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第二章 召喚巫女、領主夫人となる

10.地雷を踏み抜く

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創世の女神とやらは、どうやら、私のことが嫌いらしい─

(まぁ、こっちも散々、悪口言ったし、信じられないって連発してたから、お互い様だけど…!)

エバンスの助言を受けての「セルジュのことを知ろう」計画は、アンバー・フォーリーンのせいで一旦暗礁に乗りかけたものの─この際、自身の不徳は不問とする─、「アンブロス領義務教育制度導入計画」をもって、それなりに上手くいくようになっていた。

昼間、エバンス主導の下にアンブロス領についての情報を集め、足りない部分をセルジュへの質疑応答で補う。その流れが、まだぎこちない夫婦二人きりの夜の会話を円滑に進める、「潤滑剤」になってくれていたから。

昼間浮かんだ疑問をぶつければ、どんなくだらないことにでも答えを返してくれるセルジュ。彼のその態度に妻としての優越を覚え、地雷アンバーあたりの話題さえ避けておけば大丈夫なのではないかと傲慢にも思い始めた頃─

「セルジュは何で研究所に進学しなかったの?」

「っ!!」

「え…?」

(あ…)

油断していた。慢心していた─

セルジュが見せた如実な変化、自分がやらかしたことには直ぐに気づいた。強張った顔、逸らされた瞳。一瞬、こちらまで動けなくなる。

(っ!あー、もう!…失敗した!)

セルジュが何でも答えてくれるからといって、調子に乗り過ぎた。結果、話題のチョイスをしくじった。自分の間抜けさ加減と女神の性格の悪さに悪態をつきながら、回らない頭で必死に理由を探す。彼を、彼に、こんな辛そうな顔をさせてしまった理由。今の話題、何が彼を傷つけたのか─

「…あ!」

思い出したのは、彼の家族と彼が背負う責任について。

「えっと、…もしかして、お父さんが亡くなったから?」

「…」

「お父さんの跡を継がなきゃいけないから、進学できなかった?とか、そういうこと…?」

今まで、セルジュと話をしていても、彼の両親の話題に直接触れることはなかった。正直、触れて良いのか分からない話題を避けてしまっていたのだが、こちらの問いに対して、セルジュが小さく首を振る。

「いえ、父の死は関係ありません。」

「…そっか。」

(っ!ごめん!ごめんね…!)

セルジュの見せる思い詰めたような表情。これ以上、この話題に触れるべきではないのかもしれない。口を噤むべき。話を流して、別の話題を探して─

(っ!けど…!)

こんな顔をさせておいて、「無かったこと」になんて、そんなの、出来るわけがない。かと言って、じゃあ、なんて言えばいい?何を言えば、これ以上、セルジュを傷つけないで済む?

沈黙の中で空転する思考、不意に、セルジュが口を開いた。

「確かに…」

「!」

「父の跡目を継いだのは、学園卒業と同時期でした。ですが、研究所に籍を置きながら領主の役目を果たすこと、それ自体は可能だったと思います。実際、研究所には、そういう方もいらっしゃいました。」

「…えっと、じゃあ…?」

「…アオイは、本当に…」

「…?」

言いかけたセルジュの言葉の続きを待つ。言いかけて、だけど、一度口を閉じたセルジュ。伏せられていたセルジュの顔が、ゆっくりと持ち上がる。

逸らされていた視線が、真っ直ぐに合った。

「…私には、魔力がありません。」

「…」

いつもと違う、いつもより僅かにトーンの低い声。それが意味するところを知りたくて、その声に耳を傾ければ─

「…王立研究所は、『魔術研究』を行う機関。魔力無しの私には、そもそも入所資格がないのです。」

「っ!?ごめんっ!」

馬鹿だ馬鹿だ─!!

(私、凄い馬鹿っ!!)

「本っ当に、ごめん!そんなつもりはなかったんだけど!」

(無神経過ぎるっ!!)

セルジュは優秀だから、進学しなかったのは彼の意思なんだろうって勝手に思い込んで。それで、それが、まさか─

「アオイ、顔を上げて下さい…」

「っ!」

「…謝罪は、本当に必要ないんです。…研究所に関して、多少の興味があったのは確かですが、進学自体には特に拘っていませんでしたから。…学びたいと思えば、場所は何処でも、学ぶことは出来ます。」

「…」

「…アオイに、今度うちの地下をお見せしますね。地下に、父が生前、私のために造らせた研究施設があるんです。…私は、恵まれています。」

だから、何も悲観することはないのだと、セルジュが微かに笑う。彼のその優しさに対して、これ以上、謝罪を押し付けるわけにもいかず。また出そうになる「ごめん」を飲み込んで、頷いて返した。

「…わかった。…ありがとう、セルジュ。」

「はい…」

「…けど、セルジュが『いい』って言ってくれても、私が無神経だったことに変わりはないから、そのことは反省する。反省して、でも、もう、セルジュに謝るのは止める。」

「…いえ。」

「え?」

「アオイが無神経だなどと…。アオイは、何も悪くない。…もとはと言えば私が…」

「…セルジュ?」

セルジュの表情が、またさっきの「苦しい」みたいな表情に戻ってしまった。「悲観するな」と私には笑ってくれるセルジュが、なのに、自身を責めるような言葉を口にする。

(…なに?どうして…?)

その理由を知りたくて、セルジュとの会話を思い出しながら、思考の淵に沈めば─

「…アオイは、本当にいいのですか?」

「…え?」

(…マズい。)

聞かれた問いの意味が分からずに焦る。

考えこんでしまっていたせいで、肝心な何かを聞き逃してしまったらしい。先ほどまでの会話との繋がりがわからず、答えに詰まった。

「…えっと、…ごめん。その、『いい』っていうのは、何に対して…?」

申し訳なさに居たたまれなくなる。暗いままのセルジュの瞳が、また真っ直ぐにこちらを見つめている。

「…私には、魔力がありません。」

「うん。」

ついさっき、セルジュ自らがそう口にしていた。

(それは、うん…)

ちゃんと聞いていた。聞いていた、けど─?

「…」

「…」

(…っ!え?何?何の沈黙?私の返事待ち?…何の?)

「あ、え?えっと、セルジュは魔力が無い、んだよね?」

「…はい。」

(えっと、魔力が無い。うん。…無い、から?…何なんだろう?)

セルジュとの会話が嚙み合わない。この齟齬は、多分、恐らく、─間違いなく─私にこの世界の常識が足りないせい。

(…でも、この世界、魔力が無い人なんていっぱい居る、よね…?)

それに、魔力が無いからといって、何か差別を受けるという話も聞いたことがない。魔物から取れるという魔石を使えば、魔力がなくても擬似的に魔術が使える─実際、王宮にもこの屋敷にも魔石で動く魔道具がゴロゴロしている─のだから、個人の魔力の有る無しなんて、大して問題にもならない気がするけれど─

(…でも、セルジュのこの反応は、魔力が無いと不都合なことが何かしらあるってことなんだよね?)

そして、「それでもいいのか?」と、セルジュは私に聞いてくれている、ということまでは何となく分かる。分かるのに、申し訳ないことに、私には、その「不都合」を察するだけの知識と勘がない。

(…もっと、勉強しておくんだった。)

この世界のこと、もっとちゃんと。

(それにやっぱり、確認しておくべきだったんだよね、セルジュの身上書。)

そこには多分、「魔力が無いこと」だって書かれていて、私が事前に確認さえしていれば、セルジュが今、こんな顔をするような事態にはならなかったはず。

(…ほんと、悔やんでも悔やみきれない…)

セルジュに対しては、もう、数えきれないくらいに抱いたその思い。セルジュだって、いい加減、呆れてるんじゃないかと怖くなる。だけど、今はそんなこと言っていられないから、結局、腹をくくるしかない。

口にし過ぎて、薄っぺらくなってしまった言葉を、また口にする。

「ごめん、セルジュ。」

彼の反応を待たずに、言葉を連ねた。

「私、よく分かってないみたい。…セルジュに魔力がないっていうのはわかった、というか、そうなんだって思ったんだけど。…えーっと、それで、それの何が…」

「…」

「…魔力が無いと、その…、どう、なの…?」

これ以上、セルジュに嫌な思いをさせたくなくて、魔力がないことを「悪い」とは言いたくなかった。濁した言葉、それでも、こちらの言いたいことは伝わったらしい。

セルジュが口を開く。

「…魔力は、血によって受け継がれるものです。」

「うん…」

頷いたのは、記憶の片隅、サキアだったかあの男だったかが、そんな話をしていた気がするから。ただ、その話には続きがあって、

「でも、完全に遺伝、…受け継がれるっていうわけじゃないんだよね?」

「はい。…私の両親は魔力持ちでしたが、私は受け継ぎませんでした。」

「うん…」

「ただ、『絶対ではない』というだけで、親の魔力が子に受け継がれる傾向にあることは間違いありません。…特に、血統を重んじてきた王家や高位貴族においては、その傾向が強いと言えます。」

「…そう、なんだ…?」

「…『尊き血には魔力が宿る』…」

「?」

「…少なくとも、伯爵位以上の婚姻において、魔力の有無というのは重要な要素になります。」

「うん…?あ、え?何で?貴族って、魔術が使えないといけないの?」

「…いえ、術の行使自体は必須ではありませんが…」

セルジュの顔に浮かぶのは困惑、だろうか。

「…魔術の行使には術式を覚える必要がありますし、術と魔力そのものとの相性もありますので…」

「うん…?」

それも知っていた。魔力があるだけでは魔術は使えない。魔術の原理や仕組みを学び、構築した「術式」に魔力を流すことで初めて魔術が発動する。それも、魔力の質と魔術の相性が悪ければ発動しないので、魔力があればどんな魔術でも使えるという訳でもない。

(…実際、私だって結界特化で、他の魔術は全然ダメだし…)

それでも、日常の魔道具、かまどやシャワーなどには、予め術式と魔石が組み込まれているから、日常生活において魔力が無くても、「魔術が使えなくて困る」なんてことは全くと言っていいほど無い。

(あるとしたら…)

それこそ、結界を張るとか魔物との戦闘、即興での攻撃や防御の魔術の構築が必要となるような─

「ああ!そういうことっ!?」

「…」

「セルジュは魔術が使えないから、魔物と戦えないとか、そういうことを気にしてくれてるの?」

「…」

「あ、ごめん。ズケズケ言いすぎた。本当、ごめん。ごめんね?」

自分の無神経さにひたすら頭を下げた。それでも、先ほどよりよほど気分が軽いのは─

「えっと、でも、アンブロスには立派な領軍があるし、マティアスさん、だっけ?団長さんってすっごく強いんでしょう?」

思い出すのは、一度だけ、セルジュとの最初の挨拶まわりで顔を合わせたことのある厳つい顔のイケオジ。上司であるはずのセルジュを、子どもみたいに可愛がっていた人。

「マティアスさんも、辺境伯が先陣切って突っ込まないといけないような戦闘はしないって言ってくれてたよね?」

だから、魔術が使えないなんてそんなこと、気にする必要ないんじゃない─?

つい、そう言ってしまいたくなるけれど、セルジュが思い悩んでいるのなら迂闊に言える言葉ではなくて、最後の部分は口を噤んだ。

「…アオイは…」

「ん?」

「…気にしませんか?」

「!うん!」

漸く、平常運転に戻ってきたセルジュの無表情と声に、

「気にしない!全っ然、全く、気にしない!」

全肯定。必死に頷いた。

(だいたい、魔力を持ってても結界魔術しか使えない私が、セルジュの何を『気にする』っていうの…!)

「魔力が無い」ことでセルジュへの評価が変わるとしたら、逆に、「魔力を持たずに王立学院を首席卒業しちゃうとかマジやべぇ」くらいのもので─

「って、あー!?ひょっとして、前にアンバー・フォーリーンの評価がどうのこうのって言ってたのって、このこと?」

「…はい。申し訳ありません。」

「え?え?何で謝るの?」

「…魔力について、自ら口にする覚悟が足らず、魔術師長の評価に委ねるようなことを…」

「あー、そういう…」

(それは、、うん、分かる気がする。)

私だって、自分の「欠点」だと思っていることに自ら触れる勇気なんてない。

「…いや、でも、結局、身上書見てなかった私が悪いっていう結論にしかならないから。…えっと、ごめんね?…ここは一つ、お互い様ってことにしてもらえますか?」

「…アオイが、それで許しく下さるなら。」

「それは、むしろ、こっちの台詞でしょー!」

セルジュが微かに笑う。それに安堵して、こちらの頬も緩んだ。

やらかした時には、もう駄目だと思ったのに。

セルジュが笑ってくれるから─

五歳も年下の男の子に、私も大概甘やかされてるなと自覚して、だけど、相手は「生涯」を誓ってくれた夫なのだから、多分、問題は無いはず。

(…問題、無い、よね?)

あるとしたら、それは、もう、私が自分の夫にしっかり嵌まって抜けられなくなっている気がすることくらい─







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