彼は政略結婚を受け入れた

黒猫子猫

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正しい選択

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 数日後、アネットは再び王都の地を踏んだ。

 ジャックス達へ事前の知らせはない。あくまでアネットが去った後、どうしているか見定めるためだと言って、母竜が許さなかったからだ。

 母の心の奥に潜んでいた怒りをアネットは理解したが、事にジャックス達に対して疑念を抱くのは、不要の事だと思った。彼らは異種の者であるアネットを戦友と呼んで、歓迎してくれた。ジャックスは『お前が少しでもいたいと思えるような場所にしておく』と誓ってくれた。

 王都を離れて、一ヵ月。まだ彼らの元に、自分の居場所があって欲しい――――。

 アネットは道中ずっとそう願っていた。

 そして、いくらジャックス達と共に転戦してきたとはいえ、陸に上がれば非力な娘を一人で行かせるわけにはいかないと、母竜はアネットに護衛をつけていた。無論、全員が人化できる者達ばかりである。彼らは初めこそ任に徹していたが、王都に着いた今、全員の顏から不満と怒りがにじみ出ていた。

「⋯⋯みんな、落ち着いて⋯⋯ね?」

 アネットは懸命になだめたが、そうしている間にも、近くを通りがかった女性たちの会話がまた聞こえてくる。

「先日、ようやくクローディア様が王宮に入られたんですって。なんでも、ジャックス様がずっと気にかけられていたアネットとかいう娘が、潔く身を引いたみたいよ!」

 これだけでも全員の顔が、また既にぴくぴくと引きつった。

 そもそも、人間風情が、水竜族の姫であるアネットを呼び捨てにしていること自体、彼らは気に入らない。
 ただ、それも仕方のない事なのだ。

 戦時中はずっと、アネットが人化した竜であることは伏せられてきた。地上では水竜の本来の力は発揮できず、アネットはあくまで人として助力した。それだけでも、ジャックスや共に戦ってきた兵士たちは感謝してくれていたものである。

 それに、正体が公になれば、敵側に捕らえられた際に『水竜の加護を得た』などと言われて、利用されかねない。ジャックスはアネットが狙われることを危惧し、ラグナら幹部将校たちにのみ知らせていた。
 戦後、軍幹部でもない彼女がずっとジャックスの傍にいることを訝しがられるようになったため、ようやく公にされた。アネットを普段から顔を合わせる王宮の人々の間にも少しずつ浸透してきていたが、半信半疑という者も多かった。

 噂程度でしかアネットの存在を知らない、一般の人々からしたら、もっと懐疑的だろう。

 そもそも、アネットは一度たりとも王宮で竜化したことがない。水竜が人々から神と崇められていることを知っており、畏怖されたり祈られたりしても困るからだ。それに、竜になると、大きな家一軒分はあろうかと思われるほど巨大だ。絶対に王宮を壊すと思うと、とてもではないが元の姿などになれない。

 アネットは自分を軽視されるのは構わなかったが、それよりも護衛達にジャックスが自分の想い人と認知されてしまった事のほうが困っていた。彼がちっとも王女を迎え入れようとしなかった事が、かえって何故だと詮索されて噂になってしまったようだ。

 彼らは海に帰った後、母竜に全てを報告してしまうだろう。

 噂話に花を咲かせている人々から離れようと足を速めたが、哀しいかな優れた聴覚は話を拾ってきてしまう。

「そうなの⋯⋯。水竜様だという噂もあるけど、誰もお姿を見た事がないんでしょう? 怪しいわ。それよりも、クローディア様は王家の血筋を引く方だし、身許も確かだもの。ザッフィーロ王家存続のためにも、早くお子が生まれるといいわね!」

「えぇ、えぇ。姫様はそのまま王宮に留め置かれているそうだし、きっと早いに違いないわよ」

 彼女たちにしてみれば悪気の無いただの雑談だ。それにアネットは、ここに来る途中でも似たような話を聞いてきただけに、クローディアの件は事実だろうとは思う。

 薄情な者だと憤る護衛たちに、アネットは微笑んだ。
 彼らをなだめるために。そして、自分を戒めるために。

 これは彼の裏切りなどではない。

 自分たちは戦友だ。恋仲だった訳でもない。

 ジャックスは、祖国のために命を賭して戦ってきた。彼以外に相応しい王者はおらず、生き残ったのが戦も知らない繊細な姫ともなれば、彼が王として立つしかない。

 ジャックスは、政略結婚を受け入れたのだろう。

 ザッフィーロ王室の血筋を尊び、祖国を護るために。人々に、さらなる安定と秩序をもたらすために。ひいては、戦に身を投じたアネットに報いる事にも繋がると、彼は思ったに違いない。

 沈着冷静な将であった彼らしい――――正しい選択だ。

 アネットは顔を上げた。遠くにのぞむ王宮を見つめ、変わらず風にたなびく国旗に目を細める。
 その時はまだ、心を強くもてた。事前に知る事もできたから、王宮に行っても全てを受け入れられる気がしていた。

 夜を待って、アネットは宿に護衛を残して、単独で王宮に向かった。なるべく目立ちたくなかったし、殺気だっている彼らを連れて行ったら、ジャックスに何をするか分からない。それに、勝手知ったる場所でもある。

 裏門へと向かうと、ちょうど顔見知りの番兵がいたので、声をかけた。驚いた顔をされたが、ジャックスに用事があって会いにきたと告げると、中へと入れてくれた。

 なるべく人目につかないよう、庭を通り抜けていたのが悪かったのだろう。

「貴女、どなた⋯⋯?」

 そう声をかけてきたのは、大勢の侍女を侍らせた若い女性だった。侍女たちはアネットの知らない人々ばかりだ。当然のように侍女たちは警戒の眼差しを向け、
「クローディア様、近づかれてはなりませぬ」
と、彼女を庇おうとした。

 その名と姿を聞いた瞬間、アネットは血の気が引いていくのが分かった。アネットが王宮にいる時も、ジャックスに会いたい、王宮に来たいと、何度も使者を送ってきていたザッフィーロ王家の姫だ。
 すっかり落ち着いた様子の彼女は、昨日の今日で王宮に来たわけではないことを暗示している。
 その上、彼女はとても優しかった。
 不用意に疑うものでは無いと侍女たちを窘め、アネットを怖がらせないように微笑みかけてくれた。背も高く、美しく、気品があった。

 聞いていた話に違わぬ女性で、それだけであればアネットも動揺しなかっただろう。
 ただ、どうしても目がいってしまったのは、彼女のだ。

 王都でお腹の大きい女性を見かけて教えてもらったこともあり、アネットは彼女がどういう状態にあるかも瞬時に理解した。

「お腹に⋯⋯赤ちゃんがいるのですか?」
「え? えぇ、そうなの。あと三月もすれば産まれるのよ。追っ手から身を隠して、あちこち放浪していた時に助けていただいて⋯⋯」

 ほんのりと頬を染め、微笑むクローディアは幸せそうだ。

 彼女が早くジャックスに会いたいと願っていたのは、王妃の座を求めてではなく、父親になる事を知らせたかったからだと、理解する。

 ―――――いい、な⋯⋯。

 アネットは、心の中でぽつりと呟いてしまい、次の瞬間、猛烈に自分を恥じた。

 彼の中で、戦友である自分の居場所はわずかに過ぎなくても、以前と変わらないはずだ。それだけで良いと思っていた。しかし、自分には違う欲があったのだと気づいてしまう。
 彼の傍に、クローディアがいるという現実を受け入れられたのは、政略結婚だという思いがあったからに違いない。だから心のどこかで安堵していたのだ。

 自分は何て浅ましいのだろう。二人に失礼だったのだろう。
 恥ずかしくて仕方がなく、居た堪れなくなった。

 人が人の子を孕む。

 それは、アネットにはどうしてもできないことだ。

 その時は、涙が落ちなかった。想い合う二人が幸せになるのだから、喜ぶべきことだ。
 もう、彼が自分の『つがい』かどうかなんて、確かめないほうがいい。竜の番への独占欲は強烈だと聞いていたから、邪魔になってしまう。

 アネットはクローディアに祝いの言葉をかけると、そのまま王宮を去った。護衛たちの待つ宿屋には戻らなかった。
 ジャックスを見つけられなかった場合も考えて、翌日の夕方までには帰ると言っておいてあるから、誰もを探しにきたりはしない。

 良かったと、アネットは思った。


 翌朝――――。

 アネットは、王都から少し離れた場所にある森の中にいた。小さな湖のほとりに座り込み、ぐすっと鼻をすする。初めての恋に気づいた時には、すでに失恋していたという状況に対し、ようやく涙は落ちなくなったが。

「うぅ⋯⋯これは、みっともない⋯⋯どうしよう⋯⋯」

 一人で思いっきり泣けたが、お陰で瞼がぱんぱんに腫れていた。

 何度も顔を洗ってみたり、風に当ててみたりしたが、水面に映る姿は全てを物語っている。一日も経てば元に戻るだろうか、とぼんやりと考えていた時、背後からいつものように自分の名を呼ぶ声に息を呑んだ。

 ジャックスが兵を率いて海に逃れてきた時、アネットは彼と出会った。母へ護衛の竜を遣わして判断を仰ぎ、彼らを他の島へと避難させた時はまだ、互いに余所余所しさがあった。
 それでも、小さな島で身を潜め、再起を図る彼らの事が気になって、度々訪れ、次第に交流をもつようになった。

 異種の者から、戦友へ――――関係性が変わっても、出会った頃からずっと、ジャックスは優しい声でアネットを呼ぶ。また新たな涙が出そうになったが、必死で堪えた。
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