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最終章 領主夫人、再び王都へ

13.選択

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アンバー・フォーリーンが大きく息を飲む。次いで、血の気の失せていたその顔が、一瞬で朱に染まった。

「ふざけるなっ!!!ティアが、彼女が私を裏切ったとでも言うのか!?虚言を吐くなっ!彼女への侮辱は私が許さん!」

憤怒の表情、サキアの制止を振り切ろうとする男に言えることは一つ。

「そうですね。確かに、虚言かも。私が見たのはあくまで夢ですから。…ですが、最初の夢が本当にクリューガー伯爵令嬢の意識、彼女と繋がっていたと信じるのなら、二度目の夢も同じことではありませんか?」

「っ!?そんなバカなことがあり得るかっ!!」

都合の良い部分しか受け入れようとしない男の叫びに、逆にこちらは冷静になっていく。「あくまで夢」とは言ったが、私の中では─証明しようのない感覚で─「事実だ」と確信してしまっているあの日の彼女の姿─

「…一年前、夢の中で見た私は、…鏡の中の私は…」

私の知る彼女の姿そのものではなかったけれど、でも確かに、

「…クリューガー伯爵令嬢の姿をしていました。」

「っ!バカなバカなバカな!あり得ない!そんなことは絶対にあり得ない!」

感情に任せるまま、ただ否定の言葉を繰り返すだけの男。なぜ「あり得ない」と言い切れるのか。それこそ、その根拠を教えて欲しい。

だって─

「…私は、大いにあり得ることだと思いますけど?」

「っ!貴様!ティアを貶めるつもりかっ!?」

「貶める?まさか。…彼女は当然の選択をしただけ、じゃないでしょうか?」

「ティアが私を裏切る選択などするはずがないっ!」

「…本当に?…だって、見知らぬ世界にたった一人で放り込まれたんですよ?自活の手段の無い女の子が、誰の助けも借りずに生きていける、本当にそうお考えですか?」

「っ!それはっ!だが…!」

「前にも言いましたけど、私の居た世界はそこまで甘くはありません。…むしろ、誰かの助けを借り、その人との人生を歩む、その方がよっぽどあり得る可能性だと、私は思いますが?」

「っ!?」

憤怒ゆえに赤黒く染まった顔。激情に飲み込まれてしまった男は、それでも、「バカ」ではないから。

「…だとしても、だ…」

「…」

「だとしても、私がティアを取り戻すことに変わりはない。」

「…彼女が、既に、他の誰かの手を取っている、その人と家庭を築き、子どもが居るのだとしても…?」

「愚問だな。」

「…」

冷え冷えとした眼差し。最悪な方向に心を決めてしまったらしい男の傲慢さにため息が漏れる。

「…クリューガー伯爵令嬢は、恐らく、ご自身の子を愛していらっしゃいます。」

「…」

夢で伝わって来た彼女の感情。己の境遇を嘆きながらも、お腹の子に向けられた愛情だけは、確かに本物だった。

「…ああ、それとも、子どもも一緒にこちらに連れてくるつもりですか?」

「バカな。そのようなことが可能な訳がないだろう。陣により開かれる門は狭い。人ひとりが限度、それこそ、衣服の類を通すことさえ叶わないというのに。」

「そう、なんですね…」

ここに来て、私が身一つでこちらの世界へ放り込まれた理由を知り、頷いた。

「では、彼女を子どもと引き離すつもりということでしょうか?彼女は子どもを愛しているのに?」

「…ティアの、彼女の思いまで、貴様が知れるはずがないだろう。…望まぬ子の可能性もある。」

「ええ。ですが、彼女はとても愛情深い方なんでしょう?それなら、ご自身の子を大切に思っている可能性も十分にあります。」

「…」

「その可能性がありながら、あなたは彼女と子どもを引き離すつもりなんですね?」

「…くどい。」

「それが、本当に彼女の望むこと、彼女が幸せになる道だと断言できます?」

「っ!うるさいっ!!」

言い募れば、感情を爆発させたアンバー・フォーリーンが再び声を荒げた。その、都合の悪い事実から目を背けることしかない姿は、まるで子どものようで─

「そんなくだらない話はどうでもいい!ティアの幸福は私と共にある!」

「…逆ではないんですか?」

「なにっ!?」

「聞いている限り、あなたはご自身の都合、ご自身の幸せのために、クリューガー伯爵令嬢を取り戻そうとしているとしか思えません。」

「それの何が悪い!私は彼女を誰よりも愛している!この尽きぬ想いがある限り、彼女が不幸になることなどあり得ない!」

「…」

そこまで言い切った男の一人よがりに不快が増す。

「…では…」

どう告げるか、告げるかどうかも最後まで迷っていた言葉を口にした─

「…彼女が、あちらの世界で既に十年の時を過ごしているとしても…?」

「な、に…?」

脳が理解することを拒むのか、表情の抜け落ちてしまった男に問う。

「彼女が既に、十年以上の時をあちらで過ごし、あちらの生活になじみ、あなたの年さえ越えているとしても?それでも、彼女を愛し、彼女のあちらでの年月を越えて彼女を幸せに出来ますか?」

「…待て、なに、何を…?」

「…禁書を読んでわかったことです。」

「…」

混乱の極地にあるらしい男が動きを止めた。微動だにしなくなった男から視線を外し、それまで成り行きを見守っていた王太子へと視線を向ける。

「殿下…?」

「ああ。…いや、待ってくれ。私も混乱している…、巫女、説明を…」

王太子の言葉に頷いた。

「…結論として、こちらとあちらの世界では流れる時間の速さが違います。多分、こちらの一年が、あちらでは五年かそれ以上…」

「そんなことが…、いや、そんな記述、禁書にも載っていなかったはずだ…」

「はい。直接、明記されているわけではありません。ただ…」

言いながら、隣のセルジュを見上げる。

「…前に、セルジュが言っていたでしょう?『巫女の世界は一つではない気がする』って。」

「…ええ。…歴代巫女の語った世界は文化的、技術的な相違が大きく、複数の文明を感じさせるものでしたから…」

「うん。ただ、禁書にはもう少し詳しく、歴代の巫女の住んでいた世界について書いてあって…、確かに、どれも、私が住んでいた世界、国のことだろうなっていう内容だった。」

「では…?」

「世界は一緒。違うのは、時代、だね…」

書かれた内容は、私にも心当たりのあるものが多く、歴代巫女が日本から来たのだろうということは推察された。

(…心当たり、っていうか、歴史の教科書で見たことがあるというか…)

移動手段一つにしてもそう。牛が車を引いたり、馬に乗ったり。或いは、人がカゴを担いだり。セルジュの言うように、一つ一つを取り出せば、全く別の世界のようにも見えるそれらを、私は聞いたことがあった。何かで見たことも。ただ、それら一つ一つが遠い時代の話。

(…それでも、共通する部分も多かったから。)

多少の変化はあれど、同じ文字を使い、為政者の呼び名も共通。島国である国土や、自身の住んでいた地名を把握している巫女もいた。そして、それが禁書の中で「巫女の世界は同一」と結論づけていた根拠でもある。

自分にとって決定的だったのは、先代の巫女、彼女が残した生まれ年、そこに書かれた見知った「年号」。それから、彼女の住んでいた場所。いくら歴史に明るくなくても、知らぬはずのないその地名に確信した。

そして、そこから逆算すれば─

「…殿下、私は先代巫女が住んでいた時代を知っています。」

「時代、…本当に、それほどの時の流れが…?先代巫女が召喚されたのは七十四年前、…逝去されてからも、まだ半世紀と経っていない…」

「はい。…でも、彼女の生まれた年は、私の住んでいた時代よりも、三百年以上前の話でした。」

「なっ!?三百!?」

信じられないものを見る目、目を見開いた王太子に、ただ無言で頷く。王太子の薄く開いた口からうめき声が漏れた。

「では…、では、本当に、クリューガー伯爵令嬢はあちらで十年の時を過ごしていると…?」

「ええ。」

「…信じられん。」

「…こんなことで嘘をつくほど、私は彼女が嫌いではありません。」

「ああ、いや、すまない。巫女の言葉を疑っているわけではない、ただ…」

そこで言葉を切った王太子が、脱力し、掛けていたソファへと深く沈み込む。

「…巫女は…」

「はい…」

「巫女は、あちらで、新たな人生を築いているクリューガー伯爵令嬢を連れ戻すべきではないと、そう、考えるのだな…?」

「ええ。…私は、彼女が帰還を望むとは思えませんので。」

「…」

「…」

十年だ─

(…たった二年でさえ、私が変わるには十分だった。)

それよりも遥かに長い時間をあちらで過ごして、果たして、彼女が変わらずにいられるだろうか。

(…少なくとも…)

隣を見上げる。セルジュと視線が絡んだ。脳裏には、彼とそっくりな目をした我が子の姿。

(少なくとも、私には、もう、離れられない存在がある。)

それはきっと、彼女も同じ。

「…殿下。」

「ああ…」

「殿下方が私の話をどう判断をされるのかは分かりません。…それでも、なお、クリューガー伯爵令嬢を帰還させるというのなら、私はそれを止めるつもりはありません。」

「…」

「ただ、その帰還に、彼女を、…彼女の子どもも、不幸にするであろう選択に私が手を貸すことは出来ません。それが、私の判断です。」

「…ああ。」

力なく頷く王太子の反応に、漸く安堵する。どうやら、王太子にはこちらの「理由」が納得いくものであったらしい。

(…あっちは、どうだか分からないけれど。)

未だ、床の一点を見つめたまま茫然としているアンバー・フォーリーンに一瞬だけ視線を向け、直ぐに王太子へと視線を戻す。

「…それでは、私達はこれで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ああ、…そうだな。…今後については、こちらで話を進める。」

「はい。それでは、」

「アオイッ!!!」

「っ!?」

言いかけた言葉は、突然、襲ってきた衝撃に阻まれた。視界の端で捉えたのは、私の名を呼び、こちらへと手を伸ばすセルジュの姿。その手に突き飛ばされ、そのまま床へ転がった。ぶれる視界に映るのは、セルジュが何かの衝撃を受け、吹き飛ばされる瞬間─

「っ!?セルジュッ!?」

「アンバー!よせっ!サキアッ!アンバーを拘束しろっ!!」

「セルジュッ!?セルジュッ!?セルジュッ!?」

吹き飛ばされ、床に倒れ伏したセルジュ。

セルジュが動かない。

(嘘っ!?いや!?いや!?何でっ!?)

怖い。怖くて、手足が震える。

立ち上がることが出来ずに這って進む床。

「セルジュッ!?セルジュッ!?お願い!目を開けてっ!」

必死になって手を伸ばす。床の上、ピクリとも動かないセルジュへと向かって。







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