彼は政略結婚を受け入れた

黒猫子猫

文字の大きさ
6 / 13

裏切りの刃

しおりを挟む
 凍りついたアネットに、母竜は容赦なくたたみかける。

「そなたはいい。長い人生のごく一部の時間を使って、面白おかしく過ごせるのだからな。だが、相手はどうだ。自分はあっという間に老い、先に死ぬ。ならば、同じような月日を生き、共に老いていく人間と共にいる方が、ずっと幸せではないのか。神と崇めるような異種族に懐かれるのは、実は迷惑だったかもしれんぞ。大人しく身を引いてやるのも、愛情だと思うが」

 アネットは何も言えなかった。

 母竜の言葉は、正論だったからだ。

 戦場で人間たちと共に戦い、アネットは人間があまりにあっけなく死んでいく姿も見た。彼らは自分よりも遥かに弱く、傷つきやすい。ジャックスが自分の傷を過保護なほどに心配してくれたのも、人の姿をしているせいで、つい熱が入ったのかもしれなかった。

 再びアネットの瞳がかげるのを見つめ、母竜は小さくため息をつく。

「唯一、人が竜と共に生きる手段があるとしたら、その者が竜の『つがい』であることだ」

 アネットは、その稀有な存在を聞いたことがあった。

 人間の中には、稀に竜と同じ強い魂を持つ者がいる。竜と伴侶の誓いをたてれば、同じ月日を生きられるというものだ。仮に人間の身体が死んでも、番の竜が体内に取り込み護る事で、転生さえも叶う。

 竜が番の人間を探すのは難しいことではない。番の身体には竜の紋章が現われる上、竜自身も敏感に気配を察知するという。しかも一度、番を認識すると、竜はもう溺愛せずにはいられない。

 無論、アネットにはそんな経験はないし、身に覚えもない。

 ただ、ジャックスの傍にいればいる程、彼への敬愛の念は抑えきれなかった。そして、戦後になって触れられる度に、どうしようもなく嬉しくて、幸せな気持ちになった事を覚えている。

「番には紋章が現われると聞きますが⋯⋯」
「そうだ。想いが深まるほど、絆が強くなるほど、色濃くなり――――やがて消えなくなる。逆に人が竜に応えなければ次第に薄れて無くなり、二度と現れなくなるという」

「⋯⋯⋯⋯」
「ゆえに、竜は番の人間に愛されようと躍起になる。それが最も顕著になるのが、身体を重ねることだ。絆を深め、証しをより濃くするという」

 回りくどい言い方を嫌う母竜は、娘が相手ということもあって、まるで遠慮がない。聞かされているアネットの方がたまらないが、番は小さな希望にもなった。

 ――――⋯⋯ジャックスが私の番だったら⋯⋯一緒に生きられる⋯⋯?

 そんな思いを見透かしたように、母竜はまたしても釘を刺した。

「それでも紋章が現われなければ、その者は番ではないということだ」
「⋯⋯⋯⋯」

「よいか。相手に、すでにそなたに想いがなければ、もしくは番ではなかったのならば――今度こそ、海に戻れ。我ら水竜と人の共存は不可能だ」

 母竜の声に苦いものがまじる。おかしい、とアネットは思った。ザッフィーロの人々は水竜に敬意を示し、水竜の一族も彼らを護ってきたというのに、母竜はこのまま関係を絶とうとしているかのようだ。
 反乱が起こった時も、生き延びた人々を他の島に逃がしこそしたが、その後の協力を拒んでいた。

「母様は⋯⋯ザッフィーロ王家を見限られていたのですか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「海から離れた王都で起こった内乱に、手出しは難しかったのかもしれませんが⋯⋯何かしら兆候があったはずです。母様が全く察知できていなかったなんて⋯⋯おかしくありませんか?」

 母竜は娘の疑念に対し、
「なぜだと思う」
と、質問で返すことによって暗に認めた。

「⋯⋯飛竜の国をルーフスが滅ぼすのに、加担していたからでしょうか」

 アネットは解を導き出す。

 海を越えられる飛竜を有する国は、ザッフィーロにとって脅威でしかない。そして、空を飛べない地竜を有するルーフスにとっても、飛竜の国は是が非でも潰しておきたい相手である。両国は、裏で手を組んでいたに違いなかった。

 それは、あまりに愚かだ。

 三種の竜は絶妙な力関係の上に成り立っている。バランスを崩してしまえば、共倒れになりかねない。事実、ザッフィーロが内乱で混乱している間に、ルーフス王国は地上の覇権はけんを着々と握り、今度は血眼ちまなこになって飛竜を探し始めた。自軍の支配下に置き――――将来、ザッフィーロを攻めるためだ。

 アネットの答えを聞いた母竜は、少し感心したように呟いた。

「よくぞ、そこまで言えるようになったな」
「たくさんの事を⋯⋯教えてくれた人がいたんです」

 ジャックスは、人の生活に不慣れなアネットを気遣って、いつも傍に置いていた。戦い方のみならず、世情にも詳しかった彼は、時間が許す限り教えてくれた。飛竜の国の滅亡によって、世界の均衡きんこうが崩れ始めていると言っていたのも、ジャックスだ。

『遠くない将来⋯⋯ザッフィーロは、ルーフスに攻められるだろうな。さっさと王都を奪還しないと、この国も滅茶苦茶にされる』

 戦場を見つめ、彼はそう苦々し気に言っていたものだ。彼は、目の前の敵兵ではなく、その先を見据えていた。

「⋯⋯人間にも、少しは賢い者がいるようだ。今のザッフィーロ滅びゆく国には惜しいな」
「⋯⋯⋯⋯」

「今、大陸で竜族がどのような憂き目にあっているか、そなたも知っているだろう。地竜は誇りを忘れてルーフスの手下になり下がり、飛竜は絶滅の危機に瀕している。すべて、人間の仕業だ」

 淡々した口調でありながらも、母竜はあからさまに人間への嫌悪感を露わにした。その声音の鋭さに、アネットは胸を痛めた。

 古の時代、世界の覇者は竜族だったという。圧倒的な力を誇った彼らに人が反旗を翻した時、人間と共に戦った竜族たちもいた。両者が共闘し、戦いに勝利した後――――人間達は、戦友たる竜族を裏切った。
 支配者となっていた強い力を持つ竜族の大多数がいなくなり、従属じゅうぞくさせられる生き物、と判断したのだ。

 真っ先に狙われたのが、地竜を率いていた長だ。
 海にも空にも逃れる術がないために、最も御しやすいと判断され、長が討たれた。主君を失った地竜は大混乱に陥り、ルーフスの軍門に降った。

 次いで飛竜の長も、犠牲になった。彼は空に逃げるという手もあったが、弱い同胞を人間達に狙われて、身を挺してかばい、深手を負って行方を晦ました。そして、水竜の長にも、容赦なく人の刃の矛先は向いたという。

「⋯⋯飛竜のヴェルークさまは、人間などに二度と手を貸さぬと姿を消されたという。当然の感情だ。古の時代、我らの始祖をも傷つけた者達の末裔まつえい――――現ザッフィーロ王家に、竜族の均衡を崩す危険性すら気づかぬ愚か者に、滅びよといって何が悪い」

 人間がすべて悪だとは、彼女も思わない。始祖の竜族たちが同族を離反し、人間に味方をしたのは、彼らがそれだけ大きな存在であったということだろう。

 アネットが惹かれている男のように、賢明な者もいるだろう。陸地では海に比べて頼りにならなかったはずの娘を、人間の兵士たちが『戦友』として大切にしていた。密かに配下に様子を見に行かせていたから、それも知っている。

 だからこそ、始祖の代のみならず、娘までもまた裏切られる事だけは、許しがたい。

「覚えておけ。我ら竜は仲間を裏切らぬ。それだけは、己の誇りが許さぬからだ。だが、人間は竜を裏切る。何度でもな」

 重ねて警告した母竜の言葉はいつも以上に厳しく、アネットが聞いたこともないような寂しい声だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されていた。手遅れな程に・・・

月白ヤトヒコ
恋愛
婚約してから長年彼女に酷い態度を取り続けていた。 けれどある日、婚約者の魅力に気付いてから、俺は心を入れ替えた。 謝罪をし、婚約者への態度を改めると誓った。そんな俺に婚約者は怒るでもなく、 「ああ……こんな日が来るだなんてっ……」 謝罪を受け入れた後、涙を浮かべて喜んでくれた。 それからは婚約者を溺愛し、順調に交際を重ね―――― 昨日、式を挙げた。 なのに・・・妻は昨夜。夫婦の寝室に来なかった。 初夜をすっぽかした妻の許へ向かうと、 「王太子殿下と寝所を共にするだなんておぞましい」 という声が聞こえた。 やはり、妻は婚約者時代のことを許してはいなかったのだと思ったが・・・ 「殿下のことを愛していますわ」と言った口で、「殿下と夫婦になるのは無理です」と言う。 なぜだと問い質す俺に、彼女は笑顔で答えてとどめを刺した。 愛されていた。手遅れな程に・・・という、後悔する王太子の話。 シリアス……に見せ掛けて、後半は多分コメディー。 設定はふわっと。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

愛する人のためにできること。

恋愛
彼があの娘を愛するというのなら、私は彼の幸せのために手を尽くしましょう。 それが、私の、生きる意味。

さよなら 大好きな人

小夏 礼
恋愛
女神の娘かもしれない紫の瞳を持つアーリアは、第2王子の婚約者だった。 政略結婚だが、それでもアーリアは第2王子のことが好きだった。 彼にふさわしい女性になるために努力するほど。 しかし、アーリアのそんな気持ちは、 ある日、第2王子によって踏み躙られることになる…… ※本編は悲恋です。 ※裏話や番外編を読むと本編のイメージが変わりますので、悲恋のままが良い方はご注意ください。 ※本編2(+0.5)、裏話1、番外編2の計5(+0.5)話です。

もう何も信じられない

ミカン♬
恋愛
ウェンディは同じ学年の恋人がいる。彼は伯爵令息のエドアルト。1年生の時に学園の図書室で出会って二人は友達になり、仲を育んで恋人に発展し今は卒業後の婚約を待っていた。 ウェンディは平民なのでエドアルトの家からは反対されていたが、卒業して互いに気持ちが変わらなければ婚約を認めると約束されたのだ。 その彼が他の令嬢に恋をしてしまったようだ。彼女はソーニア様。ウェンディよりも遥かに可憐で天使のような男爵令嬢。 「すまないけど、今だけ自由にさせてくれないか」 あんなに愛を囁いてくれたのに、もう彼の全てが信じられなくなった。

【完結】さようなら、私の初恋

蛇姫
恋愛
天真爛漫で純粋無垢な彼女を愛していると云った貴方 どうか安らかに 【読んでくださって誠に有難うございます】

身代わりーダイヤモンドのように

Rj
恋愛
恋人のライアンには想い人がいる。その想い人に似ているから私を恋人にした。身代わりは本物にはなれない。 恋人のミッシェルが身代わりではいられないと自分のもとを去っていった。彼女の心に好きという言葉がとどかない。 お互い好きあっていたが破れた恋の話。 一話完結でしたが二話を加え全三話になりました。(6/24変更)

処理中です...