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第六章 会戦
百七十八夜 マナスル
「ねえジャーラフ、いるの――~? ねえったら――~!」
「かっ閣下! 危のうございます、どうかご無理なさらないでください!」
「ん~……ちょっと見てくるわ」
「閣下ァ――っ!?」
マナスル伯爵は家令が止めるのも聞かず、監視用の窓から身を乗りだす。意外な素早さでスルリと天に消えた。
そこは主塔の屋根。
三角錐でできており、通常なら上り下りですら恐怖する場所。風を切る音を耳にするだけで、肌寒さが増していた。
「あっジャーラフ、やっぱりいた~! 気配を消してないからいると思ったんだ、んもう~返事してよね」
沈む太陽がポツリと人影を浮かばせる。
ウェーブのかかった黒髪と猫の耳が揺れ、漆黒のマントがはためいていた。
「にしても怖っ! よくこんなところで黄昏れていられるわねえ」
「……周辺に異常はありません、なんのご用ですかマナスル卿」
マナスル伯爵は屋根にへばりつき、恐々と下を見下ろす。
ジャーラフは振り向きもせずに慎ましく答える。その態度や口調で拗ねているとわかるのは、彼女の姉だけだったろう。
だがマナスル伯爵にヘソを曲げているわけではない。
「今夜は満月でしょ、定時連絡の準備をしておくから執務室に来てもらえるかな。伝書バトもあるけど、長文はまだ難しくって」
「……わかりました」
ジャーラフは軽く顎を引き了承を伝える。
しかし瞳は一点を見つめたまま動かず、夕日が左の頬だけを照らし出す。そこはお気に入りの場所だった。
地平線のはるか遠くには新王都があり、ヴィ―ラ殿下がおわすのだ。
マナスル伯爵は風にあおられる髪を押さえ、やさしく目を細める。
「『アユム卿はリグ公爵を探して、モルディブの樹海に向かっている』――って、二人の消息はそれっきり、こうまで音沙汰なしだと心配よね」
ビクリと猫の耳が跳ねた。
十一月に行商人づてで新王都へともたらされた便り。それより約三か月が経ち、二月になっても続報は届かない。
マナスル伯爵はジャーラフの隣に座ると、同じく地平線を眺める。
「実際に樹海へ行ったかどうかわからないけど、アユムなら大丈夫よ。もし魔獣と争いになっても、国家存亡危機に匹敵する魔獣なんてそうはいないんだから」
「だっだけどモルディブの樹海には、多くの魔獣がいてるっていうじゃないか! そんなとこをあのバカがいつもの調子で行動すれば、魔獣が束になって襲って……っボクは殿下がおわす西を見てただけだ! あんにゃバカどうでもいい!」
ジャーラフがやっと顔を上げ、牙をむいて叫ぶ。屋根を叩くのは辛うじて耐え、いっそう影を落として膝に顔をうずめる。
こっちは北だけど――マナスル伯爵は突っこみたいのをギリ耐えた。
ここからは霊山モルディブが薄く影を帯びて見える。得難き「力」であっても、ふもとに広がる樹海まではとらえられない。
「アユムを『あのバカ』扱いできる子も、そうはいないでしょうねえ」
「だからアユムは関係にゃいって! あっあいつが盗賊に斬り殺されようと魔獣に食われようと、知ったことか!」
ジャーラフが目を伏せたまま叫ぶ。
揺れる気持ちがどこから来るのか、認識不足な感情を持てあましていた。
「アユムは大丈夫、ちゃんと帰ってきたんだから」
どこで何をしていようと、今度もきっと帰ってくる――。
「えっ……帰って、きた?」
暗闇の中で小さな光が灯り、ジャーラフが振り向く。
マナスル伯爵ははるか遠くに視線を向けていた。それは地平線を越え空を越え、悠遠の彼方までを映す瞳。
未来へ語り継がれる、物語のその先へと――。
「マナスル卿それは……えっと、M属性の『予感』ですか?」
ボクはこの方を、どれだけ知っているんだろう。
啓いたときにプラーナさまの勧めで、「風舌」の使い方を教わった。亜人なのにマナスルの領主をしていて、市民や使用人から批判を聞いたことがない。
複数の発光を絡ませ、激しい光を放つ妙な方。
「信じて待ちましょう」
ほほえむ横顔にすら違和感がつきまとう。
――底が見えない、それは殿下にも似た「理解不能」な畏怖ではなかったか。
マナスル卿……あなたは、いったい――。
「熱っちいんだよ! このトカゲ野郎――っ!!」
「ヴォ――!」
雨がそぼ降る町の中で、ウールドが鉄の鍬を振り上げる。
炎のトカゲがたたき潰されると、トカゲの形を保ったまま崩れて消えた。残り火が雨にあおられ、蒸気となって白く立ちのぼる。
「そういやあトカゲ野郎は火の精霊だって、エルフのねーちゃんが言ってたっけ。なるほど『炎生』で変換された、薪とよく似てらあ」
眉根を寄せ鉄の鍬を握りなおす。
火に包まれる建物から、焼け落ちた跡から。そこかしこから炎のトカゲが現れ、双眸の瞳を怪しく光らせていたのだ。
「とはいえキリがねえ、いったい何匹いやがるんだ!」
鎮火の手助けにならない雨雲を、忌々しく睨みつけた。
――サラマンダーは炎におおわれた巨大なトカゲである。全身には斑点があり、尻尾の先まで入れると大人の身長を越えた。
町の冬越し用に蓄えていた薪おき場で、火災が発生する。
慌てて消火に駆けつけた町民は、炎の中から現れた魔獣に驚愕した。居合わせた傷の男がたたきのめし、喝采が上がる。
しかし数か所からあがる煙に歓声は消えた。
ウールドが手当たり次第退治していっても、いっこうに数が減らない。延焼した建物から、新たなサラマンダーが生まれていたのだ。
「炎の攻撃は効かねえってんだから、色男がこっちだったらやばかったな」
「トカゲが数匹かたまってる! 誰か手を貸してくれ――!」
「ちくしょう、よくも家を焼いてくれたなっ!!」
「どっどうすんだよ、このままじゃ寝る場所もなくなっちまう……っ」
町民が農具を手にサラマンダーを攻撃する。
だが傷ついたサラマンダーが炎を食べると、体が再生していく。そのきりのない徒労に、汗と力が抜け落ちてしまう。
自分たちの町が燃えるのを、ただ網膜に映していた。
「ウヴォォ!」
「――ひっ!?」
燃えさかる建物の二階から、サラマンダーが緑の毒液を吐く。
突っ立っていた町民の頭上に降りそそぎ、頭を抱えてへたりこんだ。だが一向に落ちてくる様子はなく、恐る恐る顔を上げる。
雨に濡れた漆黒のマントが、目の前で毒液を遮っていた。
「ちっ……こいつも毒を吐くのか、嫌な記憶がよみがえらあ」
バジリスクと違って、引火性じゃないだけマシか――。
マントにじわじわと毒液がにじみ、くすぶって大穴を開ける。こりゃあダメだとウールドは脱いで放り捨てた。
雑草が異臭を放ち溶けていく、バジリスクの毒ほどではないが見劣りはしない。
「おいってめえら、なにをあきらめてんだ!」
手近のサラマンダーを鉄の鍬で殴り飛ばし、狼が遠吠えを上げた。
群れの仲間ではなくとも、町民の意識が引きつけられる。
「ブルってんじゃねえぞ、てめえらの町だろうが! てめえらで守んなかったら、どんなツラして妻や子をその手に抱きしめるつもりだ!」
ウールドの体の内から、淡い光がうっすらと立ちのぼっていく。
国家存亡危機の魔獣を殴り飛ばす、巨人が顕現していた。
「力が湧かねえんなら前だけ向け! 睨みつけて叫んでみろ! 俺は最後までやりきったと、ふんぞり返ってる誰かさんに怒鳴ってやれ!!」
「……っ!」
「くそっちくしょう! ちくしょう――!」
「おっ俺だってえ……っ!!」
町民の目に生気が戻る。
震える手で農具を握りしめ、鳴らす奥歯を噛みしめた。我知らずサラマンダーに向かい踏み出していく。
「その意気だ……てめえら燃えてるそばで戦うな、トカゲ野郎が息を吹き返す! どうにか俺んとこに引っ張ってこい!」
「おおうっ!!」
「雨は期待できねえ、桶に水を汲んで消火しろ! 農具で燃えてる家をぶっ壊せ、これ以上燃え広がるよりゃマシだ!」
「わかった――!」
「トカゲ野郎は火の精霊だ、水に弱え! 女は子供を連れて対岸まで避難してろ、川を渡っちゃこれねえ!」
「はっはい!」
魔獣を物ともしない膂力、発している異様な気配――町民を統率してしまえる、覇気のこもった声。
狼の雄たけびが波紋となって町に広がっていく。
「おらあ――っ『邪土』!」
ウールドが毒を無視してサラマンダーを殴り潰す。
突いた地面に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。妙な光沢を放つ流動体がわき上がり、装甲となって張りついていく。
鉄のガントレットが雨を弾き、銀の被膜が舞い跳んだ。
「てめえら堂々と胸を張れ! 一匹残らず町からたたき出すぞ――――っ!!」
「おおおお――――っっ!!」
☆
「おう、今日も元気に煙がのぼってるねえ」
広大な農地に線を引き、街道が街の市門まで続いている。盗賊風の男が鉄の鍬を肩に、ノンビリと歩いていた。
マナスルに隣接して、監視塔と思しき奇妙な塔が建っていたのだ。
「トクリー窯の威容を見上げると、マナスルに帰って来たって実感がすらあ」
一年前は荒涼としていた耕作地も、領民が増え華やかになっている。麦が小さな緑の葉を覗かせ、ほのかに輝いていた。
元王都の面影を残す街に笑顔があふれ、行商人が列をなしている。
「――んなわけで北西の町からトカゲ野郎を追い払った。神さんに声が届いたのか途中で豪雨になって、燃え広がるのをようやく食い止めれた」
あいつはいつも遅えんだよな――。
マナスル城の執務室に領主と因果伯が集結していた。
ヴィーラ殿下へ上申する最終確認だが、椅子の配置はバラバラである。きっちり壁沿いに座る者、ど真ん中で堂々と足を組む者、離れの椅子で我関せずの者。
貴族にあるまじき性質を如実に表していた。
「焼け残った家に同居すりゃあ、しばらくは暮らしていける。だが春んなる前に、建築する職人と資金を頼むわ領主さん」
「わかりました」
鉄の鍬を手に組んだ足を揺らし、ウールドが悪びれもせず要望を突きつける。
毎度のことなのかマナスル伯爵は憤るでもなく、口元を緩ませ軽く了承した。
「家屋の延焼は抑えられたのですね、なによりです」
「サラマンダーの毒は? 皆さんは無事だったんですか!?」
ラヴィが背筋をただし安堵する。横に座っていたトリコナーが勢い立ち上がり、食い気味で町民を案じた。
状況次第ではそのまま走り出したかもしれない。
ケガした奴はいたが、トリの坊主に頼むほどでもねえ――ウールドが肩をすくめ口角を上げると、やっと緊張を解く。
よかったとひと息つき、胸をなでおろしていた。
「しっかし薬草が欲しいから掘ってこいって話だったよな。なんで俺なんだと首をひねってたが……そういうことだったわけだ」
M属性の「予感」――ウールドが離れて座る赤毛の幼女を盗み見る。
聞えているのかいないのか、アカーシャは蝋板を離さない。探究部屋から借りた写本を、一心不乱に模写していた。
細い金属棒の持ち方に上達度がうかがえる。
「にしても回りくどいしめんどくせえ、もっとハッキリ伝えちゃダメなんかい」
「ダメだから遠回しに頼んでいるんですよ。M属性に対しての認識をあらためると申したはずです、察する努力をなさい」
「へいへい――~」
ラヴィのお説教にウールドが口を尖らし、使わなかった鉄の鍬で頬をかく。
何やら考えていたトリコナーが、薬草ではありませんがと手を打つ。
「サラマンダーの体には薬効があると文献にあります、食べれば媚薬になるとも。崩れて消えてしまったのなら、迷信だったのでしょうねえ」
さらに強壮剤に催淫剤に脱毛剤、そして劇薬の原料にもなったはず――。
指折り数えて残念そうに肩を落とした。上げられた薬効の内容は、とても町民の安否を気遣っていた姿とそぐわない。
ブツブツと吟味する美少年の横顔に、突っこんでいいのかと顔を見合わせる。
「――僕は北の森に出没した、盗賊の噂を調査しに行きました。とはいえ運が悪く魔獣に遭遇し、未確認とあいなりました」
申し訳ございません――。
頭を下げるバクティ卿に、マナスル伯爵は苦笑を隠せずにうなずく。
やや芝居がかってはいたが、集った者たちは察する努力を怠らなかった。
「んでそっちはどんな魔獣だったんだ?」
「スケルトンだ、司祭の説教もミサも施されなかった亡骸を、悪魔が奪ったのだ。どうにか罪を重ねることなく、御霊を慰めることはできたが……」
甲冑を身につけている者が多かった。
戦場からさまよってきたのか、身に覚えがある境遇に胸がうずく。バクティ卿の愁いを帯びた表情に残るのは、哀悼か孤独か。
「亡くなっても神に許されず剣を佩くなんて、まさに煉獄だね」
「バクティ卿の炎によって浄化され、永遠の苦悩が清められていることでしょう」
同じ魔獣に連なってはいても、アンデットには別格の哀れさがあった。
俺がそっちに行ったらやばかったな――ウールドは声に出さず、心の中で赤毛の頭をポンポンとなでる。
「そしてスケルトンを統率するがごとく、騎士が……デュラハンが現れた」
バクティ卿が声をつまらせ、さらなる惨禍を告げた。
――デュラハンは首のない騎士の妖精である。
首のない黒馬を駆り死を予言した。死人の出る家の近くに出現し、命を刈り取る死神としても伝えられている。
けっして逃れられない死期は、命ある者の因果ともいえよう。
従士をまとめ、陣頭に立つ騎士の軍団。
相対した瞬間、バクティ卿の瞳が揺れていた。かつて轡をならべた皆の雄姿を、カティーナ騎士団の雄姿を重ねていたのだ。
「なんだ色男、未練たらたらだなあ」
「ちょっ……餓狼!」
「まったくだな」
ラヴィが弾けて止める間もなく、バクティ卿は自嘲に口を歪める。
お説教が始まると固唾をのんだが、二人のやりとりに言葉を失う。
「そう気張るなって、おめえはなんでもかんでも溜めこんじまうんだから」
「わかったわかった」
ウールドの軽口に相づちを返して笑う。それはあきらめによる見切りではなく、長年の友に接した気楽さではなかったか。
個別で行動する因果伯も、一か所に滞在することで様々な変化が起きていた。
「それにしてもさ、魔獣が出没したのは北西の町と北の森だよね。前回の予か……えっと騒がしかったのも北だった、なんだか偏ってない?」
トリコナーも遠回しが苦手なのか、咳払いして意見を求める。
全員の意識がピクリと反応し、それを言うのかと息をのむ。
「まあどこぞで魔獣が戦って、縄張り争いが活性化したんだろうな」
ウールドは鉄の鍬に顎を乗せ、天井を眺めてとぼけた。
「冬の間際だったか、霊山の方向で世界樹が立ちのぼったと噂が広まった。魔獣の出没報告が頻発するようになったのは、それ以降だ」
バクティ卿は腕を組み、王国の情勢を共有する。
「ヴィーラ王国にとって、なにか由々しき事態が起こったのでしょうね」
ラヴィは見当もつかないと首を振り、錫杖を握りしめた。
アカーシャは蝋板から顔を上げ、手紙の送り主を思い浮かべる。
「フフッ……」
誰もが「彼の少年」の名を出さないので、マナスル伯爵は笑いをこらえた。
にわかに静寂が場を支配する。喉元まで来た言葉をのむべきか吐き出すべきか、決心がつかぬまま視線だけがさまよう。
「ああもう……っあの野郎、今度は何をしやがったんだ!」
ウールドが耐え切れず、鉄の鍬に叫ぶ。
それは一年前に少年が製作した鍬。用途がわからないと新王都から送ってきた、「バールのようなもの」だった。
「まっまあまあ、まだアユムが関係してるとは……」
「トリプティー卿、誰もアユム卿だとは申しておらんよ」
トリコナーのはぐらかしに、バクティ卿が鋭い突っこみを入れる。
「アユム意外に誰がこんなことできるってんだ! モルディブの樹海に出っ張って魔獣どもを引っ掻き回すなんざ、殿下でも難しいだろ!」
一応は肩を持ったトリコナーだったが、二人に迫られ白旗を上げた。
「ヴィーラ殿下が信頼のおける者を、護衛につけたとおっしゃっています。ですが素性を明かしてはいないようですね、それで彼を諭すのは難しいかと」
ラヴィも肩入れをあきらめ、一年前の騒動を振り返る。
諸侯に嫌みな視線を受けても、側溝を掘りお風呂を作り前代未聞昼食会を開き、バジリスクに単身立ち向かった少年。
破天荒を地でいく彼を、誰が説き聞かせることができよう。
「確かに因果伯を明かさず、アユムを止めろってのはきついもんがある。ペールは以前の行商人姿が板についちまってるし」
アユムが樹海に入る前に、無理やり取り押さえっちまえばよかったのに――。
そう憤るな卿とは違うのだと、バクティ卿が仲間をかばう。
「何やらこみいった状況だったらしい。ペールラァサ卿は北東の村の出身だった、四年前の魔獣暴走で啓き、爵位を拝命したと聞いたが」
「誰もが貴方みたいに、自由には振る舞えないんですよ。ええそのようですわね、普段も予備人員として王都の北を巡回していたようです」
悪かったな――と、ウールドが口内でもらす。
「ゆえにより慎重になったのだろう」
「例の『娘』、ですわね?」
ラヴィの問いにバクティ卿は理解をしめす。
騎士を体現した姿に、疑惑の強さが覇気となって表れていた。
「北東の村に、ルーシーなる娘はいなかった」
「にもかかわらず、村人は住民と認め疑ってすらいなかったそうだ。違和感が残る『娘』から、少しでも正体を隠したかったのだろう」
守備を一任された北東の村を、バクティ卿は生涯忘れることはできない。
あの惨劇の中にペールラァサ卿もいたのではないか。意味のない妄想に失笑し、頭を振って息を吐く。
「モルディブの樹海に向かうと、村人に報告を託したのを最後に……か」
以降連絡は完全に途絶えている。
行き先は魔獣が徘徊するモルディブの樹海。仲間は無事だと虚勢を張ろうとも、何が起こるかわからない常軌を逸した世界。
まだ見ぬ地に、ウールドは思いを巡らせた。
「それにしても……今はカルブンクルスでしたか、なんだか因縁の街ですわね」
生まれ育った街の話に、アカーシャの手が止まっている。
侯爵による廃位を目論んだ反乱事件。マナスルに滞在している因果伯の六名中、五名までが魔獣暴走に関わっていた。
彼らとて人生の変更を余儀なくされたのだ。
「ジャーラフがいっしょに北へ、カルブンクルスへ着いて行くべきだったって……口にはしないけどずっと後悔しているわ」
マナスル伯爵が自分のこととして悔恨する。その場に自分がいればとの思いも、あったのかもしれない。
ひとつだけ空席の椅子が、執務室の空気を寂しくさせていた。
「――それに活性化しているのは、魔獣だけではありませんわ」
ラヴィがマナスル伯爵に意識を飛ばすと、「どうぞ」と了承される。
「皆さんが騒ぎを治めに出ていた間の件です。プールヴァ帝国の密偵がマナスルに潜入し、トクリー窯を探っていた形跡があります」
「プールヴァ帝国の!?」
「そいつは確かなんかい」
「密偵」が表した語句に、国家の要が見過ごせないと食いつく。
「ええ……どうにか数人を捕縛し、『力』で確認いたしました。ですがこのごろ、とみに多くなっています」
「あんだけ目立つ塔だからなあ、密偵も放っておくわけにはいかんか。つっても、武器や兵器を作ってるわけじゃないんだが」
「むしろ領民の笑顔のためなんだけどね」
「それは事情を知っているからだな、他国からすれば奇妙な塔でしかない。探りを入れるのは当然ともいえる」
「危険な塔じゃないんです~っていっても、信じちゃくれないわよねえ」
要人を招いて側溝やお風呂を説明しても、理解してもらえるのだろうか。むしろ裏があるのではと、さらに不信感が増すのではないか。
見通しが立たない状況に、ウールドは鉄の鍬を睨んで眉をひそめる。
「なんだか、きな臭くなってきやがったなあ」
『握手……相手と友好をしめす挨拶と言われてます』
ジャーラフが北に向かい手を差し出す。
何度も繰り返し慣れてしまったしぐさが、より胸の穴を開けさせた。今日もまた主塔の屋根に夕日が射し、左頬を染めている。
待つのは慣れたはずだった、いつも屋根にのぼり連絡を待っていた。
姉からの、プラーナさまからの。それなのに単なる護衛対象だった彼の不在が、どうしてこんなにも辛いのか。
明るい笑い声が一切色あせず、猫の耳に残っている。
「――っ!?」
内心とは別に猫の耳が鋭く反応し、国境に複数の気配を察知した。種族としての能力であり、只人には到底達しえない感覚。
屋根の上で危なげなく立ち上がり、目を閉じて意識を集中する。
東からマナスルに向かい進んで来る集団の「カルマ」――それは行商人の光とは明らかに違う、意志のある敵意を発していた。
そのなかに、天と地を「繋ぎ」まっすぐ立ちのぼる光が視える。
「この光りは……だって、この光りは――」
アリエナイ光景に、ジャーラフは呆然と立ち尽くしていた。
「かっ閣下! 危のうございます、どうかご無理なさらないでください!」
「ん~……ちょっと見てくるわ」
「閣下ァ――っ!?」
マナスル伯爵は家令が止めるのも聞かず、監視用の窓から身を乗りだす。意外な素早さでスルリと天に消えた。
そこは主塔の屋根。
三角錐でできており、通常なら上り下りですら恐怖する場所。風を切る音を耳にするだけで、肌寒さが増していた。
「あっジャーラフ、やっぱりいた~! 気配を消してないからいると思ったんだ、んもう~返事してよね」
沈む太陽がポツリと人影を浮かばせる。
ウェーブのかかった黒髪と猫の耳が揺れ、漆黒のマントがはためいていた。
「にしても怖っ! よくこんなところで黄昏れていられるわねえ」
「……周辺に異常はありません、なんのご用ですかマナスル卿」
マナスル伯爵は屋根にへばりつき、恐々と下を見下ろす。
ジャーラフは振り向きもせずに慎ましく答える。その態度や口調で拗ねているとわかるのは、彼女の姉だけだったろう。
だがマナスル伯爵にヘソを曲げているわけではない。
「今夜は満月でしょ、定時連絡の準備をしておくから執務室に来てもらえるかな。伝書バトもあるけど、長文はまだ難しくって」
「……わかりました」
ジャーラフは軽く顎を引き了承を伝える。
しかし瞳は一点を見つめたまま動かず、夕日が左の頬だけを照らし出す。そこはお気に入りの場所だった。
地平線のはるか遠くには新王都があり、ヴィ―ラ殿下がおわすのだ。
マナスル伯爵は風にあおられる髪を押さえ、やさしく目を細める。
「『アユム卿はリグ公爵を探して、モルディブの樹海に向かっている』――って、二人の消息はそれっきり、こうまで音沙汰なしだと心配よね」
ビクリと猫の耳が跳ねた。
十一月に行商人づてで新王都へともたらされた便り。それより約三か月が経ち、二月になっても続報は届かない。
マナスル伯爵はジャーラフの隣に座ると、同じく地平線を眺める。
「実際に樹海へ行ったかどうかわからないけど、アユムなら大丈夫よ。もし魔獣と争いになっても、国家存亡危機に匹敵する魔獣なんてそうはいないんだから」
「だっだけどモルディブの樹海には、多くの魔獣がいてるっていうじゃないか! そんなとこをあのバカがいつもの調子で行動すれば、魔獣が束になって襲って……っボクは殿下がおわす西を見てただけだ! あんにゃバカどうでもいい!」
ジャーラフがやっと顔を上げ、牙をむいて叫ぶ。屋根を叩くのは辛うじて耐え、いっそう影を落として膝に顔をうずめる。
こっちは北だけど――マナスル伯爵は突っこみたいのをギリ耐えた。
ここからは霊山モルディブが薄く影を帯びて見える。得難き「力」であっても、ふもとに広がる樹海まではとらえられない。
「アユムを『あのバカ』扱いできる子も、そうはいないでしょうねえ」
「だからアユムは関係にゃいって! あっあいつが盗賊に斬り殺されようと魔獣に食われようと、知ったことか!」
ジャーラフが目を伏せたまま叫ぶ。
揺れる気持ちがどこから来るのか、認識不足な感情を持てあましていた。
「アユムは大丈夫、ちゃんと帰ってきたんだから」
どこで何をしていようと、今度もきっと帰ってくる――。
「えっ……帰って、きた?」
暗闇の中で小さな光が灯り、ジャーラフが振り向く。
マナスル伯爵ははるか遠くに視線を向けていた。それは地平線を越え空を越え、悠遠の彼方までを映す瞳。
未来へ語り継がれる、物語のその先へと――。
「マナスル卿それは……えっと、M属性の『予感』ですか?」
ボクはこの方を、どれだけ知っているんだろう。
啓いたときにプラーナさまの勧めで、「風舌」の使い方を教わった。亜人なのにマナスルの領主をしていて、市民や使用人から批判を聞いたことがない。
複数の発光を絡ませ、激しい光を放つ妙な方。
「信じて待ちましょう」
ほほえむ横顔にすら違和感がつきまとう。
――底が見えない、それは殿下にも似た「理解不能」な畏怖ではなかったか。
マナスル卿……あなたは、いったい――。
「熱っちいんだよ! このトカゲ野郎――っ!!」
「ヴォ――!」
雨がそぼ降る町の中で、ウールドが鉄の鍬を振り上げる。
炎のトカゲがたたき潰されると、トカゲの形を保ったまま崩れて消えた。残り火が雨にあおられ、蒸気となって白く立ちのぼる。
「そういやあトカゲ野郎は火の精霊だって、エルフのねーちゃんが言ってたっけ。なるほど『炎生』で変換された、薪とよく似てらあ」
眉根を寄せ鉄の鍬を握りなおす。
火に包まれる建物から、焼け落ちた跡から。そこかしこから炎のトカゲが現れ、双眸の瞳を怪しく光らせていたのだ。
「とはいえキリがねえ、いったい何匹いやがるんだ!」
鎮火の手助けにならない雨雲を、忌々しく睨みつけた。
――サラマンダーは炎におおわれた巨大なトカゲである。全身には斑点があり、尻尾の先まで入れると大人の身長を越えた。
町の冬越し用に蓄えていた薪おき場で、火災が発生する。
慌てて消火に駆けつけた町民は、炎の中から現れた魔獣に驚愕した。居合わせた傷の男がたたきのめし、喝采が上がる。
しかし数か所からあがる煙に歓声は消えた。
ウールドが手当たり次第退治していっても、いっこうに数が減らない。延焼した建物から、新たなサラマンダーが生まれていたのだ。
「炎の攻撃は効かねえってんだから、色男がこっちだったらやばかったな」
「トカゲが数匹かたまってる! 誰か手を貸してくれ――!」
「ちくしょう、よくも家を焼いてくれたなっ!!」
「どっどうすんだよ、このままじゃ寝る場所もなくなっちまう……っ」
町民が農具を手にサラマンダーを攻撃する。
だが傷ついたサラマンダーが炎を食べると、体が再生していく。そのきりのない徒労に、汗と力が抜け落ちてしまう。
自分たちの町が燃えるのを、ただ網膜に映していた。
「ウヴォォ!」
「――ひっ!?」
燃えさかる建物の二階から、サラマンダーが緑の毒液を吐く。
突っ立っていた町民の頭上に降りそそぎ、頭を抱えてへたりこんだ。だが一向に落ちてくる様子はなく、恐る恐る顔を上げる。
雨に濡れた漆黒のマントが、目の前で毒液を遮っていた。
「ちっ……こいつも毒を吐くのか、嫌な記憶がよみがえらあ」
バジリスクと違って、引火性じゃないだけマシか――。
マントにじわじわと毒液がにじみ、くすぶって大穴を開ける。こりゃあダメだとウールドは脱いで放り捨てた。
雑草が異臭を放ち溶けていく、バジリスクの毒ほどではないが見劣りはしない。
「おいってめえら、なにをあきらめてんだ!」
手近のサラマンダーを鉄の鍬で殴り飛ばし、狼が遠吠えを上げた。
群れの仲間ではなくとも、町民の意識が引きつけられる。
「ブルってんじゃねえぞ、てめえらの町だろうが! てめえらで守んなかったら、どんなツラして妻や子をその手に抱きしめるつもりだ!」
ウールドの体の内から、淡い光がうっすらと立ちのぼっていく。
国家存亡危機の魔獣を殴り飛ばす、巨人が顕現していた。
「力が湧かねえんなら前だけ向け! 睨みつけて叫んでみろ! 俺は最後までやりきったと、ふんぞり返ってる誰かさんに怒鳴ってやれ!!」
「……っ!」
「くそっちくしょう! ちくしょう――!」
「おっ俺だってえ……っ!!」
町民の目に生気が戻る。
震える手で農具を握りしめ、鳴らす奥歯を噛みしめた。我知らずサラマンダーに向かい踏み出していく。
「その意気だ……てめえら燃えてるそばで戦うな、トカゲ野郎が息を吹き返す! どうにか俺んとこに引っ張ってこい!」
「おおうっ!!」
「雨は期待できねえ、桶に水を汲んで消火しろ! 農具で燃えてる家をぶっ壊せ、これ以上燃え広がるよりゃマシだ!」
「わかった――!」
「トカゲ野郎は火の精霊だ、水に弱え! 女は子供を連れて対岸まで避難してろ、川を渡っちゃこれねえ!」
「はっはい!」
魔獣を物ともしない膂力、発している異様な気配――町民を統率してしまえる、覇気のこもった声。
狼の雄たけびが波紋となって町に広がっていく。
「おらあ――っ『邪土』!」
ウールドが毒を無視してサラマンダーを殴り潰す。
突いた地面に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。妙な光沢を放つ流動体がわき上がり、装甲となって張りついていく。
鉄のガントレットが雨を弾き、銀の被膜が舞い跳んだ。
「てめえら堂々と胸を張れ! 一匹残らず町からたたき出すぞ――――っ!!」
「おおおお――――っっ!!」
☆
「おう、今日も元気に煙がのぼってるねえ」
広大な農地に線を引き、街道が街の市門まで続いている。盗賊風の男が鉄の鍬を肩に、ノンビリと歩いていた。
マナスルに隣接して、監視塔と思しき奇妙な塔が建っていたのだ。
「トクリー窯の威容を見上げると、マナスルに帰って来たって実感がすらあ」
一年前は荒涼としていた耕作地も、領民が増え華やかになっている。麦が小さな緑の葉を覗かせ、ほのかに輝いていた。
元王都の面影を残す街に笑顔があふれ、行商人が列をなしている。
「――んなわけで北西の町からトカゲ野郎を追い払った。神さんに声が届いたのか途中で豪雨になって、燃え広がるのをようやく食い止めれた」
あいつはいつも遅えんだよな――。
マナスル城の執務室に領主と因果伯が集結していた。
ヴィーラ殿下へ上申する最終確認だが、椅子の配置はバラバラである。きっちり壁沿いに座る者、ど真ん中で堂々と足を組む者、離れの椅子で我関せずの者。
貴族にあるまじき性質を如実に表していた。
「焼け残った家に同居すりゃあ、しばらくは暮らしていける。だが春んなる前に、建築する職人と資金を頼むわ領主さん」
「わかりました」
鉄の鍬を手に組んだ足を揺らし、ウールドが悪びれもせず要望を突きつける。
毎度のことなのかマナスル伯爵は憤るでもなく、口元を緩ませ軽く了承した。
「家屋の延焼は抑えられたのですね、なによりです」
「サラマンダーの毒は? 皆さんは無事だったんですか!?」
ラヴィが背筋をただし安堵する。横に座っていたトリコナーが勢い立ち上がり、食い気味で町民を案じた。
状況次第ではそのまま走り出したかもしれない。
ケガした奴はいたが、トリの坊主に頼むほどでもねえ――ウールドが肩をすくめ口角を上げると、やっと緊張を解く。
よかったとひと息つき、胸をなでおろしていた。
「しっかし薬草が欲しいから掘ってこいって話だったよな。なんで俺なんだと首をひねってたが……そういうことだったわけだ」
M属性の「予感」――ウールドが離れて座る赤毛の幼女を盗み見る。
聞えているのかいないのか、アカーシャは蝋板を離さない。探究部屋から借りた写本を、一心不乱に模写していた。
細い金属棒の持ち方に上達度がうかがえる。
「にしても回りくどいしめんどくせえ、もっとハッキリ伝えちゃダメなんかい」
「ダメだから遠回しに頼んでいるんですよ。M属性に対しての認識をあらためると申したはずです、察する努力をなさい」
「へいへい――~」
ラヴィのお説教にウールドが口を尖らし、使わなかった鉄の鍬で頬をかく。
何やら考えていたトリコナーが、薬草ではありませんがと手を打つ。
「サラマンダーの体には薬効があると文献にあります、食べれば媚薬になるとも。崩れて消えてしまったのなら、迷信だったのでしょうねえ」
さらに強壮剤に催淫剤に脱毛剤、そして劇薬の原料にもなったはず――。
指折り数えて残念そうに肩を落とした。上げられた薬効の内容は、とても町民の安否を気遣っていた姿とそぐわない。
ブツブツと吟味する美少年の横顔に、突っこんでいいのかと顔を見合わせる。
「――僕は北の森に出没した、盗賊の噂を調査しに行きました。とはいえ運が悪く魔獣に遭遇し、未確認とあいなりました」
申し訳ございません――。
頭を下げるバクティ卿に、マナスル伯爵は苦笑を隠せずにうなずく。
やや芝居がかってはいたが、集った者たちは察する努力を怠らなかった。
「んでそっちはどんな魔獣だったんだ?」
「スケルトンだ、司祭の説教もミサも施されなかった亡骸を、悪魔が奪ったのだ。どうにか罪を重ねることなく、御霊を慰めることはできたが……」
甲冑を身につけている者が多かった。
戦場からさまよってきたのか、身に覚えがある境遇に胸がうずく。バクティ卿の愁いを帯びた表情に残るのは、哀悼か孤独か。
「亡くなっても神に許されず剣を佩くなんて、まさに煉獄だね」
「バクティ卿の炎によって浄化され、永遠の苦悩が清められていることでしょう」
同じ魔獣に連なってはいても、アンデットには別格の哀れさがあった。
俺がそっちに行ったらやばかったな――ウールドは声に出さず、心の中で赤毛の頭をポンポンとなでる。
「そしてスケルトンを統率するがごとく、騎士が……デュラハンが現れた」
バクティ卿が声をつまらせ、さらなる惨禍を告げた。
――デュラハンは首のない騎士の妖精である。
首のない黒馬を駆り死を予言した。死人の出る家の近くに出現し、命を刈り取る死神としても伝えられている。
けっして逃れられない死期は、命ある者の因果ともいえよう。
従士をまとめ、陣頭に立つ騎士の軍団。
相対した瞬間、バクティ卿の瞳が揺れていた。かつて轡をならべた皆の雄姿を、カティーナ騎士団の雄姿を重ねていたのだ。
「なんだ色男、未練たらたらだなあ」
「ちょっ……餓狼!」
「まったくだな」
ラヴィが弾けて止める間もなく、バクティ卿は自嘲に口を歪める。
お説教が始まると固唾をのんだが、二人のやりとりに言葉を失う。
「そう気張るなって、おめえはなんでもかんでも溜めこんじまうんだから」
「わかったわかった」
ウールドの軽口に相づちを返して笑う。それはあきらめによる見切りではなく、長年の友に接した気楽さではなかったか。
個別で行動する因果伯も、一か所に滞在することで様々な変化が起きていた。
「それにしてもさ、魔獣が出没したのは北西の町と北の森だよね。前回の予か……えっと騒がしかったのも北だった、なんだか偏ってない?」
トリコナーも遠回しが苦手なのか、咳払いして意見を求める。
全員の意識がピクリと反応し、それを言うのかと息をのむ。
「まあどこぞで魔獣が戦って、縄張り争いが活性化したんだろうな」
ウールドは鉄の鍬に顎を乗せ、天井を眺めてとぼけた。
「冬の間際だったか、霊山の方向で世界樹が立ちのぼったと噂が広まった。魔獣の出没報告が頻発するようになったのは、それ以降だ」
バクティ卿は腕を組み、王国の情勢を共有する。
「ヴィーラ王国にとって、なにか由々しき事態が起こったのでしょうね」
ラヴィは見当もつかないと首を振り、錫杖を握りしめた。
アカーシャは蝋板から顔を上げ、手紙の送り主を思い浮かべる。
「フフッ……」
誰もが「彼の少年」の名を出さないので、マナスル伯爵は笑いをこらえた。
にわかに静寂が場を支配する。喉元まで来た言葉をのむべきか吐き出すべきか、決心がつかぬまま視線だけがさまよう。
「ああもう……っあの野郎、今度は何をしやがったんだ!」
ウールドが耐え切れず、鉄の鍬に叫ぶ。
それは一年前に少年が製作した鍬。用途がわからないと新王都から送ってきた、「バールのようなもの」だった。
「まっまあまあ、まだアユムが関係してるとは……」
「トリプティー卿、誰もアユム卿だとは申しておらんよ」
トリコナーのはぐらかしに、バクティ卿が鋭い突っこみを入れる。
「アユム意外に誰がこんなことできるってんだ! モルディブの樹海に出っ張って魔獣どもを引っ掻き回すなんざ、殿下でも難しいだろ!」
一応は肩を持ったトリコナーだったが、二人に迫られ白旗を上げた。
「ヴィーラ殿下が信頼のおける者を、護衛につけたとおっしゃっています。ですが素性を明かしてはいないようですね、それで彼を諭すのは難しいかと」
ラヴィも肩入れをあきらめ、一年前の騒動を振り返る。
諸侯に嫌みな視線を受けても、側溝を掘りお風呂を作り前代未聞昼食会を開き、バジリスクに単身立ち向かった少年。
破天荒を地でいく彼を、誰が説き聞かせることができよう。
「確かに因果伯を明かさず、アユムを止めろってのはきついもんがある。ペールは以前の行商人姿が板についちまってるし」
アユムが樹海に入る前に、無理やり取り押さえっちまえばよかったのに――。
そう憤るな卿とは違うのだと、バクティ卿が仲間をかばう。
「何やらこみいった状況だったらしい。ペールラァサ卿は北東の村の出身だった、四年前の魔獣暴走で啓き、爵位を拝命したと聞いたが」
「誰もが貴方みたいに、自由には振る舞えないんですよ。ええそのようですわね、普段も予備人員として王都の北を巡回していたようです」
悪かったな――と、ウールドが口内でもらす。
「ゆえにより慎重になったのだろう」
「例の『娘』、ですわね?」
ラヴィの問いにバクティ卿は理解をしめす。
騎士を体現した姿に、疑惑の強さが覇気となって表れていた。
「北東の村に、ルーシーなる娘はいなかった」
「にもかかわらず、村人は住民と認め疑ってすらいなかったそうだ。違和感が残る『娘』から、少しでも正体を隠したかったのだろう」
守備を一任された北東の村を、バクティ卿は生涯忘れることはできない。
あの惨劇の中にペールラァサ卿もいたのではないか。意味のない妄想に失笑し、頭を振って息を吐く。
「モルディブの樹海に向かうと、村人に報告を託したのを最後に……か」
以降連絡は完全に途絶えている。
行き先は魔獣が徘徊するモルディブの樹海。仲間は無事だと虚勢を張ろうとも、何が起こるかわからない常軌を逸した世界。
まだ見ぬ地に、ウールドは思いを巡らせた。
「それにしても……今はカルブンクルスでしたか、なんだか因縁の街ですわね」
生まれ育った街の話に、アカーシャの手が止まっている。
侯爵による廃位を目論んだ反乱事件。マナスルに滞在している因果伯の六名中、五名までが魔獣暴走に関わっていた。
彼らとて人生の変更を余儀なくされたのだ。
「ジャーラフがいっしょに北へ、カルブンクルスへ着いて行くべきだったって……口にはしないけどずっと後悔しているわ」
マナスル伯爵が自分のこととして悔恨する。その場に自分がいればとの思いも、あったのかもしれない。
ひとつだけ空席の椅子が、執務室の空気を寂しくさせていた。
「――それに活性化しているのは、魔獣だけではありませんわ」
ラヴィがマナスル伯爵に意識を飛ばすと、「どうぞ」と了承される。
「皆さんが騒ぎを治めに出ていた間の件です。プールヴァ帝国の密偵がマナスルに潜入し、トクリー窯を探っていた形跡があります」
「プールヴァ帝国の!?」
「そいつは確かなんかい」
「密偵」が表した語句に、国家の要が見過ごせないと食いつく。
「ええ……どうにか数人を捕縛し、『力』で確認いたしました。ですがこのごろ、とみに多くなっています」
「あんだけ目立つ塔だからなあ、密偵も放っておくわけにはいかんか。つっても、武器や兵器を作ってるわけじゃないんだが」
「むしろ領民の笑顔のためなんだけどね」
「それは事情を知っているからだな、他国からすれば奇妙な塔でしかない。探りを入れるのは当然ともいえる」
「危険な塔じゃないんです~っていっても、信じちゃくれないわよねえ」
要人を招いて側溝やお風呂を説明しても、理解してもらえるのだろうか。むしろ裏があるのではと、さらに不信感が増すのではないか。
見通しが立たない状況に、ウールドは鉄の鍬を睨んで眉をひそめる。
「なんだか、きな臭くなってきやがったなあ」
『握手……相手と友好をしめす挨拶と言われてます』
ジャーラフが北に向かい手を差し出す。
何度も繰り返し慣れてしまったしぐさが、より胸の穴を開けさせた。今日もまた主塔の屋根に夕日が射し、左頬を染めている。
待つのは慣れたはずだった、いつも屋根にのぼり連絡を待っていた。
姉からの、プラーナさまからの。それなのに単なる護衛対象だった彼の不在が、どうしてこんなにも辛いのか。
明るい笑い声が一切色あせず、猫の耳に残っている。
「――っ!?」
内心とは別に猫の耳が鋭く反応し、国境に複数の気配を察知した。種族としての能力であり、只人には到底達しえない感覚。
屋根の上で危なげなく立ち上がり、目を閉じて意識を集中する。
東からマナスルに向かい進んで来る集団の「カルマ」――それは行商人の光とは明らかに違う、意志のある敵意を発していた。
そのなかに、天と地を「繋ぎ」まっすぐ立ちのぼる光が視える。
「この光りは……だって、この光りは――」
アリエナイ光景に、ジャーラフは呆然と立ち尽くしていた。
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