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干支ピリカ

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新政建武

第八章 褒賞の波紋 3.

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3.

 則村は呻き声のようなものを上げると、尊氏の前に崩れるように座した。

「此度の恩賞の件ですな?」

 息が落ち着くのを待って発した尊氏の言葉に、則村は大きく頷いた。
 先の戦で、帝に付き従った者達は、ほぼ全員が充分な褒賞にあずかったが、唯一の例外と言ってもいいのが、この赤松則村への扱いであった。

「そもそも、佐用ノ庄は、元からワシが世話をしている土地なのだ。それが認められたのはともかく、播磨の国司をお取り上げになるとは、いかなる所存か!」

 当然の不満なのだが、足利にどうこうできる話ではなかった。

「則村殿も知っての通り、土地や官位、全ての取り決めは帝がなさっておいでです。異議申し立ては不遜なれど、理に合わぬなら、千種卿や護良親王に頼まれては……」

 則村は、帝からというより、護良親王の呼び掛けで蜂起した豪族だった。

「既に頼み申した……が、決まったものは何ともならんと、まるで取り合っては下さらんかった」

 尊氏と直義は、苦い思いで視線を交わした。
 護良親王は、義貞を都に呼んでいる。
 幾ら十分な働きをしたとはいえ、帝を通さずにだ。

(ここで、借りが一つ)

 しかも自ら呼びつけた以上、相応の褒賞を与えねば、新田も不審に思うだろうし、足利への牽制にもならない。
 実際に、義貞や義助に官位が与えられていることから考えても、親王は既に、朝廷へ大きな借りを作っている筈だった。

(これ以上の要望は通せないくらいに、か)

 直義は、がっくりと肩を落とした則村を見遣った。
 常に、他を圧するような気炎を吐いていた偉丈夫の、大きな身体が一回り小さくなったようだった。

「尊氏殿……ワシは分かった」

 則村はのろのろ顔を上げ、血走った眼で尊氏を見つめた。

「刀を差していても、やはり宮様は、所詮宮様じゃ。あの方々に、土地に命を賭ける武士の気持ちは分からんのだ」

 深く息を吸った則村は、大きく外へと吐き出した。

「ワシらの声が、帝にすら届く……新しい時代が来るのだと! 期待をかけたワシが愚かだったのじゃ!」

 血を吐くような慟哭だった。
 似たような怨嗟の声は、京の各所でも聞こえていた。

(無理もない)

 古い世が滅んだ後に来る新しい世を、期待しない者はいない。
 そして、期待が大きければ大きい程、報われなかった際の落胆もまた大きい。
 京にいる者の多くは、今まさにその大きさを味わっているところだった。
 だが……

「そんなことはありません、則村殿」

 きっぱりとした否定の声に、則村だけでなく直義も師直も、驚きの表情を浮かべて尊氏を見た。

「私が、此処でこうして、則村殿と言葉や心を交わせる今が……この時が、北条の頃と同じ訳はない。確かに我らは、新しい世を作ったのです」

 まだ、始まったばかりではありませんか?――尊氏は身を乗り出し、則村の両肩をつかんだ。

「過酷な戦を耐え抜いた我らなら、きっとまた道が拓けます。だが、ここで投げ出せば、我々のこれまでの労苦が無になりますぞ!」

 慰めるだけの、おためごかしでないのは直義にも分かった。
 あれだけの思いをして……文字通り身を切るようにして、幕府を裏切った尊氏としては、今が、北条のいた頃と同じと言われるのは耐え難い話だろう。

(おかげで必要以上に、声に熱がこもっている)

 事情を全く知らない則村は、肩を震わせると、のどから搾り出された、嗚咽混じりの声でつぶやいた。

「やはり足利殿は、武家の棟梁ぞ……!」

 赤ら顔をしわくちゃにして、則村は大人しく帰っていった。
 去り際、

『自分は播磨に帰るが、今日の話は決して忘れまい』

 と、重く言い置いて。

「熱い御方ですなあ」

 熱すぎると言いたげに、師直が手を左右に泳がせると、

「あれが、本当の武士というものだろうな」

 と尊氏が返した。
 では、自分達は何なのだろうと直義は思う。

 『宮様は宮様』と言い切られた護良親王。
 護良親王のように武士になりたがるでなく、『公家として』の刀を握るという顕家。
 『武家の棟梁』と言われた尊氏は、自身が本物の武士でないという。

(『悪党』なのに、帝の第一の忠臣と呼ばれる正成は、自身を何と呼ぶのだろうか)

 一度、話がしてみたいと、直義は思った。
 宴の支度が出来たと家人が呼びに来て、直義と師直は尊氏を置き、先に広間に向かう。

「それにしても」

 師直が、ぼそりとつぶやいた。

「則村殿に対する帝の恩賞は、明らかに少なすぎませんか?」

 歩きながらの師直の問に、直義も問で返す。

「則村殿が都から去ることで、一番不利益を蒙る者は誰だ?」
「利益でなく、不利益ですか? 難しいですな」
「難しくもないだろう。兵の数で考えてみろ」
「そりゃ、則村殿は護良親王が呼んだのですから……ああ、なるほど」

 師直は立ち止まり、ぽんっと手を合わせた。

「聞くところによると、親王殿下は内裏に敵が多いそうだ」

 顕家の話は、こんな所で裏付けられた。
 師直が、呆れたようにつぶやいた。

「……でしたら、足利など放っておいて、己の足場を固めればよろしいのに」

 そもそも新田勢を京に呼ばねば、則村が追いやられる事態には、ならなかったかもしれない。
 直義も、何度目かの実感にうんざりとした気分で、

「俺もそう思う」

 と短く返した。







――――――――――――――――




…高氏はここから『尊氏』と表記を替えます。
…赤松氏は、この頃だともう『円心』って名乗ってるかもしれませんね。分からんのでとりあえず『則村』で通してます。

※大昔、教科書で習った頃の『建武の新政』は、なんかピカピカきれいなイメージがありましたが、調べれば調べるほど、大の大人が餓鬼のように権利や権力を掴み合いで奪い合うイメージになります(-_-;)。
いや、世界中どの戦後も、そんなもんかもしれませんねー。



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