木曽義仲の覇業・私巴は只の側女です。

水源

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承安3年(1173年)

平重盛と癪と枇杷の葉療法

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  さて、私はしばらく薬院の運営を続けました。

 朝に湯船を洗い、竜骨車で水を汲み入れ、黒く塗った竹筒で温め、薪で風呂釜を沸かすというのは存外重労働かつ太陽が出ていないと十分温まらないので、天気が悪い日は基本休業としていました。

 そんなある日、侍風の男が連なって薬院を訪ねてきたのです。

「お前がこの薬院の長か?」

 私は訳がわからないながら、答えます。

「はい、私がこちらの施設の長の巴ともうします、何かございましたでしょうか?」

 男たちは顔を見合わせた後、私に告げました。

「話が主、平重盛様がお前をお呼びだ。ついてきてもらおう」

 うむむ、どういう意味の呼び出しでしょうか?。

 治安を乱したとかでいきなり捕らえられるようなことも勿論ないとはいえませんが……。

 この時点の重盛は京都の警備を頼盛と共に任され、ている京都における最高責任者であったはずです。

 私は男たちに連れられ、六波羅小松谷ろくはらこまつだにの屋敷までやってきました。

 六波羅は、北は五条大路から南は七条大路、 西は鴨川東岸から東は東山麓に及ぶ広大な地域であり、 古代からの葬送地、鳥辺野に隣接する地でその入口にあたります。

 六波羅小松谷は山科に抜ける道筋の、東国や伊勢平氏の本拠地伊勢・伊賀への玄関口に当たる場所です。

 屋敷の中央にある寝殿の庭へと私はつれられます。

 さてどうしたものかと考えつつも、最悪の展開を想像して、額にじわりと汗が滲んできました。

『くく、そのように緊張しなくても大丈夫とは思うがな』

 貴狐天王は含み笑いで私の側に居ますが、この方がそう言っているということは恐らく大丈夫なのでしょう。

 私が玉砂利のしかれた庭に座ると、私を連れてきた男が屋敷の方に声を投げました。

「お待たせしました、重盛様、頼盛殿の言っておいた薬院の長を連れてまいりました」

 玉砂利の上で平伏し、私はこの屋敷の主人が出てくるのを待ちました。

 そして衣擦れの音と主に人がやってきて私に声をかけたのです。

「ふむ、お前が頼盛殿の孫娘の胸病みを治療したという薬師か。
 ふむそのままでは話もできぬ
 おもてをあげよ。」

 私はその言葉に顔を上げて、声の主を見ました。

 彼の息子の平維盛は平家一の美男であると言われていますが、父親も十分美男だと言えそうです。

 しかしながら、心労のせいなのか目の下には隈ができている様子が伺えます。

 平重盛は父である平清盛を軍事的、政治的によく補佐し、平家の大黒柱である清盛の跡継ぎと目されていました。

 しかしながら重盛は清盛と後白河の間に立たされたため、「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と呟いたとされ、『愚管抄』でも重盛は「トク死ナバヤ(早く死にたいものだ)」と生きることに望みを失った言葉を残したとされていますね。

 ちなみに太郎焼亡と呼ばれる大火災の時に重盛の屋敷も燃えてなくなっています。

「ふむ、よくきてくれた、お前が死病である胸病みを治した話は本当か」

「完治するには一年二年かかるとは思いますが、命はとりとめられたと考えております」

 ふむ、と彼は少し考えたあと。

「ならば、私の体を診療して病を治してほしい」

 といってきました。

「それは構いませぬが、具体的にはどのような症状でしょうか?」

 彼の言うことにはみぞおちから左にかけての鈍い痛み、胸のもたれる感じ、吐き気や
 倦怠感・息切れ・ふらつき、めまいなどの貧血症状などだそうで……

「なるほど、重盛様のご病気は心労による胃の腫瘤による癪でありましょうな」

「うむ、それはわかっているのだ、どうすれば治るのかを問うておる」

 私は少し考えたあと答えます。

「一番良いのは心労のない状態に重盛様がなることでございます。
 が、現状の立場では無理でございましょう」

 私に言葉にに彼はうなずきました

「うむ」

 まあ、政治や軍事をほうり投げることができるならこんなことになっていませんからね。

「では、私の指示にしたがっていただけますでしょうか」

 すこしうろたえたように彼は聞いてきました。

「う、うむ……具体的にはどのような方法なのだ?」

 彼の問には私は淡々と答えます

「湯殿による入浴と食事管理と枇杷の葉や種を治療に用います」

「枇杷?」

 彼が聞いてきたことに私は淡々と答えます。

「はい、枇杷の葉や果実の種子に優れた薬効があることは、
 インドでお釈迦様が書かれた経典のひとつ「大般涅槃経だいはつねはんぎょう」()の中にも
 記されておりびわの葉を無憂扇むゆうせん、びわの木を大薬王樹だいやくおうじゅ()と呼んでたたえるとされています。
「無憂扇」とは、どんな病の憂いも癒す扇のような葉で「大薬王樹」は、薬草の王様のような木の意味がございます。
 大陸でも「肺熱を排降して化痰止咳し、胃熱を清降して止嘔し、煩喝を除く静粛肺胃の薬物(肺などの呼吸器の炎症や異常を鎮め、痰や咳を治したり、胃の炎症や異常を鎮めて吐き気や嘔吐を治し胃腸の不快症状を取り除いたりする、肺や胃によく効く薬)と記されております。
 聖武天皇のお妃様である光明皇后が、貧しい病苦の人々を収容して医療を施す、施薬院せやくいんを建てたときにもびわの葉による治療が行われていたようです」

「う、うむ、そうであったか」

 ちなみに枇杷は、バラ科の植物で、梅や杏、桃、桜などの仲間です。

 高さはおよそ10メートルほどになり、葉は濃い緑色で大きく、長い楕円形をしており、表面にはつやがあり、裏には産毛があります、そして、その大きな葉陰に楽器の琵琶に似た形をした一口大の多くの甘い実がなり、黄橙色に熟すのです。

 枇杷の実も果実として美味しいです。

 毎年11月~1月の寒い季節に花をつけ、目立たない花ではあるけれどもかぐわしい香りを持ち、梅雨の頃から夏にかけて熟す生命力旺盛な植物です。

 さて、私は重盛の許可を得て屋敷の中に薬院と同じような湯殿を作り、びわの葉を袋に詰めて煮出してその煮出し湯を葉と一緒に風呂に入れたものに彼を入らせます。

「うむ、コレはとても気持ちが良いな……」

また、食事には、水を入れた大豆を細かくすり潰しそれを搾っておからと豆乳に分け、豆乳を煮て、海水を入れ、型箱に流し込んで固めて水にさらし豆腐を作り、それと動物の乳と麦と玄米の合わせた水粥を主なものとします。

「ふむ、これはよいな、むねがもたれぬ」

 また、ビワの葉を直接患部に貼る方法も用います。

 色の濃い古いビワの葉を選んで採取し、表のツルツルした面を表にして寝床にビワの葉を敷き並べ、その上に布を敷いて横になると、体温によりビワの葉が温められて薬効成分が少しずつ皮膚から浸透し、痛みがとれたりします。

「うむ、この上で寝ると痛みが軽くなる、不思議なものだ」

 さらにはビワの葉の茶を作ります。

 ビワの生葉2~3枚を摘み取り表面に生えている毛をヘチマたわしなどでこすって取り除き、きれいに水洗いしたあと、風通しの良いところに干し、生乾きのうちに細かく刻む。

 それをもう一度干してカラカラになるまで乾燥させるそれを水に加え、とろ火で水が3分の2から半分くらいになるまで煮詰め漉してつくります。

「うむむ、コレは苦いな……」

「それは我慢してください、良薬は口に苦しと申します」

「うむ……」

 それを2週間ほど続けた所……

「おお、痛みが消えたぞ」

 どうやら完治とは言わなくても症状は改善したようです。

「ふむ、そなたの知識は大したものだな。
 どうだ、私に仕えてみぬか?」

 その言葉を聞くのは2回目ですね。

 誘いには私は申し訳ないという表情で答えます。

「申し訳ございません、私には信濃に残してきたものがおります。
 それに都の空気は田舎者の私にはあまり合わないようでございます」

 重盛は少し気落ちしたようですが、彼も私に執着をしているようでもないようです。

「ふむ、残念だが仕方あるまい」

 私は頭を下げ

「は、申しわけございません。
 もし、また体調が悪くなったり、大火で屋敷が失われた際には、信濃の善光寺参りをなさってその後松本の中原の屋敷をお尋ね下さい。
 そのときにはまたお力にならせていただきます」

「うむ、わかった、いずれ機会があれば訪れさてもらうとしよう」

「信濃は空気も澄んでおりますし、のどかな田舎ですので療養には良い場所でございます」

 私は豆腐の作り方を重盛のおつきのものに伝えて毎日食べるように言付けました。

 そして屋敷をでると、矢田義清殿の屋敷に戻りました。

 平氏の反主流の二人につてもできましたし、本日休んだら八条院様に所に行き、讃岐へ向かう旨を伝えて京を出立するといたしましょう。
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