鱗だらけの恋

田中 乃那加

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3.募集職種

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 ―――セピア色の夢だった。
 妙な演出の夢だと訝しむ暇もなく、ぽっかり空いた空間に佇んだ悠介の肩を叩く者が一人。
 振り向けば、そこにおかっぱ頭の女の子。
 歳の頃は3歳くらいだろうか。くりくりとした目が特徴の愛らしい少女だ。
 
(可愛い子だな、子役のえっと……似てるな)

 そんな事を考えているが、夢の中の彼は口を開く。

『りんちゃん』

(りんちゃん……どっかで聞いたような)

 頭がぼんやりするのは夢だからか、それにしても不思議だと彼は思う。
 これが夢だと分かっているのはさておき、自分であるのに勝手に言葉がでてくるらしい。
 しかも彼自身の声より高く舌っ足らずなそれは、目の前の少女と同じ年頃の少年らしい。

『ゆうちゃん、これあげる』

 が何かを差し出した。
……花かんむりだ。シロツメグサを器用に編んだそれは、ほのかに花と草の良い匂いがする。

(夢でも匂いってあるんだなぁ)

 少女は背伸びして花かんむりをそっと彼の頭に被せる。
 そしてまさに花が綻ぶように微笑んで。

『キレイだよ、ゆうちゃん』

 と言った。

『ありがとう、りんちゃん』

 礼を言う自分の声が聞こえてきたかと思うと、突然少女の顔がどんどん近付いて行くように思った。

(あっ、違う。僕が顔を近づけてるんだ)

 躊躇なく距離を詰めた顔は、チュッと軽い音を立てて少女の頬に口付けを落とす。

(うわぁ、女の子にキスしちゃった)

 夢の中の彼は幼いゆえに大胆らしい。
 そのあとそのぷるん、とした少女の唇にも一つ触れるだけの接吻を。
 少女もニコニコ笑いながら甘んじてそれを受けている。

『りんちゃん、だいすき』
『うん。ゆうちゃんだいすき』

 少年少女は、見つめ合い幼く拙い愛情を伝えあう。

『あのね、ほんとはね……』

 そのまま少年が紡ぐ言葉を聞いて、悠介は何故か酷くもどかしい気持ちになった。


■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□

(目覚めが悪い……)

 朝の冷え冷えとした道を自転車で下りながら、悠介は考える。
 
(ってまさかあの!?)

 りん、という名前など彼は昨日会ったばかりの美人しか知らない。

(昨日の今日であんな夢見るなんてなぁ)

 なんだかんだでストレス抱えてんのかな、と自らの夢に落ち込む悠介がついた溜息が白い息となって青空に溶けた。


「……おはようございます」

 店の従業員出入口から入り、まずは事務所へ。
 
「おはよ、今日からよろしくね」

 そう挨拶を返したのは凛である。
 彼は初っ端から、少しばかり気まずい気分になりながらも笑みを浮かべて会釈した。
 そんな悠介の心の機微など知る由もない凛は、鍵とタイムカードの場所やロッカールームのある従業員休憩室に案内する。

「1階が店舗と事務所、2階が加工場、3階がロッカールームね。あ、お昼も3階に上がって来てもらうから……あと、ええっと」

 ロッカールームへ入ると。
 既に出勤してきていた数人の年配女性と若い男性が着替えながらお喋りをしていた。

「お、新人さんかァ!」

 嬉しそうに声を上げたのは傳里 蓮司でんり れんじ。21歳。
 高校卒業と共にバイトを始めて勤務3年程になる若者。
 アフロのような、もっと言えばスチールウールや鳥の巣を想像させるボリューム感の頭を帽子に押し込みながら笑っている。

「なかなか可愛い顔してんじゃん。オレのことは蓮司って呼べよな。敬語も無しな!仲間なんだからよォ」
「え? あ、うん……」

(なんだこの子、いきなりグイグイ来るなぁ)

 どちらかと言えばコミュ障に近い今の彼は、少々戸惑ったらしい。
 しかしそんな彼の反応にも気を悪くするどころか。蓮司は面白いモノを見るような顔をして、いくらか低い悠介の頭をポンポンとした。

「ほんっと可愛い奴だなァ。オレのことは兄貴だと思ってもイイぜ!」

 途端、弾けるような笑いがその場にいたパートのおばちゃん達数人から起こる。

「蓮司君ったらぁ~っ! この子アンタより年上だよぉ。ねぇ? 」
「宮地って言ったら、この近くの家の子よね。ほら、元商店街の角の……」
「確かに童顔だけどねェ」

 口々に話し始める年配女性達にタジタジとなりながら、悠介は頷いた。

「え。あ、はい」
「ま、マジでっ、こんなに可愛い顔してのに!?」

(可愛い可愛いって……ある意味失礼な人だなぁ)
 
 ムッとするまではなくとも、違和感はあるらしい。しかし蓮司としても何も悪気や不純な気持ちがある訳でない。
 彼は6人兄弟姉妹である大家族の下から2番目。しかもそれが妹で、『弟』という存在に憧れを感じているのだ。

「ま、イイよな。多少年上でもオレは兄貴キャラでいくぜ!よろしくな。悠介」
「あ、うん」

 彼は、先輩である蓮司やパートのおばさま方にも明るく迎え入れられて嬉しい反面戸惑っていた。

(なんかこの人たちすごいコミュニケーション能力だな)

 そのパワーに圧倒されながら、渡された制服を着て帽子とマスクをする。

「うん、サイズは良いわね。……ねぇ、もうは来てる?」

 最後の一言はわずかに顔を顰めた凛がパートの女性達に訊ねる。、

「来てるみたいよぉ。今朝はえらく早い時間から来てるみたいね~」
「あらまぁ、うふふふ。張り切ってんのかしら」
「次期社長さんだもの~」
「……やめてよ。まだまだ先よ、あいつなんて」

 女性達の言葉に苦笑いする凛。
 ありがとう、と軽く礼を言って悠介を連れて部屋を出る。

「さて。下に降りれば加工場なわけだけど」
「?」
「……あいつになんかヘンナコトされたら遠慮なく、き●たま蹴り潰していいからね?」
「き、きんっ!?」

(若い女の子の口からそんな言葉聞くなんて)

「っていうか倫太郎さんって。そ、なんですか……?」
 
 ゲイとかそういうのじゃなくて。セクハラする人ってことで……と付け加える前に凛は言った。

「昨日強引に連れて行こうとしたじゃないの。でも、いつもあんな事する奴じゃあないわ。……むっつりで何考えてるかイマイチ分からない変態臭い童貞だけど」
「すごくディスってますね」
「だってあたし達仲悪いもん」

 ケロリとした顔で言いのけた彼女は、肩を竦めて舌を出す。
 なんだかそれが10代の少女のイタズラめいた表情で、思わず悠介の心臓が小さく跳ねた。
 夢の少女にその面影が重なって見えたからだ。

「悠介君?」
「あ、いえ」

 余計な邪念を払いつつ、彼は凛についていく。
 階段近くの通路と工場やロッカールーム、事務所等を繋ぐドアには鍵がかかっている。
 タイムカードに付属するカードキーを刺すのだが、それを教えつつ彼女はドア開けようとノブに手を掛けた。

「……っと!」

 突然ドアが開き、にゅっと顔を出した大男。
 その綺麗な顔は一見すれば表情が変わっていないように見えるが、姉である凛には目元が微かに和んでるのが分かる。

「遅かったな」

 多少引っかかる言い方をする弟に、彼女は些か鼻白んだが軽く睨みつけるのに留まった。
 その代わり、機嫌良さそうに悠介を連れて工場に入る倫太郎に。

「午後からこっちに返しなさいよ!」

 と耳打ちした。
 彼はそれに少し眉を寄せた後、小さく舌打ちし彼女の鼻先でドアを閉める。

「……ったく。馬鹿弟め」

 悪態をついて階段を降りる凛の表情は、不思議な事に心做しか綻んでいた。


■□▪▫■□▫▪■□▪▫

「……あのさ」
「おっ?」

 悠介が任されたのは魚の鱗取りだ。
 正しくは鱗取りの機械に小鯛(チダイとも言われるらしいが)と呼ばれる主にを入れる。
 すると内部のベルトコンベアで運ばれた小鯛達が、水圧等でその覆われた鱗を剥がされて出てくるのだ。
 その説明と作業工程を話すのは、蓮司である。

(まぁ僕でも出来そうな作業、かな)

 まず入った人間はこれをするらしい。
 ホッと胸を撫で下ろした彼が次に気になったのは、説明している彼の距離感だ。
 悠介を後ろから抱き込むように立った彼の身長は2人ともそう変わらない。
 機械に立てかけた脚立に乗っていた悠介の背中にくっつくような形に、悠介はこっそり溜息をついた。

(なんか彼、すごく近いんだけど)

 本人曰くのというヤツだろうか。事実、この若者には悪気はない。
 言ってみればただ無神経でデリカシーが無いだけである。
 そのせいだろう。ノンケであるのにゲイと間違われたり、女の子にも距離無しをして平手打ちを食らったことが数十回。
 この職場においては『仕事がそこそこできる、気のいいアホ』が蓮司に対する評価なのである。

「コイツ、油断するとすぐ魚が詰まるからよォ。立て続けに入れるなよ! オレなんてこの前さァ……」
「蓮司、もういいぞ」
「あ。倫太郎さん。オレ、悠介に……痛ぇッ、何するんスか!」

 突然軽くではあるが、ゲンコツを食らって頭を抑える蓮司。
 彼らの背後に仁王立ちしていたのは、まさに修羅のような形相と雰囲気を纏った倫太郎であった。

「ベタベタし過ぎだ。またセクハラでぶん殴られてぇのか」
「えぇ!? お、オレそんなつもり……ってかオレじゃねーし」
「分かってる。もう良いから後はオレに任せな」

 んじゃゴメンな! と言ってまた悠介の頭を子供にするように撫でる仕草に、倫太郎の眉間のシワが深くなる。

「ったく。俺が電話に出てる間に……まぁいい、悠介。何か困ったことや疑問点があれば遠慮なく。分かったか?」
「え、あ、はい……」

 凄い圧でそう言われて、悠介はコクコクと頷く事しか出来ない。 
 そんな彼をどこか満足そうに見た倫太郎は、機械からすぐ近くの別工程の作業台へ戻って行った。

「オレにも聞けよなァ。あ、あとおばちゃん達にもな!」
「そーよ~、どんどん聞いてね」
「みーんな優しく教えてくれるからねぇ」
「蓮司君もそこはでしょ!」
「あはははっ!」

 同じ作業台から大声でそう返した蓮司に同調の声を上げるおばさま方。
 笑い声が機械音と共に工場に響く。
 それに相反して、目を剥く倫太郎の対比になんだか彼は少し可笑しくなった。

(なんだか。騒がしいけど、いい人達だなぁ)
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