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第五幕 永遠の愛
5-7.月が満ちる
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祭りは盛大に盛り上がった。シュテインがトゥトゥナの待ち人であったということ、そして何より、彼の温和な態度が村人たちに好印象を抱かせたからだ。
トゥトゥナとシュテインは皆から馴れ初めを聞かれたりしたが、村長が庇ってくれた。何も聞かずにただ、微笑ましいと自分のことのように喜んでくれた村長にはありがたいと思う他ない。
繰り返し続いていた輪廻を話す必要はないと考えたし、あの時間を共有するのはシュテインとだけでよかった。トゥトゥナはそう感じている。
すっかり夜になり、大分更けた。祭りとはいえさすがの村人たちも家に帰り、今度は家族でお祝いをしている頃だ。
本来ならシュテインは、家が建つまで村長の自宅に滞在することになっていた。だが、トゥトゥナは自分の家へ彼を招待した。話したいこともたくさんある。
「君はどこまで思い出せた?」
ローズマリーやレモングラスを中心にしたハーブティーをシュテインに渡したとき、そう尋ねられて小首を傾げた。
「繰り返していたことと……今世? と言えばいいのかしら、それが少し違うことは」
「そう。僕も全部思い出している。と言うより、皇領市で医師として診察していたんだ、気付いたら。一瞬は混乱したけれど、すぐに君を思い出せた」
「そこも違うわね。あなたが教師でもなく龍皇補佐でもないなんて、驚いたわ」
「大抵の辻褄は合うようになっているらしい。現龍皇のフリーデとは前世のときと同じく交流があったし、彼のおかげですぐにこの村へ来ることができた」
診察室の奥に作られた居間で二人、机を挟んで語り合う。
「でも、どうしてあなたがお医者様なの? ヴィシュ卿が死んで、そのあと……」
「僕が君のあとを追ったからだよ」
平然と茶を飲んで答えるシュテインに、トゥトゥナはカップを落としそうになった。
「そんな……ヴィシュ卿が亡くなれば、あなたは正しく龍皇になれたのに」
「言ったはずだよ。君のいない世界で生きてはいけないと。龍皇になったところで巫女のトア……いや、トゥトゥナ、君がいなければそんなものは無価値だ」
シュテインは言って、服をずらし首を晒した。頸動脈付近には深い傷がある。視認したトゥトゥナはいたたまれなくなり、そっと視線を外した。
「ちなみに僕の兄という存在は、今世ではいない。少なくともヴィシュ卿という存在はね。……君に関わったダリエとアロウスは幸せになれたようだけれど」
「イスクさんたちは……カルゼさんやリッケル君も、ちゃんと幸せになれているかしら」
「イスクなら心配ないよ。彼はフリーデ龍皇の護衛隊に入っていた。それに、残り二人も。フリーデ龍皇はやり手だ。根本的に町の仕組みを改革するみたいだから」
「それならいいんだけれど……」
カップを置き、今でははっきりと思い出せる人々のことを思った。立場が少し変わったこの時間軸で、それでも幸せになってほしいと感じたから。
悩みあぐねたのち、悲しみを瞳に込めてシュテインを見つめる。
「でも、シュテイン。私のあとを追うだなんて真似、してほしくはなかったわ。輪廻を紡いでいたヴィシュ卿の狙いは、何よりあなただったんだもの。あなたが死んでしまえば、また変な繰り返しが起こったかもしれないのに」
「声と歯車の音」
「え?」
「大地神イナの声と歯車の音が聞こえたんだ。死ぬ前に。正確には君が死んでいくさなかに、だけれど。そこで僕は、農夫神ブラントの逸話を思い出した」
「農夫神の……? 何かイナに関わる話なんてあったかしら」
「君は、農夫神ブラントの本を読んではいなかったみたいだね。前に読んだのはイナの本、それだけかな」
「ええ。どうしてここに農夫神が出てくるの?」
「農夫神の逸話にはこうある」
シュテインは微笑み、滔々と逸話を語りはじめた。
※ ※ ※
数多の神々がいた頃、大地神を崇めなかった男がいた。のちに農夫神として崇められる彼は、供物をもイナに捧げることをしなかった。
激怒したイナに彼はただ一つのものを与え、輪廻の地獄に行くことを免れたという。
※ ※ ※
「一つのもの……?」
「そう。ブラントが与えたのは――愛だ」
あ、とトゥトゥナは死んでいくときのことを思い出す。崇めよという声と、歯車の音。二つが谺する中で捧げられるものを、愛と答えた記憶がある。
シュテインが笑みを消し、真剣な面持ちでうなずく。
「僕は地位も財産も持っていたけれど、イナに与えられるものは君への愛しかなかった。君にもう一度会えるなら、僕は何度だって死ぬだろう。繰り返しがはじまったとしても」
「ブラントの逸話に……あなたは賭けてくれたのね」
「上手くいってよかったと思っているよ。君には聞こえなかったのかな。声や歯車の音が」
「……聞こえたわ。私も捧げたもの、あなたへの愛を」
「ならば、やはり嘘なんだね? 君が最期に僕へ言った言葉は」
シュテインの言葉に、トゥトゥナは微笑んでみせた。
「嘘でもあるし、本音でもあったわ。道を同じにしても、あなたの側にいられても、その……ええと」
「言いなさい、トゥトゥナ。僕たちの間に隠し事はなしだ」
まごつくトゥトゥナに、シュテインは優しく『命令』してくる。あの、その、と顔が熱くなることを感じながら、トゥトゥナは上目遣いで彼を見つめ、ささやいた。
「……あのままで子供ができたら、誰にも祝福されないのはいやだって……思って」
シュテインの顔が珍しく惚けた。とんでもないことを言ったような気がして、トゥトゥナはごまかすように続ける。
「ひ、避妊のお茶は飲んでいたけれど、絶対じゃあないでしょう? あのままの立場だったら私はあなたの枷になっていたわ。そんなのもいやだったから、それで……」
語尾が消え入った。でも、出した台詞は偽らざる本音だ。
あのまま龍皇として、巫女として互いに側にいられたとしても、いつか自分の心は壊れていただろう。身分の差、立場、それらは確実にあったのだから。下手をすれば、妊娠したところで堕胎するはめになっていたかもしれない。
今はどうだろうか。彼はトトザールと名乗った。やはり伯爵家の生まれなのだろうか。だとすれば……。
「……トゥトゥナ」
顔を青くしたり赤くしたりする自分の手を、シュテインがそっと握ってくる。
「今でも、僕の子供がほしいかい?」
「そ、それは……その」
「先に言っておく。僕には代わりに弟がいて、トトザール家の家督は彼だ。僕はどうやらトトザール伯爵家の変わり者だと思われているみたいでね。神官にもならない僕のことを、両親はとうに見限っている。ここに来る前、好きに生きろと言われて少しばかりの金を与えられた。トトザールの名前を名乗ってはいるけれど、実家とは縁を切っている」
「それじゃあ……」
「今の僕には絶対の地位も莫大な財産もない。それでも君は、僕を受け入れてくれるかな」
今度はトゥトゥナが惚ける番だった。
どこまでも愛をねだる、浅ましくて醜い自分を、シュテインは今も愛してくれている。その事実が何より嬉しい。
地位や名誉、財産なんて眼中になかった。トゥトゥナがほしいのはただ、彼一人なのだから。
「それであなたは幸せ?」
「君がいれば、他に何もいらない。僕の世界は君なんだ。君が全てなんだ、トゥトゥナ」
熱烈な愛の台詞に、全身が痺れた。シュテインの手のひらから伝わる温もりはどこまでも熱く、抑えようとしても鼓動は高鳴る。
「私もよ、シュテイン。あなたがいいの……あなたの側にずっといたいわ」
「僕のことを愛しているかい?」
「……ええ。愛してる。誰よりも、何よりも、あなただけを」
ようやく出せた本当の思い。今世では隠す必要のない言葉を口にすれば、自然と目が潤んだ。
シュテインは顔をほころばせ、それから少し、意地悪い面を作った。
「やっと君の本音が聞けたね。君の思いを聞けたことが嬉しいよ、トゥトゥナ」
「ほ、本当はあなたが龍皇になったら言おうと思っていたの。でも」
「意固地だね、君は。そんなところも含めて好きになったからいいけれど」
立ち上がったシュテインが、トゥトゥナの座る椅子の横に跪く。驚いたトゥトゥナの手を再度手に取り、真摯な銀の瞳でこちらをじっと見つめた。
「シュテイン……?」
「トゥトゥナ。僕だけのトア。僕と結婚してくれるかい」
「……はい」
嬉しくて目尻から涙が溢れる。それを拭くこともせず、何度もうなずいた。
シュテインが微笑み、手の甲に口付けを一つ落とす。トゥトゥナは自由な方の手で、柔らかく、艶のある銀髪をそっと撫でた。そして席から立つ。
立場も、身分も、そして輪廻も、何も邪魔するものはない。シュテインと自分を阻むものは、何一つ。
立ったシュテインに抱き締められ、愛しい温もりをたっぷりと堪能した。
顔を優しく撫でられる意味も、もうわかっている。頬を染め、小さく首肯してから目を閉じた。
心も体も、全てを捧げるために。
トゥトゥナとシュテインは皆から馴れ初めを聞かれたりしたが、村長が庇ってくれた。何も聞かずにただ、微笑ましいと自分のことのように喜んでくれた村長にはありがたいと思う他ない。
繰り返し続いていた輪廻を話す必要はないと考えたし、あの時間を共有するのはシュテインとだけでよかった。トゥトゥナはそう感じている。
すっかり夜になり、大分更けた。祭りとはいえさすがの村人たちも家に帰り、今度は家族でお祝いをしている頃だ。
本来ならシュテインは、家が建つまで村長の自宅に滞在することになっていた。だが、トゥトゥナは自分の家へ彼を招待した。話したいこともたくさんある。
「君はどこまで思い出せた?」
ローズマリーやレモングラスを中心にしたハーブティーをシュテインに渡したとき、そう尋ねられて小首を傾げた。
「繰り返していたことと……今世? と言えばいいのかしら、それが少し違うことは」
「そう。僕も全部思い出している。と言うより、皇領市で医師として診察していたんだ、気付いたら。一瞬は混乱したけれど、すぐに君を思い出せた」
「そこも違うわね。あなたが教師でもなく龍皇補佐でもないなんて、驚いたわ」
「大抵の辻褄は合うようになっているらしい。現龍皇のフリーデとは前世のときと同じく交流があったし、彼のおかげですぐにこの村へ来ることができた」
診察室の奥に作られた居間で二人、机を挟んで語り合う。
「でも、どうしてあなたがお医者様なの? ヴィシュ卿が死んで、そのあと……」
「僕が君のあとを追ったからだよ」
平然と茶を飲んで答えるシュテインに、トゥトゥナはカップを落としそうになった。
「そんな……ヴィシュ卿が亡くなれば、あなたは正しく龍皇になれたのに」
「言ったはずだよ。君のいない世界で生きてはいけないと。龍皇になったところで巫女のトア……いや、トゥトゥナ、君がいなければそんなものは無価値だ」
シュテインは言って、服をずらし首を晒した。頸動脈付近には深い傷がある。視認したトゥトゥナはいたたまれなくなり、そっと視線を外した。
「ちなみに僕の兄という存在は、今世ではいない。少なくともヴィシュ卿という存在はね。……君に関わったダリエとアロウスは幸せになれたようだけれど」
「イスクさんたちは……カルゼさんやリッケル君も、ちゃんと幸せになれているかしら」
「イスクなら心配ないよ。彼はフリーデ龍皇の護衛隊に入っていた。それに、残り二人も。フリーデ龍皇はやり手だ。根本的に町の仕組みを改革するみたいだから」
「それならいいんだけれど……」
カップを置き、今でははっきりと思い出せる人々のことを思った。立場が少し変わったこの時間軸で、それでも幸せになってほしいと感じたから。
悩みあぐねたのち、悲しみを瞳に込めてシュテインを見つめる。
「でも、シュテイン。私のあとを追うだなんて真似、してほしくはなかったわ。輪廻を紡いでいたヴィシュ卿の狙いは、何よりあなただったんだもの。あなたが死んでしまえば、また変な繰り返しが起こったかもしれないのに」
「声と歯車の音」
「え?」
「大地神イナの声と歯車の音が聞こえたんだ。死ぬ前に。正確には君が死んでいくさなかに、だけれど。そこで僕は、農夫神ブラントの逸話を思い出した」
「農夫神の……? 何かイナに関わる話なんてあったかしら」
「君は、農夫神ブラントの本を読んではいなかったみたいだね。前に読んだのはイナの本、それだけかな」
「ええ。どうしてここに農夫神が出てくるの?」
「農夫神の逸話にはこうある」
シュテインは微笑み、滔々と逸話を語りはじめた。
※ ※ ※
数多の神々がいた頃、大地神を崇めなかった男がいた。のちに農夫神として崇められる彼は、供物をもイナに捧げることをしなかった。
激怒したイナに彼はただ一つのものを与え、輪廻の地獄に行くことを免れたという。
※ ※ ※
「一つのもの……?」
「そう。ブラントが与えたのは――愛だ」
あ、とトゥトゥナは死んでいくときのことを思い出す。崇めよという声と、歯車の音。二つが谺する中で捧げられるものを、愛と答えた記憶がある。
シュテインが笑みを消し、真剣な面持ちでうなずく。
「僕は地位も財産も持っていたけれど、イナに与えられるものは君への愛しかなかった。君にもう一度会えるなら、僕は何度だって死ぬだろう。繰り返しがはじまったとしても」
「ブラントの逸話に……あなたは賭けてくれたのね」
「上手くいってよかったと思っているよ。君には聞こえなかったのかな。声や歯車の音が」
「……聞こえたわ。私も捧げたもの、あなたへの愛を」
「ならば、やはり嘘なんだね? 君が最期に僕へ言った言葉は」
シュテインの言葉に、トゥトゥナは微笑んでみせた。
「嘘でもあるし、本音でもあったわ。道を同じにしても、あなたの側にいられても、その……ええと」
「言いなさい、トゥトゥナ。僕たちの間に隠し事はなしだ」
まごつくトゥトゥナに、シュテインは優しく『命令』してくる。あの、その、と顔が熱くなることを感じながら、トゥトゥナは上目遣いで彼を見つめ、ささやいた。
「……あのままで子供ができたら、誰にも祝福されないのはいやだって……思って」
シュテインの顔が珍しく惚けた。とんでもないことを言ったような気がして、トゥトゥナはごまかすように続ける。
「ひ、避妊のお茶は飲んでいたけれど、絶対じゃあないでしょう? あのままの立場だったら私はあなたの枷になっていたわ。そんなのもいやだったから、それで……」
語尾が消え入った。でも、出した台詞は偽らざる本音だ。
あのまま龍皇として、巫女として互いに側にいられたとしても、いつか自分の心は壊れていただろう。身分の差、立場、それらは確実にあったのだから。下手をすれば、妊娠したところで堕胎するはめになっていたかもしれない。
今はどうだろうか。彼はトトザールと名乗った。やはり伯爵家の生まれなのだろうか。だとすれば……。
「……トゥトゥナ」
顔を青くしたり赤くしたりする自分の手を、シュテインがそっと握ってくる。
「今でも、僕の子供がほしいかい?」
「そ、それは……その」
「先に言っておく。僕には代わりに弟がいて、トトザール家の家督は彼だ。僕はどうやらトトザール伯爵家の変わり者だと思われているみたいでね。神官にもならない僕のことを、両親はとうに見限っている。ここに来る前、好きに生きろと言われて少しばかりの金を与えられた。トトザールの名前を名乗ってはいるけれど、実家とは縁を切っている」
「それじゃあ……」
「今の僕には絶対の地位も莫大な財産もない。それでも君は、僕を受け入れてくれるかな」
今度はトゥトゥナが惚ける番だった。
どこまでも愛をねだる、浅ましくて醜い自分を、シュテインは今も愛してくれている。その事実が何より嬉しい。
地位や名誉、財産なんて眼中になかった。トゥトゥナがほしいのはただ、彼一人なのだから。
「それであなたは幸せ?」
「君がいれば、他に何もいらない。僕の世界は君なんだ。君が全てなんだ、トゥトゥナ」
熱烈な愛の台詞に、全身が痺れた。シュテインの手のひらから伝わる温もりはどこまでも熱く、抑えようとしても鼓動は高鳴る。
「私もよ、シュテイン。あなたがいいの……あなたの側にずっといたいわ」
「僕のことを愛しているかい?」
「……ええ。愛してる。誰よりも、何よりも、あなただけを」
ようやく出せた本当の思い。今世では隠す必要のない言葉を口にすれば、自然と目が潤んだ。
シュテインは顔をほころばせ、それから少し、意地悪い面を作った。
「やっと君の本音が聞けたね。君の思いを聞けたことが嬉しいよ、トゥトゥナ」
「ほ、本当はあなたが龍皇になったら言おうと思っていたの。でも」
「意固地だね、君は。そんなところも含めて好きになったからいいけれど」
立ち上がったシュテインが、トゥトゥナの座る椅子の横に跪く。驚いたトゥトゥナの手を再度手に取り、真摯な銀の瞳でこちらをじっと見つめた。
「シュテイン……?」
「トゥトゥナ。僕だけのトア。僕と結婚してくれるかい」
「……はい」
嬉しくて目尻から涙が溢れる。それを拭くこともせず、何度もうなずいた。
シュテインが微笑み、手の甲に口付けを一つ落とす。トゥトゥナは自由な方の手で、柔らかく、艶のある銀髪をそっと撫でた。そして席から立つ。
立場も、身分も、そして輪廻も、何も邪魔するものはない。シュテインと自分を阻むものは、何一つ。
立ったシュテインに抱き締められ、愛しい温もりをたっぷりと堪能した。
顔を優しく撫でられる意味も、もうわかっている。頬を染め、小さく首肯してから目を閉じた。
心も体も、全てを捧げるために。
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