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友情と強心の多性情

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「どういうことなのさ……」

 嘆きと呆れの声をあげたのは、幸介だ。
 大きくため息をついて、手の中で回していたペンを机に置く。

「あの大嶌家の当主に、そんな一面があったのは驚くけどね」
「そうだろ? 僕もビックリしちゃってさぁ」
「だからってキミの行動は、関心しないよ」
 
 危機感が無さすぎる、と苦言をていする親友に内心苦笑する。
 
(やっぱりいいヤツ)

 夜、何度か着信があった。朝にかけ直せばものの数コールで出た彼は開口一番『大丈夫!?』ときたものだ。
 まるで娘の素行を心配する、母親のようだとからかいたくなるが。

「つまりその……」
「恭太郎さん、な」
「あぁそう。その‪α‬は、いったいなんなの?」

 とても嫌な顔をしていた。いつも穏やかで、自分に寄り添い受け止めてくれる少年が。そこに違和感を抱きつつ、彼は昨夜のことを改めて話して聞かせた。

 ――大嶌 恭太郎おおしま きょうたろう
 大嶌グループのトップを先代から引き継いだ男。
 しかしその立場とは裏腹に、多くの顔を持っているらしい。

『性別研究の第一人者』
 この世界には男女の他に、‪α‬やβ……そしてΩという性がある。これは不思議なことに、人間にしか存在しない。
 爬虫類や魚類。哺乳類ほにゅうるいでさえ、オスとメスのみの性しかないのだ。
 これは何を意味するか。
 人類にだけ与えられた、神からの贈り物ギフトであると表現する者もいた。
 もっと理知的に表すのであれば、これは特別な進化である。
 何らかの要因により、一度は滅びかけた人類が歩んだ道。
 それが三つの性別。
 
『元々人間は、今で言うところのβしかいなかったと考えられる』

 恭太郎はそう言った。

『それが雌雄関係なく、産む性と孕ませる性とに進化を遂げたのがΩと‪α‬だ』

 つまりはこういうことだ。
 人類の歴史の中で、本来なら産むはずであったメスが激減。少子化の末に、辿ったのがオスでも妊娠出産が可能な性別が出現ということ。

『私は若い頃から、ある研究に打ち込んできた』

 それは言わずもがな、Ω性について。
 発情期や受胎、出産のメカニズムから。その進化過程にいたるまで、多くが謎のベールに包まれているといってもいい。
 多くの学者が、いまだ頭を悩ませている研究を彼は本業の会社経営のかたわら行っていた。

「――大学の教授職だったのが、事業を引き継いだことによって転職ってこと?」
「みたいだな」
「ふぅん」

 うさんくさい。と言いたげな顔の幸介。そう思うのは無理もない。いくつもの大企業の社長が、プライベートでは長年の研究を続けているなんて。そんなバイタリティのある人間、いるだろうか。
 漫画やドラマでも、最近じゃありえない二足のわらじだ。
 
「‪α‬ってのは、つくづくよく分からないね」
「幸介」

 陸斗は彼を見つめる。

「僕は彼の――恭太郎さんの研究に、協力しようと思う」
「ぅえぇっ!?」

 驚く声が、教室内に響き渡った。すぐさまハッとした幸介が顔を下げるが、時すでに遅し。クラスメイトの視線が刺さって、大きくため息をつくハメになった。

「っ、ごめん」
「いいよ。その反応は予想してたし」

 ‪α‬嫌いの彼が、こともあろうに‪α‬がするΩ研究に協力すると言い出すのだから。
 最悪怒り出すかと思っていた。しかし。

「……君がそう決めたのなら、ボクは何も言うことはないよ」

 そう言い、ためらいがちに微笑んでみせたのだ。
 
「幸介」
「言ったろ、ボクは君のどんな考えも姿も受け入れられる人間だって」

 確かにことある事に口にしていた。
 そんな恥ずかしいセリフをさらりと、寄り添うような笑顔で言うのだからむしろすんなり心に入ってきた。

「親友なんだから」
「ありがとう、幸介」

 心の底から安心出来る。この少年の隣にいれば。
 そんな温かさを感じている陸斗は気づかなかった。
 机の下にある彼の手が、小さく震えていることに――。




※※※

 あっという間に放課後になり。ザワついていた教室は数人の生徒を残し、閑散としていた。
 部活に入っていない陸斗は、のろのろと立ち上がる。

「はぁ……」

 毎日この時間が憂鬱。苦手な瞬間だった。

(仕方ないけど)

 中学まで、サッカーをやっていた。別に特に上手いとか、才能を見出されていたとか。そういうのではない。
 比較的、小さな学校の弱小サッカー部でのんびりとボールを追いかけていたに過ぎない。
 しかし間違いなく楽しかったし、高校へ行ってもそんな日々が続くと思っていた。

(不便なもんだな、Ωって)

 性別がわかったのは、高校入学前。比較的遅い発覚であったが、問題なのはそこではない。
 Ωは、原則的に部活動を免除される。人によっては体育の授業も免除だ。
 理由はいくつかあるが、言ってしまえば『発情によるトラブル防止』である。
 まずは着替え。
 βや‪α‬の中でうっかり発情してしまい、凄惨なレイプ事件に発展したケースが多発したのだ。
 しかし加害者側は驚くべき主張を繰り返した。

『発情期のΩが、子種欲しさに迫ってきた』

 確かに発情期に入ったΩは、性的興奮が高まってる。だれでもいいから自分の胎に精液を、と極限の精神状態におちいってしまう可能性も否定できない。
 だからといって、集団レイプをしてもいいという理由にはならないのだが。

(やっぱりロクでもない)

 そもそもΩが性的暴行を受けても、滅多にニュースにならない。
 まず被害届を出す者が少ない。
 なぜなら被害者が逆に、言われのない誹謗中傷など。セカンドレイプに苦しむ羽目になるから。
 その影で望まぬ妊娠や、無理やりつがい関係を結ばれたΩも多い。
 もちろん、望まれてパートーナーを見つけたΩも多くいる。しかし、この性別で生きていくのにはあまりにもリスクが高すぎた。
 特にこの情報化社会において――。

「お。陸斗、帰んのか」

 珍しく声をかけてきたのは、ひとつ上の先輩だった。
 下級生の教室にいるなんて珍しいが、部活の後輩を迎えにきたのだろうか。

「あ、坂下のこと知らねぇか?」
「え……いえ」

 坂下とはクラスメイトだ。サッカー部で、最近部活を休みがちということを陸斗が知る由もない。
 彼は小さく唸ると頭をガシガシとかいた。

「またサボりやがったな。くそ、今日こそ話聞いてやりたかったんだがなぁ」
「……」
「陸斗、どうした。ボーッとして」
「いえ……あ、大丈夫、です」

 あまり会いたい人物でなかった。
 彼は同じ中学に通っていて、しかもサッカー部でも先輩後輩だったのだ。
 
(僕はもう、サッカーができない)

 それだけでない。体育などもかなり制限されている。
 なんせ通常時でも汗に含まれる微量のフェロモンでさえも、思春期の少年たちには強い。βの子を持つ親が、Ωに惑わされたとクレームを入れてきた前例もあるのだ。

「陸斗。元気か?」
「!」

 彼は筋肉の程よくついた腕を伸ばし、陸斗の頭をそっと撫でてきた。
 避けるヒマもなく。ただ目の前の少年の、悲しいような優しいような瞳を見つめた。
 
「ごめんな」
「なんで……」

(なんでアンタがあやまるんだ)

 あやまって欲しくなんてなかった。
 Ωと分かったから、一番最初に打ち明けた相手。
 すると、少し黙り込んだあとに小さな声で。

『サッカー、もうできないな』

 そうつぶやいた声が、いまでも耳について離れない。
 その時どんな表情をしていただろう。今みたいに橙色の光が差し込んでいて、よく見えなかったのかもしれない。
 ただただ、悲しかった。

(僕は、みんなと同じになれない)

 同じように肌をさらすことも。気にせず着替えをすることだって。
 Ωでない女性であれば、Ωでない男性であれば。
 他愛のない話で笑いながら、更衣室で着替えることも出来る。プールで水着にもなれる。
 肩を組んだり、じゃれ合ったり。友情のハグだって――。

(すべてに性的な意味を持たされる僕とは、違う)

「……なぁ」
「!」

 肩をつかまれた。弱くだけど、それを振り払って逃げることがためらわれる程の力で。
 彼は何度か唇を舐めて、その言葉を口にした。

「もう一回、サッカーしてみないか」
「せ、先輩」

 ひどく残酷なことだ。ほとんど不可能なことなのに。
 陸斗の心は、悲しみと怒り一色になった。

「僕は……」
「一緒にやろう」

(もうやめて)

 何が悲しいか、その視線だ。
 注がれたそれは覚えのあるもので。隠しきれない、性欲の色が滲んでいた。
 Ωゆえに、敏感に感じ取ってしまう。それがたまらなく、苦しい。

「なぁ陸斗。一度、話をしないか」
「せん……ぱい……」
「水臭い呼び方やめろよ、なぁ。陸斗」
「や、やめ……」
「オレ達、

(やめろ)

 そう確かにそうだった。親友、だったのだ。つまりは過去の話。
 Ω性であることは、陸斗から年上の親友を奪ったのだ。
 耐えきれず、あふれる涙を彼はどう判断したのだろう。
 いつしか腰を抱き寄せられ、完全に腕の中に閉じ込められていた。
 そうなるともう逃げられない。

「先輩っ……はなし、て……」
「好きだったんだ。ずっと、ずっと前から」
「や……やめろっ……いや……!」

 Ωの身体的特徴のひとつで、筋肉の発達がしにくいということがある。
 身体の線も細く、同年代の‪α‬やβと比べて随分華奢な彼の腕では抵抗もままならない。
 気がつけば、教室内にいるのは彼らだけ。
 遠くで部活動に勤しむ、生徒たちの声が聞こえる。
 まるで別世界のような寂しさと不安に、心臓が押しつぶされそうに痛い。

「なぁ陸斗、オレじゃダメなのか」
「先輩っ……落ち着いてっ、やだっ……待って……!!!」
「あんなα――あ゙ッ!」

 突然、彼の言葉が途切れた。そして力なく崩れるのに巻き込まれる形で、陸斗も床に倒れる。

「っく、痛ぁ……」
「お怪我はありませんか。陸斗様」

 冷ややかな声が、降ってきた。そして彼らを覆う、小さな影。

「お、和音おとさん」
「参りましょう。陸斗様」

 人形めいた美しい少年が、慇懃無礼ともいえる一礼をした。


 
 
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