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お黙りなさい
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ディアナがじりっと思わず後ずさりすると、傍で様子を見ていたジェミナイがすかさず扉を閉めて、逃げ道を塞いだ。
――――貴方、なんて余計な事を……!
怒りの声を上げたディアナが扉の前で固まっている間に、ルベウスは足早にやって来て、前に屈んだ。
「私に抱かれにきたのだろう?」
『変な事を言わないでちょうだい! アンバルのせいで寒気がしたから温まりたいわ……なんて、絶対に思っていないわ!』
にこやかだったルベウスの顔が急転直下、一気に強張った。大きな手を差し伸べて、ディアナに急かしてくる。
「……大丈夫だ。怖がらなくていい」
『違うったら!』
気恥ずかしくて仕方がないディアナだが、ネコ語は通じないか、と項垂れる。しかも、やはりルベウスの手の誘惑は抗いがたく、気付けば彼に抱き上げられて、腕の中にいた。
「私がいるからな」
穏やかな声と共に頭を撫でられて、ディアナはついうっかり浸ってしまう。野良猫が部屋にいる大勢の貴族達に怯えないかと、心配してくれたのだろう。
『貴方……本当に……好きよね……』
――――猫が。
ディアナの呟きに、ルベウスは軽く目を見張り、そして微笑んだ。
「……あぁ。そうだな……」
ディアナが自分を頼ってきてくれたことが、嬉しい。腕の中で大人しく抱きしめられてくれている彼女が、愛おしい。ルベウスは優しい眼差しを彼女へ向けていたが。
貴族達は軒並み顔の色を変えていた。
なぜなら、彼女への慈しみの想いを抱えると同時に、彼はアンバルへの敵意を膨れ上がらせている。顔にも態度にも一切出そうとはしなかったが、底知れぬ覇気が部屋の温度を確実に下げていた。
幸か不幸か、ルベウスの腕の温もりに包まれているディアナは、全く感知できていない。
ルベウスを大人しい男と甘く見て、再婚話を持ち掛け続けていた貴族たちは、彼の本性を垣間見て言葉を失っていた。無論、さらに迫ろうなどという勇者などいない。
真っ青になった彼らが押し黙ると、ルベウスはじろりと一瞥し、
「では、話はこれで終わりだ」
と一蹴し、ディアナを連れて部屋を後にした。
ルベウスに連れられて廊下へと出たディアナは、一つ大きく息を吐く。
部屋を出たら、なんだか気が楽だ。
貴族たちの目がなくなったせいなのか、それともこれ以上彼の再婚話を聞かずにすむからなのか。ルベウスの後に続いたジェミナイも、猫好きらしく穏やかな態度のまま大人しく随伴していて、場の空気は穏やかだ。
そんな事を考えていたディアナは、ルベウスが貴族達を怯えさせた気配を消したせいだということには気づかない。なにしろ、彼は彼女が腕の中に止まってくれているので、ご機嫌だったからだ。
ルベウスは彼女と結婚しても、指一本たりとも触れることはなかった。
次代を育むことは王族の責務だ。結婚した以上は寝室を共にしなければならないという責任感はあったが、当初から寝室を分けられたからだ。夫として軽視されているという屈辱感をおぼえながらも、なんとしても触れようとも思わなかった。
彼女の本当の姿を知るまでは。
痩せ衰え、死に瀕した本来の姿も。猫になり、非力な姿になっても。
ディアナの心は変わらない。あまりに愛おしかった。
ずっと触れていたい。自分が守ってやりたい。
そんな思いを女性に抱いたことは初めてで、ルベウスは自分の心が彼女に囚われたことを自覚している。
ルベウスは中庭へと続く渡り廊下で足を止めた。猫になった彼女を見つけた、思い入れのある場所だ。庭へと進むと、腕の中の彼女の呟きが聞こえる。
『なに? また庭をふらふらする気? 貴方、変わった趣味があったのねぇ。知らなかったわ』
「私の事がもっと知りたいか?」
『……そうね。いろいろと……予想外だったわ』
「私もだ。貴女の事を……もっと教えてほしい」
『いやよ。恥ずかしいわ』
王と王配という関係でいた頃や、短い結婚生活では知りえなかった彼の意外な姿が、気にならないといえば嘘になる。彼がどう思っているのか、何を考えているのか、知りたい。
そんな事を考えながら答えた時、ディアナは固まった。
――――おかしいわ。私たち、会話をしていないかしら……?
目を真ん丸にして見上げてみれば、ルベウスは柔らかな笑顔を向けてきた。人間じゃなくてよかったと、ディアナは思った。恐らく今、確実に、自分が真っ赤になっている自信がある。
『猫……だからよね?』
「なんのことだ? 教えてくれ」
『…………』
嫌な予感がして黙り込むと、ルベウスは足を止めて、真顔で問いかけた。
「ディアナ」
猫になんて名前をつけているのだ、とディアナは現実逃避を兼ねて思ってみた。だが、彼はどこをどう見ても、本気である。まさか、自分が猫になった事に気づいていたのか。
いつ、どこで、なぜ。どうやって言葉を解しているのだ。
混乱に拍車をかけたのは、息せき切って魔術師達や重臣たちが駆け付けてきたからだ。飛び出していった彼女を心配して、追いかけてきたのだ。
「あっ、ディアナ様! こちらにいらっしゃいましたか!」
「ディアナ様! そろそろお戻りを!」
『黙らっしゃい!』
余計な事を、ルベウスの前で言うんじゃない。
彼らを睨みつけたディアナは悲鳴交じりの声をあげるが、全員が構わず自分の名を連呼する。半泣きになってルベウスを見上げれば、彼は頷いて見せた。
『嘘でしょう……』
頭が真っ白になる。つまり、彼には自分が猫になって、色々と好き放題やったり、言ったりしていたことが、全部知られていたということか。
恥ずかしい。情けない。
自分の心のうちをさらけ出した事なんて、なかったのに。
大混乱に陥ったディアナは、ルベウスの腕の中で暴れ、彼の腕の中から飛び降りた。彼の制止の声もきかず、そのまま庭を全速力で駆ける。
「待ってくれ、ディアナ!」
『私は野良ネコよ!』
「誰がそんなものにするか!」
怒りを孕んだ声に、ディアナは走りながら振り向いてみれば、凄まじい速度でルベウスが駆けてくる。魔術師たちも顔面蒼白になりながら追ってきていたが、軒並み置き去りである。
ルベウスはどうやら足も速かったらしい。
『それも知らなかったわ……』
思わずつぶやいた時、ふと前の方から鳥の羽音がした。
『ん……?』
「ディアナ、逃げろ!」
ルベウスの叫び声が響く。ディアナが再び前を向いた時、視界に飛び込んできたのは、鋭い爪だった。小さな猫の身体の倍以上はある大きな鷹は、容赦なくディアナの身体を捕らえた。
両足の爪で身体をがっしりと掴み抑えると、すぐさま上空へと飛び上がる。
「ぎにゃあああ!」
猫の悲鳴が響き渡ったが、一気に高度を上げた鷹に、ルベウスも手が届かない。悠然と飛び去って行く鷹を睨みつけ必死で追ったが、やがて建物の壁に阻まれてしまった。
一方、上空で鷹が羽ばたくたびに揺さぶられるディアナは、生きた心地がしない。暴れてうっかり落とされても困るから大人しくしたが、それにしても恐ろしい。
――――死ぬ。今度こそ、私は死ぬわ……。でも、墜落死はちょっと嫌! 周りの人が困るじゃない!
――――貴方、なんて余計な事を……!
怒りの声を上げたディアナが扉の前で固まっている間に、ルベウスは足早にやって来て、前に屈んだ。
「私に抱かれにきたのだろう?」
『変な事を言わないでちょうだい! アンバルのせいで寒気がしたから温まりたいわ……なんて、絶対に思っていないわ!』
にこやかだったルベウスの顔が急転直下、一気に強張った。大きな手を差し伸べて、ディアナに急かしてくる。
「……大丈夫だ。怖がらなくていい」
『違うったら!』
気恥ずかしくて仕方がないディアナだが、ネコ語は通じないか、と項垂れる。しかも、やはりルベウスの手の誘惑は抗いがたく、気付けば彼に抱き上げられて、腕の中にいた。
「私がいるからな」
穏やかな声と共に頭を撫でられて、ディアナはついうっかり浸ってしまう。野良猫が部屋にいる大勢の貴族達に怯えないかと、心配してくれたのだろう。
『貴方……本当に……好きよね……』
――――猫が。
ディアナの呟きに、ルベウスは軽く目を見張り、そして微笑んだ。
「……あぁ。そうだな……」
ディアナが自分を頼ってきてくれたことが、嬉しい。腕の中で大人しく抱きしめられてくれている彼女が、愛おしい。ルベウスは優しい眼差しを彼女へ向けていたが。
貴族達は軒並み顔の色を変えていた。
なぜなら、彼女への慈しみの想いを抱えると同時に、彼はアンバルへの敵意を膨れ上がらせている。顔にも態度にも一切出そうとはしなかったが、底知れぬ覇気が部屋の温度を確実に下げていた。
幸か不幸か、ルベウスの腕の温もりに包まれているディアナは、全く感知できていない。
ルベウスを大人しい男と甘く見て、再婚話を持ち掛け続けていた貴族たちは、彼の本性を垣間見て言葉を失っていた。無論、さらに迫ろうなどという勇者などいない。
真っ青になった彼らが押し黙ると、ルベウスはじろりと一瞥し、
「では、話はこれで終わりだ」
と一蹴し、ディアナを連れて部屋を後にした。
ルベウスに連れられて廊下へと出たディアナは、一つ大きく息を吐く。
部屋を出たら、なんだか気が楽だ。
貴族たちの目がなくなったせいなのか、それともこれ以上彼の再婚話を聞かずにすむからなのか。ルベウスの後に続いたジェミナイも、猫好きらしく穏やかな態度のまま大人しく随伴していて、場の空気は穏やかだ。
そんな事を考えていたディアナは、ルベウスが貴族達を怯えさせた気配を消したせいだということには気づかない。なにしろ、彼は彼女が腕の中に止まってくれているので、ご機嫌だったからだ。
ルベウスは彼女と結婚しても、指一本たりとも触れることはなかった。
次代を育むことは王族の責務だ。結婚した以上は寝室を共にしなければならないという責任感はあったが、当初から寝室を分けられたからだ。夫として軽視されているという屈辱感をおぼえながらも、なんとしても触れようとも思わなかった。
彼女の本当の姿を知るまでは。
痩せ衰え、死に瀕した本来の姿も。猫になり、非力な姿になっても。
ディアナの心は変わらない。あまりに愛おしかった。
ずっと触れていたい。自分が守ってやりたい。
そんな思いを女性に抱いたことは初めてで、ルベウスは自分の心が彼女に囚われたことを自覚している。
ルベウスは中庭へと続く渡り廊下で足を止めた。猫になった彼女を見つけた、思い入れのある場所だ。庭へと進むと、腕の中の彼女の呟きが聞こえる。
『なに? また庭をふらふらする気? 貴方、変わった趣味があったのねぇ。知らなかったわ』
「私の事がもっと知りたいか?」
『……そうね。いろいろと……予想外だったわ』
「私もだ。貴女の事を……もっと教えてほしい」
『いやよ。恥ずかしいわ』
王と王配という関係でいた頃や、短い結婚生活では知りえなかった彼の意外な姿が、気にならないといえば嘘になる。彼がどう思っているのか、何を考えているのか、知りたい。
そんな事を考えながら答えた時、ディアナは固まった。
――――おかしいわ。私たち、会話をしていないかしら……?
目を真ん丸にして見上げてみれば、ルベウスは柔らかな笑顔を向けてきた。人間じゃなくてよかったと、ディアナは思った。恐らく今、確実に、自分が真っ赤になっている自信がある。
『猫……だからよね?』
「なんのことだ? 教えてくれ」
『…………』
嫌な予感がして黙り込むと、ルベウスは足を止めて、真顔で問いかけた。
「ディアナ」
猫になんて名前をつけているのだ、とディアナは現実逃避を兼ねて思ってみた。だが、彼はどこをどう見ても、本気である。まさか、自分が猫になった事に気づいていたのか。
いつ、どこで、なぜ。どうやって言葉を解しているのだ。
混乱に拍車をかけたのは、息せき切って魔術師達や重臣たちが駆け付けてきたからだ。飛び出していった彼女を心配して、追いかけてきたのだ。
「あっ、ディアナ様! こちらにいらっしゃいましたか!」
「ディアナ様! そろそろお戻りを!」
『黙らっしゃい!』
余計な事を、ルベウスの前で言うんじゃない。
彼らを睨みつけたディアナは悲鳴交じりの声をあげるが、全員が構わず自分の名を連呼する。半泣きになってルベウスを見上げれば、彼は頷いて見せた。
『嘘でしょう……』
頭が真っ白になる。つまり、彼には自分が猫になって、色々と好き放題やったり、言ったりしていたことが、全部知られていたということか。
恥ずかしい。情けない。
自分の心のうちをさらけ出した事なんて、なかったのに。
大混乱に陥ったディアナは、ルベウスの腕の中で暴れ、彼の腕の中から飛び降りた。彼の制止の声もきかず、そのまま庭を全速力で駆ける。
「待ってくれ、ディアナ!」
『私は野良ネコよ!』
「誰がそんなものにするか!」
怒りを孕んだ声に、ディアナは走りながら振り向いてみれば、凄まじい速度でルベウスが駆けてくる。魔術師たちも顔面蒼白になりながら追ってきていたが、軒並み置き去りである。
ルベウスはどうやら足も速かったらしい。
『それも知らなかったわ……』
思わずつぶやいた時、ふと前の方から鳥の羽音がした。
『ん……?』
「ディアナ、逃げろ!」
ルベウスの叫び声が響く。ディアナが再び前を向いた時、視界に飛び込んできたのは、鋭い爪だった。小さな猫の身体の倍以上はある大きな鷹は、容赦なくディアナの身体を捕らえた。
両足の爪で身体をがっしりと掴み抑えると、すぐさま上空へと飛び上がる。
「ぎにゃあああ!」
猫の悲鳴が響き渡ったが、一気に高度を上げた鷹に、ルベウスも手が届かない。悠然と飛び去って行く鷹を睨みつけ必死で追ったが、やがて建物の壁に阻まれてしまった。
一方、上空で鷹が羽ばたくたびに揺さぶられるディアナは、生きた心地がしない。暴れてうっかり落とされても困るから大人しくしたが、それにしても恐ろしい。
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