逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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武揚会

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 目が覚めると、暗闇だけがあった。
 全身を縛られ、宙に吊るされている。しかも下帯姿だ。今度は俺が拷問を受ける番かと思うと、笑えて来る。
 全身の痛みが酷かった。そして、熱い。どうやら激しい折檻を受けたようだ。ただ、歯も折れていなければ、骨も無事なようだ。
 だが、ここはどこだろうか。ひんやりとしていて、かび臭い。土蔵か地下牢か。

「おっ、兄貴。目が覚めましたぜ」

 扉が開き、四人の男たちが入って来た。百目蝋燭に火を灯すと、ぱっと室内が明るくなる。
 四人の中に、代貸の伊助がいた。

「よう、善童鬼」

 伊助の手には、箒尻ほうきじりを手にしている。

「随分と暴れてくれたな。流石だ」
「何人、俺は斬った?」
「十二人。即死が十で、二人が後で死んだ」

 十二という数字を噛み締めた。斬りも斬ったりだ。これで完全に、極楽へ行く道は閉ざされたと思っていい。

「ちょっと調べたが、あんたは娘がいるようだね」
「貴様、手を出したら殺すぞ」

 そう言うと、箒尻が飛んできた。容赦なく、背中を打つ。今まで何度もしてきたが、受けるのは初めてだ。肉が裂けるような痛みだ。

「口には気を付けろよ。……まぁいい。俺にも娘がいてね。だから気持ちはわかる」
「何が目的だ?」

 また、箒尻で打擲を受けた。

「質問するのは俺だ。わかってねぇようだな」
「頭は良くない方でね」
「逸撰隊の目的はなんだ? どこまで知っている?」
「誰が言うかよ……」
「まだわからないようだな」

 背中を打たれる。肉が裂け、血が流れるのがわかった。
 背中に傷がある。逃げ傷。部下を死なせた、恥ずべき傷。こんどはそこに、敵を甘く見積もった、己の愚かさを恥じる傷が出来そうだ。

「言え」
「そのうち、隊がここに踏み込む。そうすりゃ、お前らは終わりだ」
「おい」
「へい」

 若いのが呼ばれた。
 そして、顔・腹に拳が飛ぶ。吊るされているので、避けようがない。意識が飛びそうになった時、水を掛けられた。また、殴られる。顎にいいのが入った。意識が完全に飛んだ。
 それでも、打擲が続いた。
 痛みは無く、ただ揺れている。という感じだった。
 口が勝手に動いている。何を言っているかわからない。ただ、何かを呟いているという事はわかる。

「さづ……さ……佐津」

 死んだ妻の名前を呟いていた。
 二歳年下の遠縁の娘。最初に惚れたのは自分だった。
 好きだった。愛していた。しかし、その感情は時と共に薄れていった。役目に追われ、その中に刺激に魅せられてしまったのだ。
 その頃から、佐津の態度が変わっていった。言葉の中に毒が含まれるようになり、向けられる視線が冷たくなった。
 今思えば、後悔しかない。ある日、台所で倒れていた。気が付いたのは自分で、佐津は喀血をしていた。それから一年後に佐津は死んだ。
 今から四年も前の事だ。最後の三カ月は、実に穏やかで幸せを噛み締めたが、その終幕は悲劇だと決まっていたのが甚蔵の心を暗くさせた。
 ある人が言った。容易く忘れられると。しかし、四年も経った今でも、佐津を忘れる事が出来ない。

「化けて出て来い」

 甚蔵は叫んだ。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

 どれだけ昏倒していたのか。
 目が覚めると、白装束の男たちが立っていた。五名ほどだ。しかも、顔は狐面で隠している。一目で、こいつらが羅刹道だという事がわかった。
 一人が前に出た。中肉中背。指図役なのか、この男だけが猿面をつけている。
 猿面が喉に手をやり、「善童鬼」と呟いた。

「よい渾名だな」
「そいつはどうも。俺の渾名もちったぁ売れて来たようだね」

 そう言ったが、喋るだけで口の中が染みた。それだけではなく、全身が痛い。もうぼろぼろだった。

「私は耶馬行羅という」

 身体の割りに、低い声だった。

「あんたか」
「お前には、我が門徒を多く殺されたからな」
「これからも殺す。お前の首を捩じ切ってやるぜ」

 すると、行羅は一笑した。

「威勢のいい事だ。だが、お前は早晩死ぬ」
「俺はしぶといぜ」
「どうかな。お前は明日にも仙右衛門に殺される事になっている」
「お前たちが殺さないのか?」
「我々の殺しは功徳だ。殺す事で、輪廻転生を促す。そして、羅刹天が破壊した後の阿弥陀如来の世で生き直すのだ。お前には輪廻転生の資格は無い」
「阿弥陀の世か。違うだろ。智仙の世だろうに」
「そこまで知っているとは。やはり生かしてはおけんな」

 行羅は踵を返し、手下に「眠らせろ」と命令した。
 代わって、手下が前に出た。また殴られるのかと思ったが、手拭いで口を塞がれた。鼻にツンとくる香りだった。覚えているのは、そこまでだった。
 ふと、周囲が騒然となり甚蔵は目が覚めた。
 どれだけ眠っていたのだろうか。悪い夢と思ったがどうやら、そうではないようだ。
 けたたましい悲鳴が聞こえた。羅刹道に匂わされた薬のせいか、頭が重く痛い。考えるだけでも億劫だった。
 ふと、土蔵の扉が開いた。眩い光。その中から現れたのは、長脇差ながドスを持った伊助だった。全身に傷を負い、肩で息をしている。

「善童鬼、お前を一緒に冥途へ連れて行ってやる」

 頼りない足取りで、こちらに来る。これまでかと思った刹那、伊助の頭部が砕け散った。
 背後に、飛砕を手にした紅子が立っていた。

「助けに来たよ」

 そう言うと、腰の一刀で吊るされた縄を両断した。勢いよく落ちる。そして全身の戒めを解いてくれた。

「おい、もう少し手加減出来ないのかよ」
「恩人にそんな口を叩けるなら大丈夫だね」

 と、紅子は甚蔵に佩いていた刀を差しだした。同田貫正国だった。

「感謝しろよ」
「すまん。親父の形見なんだ」

 甚蔵は同田貫正国を背負い、紅子に肩を借りて外へと出た。
 そこは見た事もない場所だった。何となく浅草の屋敷だと思っていたが、そうではなさそうだ。
 それにしても、骸の山だった。それを縫うように、逸撰隊の隊士が駆け、新たな骸を産んでいる。

「まだ敵を掃討していないんでな」
「どういう事だ、これは」
「河井に報告を受けたんだよ。すぐに浅草へ向ったけど、もぬけの殻だった」
「それで?」
「私の出番だったというわけですよ」

 どこからか、益屋が現れた。甲賀と並んでいて、少し下がって小向もいた。

「ここは小塚原の近くで、仙右衛門の隠れ家だったようですねぇ。表向きは富商の寮のようですが」
「またお前さんに借りを作っちまったか」

 甚蔵が頭を下げると、益屋が恐縮した。

「頭をお上げくださいまし。これは私にも利がある事で、いわば逸撰隊あなたがたと共同作戦のようなものですから」
「こっちは喧嘩でいりの片棒を担いだわけか」

 益屋が穏やかに微笑む。それが妙に安心できるものと感じたのが不思議だった。

「だが、仙右衛門の身柄がらはいただくよ」

 紅子が言った。
 まだ戦闘は続いているが、どうやら掃討という段階に入ったようだ。服部が二刀を手に暴れまわり、逃げ出す者を梯が弓で射倒している。現場の指揮を執っているのは、勝のようだ。どうやら、総出で自分の奪還をしてくれたらしい。

「構いませんよ、私が欲しいのは仙右衛門自身ではなく、彼が持っている領分ものですから」

 そう言って、益屋が去っていった。

「よく生きていてくれたな」

 甲賀がらしくもなく、真剣な面持ちで言った。

ツキがあったんでしょうね」
「ああ、それは間違いない。大杉が言った四つの隠れ家、どれも空振りだった。結果、早く救う事が出来たからなぁ」
「そいつはいてらぁ。でも、益屋に借りを作っちまいました」
「それもいいさ。逸撰隊うちも、せいぜい利用させてもらうよ」

 不意に歓声が沸いた。納屋の中から、仙右衛門が転げて出て来たのだ。どうやら見つけたのは河井と長内らしい。
 逃げようとしたが三笠に殴り飛ばされ、梯に蹴られた。転がったところを、伊平次が縄を掛けた。
 これで戦闘は終わるだろうと、甚蔵は思った。
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