1333

干支ピリカ

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*番外編

* その後 ~『観応の擾乱』の考察

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※読まないでも話には関係ありませんが、あれからどうなったか知っておくと、面白いかもしれません。




■中先代の乱から先の時系列

1335年~
・中先代の乱勃発、足利本隊鎌倉へ。
・尊氏と後醍醐帝決裂。
・後醍醐帝、新田を鎌倉に派遣。
・足利、新田を破り上洛。

(この辺りから1336年)

・足利、後醍醐軍(顕家、正成、義貞)に敗れる。
…特に奥羽から下ってきた顕家の勢いが凄かったです(-_-;)。

・足利、九州へ逃れ力を貯める
・足利、湊川で楠木正成を破る。
・足利、再上洛。後醍醐帝を退位させ、光明天皇を帝位につける。
・後醍醐帝、吉野に逃れ『南朝』を建てる。



~これより『南北朝の動乱』が始まります。
…後醍醐帝を逃がしたのは尊氏の甘さなんで、尊氏のせいと云っても良いかも。



1338年 北畠顕家、新田義貞戦死。
 ※南朝方の千種忠顕、名和長年もこの年に亡くなってます。

…つまり、南朝方の人物が、どんどんいなくなってるわけです。

1339年 後醍醐帝没。後村上天皇即位(南朝)

…最期まで戦う気まんまんだった後醍醐帝は、決して降伏するなと言い残します(-_-;)

1348年 楠木正行(南朝)戦死。

…南朝(敵)方は、殆ど無力になりました。
…そうなると北朝(足利)には武力がいらなくなり、政治にベクトルが傾きます。





~ということでこの辺りから、泥沼の『観応の擾乱』です。





1349年~
・直義(政道)と師直(軍事)対立。

…自分の弟と右腕が険悪なムードになっているのに、尊氏さんが何をやっていたかというと、何もやってないんですよ(笑)
…どっちにも付けない、ってゆーより、日和見乙(:_;)。

・直義方が敗れる
(文VS武なんだから、そりゃそうだよなあ(-_-;))

・尊氏仲介で、師直と直義の間で和睦の条件を結ぶ。
(こういう時のために中立でいたんだよ。byたかうじ)

・師直、和睦の条件を破り、直義の股肱の臣を殺害。
(これがのちのち師直の命取り)

・足利直冬、直義を助けるために中国地方で兵を挙げる
 →師直に蹴散らされる。
 →直冬、九州で勢力を拡大する。

…敵とした実父と同じように九州で勢いを盛り返すのが面白い、というか九州というのは、中央から追いやられた、名門の子弟を旗印にする慣習(戦法?)があったみたいです。

…直冬が去った後の九州も、義満の時代になるまで、後醍醐帝の息子である懐良親王が統一、支配することになります。
(足利義満はこの人を倒して、明と貿易を始め、巨万の富を得るわけです)

…懐良親王は南朝の呼び出し応ぜず、九州の王として君臨し、明と取引していたようです。顕家も後醍醐帝なんか放っといて、奥羽で義良親王(後の後村上天皇)と国作っちゃえば良かったのにねぇ~
(それやったら顕家じゃないか……(:_;))

…横道にそれましたが、直冬もそのまま放っとくと、九州で国作っちゃいそうだっていうんで…

・尊氏、直冬討伐軍を自ら率い出陣。

 となりました。

…実の息子を(朝敵呼ばわりして)征伐しに行ったわけです。
…まー、これでブチ切れたのか

1351年 足利直義、南朝と結ぶ。

 となります。

…尊氏や師直が、各地で兵を挙げた直義派の武将を討つために、北朝の天皇の綸旨をもらってるんで、それに対抗するために南朝の天皇の綸旨を、ってことです。

…これも凄い発想、というか行動力なのですが、この関係はかなり薄っぺらいものでした。

1月 直義、京に進軍。留守居の義詮は京を捨て尊氏の元へ。
2月 直義軍、尊氏軍を破る。

…戦上手の尊氏が負けるのは、ありえない話に思えますが、これは尊氏にというか、師直の高一族に対する不満が高まっていた結果とも見えます。

…南朝の主な武将は殆ど高一族に討たれてますから、この時は南朝の残党も頑張ったわけです。

2月 和睦の条件、『師直の延命』が守られず、師直謀殺。

…前回の和睦の際、直義の臣下を討った師直を、その臣下の身内が討ち果たしました。因果ですね…。

…当然高氏は『因果』では気が治まる筈もなく、直義派を崩しにかかります。

そして

10月 尊氏、南朝と和議を結び、直義追討の綸旨を貰う

となります。

…直義の南朝寝返りも離れ業でしたが、これは……なんとゆーか、ウルトラCとゆーかダブルトウループとゆーか、すげー話なのです(゜゜;)。

 尊氏は和議の条件として以下を了承します。

・北朝の解散(帝、皇太子、関白など)
・年号も北朝の『観応』から南朝の『正平』へ。
・三種の神器も南朝に渡す

 …これが世に言う『正平の一統』(「統一」かと思ったけど統一はしてないか)。
 …つまり、自分で作った北朝を見捨てたわけです。

 とは言っても、北朝も南朝もお互いに条件を、守るつもりも守られるつもりも、なかったみたいで、これから先(義満の時代、1392年まで(:_;))も泥沼の争いが続きます。

 後世でも結構非難された『正平の一統』ですが、自分は尊氏の武将として(超)非凡なところが、よく現されたエピソードだと思います。

 要所要所で戦いを厭う困った将軍ですが、一旦戦うとなると手段を択ばない。
(やはり、この混沌の時代の唯一の勝者なんだなぁとしみじみ……)

 直義が没したのは、翌1352年2月。鎌倉円福寺だとされています。





 ~これで『観応の擾乱』は終ったのですが、尊氏の戦いは、まだまだ続きます(合掌)。





 直義の死と同時に、南朝が裏切り、楠木、千種、北畠、新田や脇屋、有名武将の子弟を動かし足利を攻めさせます。

(それでも尊氏が勝つんだから、どんだけ強いんだよ…というより南朝残党弱すぎ…(-_-;))

 直義の死因は尊氏による毒殺というのが主流ですが、直義が死んでも尊氏にとってなーんもいいことがなかったのが象徴的でした。

 本人もそれ知っているから、戦いたくなかったんだろうけど、そうやって争いを避け、直義や師直が何やっても諌めてこない結果が、この泥沼の内乱。
(もっと前に、きちんと後醍醐帝にとどめを刺せれば、少なくとも泥沼は避けられたんじゃないかと…)

 尊氏の評価に常に入る『優しさ』。
 人間としては良くとも、トップとしては最悪に働いた!と思ってしまった、『観応の擾乱』考察でした。







追記1)

・もちろん、直義にも悪い所いっぱいあります。
・尊氏に勝っても、自分が最高権力者(将軍)になろうとしないし。
・直義にとって将軍は尊氏だけで、そのせいで味方も呆れて離れちゃったりして。
・動乱が長引いた原因の一つは、間違いなくここにもあります。



追記2)

・直冬は終盤の主役の一人になってますが、もう一人の尊氏の息子、義詮は、実質的に室町幕府作った人なのに、妙に影が薄い。
・かなり苦労した筈のポジションにいるんだけど、武勇は父親にも異母兄にも及ばず、政は叔父にも師直にも及ばない。
・義満までのつなぎ扱いが多いのも、『まー仕方ないかー』なんですね。
・でも運は凄い強い!幼少期の北条戦からそう。
・それに何度も何度も敗走してるけど、一度も捕まってない!これは身内の誰にも真似できませんね。



追記3)

・この時代の勝者は尊氏だけ!などと息巻きましたが、その他にも、実は『佐々木道誉』ってゆー、歴史上のトリックスターがいます。
・大河『太平記』では陣内孝則さんが演じていて、自分もこの人のイメージが強いです。
・北条高時に仕えて、後醍醐帝に仕えて……と足利と似たような道なんですが、足利にとっては、敵であり味方であり、敵で味方。
・本当に何度も裏切ってくれました。
・それでも、最後は尊氏に信頼されて、義詮の後見任されたりして……世の中分からんですよ。
・尊氏より15年近く長生きしてるし、この人が勝者かもですね~。





…まー勝手な妄想も混ざってますんで。
…歴史の流れはこーんな感じだったんだよ、くらいでお納めください。



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みんなの感想(1件)

あさのりんご

楽しませていただきました。鎌倉時代の雰囲気が伝わって来ます。これからの展開、楽しみにしております。夢野凛

2022.05.29 干支ピリカ

ありがとうございます!
怪異が当然だった時代の雰囲気を感じていただきとても嬉しいです。

解除

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