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第三幕 番外編
チーグル・アンド・ヴリートヴァ②
「吸う?」
赤いパッケージのボックスのタバコを差し出すと、景虎は不思議そうな顔をした。
「いえ……未成年なので。大丈夫です」
「こんな狭い車内じゃ、どうせ副流煙でタバコ吸うのと同じなのに。汚そうよ、一緒に肺をさぁ」
残念そうに箱を引っ込めると、器用に片手で一本取り出し口に咥えた。そのまま、交差点の信号待ちで火を点ける。運転席側のウィンドウを開けると煙はそちらに流れていったが、車内にこもった喉に絡むようなタバコの匂いは消えない。
「……ありがとうございました」
ヤニで焼けてうっすらと黄ばんだ天井を見つめて、景虎は言った。ハンドルを握ったままの国枝が、ああ、と曖昧な返事をした。
窓の外、夕方の空に朧雲が凪ぐ。沈黙の隙を、遠くのけたたましいクラクションがさらってゆく。
「その、俺まだ何もされてないので……されてない? してない、というのでしょうか。さっきの、女の人に……」
先程の小さなラウンジは川濱組がケツモチをやっている店だ。そこの従業員の女と川濱の構成員の懇ろの二人は、若頭である矢野の義理の息子である景虎を陥れて、織原組を強請ろうとしたのだろう。
国枝が飲み屋だらけのビルに引っ張り込まれる景虎を見つけたのは、本当に偶然だった。
“融資”の返済が滞っていた客がいたから、外で会っていた。新宿の人の多いマクドナルドの席できわめて穏当に、パチスロ中毒の中年男性に、速やかな返済を促していた。
テーブルの向こうで老いた母親に泣きながら電話で懇願している彼を横目に、のんびりホットコーヒーを飲んでいた。
ふと窓の外を見たときに、国枝は景虎を見つけた。女に手を引かれては、俯いて一つも楽しくなさそうにしている。紛れもなくいつもの、人形みたいな表情の彼だった。
「知らない人についていっちゃダメって、学校で習わなかったの」
信号が青に変わり、車の波がゆっくりと流れてゆく。
「すみませんでした。親父のことで話があるって言われたので、つい」
本来であればこれは大ごとだ。自分の名前をダシに息子を拐かされかけたとなれば、もともと血の気の多い彼のこと、怒り狂って単身で川濱組に殴り込みに行っても不思議ではない。
織原の現組長が病床に伏している今、矢野は次期組長になるための準備の時を迎えている。迂闊なことはしてほしくない。が、
「どうする? 矢野さんには伝える? 言いにくいんだったら、俺から言おうか」
景虎はまだ十三歳の子供だ。未遂であろうが、それを大事の前の小事だと捨て置くのは、国枝は厭だった。正義感などではなく、ただ生理的に受け付けなかったのだ。
「親父には伝えなくても大丈夫です。そんなことでって笑うでしょうし……」
「……わかってねェな、だからガキって嫌いだよ」
国枝は、フロントガラスの向こうを、まるで剃刀の刃のような目で睨めつけた。自分より近くに居るくせに、てんで矢野の気持ちを知らない景虎に腹が立つ。薄くヒゲを生やした細い顎を、苛立たしげに撫でた。
助手席で物憂げな顔をする美しい少年が、国枝は時に疎ましかった。ヤク中の親に育てられ、あげく死なれて独りになった“かわいそうな子供”である景虎。
けど、そんなのはヤクザになるような連中にとっては普通のことだ。碌でもない親がさっさと死んでラッキーだったのでは、とすら思う。
矢野に出会うタイミングが違っただけで、自分だって立派に“かわいそうな”子供だったのになぁ。国枝は思っていたが、口に出すつもりはなかった。
赤いパッケージのボックスのタバコを差し出すと、景虎は不思議そうな顔をした。
「いえ……未成年なので。大丈夫です」
「こんな狭い車内じゃ、どうせ副流煙でタバコ吸うのと同じなのに。汚そうよ、一緒に肺をさぁ」
残念そうに箱を引っ込めると、器用に片手で一本取り出し口に咥えた。そのまま、交差点の信号待ちで火を点ける。運転席側のウィンドウを開けると煙はそちらに流れていったが、車内にこもった喉に絡むようなタバコの匂いは消えない。
「……ありがとうございました」
ヤニで焼けてうっすらと黄ばんだ天井を見つめて、景虎は言った。ハンドルを握ったままの国枝が、ああ、と曖昧な返事をした。
窓の外、夕方の空に朧雲が凪ぐ。沈黙の隙を、遠くのけたたましいクラクションがさらってゆく。
「その、俺まだ何もされてないので……されてない? してない、というのでしょうか。さっきの、女の人に……」
先程の小さなラウンジは川濱組がケツモチをやっている店だ。そこの従業員の女と川濱の構成員の懇ろの二人は、若頭である矢野の義理の息子である景虎を陥れて、織原組を強請ろうとしたのだろう。
国枝が飲み屋だらけのビルに引っ張り込まれる景虎を見つけたのは、本当に偶然だった。
“融資”の返済が滞っていた客がいたから、外で会っていた。新宿の人の多いマクドナルドの席できわめて穏当に、パチスロ中毒の中年男性に、速やかな返済を促していた。
テーブルの向こうで老いた母親に泣きながら電話で懇願している彼を横目に、のんびりホットコーヒーを飲んでいた。
ふと窓の外を見たときに、国枝は景虎を見つけた。女に手を引かれては、俯いて一つも楽しくなさそうにしている。紛れもなくいつもの、人形みたいな表情の彼だった。
「知らない人についていっちゃダメって、学校で習わなかったの」
信号が青に変わり、車の波がゆっくりと流れてゆく。
「すみませんでした。親父のことで話があるって言われたので、つい」
本来であればこれは大ごとだ。自分の名前をダシに息子を拐かされかけたとなれば、もともと血の気の多い彼のこと、怒り狂って単身で川濱組に殴り込みに行っても不思議ではない。
織原の現組長が病床に伏している今、矢野は次期組長になるための準備の時を迎えている。迂闊なことはしてほしくない。が、
「どうする? 矢野さんには伝える? 言いにくいんだったら、俺から言おうか」
景虎はまだ十三歳の子供だ。未遂であろうが、それを大事の前の小事だと捨て置くのは、国枝は厭だった。正義感などではなく、ただ生理的に受け付けなかったのだ。
「親父には伝えなくても大丈夫です。そんなことでって笑うでしょうし……」
「……わかってねェな、だからガキって嫌いだよ」
国枝は、フロントガラスの向こうを、まるで剃刀の刃のような目で睨めつけた。自分より近くに居るくせに、てんで矢野の気持ちを知らない景虎に腹が立つ。薄くヒゲを生やした細い顎を、苛立たしげに撫でた。
助手席で物憂げな顔をする美しい少年が、国枝は時に疎ましかった。ヤク中の親に育てられ、あげく死なれて独りになった“かわいそうな子供”である景虎。
けど、そんなのはヤクザになるような連中にとっては普通のことだ。碌でもない親がさっさと死んでラッキーだったのでは、とすら思う。
矢野に出会うタイミングが違っただけで、自分だって立派に“かわいそうな”子供だったのになぁ。国枝は思っていたが、口に出すつもりはなかった。
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