なぜ弟から話をふられるのかが謎である。というか。

「お前、お祖母様のこと知ってて僕を騙していたのか」

 こちらの剣呑な様子は声でも分かるだろうに、彼は声を上げて笑った。
 しかし一転、忌々しげな様子で。

『まさかなんにも知らないのかい? あのババア、逃げやがった』

 なんて口汚い弟だ。とても良家の子息とは思えない。しかしそんな心境になっても仕方がない状況であった。

『会社の株、その他もろもろ金目のモノをかなり持っていきやがって。とんでもなく卑しい守銭奴が』

 どちらが卑しいのか。
 彼女の、夫をもしのぐ経営手腕にぶら下がった状態でここまで大きくなった会社は一つや二つではない。
 
 だいたい一線を退いてからも従業員のみならず役員たちからも信頼され慕われた敏腕女社長に、彼らがしてきた仕打ちはなんだ。

「お祖父様も亡くなっているのだから、家を出るのはお祖母様の自由じゃないか」
『それにしたって不義理だろう』

 不義理? どちらが義理を欠いているのか。
 弟の言い分にはもう呆れ果てていさめる気にもならない。とはいっても彼には聞き耳もないだろうが。

『とにかく。さっさと式をあげろと先方も言っているんだ』

 きっと貴島家にも思惑があるのだろう。しかしどこまでいっても軽んじられているのは、自分がオメガだからだと皇大郎は思った。

 ――婚約破棄する、って言ったらこいつはどんな顔をするだろう。

 電話口だから見えないとして。それでも驚いて叫ぶかもしれない。怒鳴りつけ、今すぐ両親を引き連れて説得しにいくかも。

 そこまで考えてから。

「それこそ相手に言えよ。僕の方には拒否権も決定権もない」

 とだけ言った。
 
 出来るだけ悟られてはいけないと判断したのだ。
 少なくとも今は。

「僕の方には婚約者と連絡すらつかないんだ。あっちも忙しいだろうし、いわゆる政略結婚なんだから頻繁に連絡をやり取りする必要もないんだけどね」
『…………あ゙?』

 そこで予想外なことに、弟の声が低くなった。

『婚約者と連絡つかないのか』
「まあね」
『メッセージも?』
「ほとんど無視されてる。毎日、決まったスタンプが一つ付くくらいかな。なかなか嫌われたものだよ」
『……』

 今度は黙りこくって数秒。

「聞いてた話と違うな。ちょっとまたかけ直すから」

 そうしてこちらの返事も聞かず、ブチッと切られた。

「なんなんだ、あいつ」

 子供の頃から落ち着きのない奴ではあったが、ここまで慌てるなんて何かあったのだろうか。

「ま、いっか」

 むしろ好機かもしれない。
 こちらに目が向く前に出来るだけ姿をくらましてしまわなければ。

 皇大郎は小さくうなずくと、近くのコンビニに飛び込んだ。

「よし、と」

 そうして買ったものはボールペンとメモ帳。
 そこに一つだけ連絡先を記す。
 
「あとは社会人として最後の連絡しとくか」

 少し迷って課長の連絡先を選んだ。
 出勤して最初に。

、休む事があればここに連絡して』

 と妙なニュアンスで言われて電話番号を教えられたのを思い出したのだ。
 この数ヶ月、無遅刻無欠勤だったので掛けたことはなかったのだけれど。

 最後の最後に役に立つとは。

『ハイ。御笠君どうしたの』

 一度コール音を聞いてすぐ出たので思わず面食らう。
 まるで掛けてくるのを待っていたかのようだ。

「あの……課長」

 ただ一言口に出すだけ。辞めます、と言うだけ。ただそれだけなのになかなか言葉が継げない。

『ハイ』

 ――やめます、辞めます、辞めたいです。

 頭の中では何度も言っているのに、口が動かないのだ。そのうち気持ちまで焦ってきて汗が滲んでくる。

 やっぱり辞めるのを辞めようか。
 だいたい家出なんて学生じゃあるまいし。
 そもそも良家の子息ときて何不自由なく育てられてきて、言わば親の言う通りに生きてきたわけだ。
 そこから離れていきなり一人で生きていくなんて本当にできるのだろうか。

 仕事も家もなにもかも失くすのだ。世間知らずのオメガが一人。どうやって生きていけばいいのだろう。

「あ、あの……」
『ハイ。御笠君、月曜は風邪で休みなさい』
「へ?」
『そうしとくから』
「???」
『そんでもって、ゆーっくり考えなさい』
「課長」
『でも不要な外出は控えた方がいいです、ハイ』
 
 完全に何かを知っている、というか知られてるかもしれない。
 そこでゾッとした。

 今までなぜ気づかなかったのか。
 会社の社長はあの男で、ここで働くということは監視されているのと同義語なのに。
 弟からの狙いすませたかのような電話のこともある。

「あの僕。仕事を辞め――」
『月曜日は迎えを寄越しますヨ』
「む、迎え?」

「っひぃ!?」

 最後の言葉で反射的に電話を切ってしまった。
 
 ――怖い、怖すぎる。

 背筋を冷や汗が伝う。
 絶対になにか知っているし、されているような気しかしない。というか。

「今すぐスマホも捨てるか」

 こうして逃亡犯のような決意をする羽目になったのだ。

 


 さて、こうして婚約破棄と人生初の家出をするのだが。

「うーん……」

 まず行くあてがない。
 お坊ちゃま育ちゆえか、なにをどうすればいいのかさえ考え込んでしまうのだ。

 しかも。

「こんにちは! お兄さんめちゃくちゃ可愛いね。そこでお茶でもしない?」

 隙あらば声をかけてくる奴らが後を絶たない。

「ねぇねぇ! いいじゃん、少しだけ!!」
「結構です」
「めちゃくちゃタイプなんだって」
「僕は男ですが」
「そんなの関係ねぇ!」
「……」
「ナンパしていい?」
「いや、ダメです」

 駅前を歩いていても、カフェやファストフード店に避難してもナンパされまくるのだ。

「あのー、ちょっといいですか」

 ようやくしつこいナンパ男を撒けたと思ったら、また声をかけられる。ウンザリして振り返ると派手な身なりの若い男が立っていた。

「市役所に行きたくて。教えてもらっていいかな」

 見た目こそチャラいが、どうやら道を訊ねられているだけらしい。
 ほんの少しだけ警戒心を解いた皇大郎だが、この辺りはあまり詳しくない。ましてや市役所の場所なんて。

 スマホがあれば何とかなるだろうがすでに駅のゴミ箱の中だ。

「ええっと……」
「一緒に行って欲しいな。俺、方向音痴だから」

 そうしたいのは山々だが本当に分からない。そう言って断ろうとした時だった。

「あれ? 君、すごく綺麗な目してるよね」

 そう言ってすかさず距離を詰めて、あまつさえ腰まで抱いてきたのだ。
 当然、驚いて逃げようとしたのだけれど。

「可愛いなぁ。一緒に市役所で婚姻届出そっか」
「……」

 またかよ、と内心ため息つく。
 このまま殴ってでも抵抗するのもいいが、ふと考えついた方法を試すことにする。

「仕方ないな。僕が案内してやるよ」

 そう言ってぎこちないが愛想笑いを浮かべた。

 そこらのか弱い女子ではないのだ。プライドもそれなりにあるし、発情状態でさえなければ腕っ節だって自信が無い訳じゃない。
 
 男はそんな思惑など微塵も考えない様子。ナンパが成功したとニヤケ顔を隠すことなく。

「なんて優しい子なんだ。好きになっちゃいそうだよ」

 などとさらに身体を密着してくる。
 それに一瞬殺意が湧くがなんとか耐えて男を誘導し始めた。

 ――くそっ、見てろよ。

 目と鼻の先に交番がある。
 なんとタイミング良く、警察官も外にいた。これは都合良く使うしかない。

 皇大郎は機会をうかがった。
 警官がこちらに視線を向けるのを待ったのだ。

 その間にも腰やら尻やら撫で回され、不快極まりない。
 
 まったくこの辺りの治安はどうなんってるのかと文句も言いたくなる。
 とはいえ彼は気付いていなかった。
 
 田荘や桐生、さらに言うとあの酷い夜がとどめとなってその身体に抑制剤が合わなくなってきていることに。

 発情期のひとつでもくれば分かるのだが。それまでは無自覚にいつもより多くフェロモンを撒き散らし、アルファや嗅覚の多少鋭いベータを引き寄せてきまうのだろう。

 元々、周りには家族も含めてアルファばかりの生育環境というのも要因のひとつかもしれない。
 オメガ界隈では当たり前のことも、皇大郎は知らずにここまできたのだ。

「……あ」
 
 そうこうしていると警官がこっちを見た。ハッとした様子でなぜかこちらに駆け寄ってきたのだ。

「そこの貴方!」
「え?」

 チラリと向いてくれたらよかったのだ。そしたらさり気なく交番に誘導して迷惑を訴える、という計画なのだが。

 ズンズン近付いてきた警官。大柄で柔道着がよく似合いそうなタイプと言えば分かるだろうか。
 ナンパ男の方は突然の警官の登場に驚くものの、なにか妙な競争心だか敵意がもたげてしまったらしい。

 一気に一触即発。修羅場の空気に。

「彼が困ってるじゃありませんか、離してあげなさい!」
「ハァ? 何言ってんの。俺とこの子は今から市役所に婚姻届出しに行くっつーの、なぁ?」

 なぁ、と言われてもブンブン首を横に振って否定する。
 すると警官の方が。

「ほら見なさい! 大丈夫ですか、怖かったですよね」

 とナンパ男から引き剥がそうと腕を掴んでくる。

「ちょっ!? えっ!?!?」
「おいオッサン。俺のになにすんの!」

 一人の青年を取り合うために掴み合う男たち、つまり男の三つ巴争奪戦状態。控えめに言って地獄絵図である。

「公務執行妨害だ!」
「いやお前は人のカノジョにセクハラ罪だろ!?」
「ンなもんあるかっ、逮捕するぞ!!」
「ふざけんなテメー! 訴えるぞゴラァ!!」

 ――な、なんなんだ。

 ただナンパ男を交番に突き出してやろうと思っただけなのに。
 予想外の事態に唖然としていると運良く自分の身体が二人から離れていることに気付く。

 だからその隙にさっさとその場を立ち去ることを選んだのだ。

「付き合ってられるかバーカ!」

 こんなに熱烈に言い寄られるのも不気味だし。なにより腹立ち紛れに悪態をつきながら走った。

 走って走って、どこに行けばいいか分からないから知った道知らない道をデタラメに。
 
「はぁっ……ぁ、あ……ッ」

 そのうち疲れて足がもつれそうになって、やむなくゆっくり立ち止まった。

「ここ、は」

 見覚えのある場所、建物。

「――おい。お前なにしてんだ」

 立ち尽くしていると、不意に後ろから声をかけられた。
 
 


 


 
 


 

 


 

 

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