1333

干支ピリカ

文字の大きさ
15 / 49
幕府滅亡

第四章 決別の朝 1.

しおりを挟む
1.

 冬になって、時局は一気に動き出した。
 十一月に入り、大塔宮・護良親王が吉野で兵を挙げた。
 呼応するように、十二月には楠木正成が赤坂城を奪還し、そのまま立て篭もった。
 初夏に会った正季は、秋口に一度文を寄越した。
 婦人からの文のように、香を焚き染めた箱に入っていたので、直義は師直にさんざん詮索され、相手が分かった後は揶揄された。

『目立たせないための配慮でしょうが。色男のくせに文どころか、浮いた噂の一つもないご舎弟には、とんだ逆効果ですな』
『うるさい』

 運んできたのは芸人の童だったらしい。一座に正季達の仲間が、あるいは本人が紛れ込んでいたのかも知れない。
 手紙の内容は、諸国の細かい情報だった。西を中心に後醍醐帝への同情、幕府への不満などが高まっており、思った以上に火がつきやすくなっている状況を匂わせていた。
 以降、状況はまさに、手紙の情報を裏付けるように動いていた。

(正季も今頃は、正成と共に赤坂城だろうな)

 年が明けた頃から、鎌倉の動きも慌しくなってきた。
 挙兵した護良親王は後醍醐帝の皇子だが、幼い頃出家し、天台座主となっている。
 親王の背後にある寺社勢力も侮れないはずなのだが、何より楠木正成が復活したことに北条高時は怯え、激しく取り乱していた。

「得宗殿がそんな様子じゃ、すぐにも出兵を命じられそうですねえ」

 正月とはいえ、今にも戦が始まりかねない状況を反映して、来客も少ない。
 余った酒を前にして、直義は、高氏、師直と共に世間話に興じていた。
 高氏は盃を置いて、師直の問い掛けに物憂げに応じる。

「前の乱のことがある。六波羅だけで収まらぬのは、もう分かっておろう。鎌倉からも兵は出さねばならん。それは決まっているが、初めから足利が命じられるかは分からん」

 最近、足利が幕府に警戒されているのは、兄の話から直義も感じていた。
 足利の態度がどうというより、幕府が己の弱体化を自覚し、御家人達を力で抑え付けられぬ不安からだろう。
 現執権は赤橋守時である。
 その守時の妹を当主の妻にしているとはいえ、足利はあくまで外様だ。

(何も足利だけが、源平、主従の家系に拘っているわけじゃない)

 昔から、足利の危険性は北条もよく知っていた。

「鎌倉から、何万出すと思われる? 兄上」

 手酌で酒を注ぎ足しながら直義が尋ねると、高氏は「そうさなあ」と天を仰ぐ。

「まず一万近くは出せと申されるだろう」
「一万、出せますかねえ。今の幕府がお身内だけで」

 全ての御家人は、戦の支度を自前でまかなうしきたりになっている。
 その後、戦で得た利益は幕府がまとめ、功のあった御家人に恩賞として分配するのが鎌倉のならいだ。

(国内の戦乱が終り、土地の再分配はとうに終っている)

 その後起こった『元寇の乱』は、敵を海の向こうに追い返しただけで、新たな土地は手に入らず、幕府には戦費による負債だけが残った。
 安達氏、三浦氏のような身内を滅ぼし得た土地も、得宗家や、その側近達で独占してしまい、幕府には今、恩賞=土地を払う余裕がなかった。
 恩賞の当てがなく、力を持つ外様も信用できずでは、幕府が動かせるのは身内だけのはずだが、それでは兵が足りない。

「恩賞が欲しければ敵から奪い取れ、とでも言って御家人達を動かすのだろうよ」

 暗い目で高氏が答える。
 敵は寺社や、荘園を持たぬ悪党だ。勝ったところで、すんなり土地が手に入るわけではない。
 幕府の口実と分かっていても、逆らえば反逆だ。
 正成の前に己が討伐されて、領地を召し上げられてはたまらない。
 大抵の御家人は、形だけでも出陣しない訳にはいかないだろう。

「士気も上がらんことでしょうな」

 逆に勢いづいている討幕軍と戦って、勝てるものとは到底思えなかった。

「頭数だけは多いから、すぐに負けたりはしないでしょうが……」
「出陣の日数が伸びれば、その分軍費もかさむ。決して勝てず、逃げ帰れるほどの負けもない。考え様によっては最悪な戦だな」

 直義が冷静に断じた。

「そして、ますます士気は落ちますな」
「そうだ。結局、足利が出ることになろうよ」

 直義と師直の問答に結論づけるように、高氏がうめくような声を上げた。

「用意だけは周到に頼むぞ」
「はっ!」

 盃を床に置いた直義と師直は、揃って高氏に向かい頭を下げた。


 数日後、発表された西へ派遣される名簿の中には、やはり足利の名はなかった。
 代わりに、現在、大番役として京に派遣されている新田義貞の名前があった。

「小太郎には災難だが、堂々と兵を動かす事が出来て、やりやすくなったとも言えよう」

 兄の言葉に、直義は一応頷いたが、義助から聞いた新田氏の台所事情は、思ったより困窮している。
 大番役にかかる経費にしても、田畑を切り売りして捻出したものらしい。
 直義から事情を聞いていた師直も、ぎょろっとした目を見開いて、陰気に両手を挙げた。

「こうなったら、早く足利にも出陣要請が来ないと、赤坂城の前に新田殿が持ちませんなあ」
「冗談ごとじゃないぞ。まったく、足利から援助も出来ぬし」

 足利と新田は長い間いがみあってきた。
 親戚として援助し合うような仲でないのは、周知の事実だ。
 この期に及んで、余計なことをして、幕府にを探られてはかなわない。

「ご舎弟は、足利に声が掛かると思われますか?」
「もはや、鎌倉に残る有力な御家人は、北条一族か足利のみだ。第一陣だけで収まらねば、今までさんざん使い捨てにしてきた足利を使わずにはいられんはずだ」

 どれだけ警戒していてもな――と、直義が付け加えると、師直はにやりと笑った。

「あと一押しというところですか」

 頷いた直義は、師直に念を押した。

「抜かりはないな、師直」
「諸事万端整っております」

 師直は、深く頭を下げて請合った。
 武器、兵糧、各地の足利一門への連絡その他、一年余りを掛けて準備をしてきた。

(勝算はあるが、戦に絶対はない)

 腐っても百年幕府を維持してきた、北条の底力は侮れなかった。




―――――――――――――――――




※護良親王:『もりよししんのう』もしくは『もりながしんのう』と読みます。
この方も太平記の重要人物ですね。

…タイトル『決別の朝』は『けつべつのあした』と読むと語感がよろしいようです。
…いよいよ出陣です。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

 神典日月神示 真実の物語

蔵屋
歴史・時代
 私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。 この方たちのお名前は 大本開祖•出口なお(でぐちなお)、 神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。  この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。  昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。 その神示を纏めた書類です。  私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。  日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。 殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。 本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。 日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。 そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。 なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。 縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。 日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。 この小説は真実の物語です。 「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」 どうぞ、お楽しみ下さい。 『神知りて 人の幸せ 願うのみ 神のつたへし 愛善の道』  歌人 蔵屋日唱

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

処理中です...