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ねらわれた精霊の国

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現在、ぼくらは南に向かって旅をしています。ずっと南に、クロイツェルという深い森があって、どうやら魔王はそこにいるというのです。ほんとかどうかはわかりませんが。

「クロスは大賢者が、ぼくたちを襲った魔王の動きを察知したって言ったけど、だったらなんでぼくたちに魔王の攻撃だってことを知らせてくれなかったんだよ。もうちょっとでラフレシアは崖から転落するところだったんだぞ」
「そうよね。デリアが気付かなかったらあたし死んでたわ」

前を歩くニャンコにぼくらは苦情を言った。ニャンコは少しうなだれて、すまなそうな顔をしてぼくらに振り向いた。

「申し訳ない。大賢者さまがそう教えてくれたんだが、魔王の念思波に邪魔されて、どうすることもできなかったのだ」
「念思波って…魔王は考えただけであんなことできちゃうんだ…。それって防ぎようがないわよ」

そうラフレシアが言って、ぼくと顔を見合わせた。同時にぼくとラフレシアはぞっと身震いした。

「どこにでも好きな時に、というわけではありません。おそらく『ケイオスの印』を誰かに仕掛けさせたのでしょう。きっと火山からわたしたちを監視していたんだと思います」

ということは、いまも魔王の監視下にぼくらは置かれているってことか。やっぱりこりゃうかうかしてられないな。いつまた魔王が攻撃してくるかわからないからね。

「ならいい方法があるわ」

ビスケスを食べる手を止めて荷馬車の後ろでミローネがそう言った。

「魔王の監視から逃れる方法ってことかい?」
「そう。そして近道でもあるのよ」
「近道だって?どういうこと?」
「フフン、教えてほしい?ねえねえ」

ミローネは偉そうに胸を張ってドヤ顔をした。めちゃめちゃ生意気だ。

「いいから早く言え!」
「怒ることないでしょ!まったくもう、これだから庶民は」
「庶民関係ないだろ」
「はいはい。まあこれは非常手段ってやつかな」
「非常手段?」
「そ。うかうかしてると魔王がまた襲ってくるんでしょ?だからふつうはあんたたちなんか入れない場所を通って行こうってこと」
「どういうことさ」
「こういうこと」

ミローネはいきなり木々の生い茂っているところを示した。突然そこは虹色にひかり輝いた。

「あたしたち精霊の道。この精霊の道は世界中の森とつながっているの。あたしたち精霊と妖精だけがそこを通れるのよ。つまりそのクロイツェルの森にも魔王に知られずに行けるってこと」
「でもそれって精霊と妖精しか通れないんじゃないのか。いまおまえがそう言ったぞ?」
「あたしを誰だと思っているの?」
「誰って…おバカな精霊」

いきなりミローネに蹴られた。まあ痛くないけど。勇者だし、ぼく。

「こんどそれ言ったらぶっ殺すからね!あのね、あたしは何?あたしはなあに?」
「もったいぶんなよ」
「うるさいわね。あたしは精霊女王よ?わかる?」
「そう自称していたのは知ってた」
「自称じゃねーよ!あたしも、あたしの母もおばあさんも、先祖代々永きにわたって精霊女王として精霊の国に君臨していたのよ。その偉大な力をもってすれば、人間だって精霊回廊を通れるわ」
「精霊回廊?」
「森と森をつなげるバイパスみたいなものね。その中心に精霊の国があるの。あたしたちはハイパーウェイって呼んでるけどね」

よくわからんが、この世界にはどうやらおかしな隠し通路があるらしい。まったく精霊とか大賢者とか魔王とか、わけわからん力が多すぎだ。

「じゃあそれを使って魔王のところに行けるのか?なんでもっと早く言わないんだ」
「だから、非常手段だって言ったでしょ?そうおいそれと人間なんか通せないの。わかる?」
「わかったよ」
「わかってんならもうちょっと感謝したっていいんじゃない?」

めんどくせー。このやろう、いっそ殺すか…。

「ちょっと早まんないでよ!冗談よ、じょうだん」

ぼくの頭のなかを読んだミローネが焦っていた。だがとにかくミローネのおかげで魔王に知れることなく、しかも早く魔王のところまで行けそうだ。

「じゃあ早く案内してよ」
「わかったわよー。まったくなんだっていうの。ほら、馬車ごと入れるわよ。ぐずぐずしないの」

ニャンコもこの通路は知っているみたいだ。迷いなくズンズン進んでいる。入り口は虹色の光彩を放っていたが、通路自体は滑らかな鏡の管のようなもので、通路の壁にぼくたちの姿が写り込んでいた。

しばらく進むと、その道はくねくねと曲がりくねり、無数の分岐路があった。

「妖精の国が近づいてきたのよ。迷わないようにね」
「ちゃんとおまえが教えろ。どこも同じようなところで見当つかないぞ!」
「あんたもいい度胸ねー。精霊回廊ハイパーウェイのなかで女王のあたしにそんな口の利き方するなんて。だけどあたしの精霊の国に入ったら、もうちょっと頭低くしたほうがいいわよ。血の気の多いマッチョな精霊がごろごろしてるんだから」

そんな精霊聞いたことない。だいたい精霊なんてみんな弱弱しくてずるくてせこくてバカだ。

「デリア、精霊を侮るな。精霊の中にはサラマンダーと言って火をつかさどるやつもいる。ドラゴン並みの力を有していると聞く」
「マジか、ニャンコ」
「どうよ?ビビっちゃった?にゃははは、マスタービビっちゃった?」
「うるせ」

そうこうするうちに何やらまぶしい光が一面に広がっていった。

「なあミローネ…精霊の国ってこう、なんだか花のにおいとかがするもんだと思っていたけど、想像と違うな…」
「はあ?花と果実のにおいがそこら中から漂ってくるでしょ?」
「いや…どっちかっていうと物が燃えて焦げるにおいのような」
「まさか何言ってんの…あれ?くさい?何なのこのにおいっ!」

それはすぐにわかった。通路を出るとそこは広大な野原があり、その中心に真っ赤に燃えた巨大ななにかがあった。

「あたしの国がっ!」

どうやら精霊や妖精が棲む住居群だったらしい。どこからも真っ赤な炎が噴き出ている。真っ黒な煙がどんどんと空に立ち上り、小さな火の粉が無数に降り注いでくる。

「ここにいたら危険だ。どこかに逃げなきゃ」
「どうして…あたしの国が…どうして…」
「落ち着いてミローネ!この火の勢いじゃ危険だ。火が消えるまであそこには行けないよ」
「だってお母さまやみんなが…あたしの妹たちが…」
「ラフレシア!ネクロ!ミローネを押さえて。さっきの通路の出口まで戻る」
「いや!離して!」

精霊の国は大変なことになっていた。天災か、それとも何かの事故か…。いや、一番考えられえるのは魔王の仕業、ではないかということだ。魔王はきっと、ぼくらが精霊の国を通ってクロイツェルの森に行くことを知ったんだ。だから精霊の国を襲ったに違いない。ああ、これはぼくの責任だ。ぼくが安易に精霊回廊を通ろうと考えたからだ。

「女王さま!」

木陰から美しい羽をもった小さな人の形をしたものが飛んできた。

「ウィー!あなた無事だったのっ⁉」
「うぇーん、恐かったよー」
「何があったのウィー?」

小さな人の形をしたものは、ミローネの手に乗ってしゃがみこんだ。みるとプルプルと震えている。

「ミローネ、こいつは?」
「この子は妖精。ウィー・ウィリー・ウィンキーよ」
「ウィーの三段活用みたいな名前だね」
「妖精はみんなあたしの妹なの。その子がこんなに震えてる…。ねえ、何があったか教えて」
「それは…」

それは恐ろしいことの始まりだったという。急に空が真っ暗になり、そしてその真っ暗が襲ってきたのだという。

「最初襲ってきたのは恐ろしいコウモリの大群。精霊ねえさまたちは食いつかれ血を吸われたの」
「なんですって!でも四大精霊たちがいたんでしょ?」
「襲ってきたのはコウモリだけじゃなかったわ。トロールがやってきて国中をめちゃめちゃに。おねえさまたちはみんなを非難させようと…ちりぢりに」
「トロール?なんでそんなもんがこの国に!」
「だれかがおかしな方陣を持ち込んだってオンディーヌねえさまが」
「おかしな方陣?」

きっと魔王の手が、この国に伸びたんだ。誰かをそそのかして、魔の印を持ち込ませたんだ。ぼくはおのれの情けなさと、うかつな結果での申し訳なさで胸がいっぱいになった。

「デリア…気をしっかり」
「ラフレシア…でも…」
「みんなを!みんなを探さなきゃっ!」

ミローネがそう叫んでいた。彼女の眼は真っ赤になっていたが、健気に涙は流すまいと、強くこらえていたのがわかった。

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