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「鏡に映る七つの真実 〜白雪姫をめぐる現代の対話〜」
しおりを挟む『白雪姫の鏡 - 現代の寓話』
## 第一章:対話の始まり
十一月の肌寒い雨の日、大学時代からの友人、高橋と新川がカフェで偶然再会した。窓ガラスを伝う雨粒が、ぼんやりとした都会の灯りを歪めて映していた。店内は程よい暖かさと、優しい光に包まれていた。
「最近の白雪姫のリメイク映画、観た?」高橋がエスプレッソを注文しながら問いかけた。窓際の席に腰掛け、眼鏡の奥の鋭い目が新川を見つめていた。
新川はラテを両手で包み込むように持ち、「観たよ。DEIに配慮したキャスティングが話題になってたよね」と答えた。その声には微かな皮肉が混じっていた。
「そう。あれさ、ポリコレ対応で配役変えたって言うけど、本当に必要だったのかなって思うんだよね。多様性、公平性、包括性って言葉は聞こえがいいけど、芸術の本質を損ねていないか?」
新川は少し考えてから答えた。「時代の要請なんじゃない?映画会社もLGBTQの登場人物を含めることで、より多くの観客に共感してもらおうとしてるんだろうし」
高橋は視線をコーヒーカップへと落とした。「確かに。でも、古典作品の持つ価値って、その時代を映し出す鏡でもあるわけじゃん。それを現代の価値観で書き換えちゃうと、何か本質が失われない?」
「本質?」
高橋の言葉に新川は興味を示した。高橋はカップを置き、真剣な表情になった。「人間の本質は、残酷で、自己中心的で、差別的なものだと思うんだ。古典童話はそれを隠さずに描いていた。白雪姫だって、美しさへの嫉妬と支配、そして殺人という残酷な話なんだよ」
「なるほど」新川は頷いた。「でも、それを子供に見せていいのか?という問題もあるよね」
高橋のコーヒーカップが、テーブルに置かれた時に立てる音が、この瞬間だけ妙に大きく響いた。「でもさ、人間って生まれる国も、時代も、親も選べないわけじゃん。すべては偶然の産物。美しく生まれるか醜く生まれるかも、白人に生まれるか有色人種に生まれるかも、異性愛者か性的マイノリティに生まれるかも、すべて偶然なんだ。差別側に立つのも偶然だよ」
高橋のその言葉が、新川の中で何かを揺さぶった。外の雨は一段と強くなり、カフェの窓ガラスを激しく叩いていた。
## 第二章:探求の始まり
その夜、新川はアパートに戻り、デスクの前に座った。パソコンの青白い光が部屋の暗がりを照らしている。彼は白雪姫の原作とディズニー版、そして最新のリメイク版について調べ始めた。それぞれの時代背景と、物語が果たしていた役割。
グリム童話の原作は想像以上に残酷だった。継母は一度だけでなく三度も白雪姫を殺そうとする。そして最後には、「赤く焼けた靴を履かされ、死ぬまで踊り続けた」とある。子供向けとは思えない残酷さだ。
「人間の本質は残酷で暴力的なのか」高橋の言葉が耳に蘇かんだ。ディズニー版でも多くの残酷な描写が残されている。それは「隠蔽」なのか、それとも「優しさ」なのか。
最新作のリメイク版では、DEIの観点から白雪姫のキャスティングやストーリーが変更されていた。小人たちの中にジェンダー・ノンバイナリーのキャラクターが加えられ、プリンセスとプリンスの関係性も、より対等なパートナーシップとして描かれている。これは単なる「時流への迎合」なのか、それとも「真の刷新」なのか。
画面を見つめていると、スマートフォンが震えた。LINEの着信音が鳴っている。同僚の田上からだった。
「この前のプロジェクト会議、どう思った?」
新川は正直に答えた。「正直、不満だったかな。クライアントの要望に振り回されすぎてる気がする」
「でもさ、クライアントが望むものを提供するのが仕事じゃん」田上の顔文字付きのメッセージが届いた。
「もちろん。でも本当にいいものを作るなら、時には『これは違う』って言うべきときもあるんじゃないかな」
画面の向こうでタイピング中のマークが点滅し、しばらくして田上の返信が来た。「難しいところだよね...」
## 第三章:鏡の中の自己
次の日、会社のエレベーターで偶然、田上と一緒になった。彼はコーヒーを手に持ち、昨日の会話を引き継ぐように言った。エレベーターの鏡に映る二人の姿が、なぜか象徴的に思えた。
「昨日の続きなんだけど、俺、考えてたんだ。クライアントの要望に応えることと、自分たちの理想を追求することって、本当に相容れないのかな」
「どういう意味?」新川は自分のネクタイを整えながら尋ねた。
「例えば、白雪姫みたいな古い物語でも、時代とともに解釈は変わるじゃん。でも根本にある『支配』や『美への嫉妬』『権力の恐ろしさ』みたいなテーマは変わらないんだよね」
田上はコーヒーを一口飲んで続けた。「考えてみれば、白雪姫って差別の物語でもあるんだよな。美しいものと醜いもの、善いものと悪いものを明確に分ける。女王は『美しくないから』悪者にされる。そこに何の疑いもない」
「でも、それって人間の本性なのかもしれないよ」と新川は言った。「人間は無意識に区別や差別をしてしまう。それを認めた上で、どう共存していくかが重要なんじゃないか」
「DEIの考え方って、その点では理想的だよね」田上が言った。「多様性を認め、公平な機会を提供し、すべての人を包括する。でも、それを強制すると、逆に新たな抑圧を生まないか?」
「そこが難しいところだよね」新川は頷いた。「LGBTQの表現を増やすことは大切だけど、ただキャラクターのセクシュアリティを変えただけでは、本質的な変化にはならない」
「深いな」田上は感心したように言った。「偶然に翻弄される白雪姫と、支配に囚われる王妃も、結局は同じ偶然の犠牲者なのかもね。どちらも社会の価値観に縛られている」
エレベーターのドアが開き、オフィスの喧騒が二人を迎えた。その日、新川は会議で、無意識のうちに白雪姫のモチーフを使っていることに気づいた。美と醜、善と悪、そして選択の自由について語りながら。
## 第四章:図書館での出会い
週末、思い立って地元の図書館に行った。子供の頃によく通った場所だ。懐かしさに導かれるように、童話コーナーに足を運ぶと、小さな女の子が白雪姫の絵本を手に取っていた。
その隣に立っていた女性——おそらく母親だろう——が優しく語りかけていた。
「この物語、ママが子供の頃に読んだのとちょっと違うんだよ。でも、大切なことは同じなの」
「大切なこととは?」女の子が尋ねた。
「人の心の中には、きれいなものも、こわいものも、いろんな気持ちがあるってこと。それを知って、それでも自分らしく生きていくことが大事なんだよ」
女の子は絵本の挿絵を指さした。「でも、どうして王妃は白雪姫を殺そうとするの?悪い人なの?」
母親は優しく微笑んだ。「悪い人だとは言い切れないの。王妃も、自分の美しさしか価値がないと思い込まされた被害者かもしれないから。でも、だからといって人を傷つけていいわけじゃない」
「じゃあ、白雪姫は?」
「白雪姫も、生まれながらに美しかったというだけで、それは彼女の功績ではないの。ただの偶然よ。大切なのは、与えられた偶然をどう生きるか」
子供は不思議そうな顔をした。「学校で先生が教えてくれたよ。みんな違ってみんないいって」
母親は嬉しそうに笑った。「そうね。DEIって言葉を知ってる?多様性、公平性、包括性っていう意味なの。白雪姫も小人たちも、王子も、みんな違っていて、それでいいの。大切なのは、お互いを認め合うこと」
「LGBTQの人たちも?」女の子が尋ねた。
「もちろん」母親は笑った。「誰もが自分らしく生きていい。それが本当の幸せなのよ」
その言葉が、新川の胸に深く沁みた。彼は二人の会話を聞きながら、静かに微笑んでいた。
## 第五章:再会と新たな視点
その晩、久しぶりに古い友人の中平に電話した。彼は劇団で脚本を書いている。
「古典と現代の価値観って、どう折り合いつけてる?」と新川が尋ねると、中平は少し間を置いて答えた。
「面白いタイミングだな。今ちょうど『白雪姫』のモダンアレンジを書いてるところなんだ」
「え、本当に?」
「そう。でもさ、原作に忠実であることと、現代的な解釈を加えることって、実は対立しないと思うんだよね。大事なのは、物語の持つ『本質』をどう捉えるかだから」
「本質って何だと思う?」新川は尋ねた。
「俺は、白雪姫の本質は『偶然への抵抗』だと思うんだ」と中平は言った。「王妃も白雪姫も、与えられた偶然と闘っている。王妃は老いという残酷な偶然に、白雪姫は迫害という不条理な偶然に」
「でも結局、救いはあるの?」
「それが難しいところだ」彼は少し間を置いた。「原作では王妃は追放され、白雪姫は王子と結ばれる。でも、それは本当の救いなのか? 美しさという基準で人の価値が決まる世界観は変わっていない。俺のアレンジでは、そこに切り込もうとしてるんだ」
「具体的には?」
「俺の脚本では、主人公は現代の広告代理店で働く男性なんだ。彼が『美しさとは何か』『本当の価値とは何か』を問い直していく物語」
「面白そうじゃん。それで?」
「彼は仕事で、化粧品会社の広告を担当することになる。そのキャッチコピーが『鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?』なんだ」
「そして?」
「彼の作る新しい広告キャンペーンを提案するんだ。『鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは——あなた自身の選択だ』という。外見ではなく、自分の行動と選択によって価値が決まるという切り口さ」
「DEIの視点を取り入れたコピーだね」中平の脚本に感心する新川。
「そう。でも単なるトークニズムには陥りたくない。多様性を取り入れることで、物語がより豊かになり、より多くの人が自分の姿を見出せるように。それこそが芸術の役割だと思うんだ」
中平のインスピレーション溢れる言葉に触れながら、新川は自分の中に渦巻いていた混乱が少しずつ整理されていくのを感じた。
## 第六章:鏡の向こう側
その後の日々、新川は白雪姫についての考察を深めていった。仕事では、DEIに関する研修があり、講師が語る多様性の重要性を聞きながら、彼は白雪姫の物語と重ね合わせていた。多様性を認め、公平に扱い、すべての人を包括する——それは単なるスローガンではなく、自分の中の差別意識と向き合うことから始まる難しい道のりだ。
ある夕方、古いアルバムを引っ張り出した。小学校の文化祭で演じた「白雪姫」の写真が出てきた。新川は意外にも王子様の役だった。
妻が夕食を持ってきながら笑った。「あの時、台詞を忘れちゃって、舞台で『白雪姫、目を覚ませ!世界は君を待っている』って言ったの、覚えてる?」
「え、そんなこと言ったの?台本にあった台詞と全然違うじゃん」
「そうなの。でもね、その方が素敵だって先生が褒めてくれたのよ」
妻はアルバムのページをめくりながら続けた。「人生って、台本通りにはいかないものね。でも、それでも自分らしく生きることが大事なの」
妻に新川は突然尋ねた。「人間の本質って、残酷だと思う?」
妻は意外そうな顔をしたが、すぐに穏やかな表情になった。「人間には確かに残酷な面がある。差別も、迫害も、支配も、欲しみも。でも、それだけじゃないわ」
「それだけじゃない?」
「そう。人間には共感する力もある。他者の痛みを理解する力も。だからこそ古い物語を読んで、『これは残酷だ』と感じることができる。その感覚こそが、人間の希望よ」
「でも、生まれや環境は選べないよね。それって不公平じゃないの?」
「そうね、不公平よ。でも、その不公平を認識できる知性があることが、人間の救いなのかもしれないわ」
新川はこの一週間で出会った声を思い出しながら、妻の言葉に静かに頷いた。
## 終章:新たな物語の始まり
デスクに向かい、新川は自分の短編小説を書き始めた。白雪姫をモチーフにした現代の寓話。主人公はノンバイナリーとして描き、七人の小人たちもLGBTQコミュニティを象徴する存在として再構築した。彼らが互いの違いを認め合いながら共同体を作る物語。
最終章で、主人公は新しい広告キャンペーンを提案する。「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは——」その答えを読者に委ねる結末。美しさという概念そのものを問い直し、それぞれが自分の答えを見つける可能性を示唆する。
完成した原稿を読み返し、タイトルを「白雪姫の鏡 — 現代の寓話」と決めた。
古典と現代、残酷さと優しさ、差別と共生。対立するように見える概念が、実はひとつの鏡の異なる映し方なのかもしれない。鏡は、見る者の姿をそのまま映す。でも、その解釈は見る者によって変わる。「白雪姫」の物語における真実の鏡のように、私たちは皆、自分の価値観を通して世界を見ている。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
物語の中で、女王がそう問いかけるとき、彼女は本当は何を求めていたのだろう。承認?安心?それとも、自分の価値を確かめる何か?
私たちは皆、どこかで「鏡よ、鏡」と問いかけているのではないか。社会という鏡に、自分の価値を問うている。そして時に、その答えが自分の望むものでないとき、残酷になる。
差別とは、他者を貶めることで自分の価値を高めようとする行為なのかもしれない。王妃が白雪姫を憎んだように。でも、その根底には深い不安と恐れがある。
人間の残酷さの影には、常に弱さがある。差別する側も、される側も、同じ不条理な偶然の中で苦しんでいる。どちらも、生まれや環境を選べない存在なのだから。
新川はパソコンを閉じ、窓の外を見た。夜明け前の空が、少しずつ明るくなり始めていた。
明日、高橋に完成した小説を読んでもらおう。そして、またあのカフェで議論を交わそう。今度は「シンデレラ」について。
物語は終わらない。ただ、新たな物語が始まるだけだ。
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