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第二部
誰がために筆は舞う 仙界編 第九話
しおりを挟む他の仙人たちの行くなとという声と、争う音がして、鶴毘の悲痛な声が響く。
その後私はムゥを抱きしめて、耳の奥に風の音を聞きながら、暗く深い穴の底に落ちていった。
どれだけ時間が経ったのか。
「みゅうみゅう。」
私はムゥの鳴き声で目を覚ました。
ムゥが、必死に私の顔を舐めながら、鳴いている。
私は目を覚ますと、クラクラする頭を起こして、ムゥを撫でた。
暗い穴の底ではあるが、目が慣れてくると、何か自分が柔らかいものの上にいることはわかる。
ハッとなって下を見ると、
気絶した窮奇の頭が見えて叫びそうになった。
「ひっ・・・。」
どうやら、窮奇が下敷きになったので、助かったようだ。
ゆっくり起き上がり、ムゥと一緒に窮奇の大きな体を滑り降りる。
心細くてたまらない。
どうしたら、逃げられるんだろ。
ムゥが先導するように前を歩くので、ついていこうとしたその時、
「しゃがめ!」
鶴毘の声がして、思わずしゃがむと頭のすぐ上で窮奇の口がガチッと閉じられ、その顔を私から遠ざけるように金色に輝く針のようなものが、窮奇の顔に何本も突き刺さっていった。
窮奇が痛みに悶えている間に、鶴毘が走り込んで来る。
「立てるか!?」
片袖が破れ、身体中傷だらけの鶴毘が目の前に現れた。
髪もべっとりと汗で首にまとわりついている。
白い衣装もあちこち汚れて、どす黒い。
声も出せずに頷くと、さっと鶴毘に脇の下に手を入れられ、腰を抱き寄せるようにして立たせられた。
「もう、大丈夫だ。」
私は鶴毘にしがみつきながら、その声に安心する。
鶴毘は、私を横穴に押し込んだあと、すぐに剣を構えた。
ムゥも横穴に入り、私の胸に飛び上がる。
鶴毘は、ふらつく窮奇に一撃、二撃と剣を斬りつけ、三撃目で首をゴロンと落とす。
窮奇は派手に倒れ込み、鶴毘は後ろに跳ね飛んでよけたが、横穴の近くに降りたってすぐに鶴毘は膝をついて動かなくなる。
まさかっ!
私は慌ててムゥを降ろすと、鶴毘に肩を貸す。
鶴毘は私の肩を借りながら横穴に入り、そのままズルズルと座り込んだ。
「最後の抵抗で・・・蹴爪で抉られた。
油断したのは・・・私だ。」
鶴毘の、肩から胸にかけて抉られたような傷が見える。
私はすぐに着物の上を脱いで襦袢だけになると、彼の上着を脱がせて、自分の着物を裂きながら鶴毘の傷口に巻き付けていく。
「死なないでっ。」
みるみる血で染まる自分の着物をみながら、涙が溢れる。
私、何してるんだろ。
何、足手まといになってるんだろ。
窮奇は天仙でも一人で倒すのが難しいと、聞いてたのに!
鶴毘は微笑みながら、
「私は、仙人だから、首を落とされるまでは・・・殺されることはない。
それに・・・そなたを失うことに比べたら、こんな傷なんともない・・・。」
と、言った。
「ごめんなさいっ。
私ったら・・・。」
泣きながら、手ぬぐいを取り出して鶴毘の顔を拭っていく。
「お一人ですか?
他の、皆さんは?」
私が言うと、彼は力なく首を振った。
「皆、行くな・・・と。
八卦の相に凶兆あり。
諦めろと言われた・・・。」
そう言って咳き込む鶴毘を、私は見つめるしかできない。
「諦めるものか・・・。
紅葉は私の大切な人だ。
もし、死んでいたら、私もここで死ぬつもりだった。」
そう言うと、片手で私の頬を撫でて見つめてくる。
私は涙で視界が滲んで、鶴毘の顔がよく見えない。
その涙を鶴毘が優しく拭った。
息を深く吸おうとして出来ずに、浅く早くなる呼吸を繰り返しながら、鶴毘は私を慰めようとする。
「泣くな。」
「無理です・・・だって・・・。」
「そんなに泣くなら、口づけするぞ?」
「もう・・・!」
私が笑って鶴毘から離れると、両手で涙を拭う。
ふと、鶴毘の上着から小さな革袋が、落ちてきた。
私が拾うと、
「開けてくれ・・・。
中に傷を治す丸薬が入っている。」
と、言うので袋をあけると、黒くて独特の匂いを放つ小さな丸薬が出てきた。
摘んで鶴毘の口に入れる。
そして腰にさげた竹筒を外して蓋を取ると、傾けて水を飲ませた。
「ありがとう、紅葉・・・。」
飲み終えた鶴毘が静かに顔を顰める。
「着物を・・・汚したな。
すまん。」
私は首を振ると、疲れ切って浅く息をする鶴毘の顔を両手で包んだ。
来てくれた・・・。
みんな来ないのに・・・、この人は来てくれた・・・。
胸の奥が熱くなり、込み上げてくるものがあった。
鶴毘の呼吸が苦しそうに乱れているが、目はじっとこちらを見ている。
自然と鶴毘に近づき、お互いに腕を回して、胸の傷に触らないよう、あまり体重をかけないようにして、静かに抱き合う。
お互いの心音が聞こえて、呼吸の音が重なったり、離れたりしながら静かに時が流れていく。
私は、赤くなりながらお礼の言葉を伝えた。
「ありがとう・・・ございます・・・。
来てくれて・・・。」
愛おしい・・・。
この人がとても・・・。
素直にそう思える。
「こちらこそ・・・無事でいてくれて・・・嬉しい。」
鶴毘がそう言った、その時だ。
こちらを静かに見ていたムゥが、毛を逆立てて、横穴の入り口の方を向き、フーッ!と警戒音を立てる。
私は腕を解き横穴の入り口を見ようとして、制止される。
「動くな・・・。」
彼の小声に私は動きを止めると、鶴毘が真剣な顔でムゥが睨みつける先を見ている。
何やらゴリゴリと嫌な音がする。
音の方を見ると、横穴の外にぐったりした窮奇と、それに覆い被さるさらに大きな生き物がいる。
どうやら、首を落とされたの窮奇の死骸を貪っている様子だった。
「絶対に騒ぐな。
饕餮だ・・・。」
とうてつ・・・。
確か、恐ろしい魔物の名前。
「こんな厄日に・・・、一番会いたくないやつか来たものだ・・・。」
鶴毘はそう言うと饕餮の方を見た。
私もそちらを見る。
まだ窮奇の死骸を食べているが、時折頭を上げて、匂いを嗅ぐような仕草をしている。
人面で虎の牙が生えており、頭には大きなツノがあった。
体は牛か羊のような形をしており、なにより、その大きさは、こちらをあっという間にたいらげてしまうのには十分そう。
「分神様によると、あれで、大人になったばかりなのだそうだ・・・。」
そう鶴毘がつぶやくので、私はさらに驚く。
え、鶴毘もムゥの言葉がわかるようになったの?
「饕餮は弱った生き物を・・・率先して襲う。
今は窮奇の死と・・・匂いで私の存在が・・・まだ知られていないが・・・時間の問題だ・・・。
だから、紅葉・・・。」
私は鶴毘の言わんとしていることがわかって、さっと手で口を塞いだ。
「だめですからね。
先に逃げろとか。
出口も知らないですし。」
鶴毘が顔を顰めて、私の手を口から離すと、
「言うことを聞いてくれっ・・・。
お前を失いたくない!
それとも・・・何か対抗策があるのか?」
と、言った。
私は懐をまさぐって、布に包んだ物を取り出した。
「私、絵師でしょ?
人界に存在しないものを描くときもあるんです。
神獣とか、妖怪とか。
私の先生はそう言うものを描くときは、それなりの知識をつけろと、色々と教えてくださったんです。」
私は目を閉じて、先生が話してくれたことを思い出す。
饕餮に襲われて助かった旅人の話。
饕餮の姿が伝わったのは逃げられた人がいるからだと。
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