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第二章
2-1.
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2-1.
朝イチで確認した書類にその名を見つけ、忘れていたはずの感情が甦る。知らず膨らむ怒気に、左右の男達が弾かれたように顔をあげる。
「ラギアス様!?」
普段はともかく、副官として優秀な部下が瞬時に反応し、上司の盾たらんと己を背後に庇う。
「…すまん、ダグ。大丈夫だ」
手を払い、問題無いことを告げる。同じく臨戦の態勢で敵襲に備えていたマイワットも警戒を解いた。
「…それで?これが、奇襲を想定した訓練で無いのだとしたら、一体何だと言うのですか?」
「…悪かった」
「行政区域での平時の魔力使用が禁止されていることを、ご存知無かったわけでは無いですよね?」
「…わりぃつってんだろ」
不遜な言い様に、今回ばかりは己の非を自覚して、大人しく謝罪を口にする。
「今朝届いた書類ですね。何か問題でも?」
己の手元にあるものを認めたマイワットが問う。
「問題ってわけじゃねぇ。これ申請したの、マイワットお前か?」
「確認させて下さい。…そうですね。物資輸送の安全性確保のために、本部に申請していたものです」
一読して、何の問題も見つからなかったのだろう、これが何か?と書類を返す。そう、何の問題も無いのだ、自分以外にとっては。
「特務官の派遣が問題ありましたか?」
「え?特務が来るの?」
ダグストアの声に、わずかに忌避が滲む。派遣先の指揮系統外にあり、己の裁量での現地行動が保証されている特務官が疎まれるのは、珍しいことではない。マイワットもそこを懸念したのだろう。
「いや、特務の派遣自体は問題ねえんだよ。実際、散発的な魔物の奇襲に隊の連中を割くわけにいかねえからな。無駄が多すぎる。特務の協力は必要だろ」
それはわかっている。だから、そう、あるとすれば、それは己の感情の問題だけなのだ。再び沸き上がろうとする激情を、今度は意識して何とかやり過ごす。
書類をもう一度覗きこんだマイワットが、そこに記された名を読み上げた。
「ヴィアンカ・ラスタード」
「!?」
ーああ、こんなにも。
名を聞いただけで、己の中に吹き荒れる感情に翻弄される。忘れたはずの感情の数々。怒り、嫌悪、軽蔑。しかしそれだけではない、捉えきれずに逃げ出す想い。高まる熱量、拳を握り込むことで魔力の放出だけは何とか抑え込む。
「だれ?有名なの?」
己の昂りに怯えたダグストアが焦って、マイワットを問い詰める。
「いえ。有名、ということはないでしょう。特務官はあまり表に出てきませんし、縦にも横にも繋がりが薄いですから。私も知らない名です」
問うてくる二対の視線に、吐く息に熱を逃がして渋々と口を開く。
「個人的に知ってんだよ。士官学校での後輩だ。ってか、あの女を後輩っつうのもムカつくな」
ダグストアの顔に意外そうな表情が浮かぶ。
「ラギアス様が士官学校通ってた頃って言ったら、もう五年以上前の話ですよね。なんか、ラギアス様が女性をそういう風に言うのって、珍しくないですか?てか、初めて聞いたかも、俺」
「問題のある人物なんですか?まあ、特務官ですから、何かしらの問題はあっても不思議は無いですが」
マイワットが特務を悪く言っている訳ではない。一芸に秀でる彼らが、その制御に苦労する曲者揃いであることは確かだ。
「あの女の性格に問題があるのは間違いねえ。そもそもあいつ、士官学校退学になってるからな。普通に士官はできねえから、特務なんだろ」
マイワットが眉をひそめる。
「退学、ですか。性格に多少の問題があったとしても、退学になることは無いはずですが。能力的にも問題があったと言うことでしょうか?しかし、それで特務というのは…」
「性格悪くて仕事できないのは、さすがに困る、てか普通に嫌なんだけど。実際どんな人なんですか?」
ーどんなやつか?
聞かれた言葉に記憶の扉が開く。苦々しく、しかし、鮮明に思い出すことのできる姿。離れたはずの年月を軽々と飛び越えて、心が、あの女へと引き戻されていくー
朝イチで確認した書類にその名を見つけ、忘れていたはずの感情が甦る。知らず膨らむ怒気に、左右の男達が弾かれたように顔をあげる。
「ラギアス様!?」
普段はともかく、副官として優秀な部下が瞬時に反応し、上司の盾たらんと己を背後に庇う。
「…すまん、ダグ。大丈夫だ」
手を払い、問題無いことを告げる。同じく臨戦の態勢で敵襲に備えていたマイワットも警戒を解いた。
「…それで?これが、奇襲を想定した訓練で無いのだとしたら、一体何だと言うのですか?」
「…悪かった」
「行政区域での平時の魔力使用が禁止されていることを、ご存知無かったわけでは無いですよね?」
「…わりぃつってんだろ」
不遜な言い様に、今回ばかりは己の非を自覚して、大人しく謝罪を口にする。
「今朝届いた書類ですね。何か問題でも?」
己の手元にあるものを認めたマイワットが問う。
「問題ってわけじゃねぇ。これ申請したの、マイワットお前か?」
「確認させて下さい。…そうですね。物資輸送の安全性確保のために、本部に申請していたものです」
一読して、何の問題も見つからなかったのだろう、これが何か?と書類を返す。そう、何の問題も無いのだ、自分以外にとっては。
「特務官の派遣が問題ありましたか?」
「え?特務が来るの?」
ダグストアの声に、わずかに忌避が滲む。派遣先の指揮系統外にあり、己の裁量での現地行動が保証されている特務官が疎まれるのは、珍しいことではない。マイワットもそこを懸念したのだろう。
「いや、特務の派遣自体は問題ねえんだよ。実際、散発的な魔物の奇襲に隊の連中を割くわけにいかねえからな。無駄が多すぎる。特務の協力は必要だろ」
それはわかっている。だから、そう、あるとすれば、それは己の感情の問題だけなのだ。再び沸き上がろうとする激情を、今度は意識して何とかやり過ごす。
書類をもう一度覗きこんだマイワットが、そこに記された名を読み上げた。
「ヴィアンカ・ラスタード」
「!?」
ーああ、こんなにも。
名を聞いただけで、己の中に吹き荒れる感情に翻弄される。忘れたはずの感情の数々。怒り、嫌悪、軽蔑。しかしそれだけではない、捉えきれずに逃げ出す想い。高まる熱量、拳を握り込むことで魔力の放出だけは何とか抑え込む。
「だれ?有名なの?」
己の昂りに怯えたダグストアが焦って、マイワットを問い詰める。
「いえ。有名、ということはないでしょう。特務官はあまり表に出てきませんし、縦にも横にも繋がりが薄いですから。私も知らない名です」
問うてくる二対の視線に、吐く息に熱を逃がして渋々と口を開く。
「個人的に知ってんだよ。士官学校での後輩だ。ってか、あの女を後輩っつうのもムカつくな」
ダグストアの顔に意外そうな表情が浮かぶ。
「ラギアス様が士官学校通ってた頃って言ったら、もう五年以上前の話ですよね。なんか、ラギアス様が女性をそういう風に言うのって、珍しくないですか?てか、初めて聞いたかも、俺」
「問題のある人物なんですか?まあ、特務官ですから、何かしらの問題はあっても不思議は無いですが」
マイワットが特務を悪く言っている訳ではない。一芸に秀でる彼らが、その制御に苦労する曲者揃いであることは確かだ。
「あの女の性格に問題があるのは間違いねえ。そもそもあいつ、士官学校退学になってるからな。普通に士官はできねえから、特務なんだろ」
マイワットが眉をひそめる。
「退学、ですか。性格に多少の問題があったとしても、退学になることは無いはずですが。能力的にも問題があったと言うことでしょうか?しかし、それで特務というのは…」
「性格悪くて仕事できないのは、さすがに困る、てか普通に嫌なんだけど。実際どんな人なんですか?」
ーどんなやつか?
聞かれた言葉に記憶の扉が開く。苦々しく、しかし、鮮明に思い出すことのできる姿。離れたはずの年月を軽々と飛び越えて、心が、あの女へと引き戻されていくー
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