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中先代の乱
第十一章 星辰の岐路 5.
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5.
戯言をと、すぐに笑い飛ばすべきだった。
だが差し出された手は、直義の心を、己で推し量れないほどに揺さぶった。
――……足利の名も、尊氏の弟としての己も
(すべて取り払った後、己が眼に映る景色は、どんな色をしているのだろうか?)
束の間、何もかもを引き換えにしても、それが知りたくなった。
「俺は……」
それでも、迷いはおそらく一瞬だった。
結局、あるかないかのような、わずかな腕の中の重みが、直義の足をこの地に留めた。
「聞かないでおこう」
直義の返答を聞いても、正季の表情は変わらなかった。
変わらず、口元に笑みを浮かべ、真っ直ぐに直義を見ていた。
直義もしばらくはその目を見返していたが、やがて目を伏せ、「もし」、と続けた。
「正季。もし頼めるのなら、あの方を連れて行ってくれないか?」
ゆっくりと顔を上げた直義の視線の先には、緊張の糸が切れたのか、為す術もない様子で佇んだままの護良親王がいた。
二人の話は、聞いていたのだろう。
いきなり己に話が向けられ、親王は訝しげに眉を寄せた。
「気まぐれが『法』のようなお前達の中でなら、帝の皇子も生きられるんじゃないか?」
直義は、この世のしがらみを捨てなければ、生きられぬ訳ではなかった。
(少なくとも、今はまだ)
直義の言葉が浸透するにつれて、親王の目は徐々に大きく開かれていったが、正季は驚いた様子を見せなかった。
ただじっと直義を見ていた。
しばしの沈黙の後、正季はふうっと息と、
「俺は、あんたを助けに来たんだがな」
と、淡いつぶやきを吐いた。
少し物を考えるような仕草を見せた後、正季は直義に尋ねた。
「兄上はいいのか?」
護良親王の処刑は、おそらく廉子との取引材料になっている。
「天狗が殺したとでも言っておくさ。そこでひっくり返っている兄上の使者には、適当な死体を見せておけばいい」
詳細な詮議をする時間は、おそらくもうない。
「俺達が、『皇子』を逃がしたらどうするよ?」
護良親王なら恰好の旗印になる――反乱軍は喉から手が出る程に欲しがるだろう。
そして、反乱軍が強くなればなるほど戦は長引き、この世は混乱していく。
「あぁ、皇子は騒乱の種になる。天狗共にしてみれば最高の馳走だな」
だが、と直義は続けた。
「帝は認めないだろうし、おそらく偽者扱いとなる。それでも、本物ならば足利にとっての面倒になるだろうが……」
直義はふっと笑った。
「まあ、運が悪かったと思おう」
運で済むか、と正季の呆れた声がする。
「なあ、足利のご舎弟。なんでそんな面倒ごとを、あんたはわざわざ背負うんだ?」
正季は眉を寄せきつくにらんできたが、尋ねる口元は笑っていた。
「鎌倉に暗殺者は寄越されたが、護良親王の処刑命令は未だ届いてない」
直義はしれっと告げた。
「だが、敵が近くまで迫っている。今すぐにでも、鎌倉から出なきゃならん俺にとっては、親王殿下が邪魔だ」
直義は芝居がかった動作で振り返り、親王をにらんで叫ぶように声を上げた。
「命が降りてないから、処刑ができない。置き捨てるのは危険で、連れて歩くのは面倒だ」
ならば……
「さっさと、手の届かない他所にやっちまいたいのさ」
兄上も、天皇の手も、誰の手も届かない所へ行ってしまってくれ!――それは直義の本心からの、切なる願いだった。
ずらりと並べられたへ理屈を聞いて、今度ははっきりと正季が笑った。
「いいだろう……惚れた弱みだ、引き受けよう」
抑えきれない笑みを口元からもらしながら、正季は親王に向き直る。
「……という直義殿からの申し出ですが、どうされます? 殿下」
正季は、親王の鋭い視線を受け止めて、涼しい声で告げた。
「名は捨てていただきます。『それ』以外でしたら、『我ら』は全てを受け入れましょう」
直義にも、『彼ら』が何であるかは分からない。
(それでも『天狗』は、あちこちに存在している)
芸や技術を売りながら国中を歩く者達、山や海に棲む人々、四海に散る『まつろわぬ民』も。
夢窓にも正季にも、朝廷、幕府、表の権力者達が触れられない、独自の道や網があるのは確かだ。
――国にぴたりと寄り添うように在る、薄暮で隔てられた異形の界。
改めて、巡り合わせの不可思議さを直義は思う。
親王を死なせたくないなら、国中どこを見回しても、直義が採れる道は『彼ら』だけだった。
少しの間があり、護良親王はぽつりとつぶやいた。
「反対だな」
親王の口の端は、僅かに上がっていた。
……にもかかわらず、今までに見た、どんな喚き、叫んだ時よりも、哀切な親王の感情が、直義に伝わってきた。
「我の名しか認めぬ、父上とは正反対だ」
やがて、「行こう」と、親王の口から答えが出た。
擦れた、だが迷いのない声が、風に紛れて行った。
直義がその耳で聞いた、護良親王の最後の言葉は
『お前は甘すぎる』
だった。
正季は京で別れた時と同じく、「またな」とだけ言って、親王を連れて山の奥へと消えて行った。
(敵は、本当にすぐそこまで来ているらしい)
正季は親王を連れていく交換条件として、直義が『今夜中に鎌倉を出る』ことを約束させた。
(九州の叛乱は、取りあえず収まったらしいが、畿内もあちこちに叛乱の火種が転がっている)
甘いのは、己も忙しいだろうにこんな場所までやってきて、面倒な願いを聞き届けた正季の方だと、直義は断じる。
(俺は甘くない)
淵辺は騙して面目を潰させるし、千寿王も適当に言いくるめる。
(兄上も、帝もたばかろう)
そして、己自身をも、ごまかして生きて行くため、様々な面を使い分けていくだろう。
星の指し示す――破滅するという、その日まで。
「捨てられなかったんだから、仕方ない」
わざわざ声に出して言い、直義は千寿王を背負い直す。
空の牢の前に、倒れた男を一人残して、直義は前へと歩き始めた。
了
―――――――――――――――――――――
とりあえず、これにて完了。
長々とした話を読んでいただき、感謝に堪えません。
この先は、あとがき、また「番外編」として、いろいろ。
それぞれの話を書きたいと思います。
また、お時間ができましたら是非お立ち寄り下さい。
改めて有難うございました。
ご意見ご感想、いつでもお待ちしております。
これからもよろしくお願いします。
干支ピリカ
戯言をと、すぐに笑い飛ばすべきだった。
だが差し出された手は、直義の心を、己で推し量れないほどに揺さぶった。
――……足利の名も、尊氏の弟としての己も
(すべて取り払った後、己が眼に映る景色は、どんな色をしているのだろうか?)
束の間、何もかもを引き換えにしても、それが知りたくなった。
「俺は……」
それでも、迷いはおそらく一瞬だった。
結局、あるかないかのような、わずかな腕の中の重みが、直義の足をこの地に留めた。
「聞かないでおこう」
直義の返答を聞いても、正季の表情は変わらなかった。
変わらず、口元に笑みを浮かべ、真っ直ぐに直義を見ていた。
直義もしばらくはその目を見返していたが、やがて目を伏せ、「もし」、と続けた。
「正季。もし頼めるのなら、あの方を連れて行ってくれないか?」
ゆっくりと顔を上げた直義の視線の先には、緊張の糸が切れたのか、為す術もない様子で佇んだままの護良親王がいた。
二人の話は、聞いていたのだろう。
いきなり己に話が向けられ、親王は訝しげに眉を寄せた。
「気まぐれが『法』のようなお前達の中でなら、帝の皇子も生きられるんじゃないか?」
直義は、この世のしがらみを捨てなければ、生きられぬ訳ではなかった。
(少なくとも、今はまだ)
直義の言葉が浸透するにつれて、親王の目は徐々に大きく開かれていったが、正季は驚いた様子を見せなかった。
ただじっと直義を見ていた。
しばしの沈黙の後、正季はふうっと息と、
「俺は、あんたを助けに来たんだがな」
と、淡いつぶやきを吐いた。
少し物を考えるような仕草を見せた後、正季は直義に尋ねた。
「兄上はいいのか?」
護良親王の処刑は、おそらく廉子との取引材料になっている。
「天狗が殺したとでも言っておくさ。そこでひっくり返っている兄上の使者には、適当な死体を見せておけばいい」
詳細な詮議をする時間は、おそらくもうない。
「俺達が、『皇子』を逃がしたらどうするよ?」
護良親王なら恰好の旗印になる――反乱軍は喉から手が出る程に欲しがるだろう。
そして、反乱軍が強くなればなるほど戦は長引き、この世は混乱していく。
「あぁ、皇子は騒乱の種になる。天狗共にしてみれば最高の馳走だな」
だが、と直義は続けた。
「帝は認めないだろうし、おそらく偽者扱いとなる。それでも、本物ならば足利にとっての面倒になるだろうが……」
直義はふっと笑った。
「まあ、運が悪かったと思おう」
運で済むか、と正季の呆れた声がする。
「なあ、足利のご舎弟。なんでそんな面倒ごとを、あんたはわざわざ背負うんだ?」
正季は眉を寄せきつくにらんできたが、尋ねる口元は笑っていた。
「鎌倉に暗殺者は寄越されたが、護良親王の処刑命令は未だ届いてない」
直義はしれっと告げた。
「だが、敵が近くまで迫っている。今すぐにでも、鎌倉から出なきゃならん俺にとっては、親王殿下が邪魔だ」
直義は芝居がかった動作で振り返り、親王をにらんで叫ぶように声を上げた。
「命が降りてないから、処刑ができない。置き捨てるのは危険で、連れて歩くのは面倒だ」
ならば……
「さっさと、手の届かない他所にやっちまいたいのさ」
兄上も、天皇の手も、誰の手も届かない所へ行ってしまってくれ!――それは直義の本心からの、切なる願いだった。
ずらりと並べられたへ理屈を聞いて、今度ははっきりと正季が笑った。
「いいだろう……惚れた弱みだ、引き受けよう」
抑えきれない笑みを口元からもらしながら、正季は親王に向き直る。
「……という直義殿からの申し出ですが、どうされます? 殿下」
正季は、親王の鋭い視線を受け止めて、涼しい声で告げた。
「名は捨てていただきます。『それ』以外でしたら、『我ら』は全てを受け入れましょう」
直義にも、『彼ら』が何であるかは分からない。
(それでも『天狗』は、あちこちに存在している)
芸や技術を売りながら国中を歩く者達、山や海に棲む人々、四海に散る『まつろわぬ民』も。
夢窓にも正季にも、朝廷、幕府、表の権力者達が触れられない、独自の道や網があるのは確かだ。
――国にぴたりと寄り添うように在る、薄暮で隔てられた異形の界。
改めて、巡り合わせの不可思議さを直義は思う。
親王を死なせたくないなら、国中どこを見回しても、直義が採れる道は『彼ら』だけだった。
少しの間があり、護良親王はぽつりとつぶやいた。
「反対だな」
親王の口の端は、僅かに上がっていた。
……にもかかわらず、今までに見た、どんな喚き、叫んだ時よりも、哀切な親王の感情が、直義に伝わってきた。
「我の名しか認めぬ、父上とは正反対だ」
やがて、「行こう」と、親王の口から答えが出た。
擦れた、だが迷いのない声が、風に紛れて行った。
直義がその耳で聞いた、護良親王の最後の言葉は
『お前は甘すぎる』
だった。
正季は京で別れた時と同じく、「またな」とだけ言って、親王を連れて山の奥へと消えて行った。
(敵は、本当にすぐそこまで来ているらしい)
正季は親王を連れていく交換条件として、直義が『今夜中に鎌倉を出る』ことを約束させた。
(九州の叛乱は、取りあえず収まったらしいが、畿内もあちこちに叛乱の火種が転がっている)
甘いのは、己も忙しいだろうにこんな場所までやってきて、面倒な願いを聞き届けた正季の方だと、直義は断じる。
(俺は甘くない)
淵辺は騙して面目を潰させるし、千寿王も適当に言いくるめる。
(兄上も、帝もたばかろう)
そして、己自身をも、ごまかして生きて行くため、様々な面を使い分けていくだろう。
星の指し示す――破滅するという、その日まで。
「捨てられなかったんだから、仕方ない」
わざわざ声に出して言い、直義は千寿王を背負い直す。
空の牢の前に、倒れた男を一人残して、直義は前へと歩き始めた。
了
―――――――――――――――――――――
とりあえず、これにて完了。
長々とした話を読んでいただき、感謝に堪えません。
この先は、あとがき、また「番外編」として、いろいろ。
それぞれの話を書きたいと思います。
また、お時間ができましたら是非お立ち寄り下さい。
改めて有難うございました。
ご意見ご感想、いつでもお待ちしております。
これからもよろしくお願いします。
干支ピリカ
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