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中先代の乱
第十一章 星辰の岐路 1.
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1.
足利の家臣が相次いで、叛乱軍、諏訪頼重・時継父子に討たれた。
直義も出陣し、井手沢で叛乱軍を迎え撃つ予定だった。
しかし先だって行われた、女影原の戦の勝利で勢いを増した敵を持ちこたえられず、再度の撤退を余儀なくされた。
(早晩、鎌倉も攻め込まれよう)
鎌倉に戻った直義は、まず共に鎌倉へ下向した、幼い成良親王を京に返した。
北条が幕府を治めていた時代は、お飾りの宮様を京に返すのは、将軍職の更迭を意味していた。
自我が芽生え、扱いづらくなった故であったので、次の将軍を送れという儀式でもある。
(上手くいけば、兄上が征夷大将軍として、鎌倉に派遣される切っ掛けとなるかもしれぬ)
もう鎌倉には間に合わないが……既に館の内外で、足利勢の鎌倉撤収の用意が始まっていた。
「和氏、進み具合はどうだ?」
差配を任せた和氏は、庭に並べられた葛籠の前で、小者に指図をしていた。
「はい。明朝までには、あらかた片付くと思います」
「嵩張る物は埋めておけ。後で掘り返せばよい」
またすぐに鎌倉に戻るのだという、大将の明らかな意思を聞いて、和氏や周囲にいた家臣の緊迫した表情が綻んだ。
「承知致しました!」
直義は鎌倉を一時、敵の手に委ねるのも已む無しと考えていた。
今は相手方に、ツキと勢いがある。
(だが所詮寄せ集めだ。長くは持つまい)
下手に抗うより、兵力を温存し、敵が息切れするのを待つべきだった。
何より、京にいる足利本隊の力があれば、鎌倉はすぐに奪還できる自信があった。
(北条を破るために練った、鎌倉攻略の戦術が今になって役立つとはな)
相変わらずの皮肉な成り行きだったが、この場合は、無駄にならずに良かったというべきかもしれない。
直義は次に、千寿王を呼びにやった。
尊氏の出方が分からないので、千寿王の処遇はまだ決めていなかった。
最近の千寿王は、天狗に対する恐怖心は薄れ、挙動も落ち着いていた。
(鎌倉を出ることにも、さほど抵抗はなかろうと思うが……)
とりあえず、鎌倉を出る旨を告げた時の、千寿王の反応を見ねばと直義は思っていた。
呼びに行った者は、ほどなく戻ってきたが、困惑したように直義に告げた。
「千寿王様は、部屋におられません」
千寿王に付けていた家来、淵辺義博の姿も見えないという。否が応にも、嫌な予感が湧いた。
天狗の話を聞いてから、直義は家の者に、千寿王を町に出さないようにと命じてある。
だから屋敷の何処かにいるのは間違いないが、屋敷内は今、慌しく人と物が行き来している。
人手を出して探させるか、迷っていた直義の元に、小者が駆けてきて告げた。
「直義様、千寿王様らしきお子を、裏山へ通じる道で見かけた者がいました!」
驚いた直義は、自ら裏山に赴いた。
裏山は隣の東光寺と続いており、その境に護良親王を籠めた岩牢があるため、見張りの兵以外は使用人達も近寄れない。
(何故そのような場所に……!)
途中で、守役の淵辺と行き合った。
淵辺は直義の気勢をくじくように、勢いよく言い募った。
「直義様! 申し訳ありません、少々目を離した隙に千寿王様が……」
「聞いている。裏山だ、ついて来い!」
ははっ、という声と荒い足音を後ろに聞き、直義は足早に裏山へ向かった。
だが岩牢近くまで来て、直義は足を止めた。
(警護の兵がいない……? ばかな)
この先にいる囚人の価値は、直義自ら、警護の武士にきつく言い聞かせていた。
(どれだけ周囲が騒がしくなろうと、俺の命がない限り、警護の任務を解くわけはない)
此処に至って、直義も確信せざるを得なかった――何かが起こったのだと。
目の前には、大きな岩をくり抜いた形の牢と、鬱蒼と茂った草葉、山の木々。
葉を揺らす風の音などは、常と変わらぬように見えるが、それだけにおかしかった。
直義は腰の刀に手をやった。
「直義様?」
「油断するなよ」
岩牢の中にいた護良親王が、気配に気づいたように振り向いた。
(親王はご無事か)
直義は表に出さずに、ほっと一息ついた。
ただならぬ様子の直義を見て、親王は深い笑みを見せた。
「ようやく我を殺しに来たか? 直義」
「残念ながら、そう容易くはいかないようです、殿下」
直義が周囲に神経を尖らせているのに気付いたのか、親王も不審そうに眉を寄せ辺りを見回した。
その時、直義の背後から、すうっと、淵辺が前へ出てきた。
「何故容易く行かぬのですか? 直義様」
淵辺の横顔は真っ直ぐ、護良親王に向けられていた。
いつの間に抜刀したのか、右手には刀の束、左手には鞘が握られている。
「そこにいらっしゃる親王様は、尊氏様を暗殺しようとなされたのです。足利の敵ではありませんか?」
殺気立つ淵辺に、直義は違和感を覚えた。
淵辺は、この春に京から送られてきた増員の一人だったが、無論知らぬ顔ではない。
万事無口な控えめな男で、直義はその磐のような実直さを買っていた。
「淵辺……?」
「お下がり下さい、直義様」
待て! と口を開いた直義を制するように、その場にガチャリっという音が響いた。
牢の入り口にはまっていた錠前が落ちる音だった。
―――――――――――――――――――
※最終章スタートです。
のっけからドタバタしてます。
※諏訪頼重は、戦国時代にも同姓同名の子孫が出てきます。
信玄と戦った人(娘は勝頼の母上、諏訪御料人)なんで、そっちのが有名ですね。
足利の家臣が相次いで、叛乱軍、諏訪頼重・時継父子に討たれた。
直義も出陣し、井手沢で叛乱軍を迎え撃つ予定だった。
しかし先だって行われた、女影原の戦の勝利で勢いを増した敵を持ちこたえられず、再度の撤退を余儀なくされた。
(早晩、鎌倉も攻め込まれよう)
鎌倉に戻った直義は、まず共に鎌倉へ下向した、幼い成良親王を京に返した。
北条が幕府を治めていた時代は、お飾りの宮様を京に返すのは、将軍職の更迭を意味していた。
自我が芽生え、扱いづらくなった故であったので、次の将軍を送れという儀式でもある。
(上手くいけば、兄上が征夷大将軍として、鎌倉に派遣される切っ掛けとなるかもしれぬ)
もう鎌倉には間に合わないが……既に館の内外で、足利勢の鎌倉撤収の用意が始まっていた。
「和氏、進み具合はどうだ?」
差配を任せた和氏は、庭に並べられた葛籠の前で、小者に指図をしていた。
「はい。明朝までには、あらかた片付くと思います」
「嵩張る物は埋めておけ。後で掘り返せばよい」
またすぐに鎌倉に戻るのだという、大将の明らかな意思を聞いて、和氏や周囲にいた家臣の緊迫した表情が綻んだ。
「承知致しました!」
直義は鎌倉を一時、敵の手に委ねるのも已む無しと考えていた。
今は相手方に、ツキと勢いがある。
(だが所詮寄せ集めだ。長くは持つまい)
下手に抗うより、兵力を温存し、敵が息切れするのを待つべきだった。
何より、京にいる足利本隊の力があれば、鎌倉はすぐに奪還できる自信があった。
(北条を破るために練った、鎌倉攻略の戦術が今になって役立つとはな)
相変わらずの皮肉な成り行きだったが、この場合は、無駄にならずに良かったというべきかもしれない。
直義は次に、千寿王を呼びにやった。
尊氏の出方が分からないので、千寿王の処遇はまだ決めていなかった。
最近の千寿王は、天狗に対する恐怖心は薄れ、挙動も落ち着いていた。
(鎌倉を出ることにも、さほど抵抗はなかろうと思うが……)
とりあえず、鎌倉を出る旨を告げた時の、千寿王の反応を見ねばと直義は思っていた。
呼びに行った者は、ほどなく戻ってきたが、困惑したように直義に告げた。
「千寿王様は、部屋におられません」
千寿王に付けていた家来、淵辺義博の姿も見えないという。否が応にも、嫌な予感が湧いた。
天狗の話を聞いてから、直義は家の者に、千寿王を町に出さないようにと命じてある。
だから屋敷の何処かにいるのは間違いないが、屋敷内は今、慌しく人と物が行き来している。
人手を出して探させるか、迷っていた直義の元に、小者が駆けてきて告げた。
「直義様、千寿王様らしきお子を、裏山へ通じる道で見かけた者がいました!」
驚いた直義は、自ら裏山に赴いた。
裏山は隣の東光寺と続いており、その境に護良親王を籠めた岩牢があるため、見張りの兵以外は使用人達も近寄れない。
(何故そのような場所に……!)
途中で、守役の淵辺と行き合った。
淵辺は直義の気勢をくじくように、勢いよく言い募った。
「直義様! 申し訳ありません、少々目を離した隙に千寿王様が……」
「聞いている。裏山だ、ついて来い!」
ははっ、という声と荒い足音を後ろに聞き、直義は足早に裏山へ向かった。
だが岩牢近くまで来て、直義は足を止めた。
(警護の兵がいない……? ばかな)
この先にいる囚人の価値は、直義自ら、警護の武士にきつく言い聞かせていた。
(どれだけ周囲が騒がしくなろうと、俺の命がない限り、警護の任務を解くわけはない)
此処に至って、直義も確信せざるを得なかった――何かが起こったのだと。
目の前には、大きな岩をくり抜いた形の牢と、鬱蒼と茂った草葉、山の木々。
葉を揺らす風の音などは、常と変わらぬように見えるが、それだけにおかしかった。
直義は腰の刀に手をやった。
「直義様?」
「油断するなよ」
岩牢の中にいた護良親王が、気配に気づいたように振り向いた。
(親王はご無事か)
直義は表に出さずに、ほっと一息ついた。
ただならぬ様子の直義を見て、親王は深い笑みを見せた。
「ようやく我を殺しに来たか? 直義」
「残念ながら、そう容易くはいかないようです、殿下」
直義が周囲に神経を尖らせているのに気付いたのか、親王も不審そうに眉を寄せ辺りを見回した。
その時、直義の背後から、すうっと、淵辺が前へ出てきた。
「何故容易く行かぬのですか? 直義様」
淵辺の横顔は真っ直ぐ、護良親王に向けられていた。
いつの間に抜刀したのか、右手には刀の束、左手には鞘が握られている。
「そこにいらっしゃる親王様は、尊氏様を暗殺しようとなされたのです。足利の敵ではありませんか?」
殺気立つ淵辺に、直義は違和感を覚えた。
淵辺は、この春に京から送られてきた増員の一人だったが、無論知らぬ顔ではない。
万事無口な控えめな男で、直義はその磐のような実直さを買っていた。
「淵辺……?」
「お下がり下さい、直義様」
待て! と口を開いた直義を制するように、その場にガチャリっという音が響いた。
牢の入り口にはまっていた錠前が落ちる音だった。
―――――――――――――――――――
※最終章スタートです。
のっけからドタバタしてます。
※諏訪頼重は、戦国時代にも同姓同名の子孫が出てきます。
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