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5.令嬢の大失敗
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男子継承が優先されるラヴール王国を統べる国王には、正妃と妾との間にそれぞれ一人ずつ王子がいた。
王位継承権で重視されるのは母親の身分であり、次いで年齢になる。つまり、正妃の子が最優先だ。
正妃に子がなく、家格が等しい妾を母親にもつ王子が大勢いる場合、継承権の順位を巡って母親たちの骨肉の争いが起こることもあるが、現在の王室にはそれがない。
まず二人の王子の母親たちは、彼らが幼い頃にどちらも病で他界しているということが一つ。
そして、長男であるレオンハルト・ラヴールは正妃の子である。彼の母親の実家は五大家の一つである名門で、莫大な財と権力を惜しみなく使って彼を支えてきた。一方の次男のアルエは妾の子で、兄より十歳年下であり、母親の実家は下級貴族だ。
最初から勝負はついている。兄レオンハルトが次期王位継承者として王太子に任じられたことは、順当であり、何の障りもなかった。
また、レオンハルト自身も非常に多才な男性でもある。
幼い頃から帝王学も学び、武芸も極めた。何をやらせても優秀な成績をおさめ、教師たちは舌を巻いた。
神童とまで言われたレオンハルトは、恐ろしいまでの美貌の持ち主だ。戦いを恐れず、いざ剣を抜けば苛烈な戦いをする身体は鍛え抜かれていたが、傷跡一つない。
肌はきめ細かく、黄金色の短髪は艶やかだ。宝石のような美しい色合いをした碧眼は女性たちを虜にし、ときどき浮名を流しても、禍根を残すことなく奇麗に別れているという。女性の扱いも上手い。
二十五歳の青年は年を重ねるごとに美しさを増し、未だに独身とあって、彼に向ける女性たちの熱い視線も増える一方だ。
地位も、名誉も、容姿も、女も。
ありとあらゆるものを手にしているレオンハルトが会場に現れた瞬間、令嬢たちの目の色が変わった。
大声を出すのは、はしたないと厳しく躾けられている彼女たちが、この時ばかりは我を忘れて黄色い声をあげてしまう。そんな彼女たちにレオンハルトは優美な笑みを浮かべ、丁寧に応えていた。傍らには父親である国王がいたが、いつものことなので苦笑して咎めもせず、会場の中に入る。
その様子を、ルイーズとリュンクスは、少し離れたところで見ていた。
「何だかすごいね」
「気にされることはありませんよ。姉上にかなう女などいません」
「そうだねぇ……伯爵家ともなると、みんな遠慮するよね。落ち着くまで少し待とうか」
ルイーズは頷いた。
国王一家に挨拶するべきなのだろうが、あんなに夢中でいる令嬢たちを押しのけたくない。
「……姉上、まさか本気ですか」
「なにが?」
首を傾げたルイーズに、リュンクスは心配そうな顔になった。
「お気持ちは分かりますが……やめておいたほうがいいと思います」
「何を言っているの? あ、今なら行けそう」
丁度人が掃けたのを見て、ルイーズは何やら足取りの重いリュンクスを促し、国王一家の元へと歩み寄った。
「おぉ、来たか」
笑顔を見せて声をかけた国王に、ルイーズは弟ともども臣下の礼を取って、丁寧な挨拶の口上を述べた。
田舎育ちであり、このような大規模な夜会など初めてではあったが、苦ではない。厳しく育ててくれた師のおかげだ。
国王と初めて接見した時も、今も、臆せず会話をすることができたが、傍らに立つ王太子へと視線を向けた瞬間、その付け焼刃がはがれそうになった。
それほど、圧倒的な存在感のある男性だった。
田舎であろうが、王都であろうが、貴族の集まる夜会であろうが、どこであってもこれ程際立った美貌の主をルイーズは知らない。
まるで彫刻のような完璧な整った目鼻立ちであり、髪色も瞳の色も何もかも美しい。
長身で体格も良く、使い込まれた剣と、背筋の伸びた立ち姿にわずかな隙もなかった。
そして、美しい顔に浮かぶ笑みは、どこか男の色香を感じさせる。数多の女性達の視線を浴びても気にする様子は見られず、世慣れた空気を放っていた。
まさにレオンハルトは、完璧な男だ。そんな王太子を見つめ、ルイーズは非常に緊張を強いられつつも、挨拶を続けた。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。私はルイーズ、こちらは弟のリュンクスです。今は私が代理を務めておりますが、あと半年ほどで弟は成人し、正式に爵位を継ぐ予定となっております」
「あぁ、話は聞いている。才能あふれる弟のようだな、頼もしい限りだ」
碧眼がすっと細められ、それだけで周囲の令嬢たちは頬を真っ赤にしたし、ルイーズもようやく彼に笑みを浮かべた。
大切な弟を手離しで褒められたのだ。嬉しいと素直に思う。
「ありがとうございます。弟はなにぶん若輩者ですし、田舎から出て来たばかりですので、至らぬことも多々あるかと存じます。恥じ入るばかりかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「それにしては、王宮で堂々としているぞ? 貴女もだが」
レオンハルトは苦笑した。彼は小馬鹿にしているつもりではないとルイーズも口調でも分かったが、王宮へ行ってみると、田舎者と嘲笑ってきた者がいたのも事実だった。
「父が私たちにとても博識な師をつけてくれましたから、多少の心得はございます」
「それは結構なことだが……貴女のその装いはさすがに目を引くな」
「左様でございますか。私はこれがとても動きやすいものですから」
「だが、夜会に相応しいとは思えない。踊らないつもりか?」
夜会にダンスは付きものだということは、ルイーズも知っている。だが、男装した女など誘う男などまずいない。男同士が踊っているようにしか見えないのだから。ただ、別に自分が男とダンスを踊る必要性を感じなかったし、こんな大女をリードする男も大変だろう。
そこまで考えて、ルイーズはふと眼前の男性を見返した。
自分たち姉弟よりさらに背が高い男性は珍しい。頭半分ほどの差だから、ダンスを踊るのに丁度いいくらいだ。
「殿下となら踊れるかもしれませんが……」
つい思ったままを言ったルイーズに、レオンハルトは軽く目を見張ったのち一笑して、今度は明らかにあしらってきた。
「俺に男と踊れと誘うのか?」
「まさか、そんな。殿下の周りには、大勢の可愛い女の子がいらっしゃるのですから、どうぞ沢山踊られてください」
実に羨ましい。可愛くて小さな子が選び放題だ。
心の葛藤が滲み出たのか、つい顔を少ししかめたルイーズに、レオンハルトはまた笑ったが、彼の目は冷めたものになった。
「貴女にいちいち指図を受ける筋合いはないが?」
「もちろんです。ですから、心おきなくお楽しみください」
「嫌味ったらしいぞ」
レオンハルトは冷淡に返したが、ルイーズも苦々しくて仕方がない。
態度に出してはいけないと思ったが、それにしてもしつこい。
確かに羨ましいのを通り越して、ずるいと思ってしまってはいる。しかし、口では『どうぞ』と、きちんと礼儀正しく言っているのだ。この王太子殿下は、何が気に入らないのだろう。
完璧な男のように見えて、案外――。
「……心が狭いわ」
「なんだと?」
ぼそっと言ってしまったルイーズは内心慌てたが、言ってしまったものは仕方がないと諦める。
愛想笑いを顔に貼り付けて、ごまかしにかかった。
「空耳でございます」
「しっかり聞こえた」
「戯言でございます」
「本心としか思えない」
「……お許しください」
「無論だ。いちいち目くじらを立てるほど、狭量ではない」
「さすが、ラヴールの至宝と聞き及ぶ通りの御方ですね。失礼いたしました」
「その褒め言葉も嫌味にしか聞こえないが、それも聞き流せと?」
「まさか。しつこ――えぇ、ごほんっ」
また口が滑ったルイーズが目を泳がせると、今度はなぜか楽しげにレオンハルトが笑っている。
この王太子はひねくれてもいるらしいと、内心呆れた。ただ、傍らで聞いていた国王は目を見張って固まっているのに気づく。
これはまずい、大失敗だ。
焦って隣にいるリュンクスを見れば、笑いを必死で堪えているのが分かり、ルイーズは心から思った。
弟よ、助け船はどうした。
王位継承権で重視されるのは母親の身分であり、次いで年齢になる。つまり、正妃の子が最優先だ。
正妃に子がなく、家格が等しい妾を母親にもつ王子が大勢いる場合、継承権の順位を巡って母親たちの骨肉の争いが起こることもあるが、現在の王室にはそれがない。
まず二人の王子の母親たちは、彼らが幼い頃にどちらも病で他界しているということが一つ。
そして、長男であるレオンハルト・ラヴールは正妃の子である。彼の母親の実家は五大家の一つである名門で、莫大な財と権力を惜しみなく使って彼を支えてきた。一方の次男のアルエは妾の子で、兄より十歳年下であり、母親の実家は下級貴族だ。
最初から勝負はついている。兄レオンハルトが次期王位継承者として王太子に任じられたことは、順当であり、何の障りもなかった。
また、レオンハルト自身も非常に多才な男性でもある。
幼い頃から帝王学も学び、武芸も極めた。何をやらせても優秀な成績をおさめ、教師たちは舌を巻いた。
神童とまで言われたレオンハルトは、恐ろしいまでの美貌の持ち主だ。戦いを恐れず、いざ剣を抜けば苛烈な戦いをする身体は鍛え抜かれていたが、傷跡一つない。
肌はきめ細かく、黄金色の短髪は艶やかだ。宝石のような美しい色合いをした碧眼は女性たちを虜にし、ときどき浮名を流しても、禍根を残すことなく奇麗に別れているという。女性の扱いも上手い。
二十五歳の青年は年を重ねるごとに美しさを増し、未だに独身とあって、彼に向ける女性たちの熱い視線も増える一方だ。
地位も、名誉も、容姿も、女も。
ありとあらゆるものを手にしているレオンハルトが会場に現れた瞬間、令嬢たちの目の色が変わった。
大声を出すのは、はしたないと厳しく躾けられている彼女たちが、この時ばかりは我を忘れて黄色い声をあげてしまう。そんな彼女たちにレオンハルトは優美な笑みを浮かべ、丁寧に応えていた。傍らには父親である国王がいたが、いつものことなので苦笑して咎めもせず、会場の中に入る。
その様子を、ルイーズとリュンクスは、少し離れたところで見ていた。
「何だかすごいね」
「気にされることはありませんよ。姉上にかなう女などいません」
「そうだねぇ……伯爵家ともなると、みんな遠慮するよね。落ち着くまで少し待とうか」
ルイーズは頷いた。
国王一家に挨拶するべきなのだろうが、あんなに夢中でいる令嬢たちを押しのけたくない。
「……姉上、まさか本気ですか」
「なにが?」
首を傾げたルイーズに、リュンクスは心配そうな顔になった。
「お気持ちは分かりますが……やめておいたほうがいいと思います」
「何を言っているの? あ、今なら行けそう」
丁度人が掃けたのを見て、ルイーズは何やら足取りの重いリュンクスを促し、国王一家の元へと歩み寄った。
「おぉ、来たか」
笑顔を見せて声をかけた国王に、ルイーズは弟ともども臣下の礼を取って、丁寧な挨拶の口上を述べた。
田舎育ちであり、このような大規模な夜会など初めてではあったが、苦ではない。厳しく育ててくれた師のおかげだ。
国王と初めて接見した時も、今も、臆せず会話をすることができたが、傍らに立つ王太子へと視線を向けた瞬間、その付け焼刃がはがれそうになった。
それほど、圧倒的な存在感のある男性だった。
田舎であろうが、王都であろうが、貴族の集まる夜会であろうが、どこであってもこれ程際立った美貌の主をルイーズは知らない。
まるで彫刻のような完璧な整った目鼻立ちであり、髪色も瞳の色も何もかも美しい。
長身で体格も良く、使い込まれた剣と、背筋の伸びた立ち姿にわずかな隙もなかった。
そして、美しい顔に浮かぶ笑みは、どこか男の色香を感じさせる。数多の女性達の視線を浴びても気にする様子は見られず、世慣れた空気を放っていた。
まさにレオンハルトは、完璧な男だ。そんな王太子を見つめ、ルイーズは非常に緊張を強いられつつも、挨拶を続けた。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。私はルイーズ、こちらは弟のリュンクスです。今は私が代理を務めておりますが、あと半年ほどで弟は成人し、正式に爵位を継ぐ予定となっております」
「あぁ、話は聞いている。才能あふれる弟のようだな、頼もしい限りだ」
碧眼がすっと細められ、それだけで周囲の令嬢たちは頬を真っ赤にしたし、ルイーズもようやく彼に笑みを浮かべた。
大切な弟を手離しで褒められたのだ。嬉しいと素直に思う。
「ありがとうございます。弟はなにぶん若輩者ですし、田舎から出て来たばかりですので、至らぬことも多々あるかと存じます。恥じ入るばかりかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「それにしては、王宮で堂々としているぞ? 貴女もだが」
レオンハルトは苦笑した。彼は小馬鹿にしているつもりではないとルイーズも口調でも分かったが、王宮へ行ってみると、田舎者と嘲笑ってきた者がいたのも事実だった。
「父が私たちにとても博識な師をつけてくれましたから、多少の心得はございます」
「それは結構なことだが……貴女のその装いはさすがに目を引くな」
「左様でございますか。私はこれがとても動きやすいものですから」
「だが、夜会に相応しいとは思えない。踊らないつもりか?」
夜会にダンスは付きものだということは、ルイーズも知っている。だが、男装した女など誘う男などまずいない。男同士が踊っているようにしか見えないのだから。ただ、別に自分が男とダンスを踊る必要性を感じなかったし、こんな大女をリードする男も大変だろう。
そこまで考えて、ルイーズはふと眼前の男性を見返した。
自分たち姉弟よりさらに背が高い男性は珍しい。頭半分ほどの差だから、ダンスを踊るのに丁度いいくらいだ。
「殿下となら踊れるかもしれませんが……」
つい思ったままを言ったルイーズに、レオンハルトは軽く目を見張ったのち一笑して、今度は明らかにあしらってきた。
「俺に男と踊れと誘うのか?」
「まさか、そんな。殿下の周りには、大勢の可愛い女の子がいらっしゃるのですから、どうぞ沢山踊られてください」
実に羨ましい。可愛くて小さな子が選び放題だ。
心の葛藤が滲み出たのか、つい顔を少ししかめたルイーズに、レオンハルトはまた笑ったが、彼の目は冷めたものになった。
「貴女にいちいち指図を受ける筋合いはないが?」
「もちろんです。ですから、心おきなくお楽しみください」
「嫌味ったらしいぞ」
レオンハルトは冷淡に返したが、ルイーズも苦々しくて仕方がない。
態度に出してはいけないと思ったが、それにしてもしつこい。
確かに羨ましいのを通り越して、ずるいと思ってしまってはいる。しかし、口では『どうぞ』と、きちんと礼儀正しく言っているのだ。この王太子殿下は、何が気に入らないのだろう。
完璧な男のように見えて、案外――。
「……心が狭いわ」
「なんだと?」
ぼそっと言ってしまったルイーズは内心慌てたが、言ってしまったものは仕方がないと諦める。
愛想笑いを顔に貼り付けて、ごまかしにかかった。
「空耳でございます」
「しっかり聞こえた」
「戯言でございます」
「本心としか思えない」
「……お許しください」
「無論だ。いちいち目くじらを立てるほど、狭量ではない」
「さすが、ラヴールの至宝と聞き及ぶ通りの御方ですね。失礼いたしました」
「その褒め言葉も嫌味にしか聞こえないが、それも聞き流せと?」
「まさか。しつこ――えぇ、ごほんっ」
また口が滑ったルイーズが目を泳がせると、今度はなぜか楽しげにレオンハルトが笑っている。
この王太子はひねくれてもいるらしいと、内心呆れた。ただ、傍らで聞いていた国王は目を見張って固まっているのに気づく。
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