【R18】二重の執愛〜花枯らしの歌姫と呪われた王〜【完結】

双真満月

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第四幕:真実の一端

4-2:政敵の元

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 執務室にディーンの姿はなく、書類だけが机に積み重なっていた。開いた窓から入る外の風は、この季節にしては生温くそよぎ、重しを乗せた紙の端を宙に舞わせている。

 今は昼を少し回った頃だ。もしかしたら、休憩を挟んでいるのかもしれない――そう考え、エンファニオは椅子に座って紙束を確認してみた。親衛隊数十名の調査は終わっており、あとは使用人たちやコル、サミーのものに再確認の印がついている。

「これを一人でやらせるには、さすがに気が咎めるね」

 苦笑し、改めて書類に目を通していった。サミーのものに目を通し、次にコルの出自を確認していくと、少し気になった部分がある。上書きされていたから、すぐにわかった。

「リーバ男爵家の現当主……? ご尊父は亡くなっているのか。ご母堂も」

 では現在、誰が補佐となっているのだろう。コルは当然のように親衛隊にいるし、家のことを任せる人間は必要だ。だが、まだそこまで調べられていないのか、書かれてはいない。とりあえず、一覧から除いて机の端においておく。

 あとの人間には、軒並み怪しい部分がなかった。ずっと紙を見ていたから目が疲れる。背もたれに身を預け、眉間を揉んでいると、ノックもなく扉が開いた。

「これは陛下、失礼した。いるとは思わなかったもので」
「やあ、ディーン。すまないね、仕事を押しつけてばかりいて」

 驚いたように刹那、顔を崩したディーンだったが、すぐに表情をいつもの厳しいものに変える。その手には、エンファニオの温室で育てている薬草があった。

「どうしたんだい、薬草なんて持って。温室に入るなんて珍しいことだね」
「……シュトリカ嬢の薬を作るには、これが不可欠ですからな。数を数えていたところ。もう、これだけしか」
「そう……足りなくなるかもしれないな。それにしても、君が自分から薬草をとってくれるなんて、何か心境の変化でもあったのかい?」
「意地の悪い。御身を守った女人に、少しばかり同情するのはいけないと仰るか」
「いや。シュトリカも喜ぶと思うよ。ありがとう」

 微笑みを返しながら、頭の中でアーベを呼んだ。アーベからの反応はない。

 手のひらに収まる程度しかない薬草を預かり、側の水瓶に入れる。これでは明日の分が足りない。領地内の地図を思い起こすが、薬草園が近くにあるのはカイルヴェン伯爵の避暑地しかなく、少し悩んだ。

 転移の術で王都からコル、あるいはディーンに薬を持ってきてもらうのもありだ。だが、できるだけ己の手でシュトリカを介抱したいと考えてしまう。

(今のところ、ディーンのやつに呪いの波動は感じない)

 ようやく頭の中で声がして、アーベが慎重に呪いを探っていたことを理解する。

(だが、用心しろよ。シュトリカと俺を引き離したいと考えているのは確かだろうからな)
(君じゃあなくて、私と、だよ。忠告は受け取った)

 鼻を鳴らし、また頭の隅で眠るように意識を引っこめるアーベに、つい苦笑を漏らした。

「陛下、何か」
「この書類の量にね。随分君には無理をさせている。体の調子はどうだい」
「体調には万全を期しておりますゆえ。心配は無用」
「……そう、それならいいんだ。書類の確認はあらかた済んだよ。君もご苦労」

 よどみなく嘘をつくディーンに、それでも笑みを深めた。離れでの一件を口に出さなかったことは、こちらに心配をかけたくないという表れか、それとも他の意図があるのか。表情と口調からは読み取ることができない。

 ディーンがふと、机の上にあった書類――コルの出自表を手に取った。

「これは、コルのものですな。除かれている一枚は」
「はじめて知ったんだ。リーバ家の補佐について、コルから何も聞いていないのかい?」
「コルに先程聞いてきましたところ、なんでも爵位を売る予定とか」
「爵位を売りたがっている人間が、こんな身近にいたのだね。気付かなかったよ。けれど、リーバ家は三代も続いていたはず……簡単に手放すとは」
「あの性格上、議員や男爵として振る舞うのが億劫になったのかと」

 実にコルらしい理由に頬杖をつき、紙を受け取った。それらを書類に書いていると、ディーンの視線がこちらへ注がれていることに気付く。

「ディーン、何か言いたいことがあるのかな」
「お耳汚しながら、シュトリカ嬢のこと」
「まだ君は、シュトリカと私のことをよく思ってはいないようだね」
「恐れながらその通り。例え議会制とは言え、御身は現在、王であらせられる。シュトリカ嬢はただの子女ではなく、花枯はながらしという忌避すべき存在。それに、その能力が他国に知れ渡れば、万が一にもご結婚なさった際、他から怪しく見られるのは事実」
「二つの難点があるということだね。花枯らしの力と、爵位という、二つの壁か」

 ディーン言うことくらい、わかってはいる。しかしこうして事実として述べられると、なかなかに困難な道を歩んでいるように思えてならなかった。それでもシュトリカを手放すことなど、露ほども考えてはいない。

「失礼なれば、いっそのことただの――」
「ディーン、それ以上は言わないでほしい。私はそうではなく、正しく彼女と結ばれたい」

 愛人にすれば、という言葉を飲みこんだディーンが、困ったように瞼を伏せた。シュトリカには己のすぐ隣で微笑んでいてほしいのだ。愛人の座に置くなどもってのほかだった。

「ところで、シュトリカのご母堂についてわかったことはあるかな」
「……申し訳ありませぬ。そちらまでまだ手が回っていない、というのが現状で。シーカという名前もありふれたもので、望みはあの胸飾りだけなのですが、なんとも」
「そう。調べるべきことがまだたくさんあるね」

 言って、ため息をついた。ディーンにばかり調査を押しつけてもいられないだろう。それに薬草の件もある。政敵ながら、カイルヴェンの薬草園を開いてもらえればありがたい。王室付きの医者も館にはいるが、手数は多い方がいいだろう。

 あと、もう一つ試したいことがある。それは魔術のことだ。魔術の技巧は今、アーベが掌握している。シュトリカに関して仮の協力関係にある現在、転移の術くらいには力を戻してはくれるのではないか、そう思ったのだ。

(アーベ、私の考えを読んでいるはずだ。転移の術だけでいい。私に力を貸してほしい)
(カイルヴェンのところに行くつもりか……まあ、妥当な選択だな。いいだろう)

 頭の中で、アーベがうなずく。準備は整った。あとは実際に魔術を試してみるだけ――そう思ったと同時だ。扉が叩かれたのは。

「失礼致します、陛下、ディーン様!」
「サミー? どうしたんだい、そんなに慌てて」

 息せき切って部屋に入るサミーを見て、まさか、と思い立ち上がる。

「シュトリカ嬢が……シュトリカ嬢が、お目覚めになりました」

 微笑むサミーの言葉を聞いた瞬間、椅子を蹴るようにして走り出していた。ディーンの目も、通路を行く使用人たちの目も全く気にせずに。

 敬礼する親衛隊を無視し、シュトリカの部屋に飛びこむ。そこで見たのは。

「シュトリカ……!」
「……へ、いか」

 寝台の上でこちらを見つめ、惚けたような顔をしているシュトリカの姿に、安堵の吐息が漏れる。扉を開け放ったまま、急いでシュトリカへ近づいた。目覚めたとはいえ、まだ楽観視はできない。体調を確かめなければ。

「わた、し……」
「無理にしゃべらなくていいよ、シュトリカ。体で痛かったり、苦しいところはないかな」

 掠れ声に顔を近付けると、シュトリカは重たげに手を動かし、指で喉を擦る。

「喉だね。熱は……うん、大分下がっている。よかった、本当に……」

 頬を両手で挟めば、シュトリカは朦朧としているだろう意識の中でも、恥じらう素振りを見せた。困ったように微笑む彼女へ、安心させようと笑みを返す。

 側に控えていた使用人たちが、シュトリカの体を起こそうとするのをエンファニオは手で止めた。自ら枕の位置を変え、ぐったりとしたままの上半身を楽な態勢に変える。呼吸は正常だ。脈も、ちゃんと打っている。微熱はあるが、昨日よりかなり下がった。

「皆さんに……迷惑、かけて……わたし……」
「そんなことはないよ。君は私の身を守ってくれた、命の恩人なんだ。気にせず休んで」
「歌も、今……多分歌えなくて……」

 ささやくシュトリカの声は、毒のせいか少し低くなっていた。これでは高音や、裏声を出すことは確かに難しいだろう。けれど、そんなことはどうでもよかった。

「大丈夫だよ。今は何も気にしないで。体力を回復させること、それが一番なのだから」

 そう告げると共に、目の端にディーンたちが医者を伴い、部屋に入って来るのが映る。

 寝台から体を離そうとしたとき、シュトリカが指先で机を指し示した。

「陛下……わたしの、胸飾り。お守りに、して……」
「……うん、わかった。君が元気になるまでの間、借りるよ。ありがとう」

 ほっとしたようにシュトリカはまた微笑み、それから瞼を閉じた。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。医者と入れ替わるようにして、エンファニオは寝台の側から離れた。

 医者があれこれと様子をうかがう中、机の方に赴く。引き出しの中を見れば、小さな箱の中にシュトリカの胸飾りが静かに光っていた。

 本当にシュトリカは優しい。蝶の胸飾りを指先でなぞると、己の身をどこまでも気遣ってくれる気持ちが胸に、暖かく広がってくる。言葉に甘え、胸飾りを早速、見える場所につけてみた。彼女の温もりがあるような気がして嬉しい。

 それから医者の元に戻り、話を聞くと、やはり薬が足りないと言われてうなずいた。

「ディーン、私はカイルヴェン伯爵の元に行ってみようと思う。薬草を分けてもらいにね。彼はまだ、避暑地にいるのだろう?」
「それは確認済みなれば……しかし、御身自ら出向かれるのは」
「数人、親衛隊はつけていくよ。君にはこの館の守りを固めておいてほしい。話が通じない相手ではないからね、カイルヴェンは。政敵ではあるけれど」
「承知。自分が何を言っても聞かないでしょうな」
「こればかりはね。誰に何を言われても聞けない相談というものだよ」

 諦めたようにため息をつくディーンの肩を叩き、もう一度シュトリカを見た。彼女を今のディーンに託すのは、いささか不安がある。だが、呪いの波動は現在ないのだし、この館を空にするわけにはいかないだろう。

 部屋から出て、親衛隊の中から、転移の術を使えるものを三名呼んだ。馬車で行くのが一般的な礼儀というものだが、なりふり構ってはいられない。

「門の入り口が見える程度まで転移でもいいだろう。本当なら使いを飛ばしたいけれど、その時間も惜しい。この人数なら向こうも下手に警戒しないはずだ」
「承知しました。しかし陛下、せめて王たる証拠、マントと剣はおつけ下さい」
「ああ、そうだね。偽者と思われては時間の無駄だ」

 三名の親衛隊を自室の前で待たせ、中に入る。簡易な詰め襟の普段着にマントを羽織り、腰に剣を携えた格好をとって、鳥籠からペクを出した。

「お前は私の目となって、こことシュトリカを見守っておくれ」

 小さく鳴くペクを窓から外に出せば、準備は整った。

 三名と共に、一斉に転移の術を発動させる。久しぶりの魔術の使用に、酩酊感が酷い。

 それでもふらつくことなく、次の瞬間には親衛隊と共に、針葉樹の森の中に立っていた。少し遠くに茜色の建物、カイルヴェンの館が見える。そして、白いアーチ状の門も。

 魔力を察知したのだろう、二名の門番の内、一名が駆け寄ってくるのがわかった。

 これからが本番だ――親衛隊を前に、ゆっくりと歩き出す。できるだけ、急いでいるのがわからないように、悠然とした足取りで。
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