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第八話 書き込まれ始めた名前

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 上げた謝罪動画は、受け入れ始められてる。
 いまだに粘着して責め立ててるアンチも存在するけど。
 どちらかといえば、「応援してるよ!」という温かいコメントの方が増えてきていた。

 俺が歌い続けていたのも、そういうコメントのおかげだったことを思い出した。
 特に最初の頃からの、仲間の海夢。
 海夢は、初めて俺の動画にコメントをくれた人だった。

 歌ってみようと決意したのも、あまりにも単純な理由だ。
 音楽の授業で、教師に歌声を褒められた。
 それだけの理由で、初めてみた歌の動画だった。
 俺にもできることがある。
 そう気づいて、姉との確執から逃げるように歌の動画を毎日のように上げていた。

 最初から、優しいファンが付いていたわけじゃない。
 始めたばかりの頃は、十回見てもらえればいい方だった。
 それでも、SNSで宣伝をすれば海夢がいつもコメントをくれる。

『今回も優しい声で、元気もらえた! ありがとう!』

 それくらいの短い言葉だった。
 でも、涙が出るくらい嬉しくて、俺は次々に歌っては動画を上げる。
 そして、視聴者が増えていき、温かいコメントが増えていった。

 それくらいの頃に、海夢からDMが来たんだっけ。
 確か『急なDMでごめん。リクエストとかって受け付けてますか?』みたいな内容だった。
 リクエスト、考えたこともなかったから、海夢からのDMにワクワクして返信をした。

 どんなものでも、歌おう。
 そう決めて送った返事には、いつも俺を慰めてくれた曲のタイトルが返ってきた。
 そこから、同じアーティストが好きなことが判明。
 そして、海夢とよくやりとりをするようになった。

 いつか、歌ってみたを上げてみたいということ。
 海の無い街に住んでて、カラオケ屋さんでバイトしてること。
 たくさんの話をした。
 視聴者が増えない時の愚痴も、海夢は聞いて『湊音くんなら大丈夫』と応援してくれる。
 だから、俺にとっては海夢はかけがえのない仲間になっていった。

 海夢の学校やバイトの愚痴も、数えきれないくらい聞いた。
 クラスメイトに意地悪されてやり返した話とか。
 腹を抱えて笑って、「つえー! かっこいい!」とか、返した気がする。

 思い出を振り返りながら、顔を上げる。
 夕日が沈んできて、紫色とオレンジ色が混ざった空の色が目に入った。

 砂浜ではマリンが踊りの最終確認をしている。
 じいっと、マリンを見つめれば、視線が返ってきた。

「ソウくんこそ、練習必要だと思うんだけどなぁ」

 俺の視線に気づいたマリンは、手をぱっぱっと振る踊りを続けながら、つぶやいた。
 パソコンを閉じて、カバンにしまい込む。
 そして、踏まれないように端の方に置いてから、砂浜を駆け出した。

 砂浜に足を取られながら、マリンの横までたどり着く。
 マリンはキラキラと汗を輝かせている。

 隣で、フリを思い出しながら体を動かす。
 自然と覚えていて、体が勝手にマリンに合わせられる。

「そうそう、結構いい感じになってきたよね! タコのダンスって感じ」

 褒めてるんだか、貶してるんだからわからない言葉を聞きながら、生ぬるい風を全身で受けた。
 夕方の海と言っても、どちらかといえば夜に近い。
 砂浜は昼の温かい陽射しん吸い込んで、まだ、熱い。
 空気は、少しずつ、冷えてきているのにだ。

「よし、撮るぞー!」

 設置したカメラの方を見れば、急に緊張してきた。
 ダンスを動画に撮って公開するのは、初めてだ。
 それに、撮影中にマリンの方ばかり見るわけにもいかない。

 音楽も、広い海と砂浜に吸い込まれて微かにしか聞こえない。
 ただ、隣のマリンがリズムを取りながら歌ってくれる。

「よし、ソウくん、準備はいい?」
「おう」

 全く良くない。
 心臓は、バクバクと速い脈を打ってるし、手は微かに震えていた。
 それでも、今更待って、とは言えない。

 頬をペチペチと軽く叩いてから、まっすぐスマホを見つめる。
 マリンがスマホの録画ボタンを押して、慌てて戻ってきた。

 そして、音楽が遠くで鳴り始める。

 リズムを取りながら、マリンと息を合わせて踊る。
 途中で見つめ合うシーンで、マリンと目があって息が止まった。
 キラキラと楽しそうな表情で、踊るマリンにつられて、俺まで、口元を緩めてしまう。
 
 砂浜では足が取られて、練習のようにはいかなかった。
 それでも、見れるレベルには踊れたと思う。

 二人で、階段に座って今撮影したばかりの動画を確認する。
 マリンが小声で歌を、口ずさんでいた。

「いい感じじゃない?」
「俺は変わらず下手くそだけど、ちゃんとフリはできてるよな?」

 不安になって、マリンに問い掛ければ、大きく頷いてくれる。
 ふうっと胸を撫で下ろせば、喉がカラカラに乾いていた。

「飲み物買ってくる」
「じゃあ、私は、パインサイダー!」
「おう」

 動画を確認してるマリンを置いて、一人で自販機まで歩く。
 海辺はまだらに、人が歩いていた。
 記念撮影をするカップル。
 子どもと手を繋いで歩いている夫婦。
 俺たちも側から見たら、ちゃんと、恋人に見えるんだろうか。

 嬉しさと、よくわからない気持ちを噛み締めながら、自販機にたどり着いた。
 マリンが言っていたパインサイダーと、自分用に悩んだが、同じものを買う。
 喉に良くないかもと、歌ってる時にはサイダーを避けていた。

 弾ける炭酸の感覚が、喉に刺激になるかも、と。
 プロでもないのに、笑われそうだけど、それくらい本気だった。

 昔の感覚を思い出して、じわじわと歌いたい気持ちが湧き上がる。
 カラオケへ、久しぶりに行きたい気分だ。
 ふんふんっと鼻歌を歌いながら戻れば、マリンはパソコンの画面に顔を近づけてじっくりと見てる。

 マリンの後ろに回って、パインサイダーをパソコンの前に突き出す。

「びっくりしたぁ」
「面白いコメントでもあった?」
 
 覗き込めば、投稿した動画のコメントを確認してる最中だった。
 マリンは俺の言葉に、首を横に振る。
 どんなコメントがあるのかと、俺も覗き込めば、二人で物産館を巡ってる動画。
 あの、ぶち炎上をした動画を見ていた。

 コメント欄に、見慣れた文字を見つけて、心臓が跳ね上がる。

『話してる声、聞いたことないけど湊音に似てない?』
『思ってた、湊音っぽい声だよね』
『湊音くんを思い出しました』
『湊音くんなら、戻ってきて欲しいです』
 
 一度も配信でも、歌ってる途中でも、話したことなどない。
 だから、聞いたことないのは当たり前だ。
 それでも、歌っていない動画に……こんなコメントが付くなんて。

 お土産に関するコメントや、初々しい俺たちへのコメントの間に挟まる『湊音』へのメッセージ。
 普通だったら、関係ないチャンネルにそんなコメント書かねぇだろ。
 見ていてくれていた大切な視聴者のはずの人たちのコメントに、変な汗が背中を伝っていく。

 ネットストーカーをしていた子も、最初は……
 湊音の声が好きだと言ってくれた子だった。
 それなのに、いつのまにか恋の歌を歌えば『私のことを思って歌ってくれたんだよね』と、DMが届くように。
 返事をしなければ、何通も何通も、届くDM。
 相手をして刺激をしてはいけないとわかっていたから、俺は見ないふりを続けていた。

 その内に、俺への想いは憎悪に変わっていく。

『私には返信してくれないのに! でもわかってるよ、恥ずかしいんだよね。私はいつでも、湊音の気持ちを受け入れれるよ』
『湊音の声を聞きながら寝たら、夢に出てきたの。何回も好きって伝えてくれてありがとう。大好きだよ』
『早く結婚したいね。湊音のプロポーズ楽しみにしてる』

 気分がいい時と、悪い時のジェットコースターのようにメッセージが、どんどんとおかしくなっていく。
 最後の方には、被害妄想と、他の視聴者への恨みつらみが綴られていた。

『あいつらみんな、湊音のことわかってない! 消えて欲しい』
『湊音は私だけいればいいよね?』
『どうして返事くれないの? 弄んだの?』
『もういいよ、暴露するから。湊音がやったこと』

 何一つ俺がしない内に、彼女の中ではストーリーが出来上がっていたらしい。
 気づけば、俺は彼女を弄んだ最低の男に成り下がっていた。

 焦りと、動悸で、息が詰まる。
 マリンの反応を窺えば、プシュウっと音を立ててパインサイダーを開けていた。
 気づいてるのか、気づいていないのか。
 聞いてしまえば、すぐにわかる。
 それなのに、俺は確認する勇気がない。

 ごくごくと、サイダーを飲み干すマリンの喉だけを見つめていた。
 はぁっと息を吐き出して、顔を上げる。
 潮風が、マリンの髪の毛を掬い取って、靡かせた。

「湊音さんって、いい声だよねぇ」

 純粋に褒めるマリンの声は、どちらなのか俺にはわからない。
 そうだよね、と言うのも憚られる。
 黙り込んだままなのも、変で俺もパインサイダーの蓋を開けた。

 プシュッという音と、波のザプンっという音だけが二人の間を流れていく。

「聞いたことある? もう、動画ないんだけどさ……」

 あるに決まってるよ。
 だって、俺なんだから。
 その湊音は、俺なんだから……

 でも、そんなことは言えないから、飲んでいたペットボトルから口を離して「うん」と小さく答えた。
 変か?
 いつもの俺らしくなくて、バレてしまうか?

 焦る俺の気持ちとは、裏腹にマリンは、懐かしそうにコメントを見つめる。
 マリンも、俺の歌を聞いていてくれたのか。
 その事実にやっと気づいて、体の中心から熱がカァアッと上がっていく。
 いい声だと言ってくれたこと、聞いてくれていたこと、その事実がただ、ただ、嬉しい。

「すごい優しい声で歌ってくれる人で、私好きだったんだぁ」
「そうなんだ、意外。歌ってみたとか聞くんだ」
「カップルチャンネルやりたいって言ったけど、本当は歌ってみたとかやってみたかったんだよねぇ」

 マリンの言葉に、唾を飲み込む。
 それだけは、俺は頷けない。
 普通に話してるだけでも、湊音だと疑われてるのに。
 歌うわけには、いかない。

「俺は音痴だから無理だよ」
「カラオケでも歌わないくらいだもんね。でも、ソウくんの歌も聞いてみたかったなぁ」
「いつか、な」

 マリンにだったら、聞かせたい。
 それでも、マリンが聞いたらきっと、俺が湊音だってバレてしまう。
 そんな自意識過剰が、邪魔をする。

「似てると言われれば、似てる、かなぁ……人間を大まかに分類すれば、同じような声かもね」

 コメントの『湊音に似てる』というコメントへの返事だろう。
 マリンが微かに呟くから、隣でわざとらしく笑ってみせる。

「そんな分類したら、結構大勢の人間が似てるだろ。ってか、歌声と話し声って結構違うと思うけどな」

 平常心を保って、バレないように、言葉にすれば、マリンは「そうだよねぇ!」とうなずく。
 よかった。
 気づいてない。
 安堵しながら、もう一度サイダーを口にする。

 胃の奥まで、パチパチと炭酸が弾けて痛かった。
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