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最終章 領主夫人、再び王都へ
1.目指すのは
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ガイラス達の訪問を除けば、概ね平和に過ぎていったアンブロス領での日々。毎日ほとんど寝ているだけだったレナータが、お座りをし、ハイハイを始め、つかまり歩きが出来るようになった頃、また、あの季節がやってきた。
「奥方様!お久しぶりでございます!奥方様に置かれましては、以前にも増してより一層お美しさに磨きがかかられたようで!おやっ!?お人形かと見間違えてしまいましたが、もしや、こちらのお嬢様がご領主様最愛のご息女様レナータ様でいらっしゃいますか!?いやはや、大変失礼いたしました!あまりのお可愛らしさに人形と見間違えてしまうなど、このワルター一生の不覚!お詫びにもならないものではございますが、ここは是非、我が商会特製の『くまさんのぬいぐるみ』をお受け取り頂ければっ!」
「…えーっと、久しぶり、ですね。…ワルターさん…」
本当に久しぶり、レナータが産まれた後、パラソの町の製糸事業の統括責任者として顔を合わせて以来だから、半年以上ぶりのワルターの勢いに飲まれそうになる。
特に、恰幅のいい男性が、その上半身を隠しきってしまうほどの巨大なクマのぬいぐるみを抱えていれば。
「いかがでございましょう!奥方様!こちら奥方様発案の『くまさんのぬいぐるみ』!小さなお子様が大きなくまさんに抱き着くさまは大層お可愛らしいという奥方様のご助言で実現いたしました、ワルター商会の新商品でございます!」
「…ああ、はい。…可愛い、ですね…?」
半年前、産後ハイで脳みそお花畑だった私に言ってやりたい。こんなものを一歳児に与えるなんて何を考えていたのか。倒れたぬいぐるみに押しつぶされて、レナータが窒息なんてことになったら目も当てられない。
「あー、えっと、ワルターさん、ありがとうございます。…レナータがもう少し大きくなったら遊ばせますね?」
「はい!それは勿論!このワルター、光栄の極みでございます!」
テンションの高いワルターから、よろける勢いでぬいぐるみを受け取って、側に控えてくれていたナニーの一人に手渡す。同じく、よろける勢いのナニーが別の部屋へとぬいぐるみを運び出すのを見送って、改めて、ワルターに向き直った。
向かい合うソファの一つを彼に進め、反対側、先ほどまでレナータが伝い歩きをしていたソファに自分が腰かける。にじり寄って来たレナータを、膝の上に乗せて。
「…えっと、じゃあ、改めて、…ワルターさん、お久しぶりです。今日は呼び出しに応じてくれてありがとうございます。」
「いえいえ!何を仰いますか奥方様!このワルター!奥方様のお呼びとあらば、例え地の果てであろうと駆けつける所存!奥方様あっての、ワルター商会でございますから!」
衰えを知らぬワルターの勢い。口を開く毎に増していっているのではないかという彼の勢いに、改めて、彼の姿をじっくりと眺める。彼が、これほど上機嫌な理由。
「…そんなに、ウハウハですか?」
「はい!以前にも増してウハウハ!今や、我が商会は飛ぶ翼竜を落とす勢いでございます!」
「それは、…良かったですね?」
魔物から採れる魔石の卸し、販売に関しては、既に領内の複数の商会が取り扱いを始めている。ワルター商会の独占という形ではなくなったが、それを差し引いても、彼の商会は大変に潤っているらしい。
(…まぁ、それが引いては領の収入、税収になるんだから、いいんだよね?)
ウィンウィンな関係であるうちは問題ないはず。
それに加えて、ワルター商会では元からの主力商品、製糸事業が大当たりしているから、彼も笑いが止まらないのだろう。
(…だからこそ、今回も彼にお願いすることになったんだけど…)
「…ワルターさん、それで、今回もまた、ドレスの製作を手伝って頂けるとのことでしたけど…?」
「はい!それは勿論!奥方様のご要望とあらば、このワルター!王都の王侯貴族の御方々にも引け目をとらぬ最高級の一着を仕上げてみせましょうとも!」
「あー、いや、流石にそこまでは求めてないです。」
引き気味に首を振れば、ワルターが驚いたような、次いで、実に悲しそうな顔をする。
「申し訳ありません。私、少々、図に乗り過ぎておりました。奥方様のお優しさに甘え、アンブロスシルクを世に広める絶好の機会と、気持ちばかりが先走り、奥方様のご負担を考えることもせずに、誠に、誠に、申し訳ない次第で、」
「ちょっと、ちょっとストップ。…えっと、その、アンブロスシルクを世に広める?っていうのは、どういう意味ですか?」
瑠璃色蝶の蛹から採れる糸を、元の世界のシルクという呼び方に、分かりやすくこの地の名前をくっつけて「アンブロスシルク」と名付けたのは私だが、その流通のほとんどを担ってくれているワルターの言葉に待ったをかける。
途端、勢いを取り戻したワルターが嬉々として語り出した。
「はい!既にアンブロスシルクは王都の最先端、流行に敏感な貴族のご婦人方に大変人気の品となっておりますが!私は、アンブロスシルクにまだまだこれからの可能性を感じております!」
「…なるほど?」
「生地の販売経路をごくごく限られたものに絞っておりますので、その希少価値も相まって、アンブロスシルクの価格は高騰に次ぐ高騰!乗りに乗っております!」
「…」
「そこに、結界の巫女様であらせられた奥方様がアンブロスシルクで仕立てられた最高級のドレスを身にまとい、降臨祭にまさにご降臨なされる!これほどの宣伝効果、あ、いえ、これほどの尊さを持ってすれば、アンブロスシルクの未来は確約されたも同然!我が商会もウッハウハでございます!」
「…ウッハウハなんだ…」
そこは隠し立てしないところが、この人の憎み切れないところではあるが。
「…分かりました。」
「っ!?なんとっ!?」
「…その、アンブロスシルクの最高級ドレス?こちらからお願いしてもいいですか?」
「っ!?奥方様っ!?」
感極まったと言わんばかりのワルター、何度も何度も頷いて、
「では!後日、改めて、生地とともに洋裁工房の者を連れてまいります!」
「はい。よろしくお願いします。」
「こちらこそ!どうぞよろしくお願いいたします。!いやー!奥方様には感謝しても感謝しきれません!私の我儘を聞いて頂き、誠に、誠にありがとうございます!この御恩は、必ずやアンブロスシルクの売り上げ!来年度収益の倍増という形でお返しさせて頂きたいと存じます!」
「…それも、よろしくお願いします。」
ワルター商会の売り上げが伸びれば、領の収益が安定するのは勿論、パラソの町の製糸工房の仕事が増え、その分、パラソの町の住人の生活も豊かになる。かつて、無知なままに脅かしてしまった彼らの生活を守るためなら、広告塔になるくらいどうってことはない。例えそれが、降臨祭の場であろうとも。
(…出来ることは、やるって決めたし。)
膝の上、動き回って眠くなったのか、グズり始めた我が子を見て思う。
この子たちにより良い未来を。元結界の巫女なんて存在が居なくなっても。
(…持続可能な世界、作ってかなきゃいけないよね。)
「…アオイ、どうでしたか?ワルターとの会談は上手くいきましたか?」
夜、レナータをナニーに任せての二人きりの食事。今日一日、別行動だったセルジュの第一声に笑って答える。
「うん。バッチリだったよ。」
「…では、今年は本当に?」
「うん、行く。降臨祭にも出るよ。」
「…」
王太子名義での降臨祭への招待状が届いてから、ずっと浮かない顔のセルジュ。それは多分、夜会への招待とともに、「クリューガー伯爵令嬢帰還への助力」を請われているから。
私としては、「やっぱり、前回は失敗していたのか」という再確認をしたくらいで、その協力要請への返事は決まっている。既に、手紙で「協力は出来ない」と返しているのだから、王太子やあの男には諦めてもらうしかない。
「…ただねぇ…」
「?」
「レナータのことだけは、ちょっと不安。」
「そう、ですね…。一週間近く、あの子と離れることになりますから。」
「だよねぇ。…生活に関しては、まぁ、エリンさん達がついてくれてるから問題ないとは思うんだけど…」
それでも、レナータに寂しい思いをさせることは間違いないし、何よりも、私自身が寂しい。
(…それに…)
「…結界だってさ、万全なわけじゃないでしょう?もし、私が居ない間に何かあったらって。…それも、結構、不安なんだよね。」
言ってもしょうがないことを口にする。
「…ごめんね?」
「?」
多分、降臨祭に出発するその日まで、何度も繰り返してしまうであろう弱音を、セルジュにだけは吐き出して、それで何とか前に進む。
「奥方様!お久しぶりでございます!奥方様に置かれましては、以前にも増してより一層お美しさに磨きがかかられたようで!おやっ!?お人形かと見間違えてしまいましたが、もしや、こちらのお嬢様がご領主様最愛のご息女様レナータ様でいらっしゃいますか!?いやはや、大変失礼いたしました!あまりのお可愛らしさに人形と見間違えてしまうなど、このワルター一生の不覚!お詫びにもならないものではございますが、ここは是非、我が商会特製の『くまさんのぬいぐるみ』をお受け取り頂ければっ!」
「…えーっと、久しぶり、ですね。…ワルターさん…」
本当に久しぶり、レナータが産まれた後、パラソの町の製糸事業の統括責任者として顔を合わせて以来だから、半年以上ぶりのワルターの勢いに飲まれそうになる。
特に、恰幅のいい男性が、その上半身を隠しきってしまうほどの巨大なクマのぬいぐるみを抱えていれば。
「いかがでございましょう!奥方様!こちら奥方様発案の『くまさんのぬいぐるみ』!小さなお子様が大きなくまさんに抱き着くさまは大層お可愛らしいという奥方様のご助言で実現いたしました、ワルター商会の新商品でございます!」
「…ああ、はい。…可愛い、ですね…?」
半年前、産後ハイで脳みそお花畑だった私に言ってやりたい。こんなものを一歳児に与えるなんて何を考えていたのか。倒れたぬいぐるみに押しつぶされて、レナータが窒息なんてことになったら目も当てられない。
「あー、えっと、ワルターさん、ありがとうございます。…レナータがもう少し大きくなったら遊ばせますね?」
「はい!それは勿論!このワルター、光栄の極みでございます!」
テンションの高いワルターから、よろける勢いでぬいぐるみを受け取って、側に控えてくれていたナニーの一人に手渡す。同じく、よろける勢いのナニーが別の部屋へとぬいぐるみを運び出すのを見送って、改めて、ワルターに向き直った。
向かい合うソファの一つを彼に進め、反対側、先ほどまでレナータが伝い歩きをしていたソファに自分が腰かける。にじり寄って来たレナータを、膝の上に乗せて。
「…えっと、じゃあ、改めて、…ワルターさん、お久しぶりです。今日は呼び出しに応じてくれてありがとうございます。」
「いえいえ!何を仰いますか奥方様!このワルター!奥方様のお呼びとあらば、例え地の果てであろうと駆けつける所存!奥方様あっての、ワルター商会でございますから!」
衰えを知らぬワルターの勢い。口を開く毎に増していっているのではないかという彼の勢いに、改めて、彼の姿をじっくりと眺める。彼が、これほど上機嫌な理由。
「…そんなに、ウハウハですか?」
「はい!以前にも増してウハウハ!今や、我が商会は飛ぶ翼竜を落とす勢いでございます!」
「それは、…良かったですね?」
魔物から採れる魔石の卸し、販売に関しては、既に領内の複数の商会が取り扱いを始めている。ワルター商会の独占という形ではなくなったが、それを差し引いても、彼の商会は大変に潤っているらしい。
(…まぁ、それが引いては領の収入、税収になるんだから、いいんだよね?)
ウィンウィンな関係であるうちは問題ないはず。
それに加えて、ワルター商会では元からの主力商品、製糸事業が大当たりしているから、彼も笑いが止まらないのだろう。
(…だからこそ、今回も彼にお願いすることになったんだけど…)
「…ワルターさん、それで、今回もまた、ドレスの製作を手伝って頂けるとのことでしたけど…?」
「はい!それは勿論!奥方様のご要望とあらば、このワルター!王都の王侯貴族の御方々にも引け目をとらぬ最高級の一着を仕上げてみせましょうとも!」
「あー、いや、流石にそこまでは求めてないです。」
引き気味に首を振れば、ワルターが驚いたような、次いで、実に悲しそうな顔をする。
「申し訳ありません。私、少々、図に乗り過ぎておりました。奥方様のお優しさに甘え、アンブロスシルクを世に広める絶好の機会と、気持ちばかりが先走り、奥方様のご負担を考えることもせずに、誠に、誠に、申し訳ない次第で、」
「ちょっと、ちょっとストップ。…えっと、その、アンブロスシルクを世に広める?っていうのは、どういう意味ですか?」
瑠璃色蝶の蛹から採れる糸を、元の世界のシルクという呼び方に、分かりやすくこの地の名前をくっつけて「アンブロスシルク」と名付けたのは私だが、その流通のほとんどを担ってくれているワルターの言葉に待ったをかける。
途端、勢いを取り戻したワルターが嬉々として語り出した。
「はい!既にアンブロスシルクは王都の最先端、流行に敏感な貴族のご婦人方に大変人気の品となっておりますが!私は、アンブロスシルクにまだまだこれからの可能性を感じております!」
「…なるほど?」
「生地の販売経路をごくごく限られたものに絞っておりますので、その希少価値も相まって、アンブロスシルクの価格は高騰に次ぐ高騰!乗りに乗っております!」
「…」
「そこに、結界の巫女様であらせられた奥方様がアンブロスシルクで仕立てられた最高級のドレスを身にまとい、降臨祭にまさにご降臨なされる!これほどの宣伝効果、あ、いえ、これほどの尊さを持ってすれば、アンブロスシルクの未来は確約されたも同然!我が商会もウッハウハでございます!」
「…ウッハウハなんだ…」
そこは隠し立てしないところが、この人の憎み切れないところではあるが。
「…分かりました。」
「っ!?なんとっ!?」
「…その、アンブロスシルクの最高級ドレス?こちらからお願いしてもいいですか?」
「っ!?奥方様っ!?」
感極まったと言わんばかりのワルター、何度も何度も頷いて、
「では!後日、改めて、生地とともに洋裁工房の者を連れてまいります!」
「はい。よろしくお願いします。」
「こちらこそ!どうぞよろしくお願いいたします。!いやー!奥方様には感謝しても感謝しきれません!私の我儘を聞いて頂き、誠に、誠にありがとうございます!この御恩は、必ずやアンブロスシルクの売り上げ!来年度収益の倍増という形でお返しさせて頂きたいと存じます!」
「…それも、よろしくお願いします。」
ワルター商会の売り上げが伸びれば、領の収益が安定するのは勿論、パラソの町の製糸工房の仕事が増え、その分、パラソの町の住人の生活も豊かになる。かつて、無知なままに脅かしてしまった彼らの生活を守るためなら、広告塔になるくらいどうってことはない。例えそれが、降臨祭の場であろうとも。
(…出来ることは、やるって決めたし。)
膝の上、動き回って眠くなったのか、グズり始めた我が子を見て思う。
この子たちにより良い未来を。元結界の巫女なんて存在が居なくなっても。
(…持続可能な世界、作ってかなきゃいけないよね。)
「…アオイ、どうでしたか?ワルターとの会談は上手くいきましたか?」
夜、レナータをナニーに任せての二人きりの食事。今日一日、別行動だったセルジュの第一声に笑って答える。
「うん。バッチリだったよ。」
「…では、今年は本当に?」
「うん、行く。降臨祭にも出るよ。」
「…」
王太子名義での降臨祭への招待状が届いてから、ずっと浮かない顔のセルジュ。それは多分、夜会への招待とともに、「クリューガー伯爵令嬢帰還への助力」を請われているから。
私としては、「やっぱり、前回は失敗していたのか」という再確認をしたくらいで、その協力要請への返事は決まっている。既に、手紙で「協力は出来ない」と返しているのだから、王太子やあの男には諦めてもらうしかない。
「…ただねぇ…」
「?」
「レナータのことだけは、ちょっと不安。」
「そう、ですね…。一週間近く、あの子と離れることになりますから。」
「だよねぇ。…生活に関しては、まぁ、エリンさん達がついてくれてるから問題ないとは思うんだけど…」
それでも、レナータに寂しい思いをさせることは間違いないし、何よりも、私自身が寂しい。
(…それに…)
「…結界だってさ、万全なわけじゃないでしょう?もし、私が居ない間に何かあったらって。…それも、結構、不安なんだよね。」
言ってもしょうがないことを口にする。
「…ごめんね?」
「?」
多分、降臨祭に出発するその日まで、何度も繰り返してしまうであろう弱音を、セルジュにだけは吐き出して、それで何とか前に進む。
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