幸次とコージ

焼納豆

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追撃

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「ホラ、早くしろ篠原!貴様それでも黒帯か?真の柔道家であれば真摯な態度で己の発言に責任をとるべきだろう?それこそ、えっと……そう、加納大先生に申し開きが出来ないだろうが!柔道の神髄を見せてみろ、黒帯!」

 偉人の名前を聞いて覚えていた幸次は、その名前を言った上で何となく尤もらしい事を並べ立てているのだが、その本心は早く次の技を篠原相手に決めてみたいだけ。

 言われている篠原は未だ右肘のダメージが全く抜けておらず、確実に少なくないダメージを受けているのだが、幸次は本気で技をかけると試合が継続できないと理解しているので、これでも相当力を抜いていた。

 この流れを間近で見ていた伍葉は、自分でさえ畏怖してしまった篠原をまるで歯牙にもかけずに圧倒的に制圧してしまう白帯の幸次の才能に感動しており、もっとその技術を見てみたいと思った……思ってしまった。

「幸次君の指摘の通りですね。篠原先生!早く立ってください。立てなければその場から試合を再開しますよ?」

 自分の欲望もあるし、教師の風上にも置けないふざけた篠原の言葉をそのまま実践していると言う気持ちもあるので、敢えて試合を続行させると宣言する伍葉とその言葉を聞いて涙目で反論する篠原。

「ま、待て!伍葉先生、見てわからないのか?私の右肘は痛んでいるんだぞ!」

 未だ立ち上がれずに膝をついた状態で右肘を左手で抑えている篠原だが、伍葉はだからどうしたと言う表情だ。

「ですが、試合はできますね。まだ篠原先生の言っていた戦闘不能とは判断できませんから、約束通り試合は続行です」

 もう石崎を始めとしたお付きの者達もこの惨状を見て自分が対戦してやると言う意気込みは全くなくなっているばかりか、一刻も早くこの柔道場から逃げ出したい気持ちに駆られている。

 少し前まではほぼ全員がマラソン時の鬱憤を晴らしてやろうといきり立っていたのだが、どう見ても相当格上の篠原でさえ手も足も出ずになぶり殺しのような状態になっているのだから、この惨状を目撃している上で幸次と闘いたいと言うような気合の入ったマゾはこのクラスにはいない。

 どの位対戦時間が過ぎたのだろうか……畳の上で涙や涎でぐしゃぐしゃになっている篠原と、すっきりした表情で無傷のまま汗一つかいていない幸次。

「ふ~、漸く体が少しだけあったまって来た感じだな。良し!ちょうど良い機会だ。おい、エラ呼吸の下民共。せっかくだから余が活を入れてやる。ありがたく思うんだな」

「それが良いですね。私が継続して審判をしますよ。さっ、篠葉先生は邪魔なのでどこかに行ってください」

「幸次君、頑張って!」

 盛り上がっているのは幸次、伍葉、吉田の三人であり、指名された石崎一行は誰も視線を合わせる事も出来ずに下を向いて震えており、その彼女である野田も有り得ない事態にフォローする事も出来ない。

 篠原に至っては碌に立ち上がれずに、畳から出るために這うようにして必死で蠢いているのだ。

「おい、エラ呼吸共!早くしろ。時間は有限だぞ!……ふっ、余に相応しい格言を言ってしまったが、時間が無い!早くしろ。来なければ、余と対戦できる栄誉を余自らが指名してやるぞ」

 ある程度篠原相手に気に入っていた大技をかける事が出来たのでもう篠原には一切興味が無くなった幸次が、次なる対戦相手と言う名の技のかけ具合を試す練習相手を渇望している。

「止むを得まい。本来は自らその栄誉を渇望するのが基本だが、エラ呼吸の下民ではそれだけの考えが思い浮かばんのだろう。良し」

 こうして全員が下を向いて震えているよう見える位置に移動すると、そのまま奥襟をムンズと掴んで片手で軽々持ち上げると、畳の中央に投げ捨てる。

「貴様には大切な家族を泣かされた恨みがあるからな、石崎!」

 対戦相手は伍葉や吉田の予想を外さずに石崎になっている。

「さっ、石崎君。これは授業です。柔道の授業。しっかり立ち上がって対戦してください。篠原先生の時にも言いましたが、そのままの姿勢でも試合を開始しますからね」

 未だ震えた状態の石崎に対して伍葉は容赦のない言葉を投げかけており、今までの素行から考えると当然と思っている部分もあるのだが、この辺りで一度痛い目を見ないと長い人生で大きな損失になると言う教育に係わっている者らしい考えでもある。

「うっ、クソ!テ……幸次。両親が戻ってこられなくても良いのか!」

 もう破れかぶれの石崎は、自らが幸次の両親に関して手を回したと自白しているのと同じ状況であるとは気が付かずに、この場を乗り切る事だけに意識が集中している。

「あの場所は復興には数十年以上かかると言われているんだ。そんな場所に夫婦揃って飛ばされて復興終了、つまりは定年まで帰ってこられねーんだよ。ざまーみやがれ。今ここで土下座すれば、その件も対処してやらない事も……」

――バン――

「一本!」

 この場に連れてきた時と同じように、奥襟を片手で持って持ち上げて最後まで言わせる前に少々強めに畳に叩きつけた幸次。

 無様を晒した石崎は肺の空気が抜かれて呼吸が出来ずに苦しんでいるのだが、そこにおもむろに近づいて再び襟をもって持ち上げる幸次は、視線を石崎に合わせると明確に威圧する。

「余は言ったはずだ。余の守る者に手を出す者には容赦しないとな。貴様程度の頭では、幾度となく警告しなければ理解できないようだな」

 眼前に最大の恐怖があるので口を開く事が出来ない石崎は、情けなくも意識を失った。
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